35.港町ポルトゥス
文字数 5,314文字
がたりと馬車が止まった振動で目が覚めた。
誰かの膝が見える。隣に自分の膝も。
自分の膝を見る角度がおかしいことに気が付くまでに数秒を要して、私は体を跳ねるように起こした。
「ご、ごめん! 重かったでしょ? 反対に押しやってくれてよかったのに」
しっとカエルは人差し指を口に当ててから、向かいを指差した。
指先を追っていくと、クロウが代書屋さんに寄りかかって眠っている。
「大した時間じゃない。予想はしてたしな」
人肌恋しかったから、無意識にカエルに寄ったんじゃないだろうか。ちょっと顔が熱くなって、掌でぱたぱたと扇ぐ。
「止まってるけど、着いたの?」
「いや、休憩だ。ちょうど中間くらいだな。見る物もないが、暇なら降りてみるといい」
代書屋さんがちょっと羨ましそうな顔でこちらを見ていた。
「変わりましょうか?」
笑って聞くと、小さく首を振って呟くように答えた。
「動くと起こしそう」
なんだかんだ言って優しいんだよね。
そんな代書屋さんを気にする風でもなく、カエルは扉を開けて先に降りていく。
差し出される黒い手袋を嵌めた手に自分の手を重ねて、足元を注意しながら降りる。ぽかぽかとした日差しが少し眩しかった。
ぐっと伸びをするカエルの体からぽきぽきと骨の鳴る音がする。
う。申し訳ない。
馬達は桶に水をもらって一心に口を動かしていた。
辺りに首を巡らすと一面の畑にようやく芽が出てきたところという感じで、遠くにそれほど背の高くない木々が整然と並んでいるのが見える。
ぽつぽつと民家はあるものの、特に村とか街という感じではなかった。同じ広場の中では他の馬車も数台停まっていて、小さな屋台が何かを売っている所にだけ人だかりができていた。
「飲み物でもいるか?」
カエルは屋台を指差すが、道の駅が整備されているような所ではないので遠慮しておく。
男の人はトイレ事情を気にしなくていいからいいよね!
長閑な風景はこれからも続きそうだし、私達は早々に馬車に戻ったのだった。
クロウは次に馬車が動き出した振動で目を覚まして、慌てて代書屋さんに謝っていた。
私が膝枕を申し出たら、もう眠くないとそっぽを向かれてしまった。
直後にカエルに寝ていたことをばらされて、クロウに半眼で睨まれたのはご愛嬌だ。
その後代書屋さんの持ってきたカードで暇を潰しつつ、ミカンと緑茶でもあれば一昔前の鈍行列車の旅みたいだなと、馬車の旅を堪能したのだった。
◇ ◆ ◇
皆が港町と呼んでいるのは、正確にはポルトゥスという名の町だった。最終的に到着したのは小綺麗なホテルで、石畳の道を挟んで向かい側は紺碧の海が広がっている。
オーシャンビューだなんて、なんて贅沢!
カラフルな建物の中で明るいグレーのそのホテルは、高級さを醸し出しているようにも見える。実際グレードは上から数えた方が高い感じだ。
だって、各部屋にお風呂が付いてるんだよ! コックを開けるとお湯が出るんだよ!
些細なことに感動していると、クロウがお風呂場を覗き込んできた。
「わ。風呂まで付いてんのかよ! 俺、本当に泊まっていいのか?」
「ここまで来て歩いて帰る訳にもいかないでしょ。部屋は取っちゃってるんだから、泊まらない方がもったいなくない?」
本当はご夫婦以外の男性4人で一部屋、私が2人部屋を1人で使うというもったいない仕様だったのだが、1人は淋しいからとクロウを強奪してきたのだ。
クロウはちょっと躊躇いを見せたけど、男性陣よりは気が楽だと思ったのか素直に応じてくれたのでほっとした。
とりあえずこの後は自由行動になるので、馬車でも顔を付き合わせていた面々で辺りを散策することになっている。
小さめの籐で編んだ籠バッグの様な鞄を斜め掛けにして、戸締まりもしっかりしてからロビーに下りる。
クロウも今回はカエルのようにベルトを締め、そこに箱形の鞄を付けていた。子供ながらにいっぱしの恰好で、なんとなく可愛いと思ってしまう。
ロビーでは既にカエルと代書屋さんが待っていた。
「お待たせ-。どの辺りに行く?」
「お昼を早めにするか遅めにするかによるかな? 僕は夕方位に教会に寄らなきゃいけないから、その辺を考慮してもらえると嬉しいかも」
このホテルは港通りという海沿いに面した通りの端の方に有り、教会は港通りから直角に伸びる中央通りの最奥に位置している。
私に配慮してくれたのかは判らないが、距離があることは確かだ。
「お勧めスポットの『夕日の丘』は陽が沈む頃がいいよね」
「教会の用事はすぐ終わるから、待っててよ!」
このメンバーだと置いて行かれかねないと、必死になる代書屋さんに一笑いして私達はホテルを後にした。
ホテル前から道路を渡り、中央通りに向かう道を進むと、細く短い桟橋に小さな帆船が並んでいる、ヨットハーバーにも見える場所に出た。更に先には、長い桟橋の向こうに大きな船も見える。
小さい船は恐らく漁船なのだろう。まだ娯楽で船に乗る人は居そうにない。
港を包み込むように伸びた防波堤の先には白い灯台が立っていて、空と海の青さとのコントラストが綺麗だった。
「反対側には何があるのかな?」
隙間から水面が見える板の上を靴音を響かせながら歩いていく。何の気なしに出た言葉だったが、カエルから律儀な答えが返ってきた。
「少し行くと浜になっていて、夏場は泳げるらしい。その向こうは岩場が続くだけみたいだな」
「海水浴も良いね。またお金貯めたら、日帰りなら来られるかなぁ」
「まだ来たばかりだろ」
港側を歩いていると港通りは少しずつ高くなり、やがて階段がないと登れないようになっていく。適当なところで道路側に登り、中央通りとの交差点までやって来た。
「俺、朝早かったから屋台でなんか食いてーな。ジョットの兄ちゃん教会行ってる間に茶でもすれば、丁度良くなんね?」
「それでいいよ。やっぱり魚介が豊富かなぁ」
私が賛成すると後の2人も頷いた。
中央通りはとても幅があり、馬車が3台は余裕で並べる広さがあった。
屋台や露店は中央付近に出ており、両端にびっちり並ぶ建物は1階が全て店舗で、色とりどりの庇の下、呼び込みの声がこだまのようにあちこちから聞こえてくる。陽気な南国の観光地というのがしっくりくる感じだ。
ときおり馬車が間をゆっくりと移動しており、注意を促す為なのか、ベルを忙しなく鳴らしていた。それでもごった返す人々は我が道を行く人が多く、御者も渋い顔だ。
目の前の人混みに1歩を踏み出そうとしたら、代書屋さんが手を差し出した。
「これに突っ込むの、無謀じゃない? ユエちゃんだと見失う率高すぎ」
私は更に背の低いクロウを見たが、クロウはカエルを見ていた。
カエルが他人と手を繋ぐことはなんとなく無いような気がして、私はクロウの手を取った。
「じゃあ、クロウも繋いでおこう?」
それからちょっと情けない表情 になった代書屋さんに反対の手を預けて、よろしくお願いしますと頭を下げた。
「どちらか離れてもこれで大丈夫! カエルは迷子にならないよね? 見付けやすいから、はぐれたら動かずに待っててね」
身体を捻って振り返ると、カエルは肩を竦めて見せた。それから左手を上げて軽く振る。
「どうしてもの時は使えばいい」
本気で迷子札か!
使わないよ! 使わないからね!?
お店と屋台と露店を端から舐めるように見て歩き、お土産にいいとか、ちょっと高いとか、ぐだぐたと言うのがお祭りっぽくて楽しい。
期待していた食べ物は期待以上だった。
海老や貝の入ったブイヤベースや帆立のような物の網焼き。私はお醤油を垂らして食べたかったけど、残念ながらスパイスの効いたレモン風味だった。
何かのお肉の串焼きバーベキューソース味、チキンソテーに豆のスープやオレンジのサラダ、チュロスやフィッシュフライ等々定番な物も沢山ある。
各々が好きな物を好きなだけ食べたらかなりお腹が膨れた。
食後の一杯と洒落込んで、テラス席のように、外に椅子とテーブルのあるお店でまったりと休憩する。
クロウと私はジュースで、男性陣はアルコール類だった。
「ジョットさん、お酒いいんですか? これから用事があるんですよね?」
「え。このくらい普通でしょ? 問題ないよ」
エールはここではコーラくらいの位置付けなんだなぁ。
どうもまだ慣れない。
「酒に弱いユエと一緒にすんなってよ」
にやにやとクロウがこちらを見た。
「そ、そんなに弱いわけじゃないよ? 仕事中に飲むのが躊躇われるだけで」
「今は仕事中じゃないだろー」
「飲んだら飲んだで何か言われるじゃん!」
弱いとかやめろとか迷惑を掛けるなとか。
「夜の楽しみにしておくよ」
「僕も付き合うよ? そういえばユエちゃんが飲んでるの見たこと無いね」
「1人の時は結構飲んでたんですけどねー。ここでは健全に生きてますね。そういえば」
沈黙が降りたかと思ったら、全員から微妙な表情で見られた。ナニ?
「ユエ、1人で暮らしてたことあるのか? 本当に?」
クロウの疑わしげな目が全てを物語っていた。
「し、失礼だな! ちゃんと暮らしてたよ? 料理も出来るし、そりゃたまには実家に帰ってたけど……」
「焔石のコンロ使えなかったのに? 焚き火で煮炊きしてたのか?」
あ、やば。あんまり言うとぼろが出る。
「……色々勝手が違ってたんだよ……」
「物凄い田舎か、物凄い都会から来たって事かな~? 海の向こうは未知の世界だし、そんなところから来たのかもね」
私は代書屋さんの言葉に適当に頷いて誤魔化した。
海の向こうじゃなくて星の向こうとか、次元の向こうだったりスルカモネー。
幸いそれ以上の突っ込みはなかったが、一番私の知識の偏りを傍で見ているカエルの方は向けなかった。向くのが怖かった。
不用意な発言だったと本気で反省する。
私は木製のコップに残ったジュースを一気に煽って気持ちを切り替えた。
店を出る頃、お昼の鐘が鳴った。
私達は代書屋さんの先導で、教会とはまた少し違う方向の広場へと向かっていた。有名な名所の1つだとか。
中央通りから左右に伸びる路地を興味本位で覗き込むと、怪しい露店を開いてる人の他に、スタイルの良い濃い化粧のお姉さんや、わざわざ胸元を強調した衣装だったり、中にはもうあからさまに布部分の少ない服を着た人などがぽつぽつと立っていたりした。
「ユエちゃん、路地には入らないでね。大丈夫な道もあるんだけど……」
繋いだ手を引かれて、心配そうな代書屋さんに笑いかける。
「大丈夫ですよ。流石にそんなに馬鹿じゃないです」
クロウの目にも毒だしね。
「不特定多数が集まる大きな町は、怖いところも多いからねー。結構行方不明者がいるんだよ? この町でも」
港がある特性上、攫われた人はすぐに船に乗せられ、大陸の方へと連れて行かれるのだそうだ。
釣り針型の半島は湾の入口を狭めているので外海の影響を受けにくく、船が出しやすいという好立地が災いともなるのだ。
そんな少し怖い話をしつつ、途中で南の方に進路を変えると、先の方から歓声が聞こえてきた。
「俺、ちょっと見てくる!」
クロウが駆け出そうとするのを呼び止める。
「はぐれるよ!」
「大丈夫だよ! カエル兄ちゃんを目印に戻ってくるから!」
軽やかに手を振りほどいて、人混みをすり抜けていくクロウ。
大丈夫かな……
さっきの話の後だけに妙に心配になってしまう。
「クロウ君なら大丈夫だと思うけど。しっかりしてるよね、彼」
ああ、やっぱりしっかりしてるんだと再認識して、心持ち強めに握られた手に急に意識が集中し出す。
う、わ。なんか緊張する。
どきどきするというわけでは無く、手を繋いでいる相手が代書屋さんだというのに違和感があるというか……
人肌恋しかったのは、カエルの肩枕でもう充分充電されてしまったかのようだった。
今更離すわけにもいかないし、クロウが早く帰ってこないかな、とちょっとそわそわしてしまう。
人垣の谷間で人の隙間に目を凝らしていると、息を弾ませて帰ってきたクロウの姿と共に、前方で一際大きな歓声が上がった。
思わず顔を上げると、頭上で何かがキラキラと光を反射している。
「ユエ、噴水だ! すげぇでっけー噴水があるぞ!」
クロウは私の空いている手を取ると、すぐに踵を返してまた駆け出す。
「ちょ、クロウ!?」
反対側に繋がっている代書屋さんはくすくすと笑いながらつかず離れずで付いて来ていた。
皆、人混み歩くの上手すぎるよね?!
誰かの膝が見える。隣に自分の膝も。
自分の膝を見る角度がおかしいことに気が付くまでに数秒を要して、私は体を跳ねるように起こした。
「ご、ごめん! 重かったでしょ? 反対に押しやってくれてよかったのに」
しっとカエルは人差し指を口に当ててから、向かいを指差した。
指先を追っていくと、クロウが代書屋さんに寄りかかって眠っている。
「大した時間じゃない。予想はしてたしな」
人肌恋しかったから、無意識にカエルに寄ったんじゃないだろうか。ちょっと顔が熱くなって、掌でぱたぱたと扇ぐ。
「止まってるけど、着いたの?」
「いや、休憩だ。ちょうど中間くらいだな。見る物もないが、暇なら降りてみるといい」
代書屋さんがちょっと羨ましそうな顔でこちらを見ていた。
「変わりましょうか?」
笑って聞くと、小さく首を振って呟くように答えた。
「動くと起こしそう」
なんだかんだ言って優しいんだよね。
そんな代書屋さんを気にする風でもなく、カエルは扉を開けて先に降りていく。
差し出される黒い手袋を嵌めた手に自分の手を重ねて、足元を注意しながら降りる。ぽかぽかとした日差しが少し眩しかった。
ぐっと伸びをするカエルの体からぽきぽきと骨の鳴る音がする。
う。申し訳ない。
馬達は桶に水をもらって一心に口を動かしていた。
辺りに首を巡らすと一面の畑にようやく芽が出てきたところという感じで、遠くにそれほど背の高くない木々が整然と並んでいるのが見える。
ぽつぽつと民家はあるものの、特に村とか街という感じではなかった。同じ広場の中では他の馬車も数台停まっていて、小さな屋台が何かを売っている所にだけ人だかりができていた。
「飲み物でもいるか?」
カエルは屋台を指差すが、道の駅が整備されているような所ではないので遠慮しておく。
男の人はトイレ事情を気にしなくていいからいいよね!
長閑な風景はこれからも続きそうだし、私達は早々に馬車に戻ったのだった。
クロウは次に馬車が動き出した振動で目を覚まして、慌てて代書屋さんに謝っていた。
私が膝枕を申し出たら、もう眠くないとそっぽを向かれてしまった。
直後にカエルに寝ていたことをばらされて、クロウに半眼で睨まれたのはご愛嬌だ。
その後代書屋さんの持ってきたカードで暇を潰しつつ、ミカンと緑茶でもあれば一昔前の鈍行列車の旅みたいだなと、馬車の旅を堪能したのだった。
◇ ◆ ◇
皆が港町と呼んでいるのは、正確にはポルトゥスという名の町だった。最終的に到着したのは小綺麗なホテルで、石畳の道を挟んで向かい側は紺碧の海が広がっている。
オーシャンビューだなんて、なんて贅沢!
カラフルな建物の中で明るいグレーのそのホテルは、高級さを醸し出しているようにも見える。実際グレードは上から数えた方が高い感じだ。
だって、各部屋にお風呂が付いてるんだよ! コックを開けるとお湯が出るんだよ!
些細なことに感動していると、クロウがお風呂場を覗き込んできた。
「わ。風呂まで付いてんのかよ! 俺、本当に泊まっていいのか?」
「ここまで来て歩いて帰る訳にもいかないでしょ。部屋は取っちゃってるんだから、泊まらない方がもったいなくない?」
本当はご夫婦以外の男性4人で一部屋、私が2人部屋を1人で使うというもったいない仕様だったのだが、1人は淋しいからとクロウを強奪してきたのだ。
クロウはちょっと躊躇いを見せたけど、男性陣よりは気が楽だと思ったのか素直に応じてくれたのでほっとした。
とりあえずこの後は自由行動になるので、馬車でも顔を付き合わせていた面々で辺りを散策することになっている。
小さめの籐で編んだ籠バッグの様な鞄を斜め掛けにして、戸締まりもしっかりしてからロビーに下りる。
クロウも今回はカエルのようにベルトを締め、そこに箱形の鞄を付けていた。子供ながらにいっぱしの恰好で、なんとなく可愛いと思ってしまう。
ロビーでは既にカエルと代書屋さんが待っていた。
「お待たせ-。どの辺りに行く?」
「お昼を早めにするか遅めにするかによるかな? 僕は夕方位に教会に寄らなきゃいけないから、その辺を考慮してもらえると嬉しいかも」
このホテルは港通りという海沿いに面した通りの端の方に有り、教会は港通りから直角に伸びる中央通りの最奥に位置している。
私に配慮してくれたのかは判らないが、距離があることは確かだ。
「お勧めスポットの『夕日の丘』は陽が沈む頃がいいよね」
「教会の用事はすぐ終わるから、待っててよ!」
このメンバーだと置いて行かれかねないと、必死になる代書屋さんに一笑いして私達はホテルを後にした。
ホテル前から道路を渡り、中央通りに向かう道を進むと、細く短い桟橋に小さな帆船が並んでいる、ヨットハーバーにも見える場所に出た。更に先には、長い桟橋の向こうに大きな船も見える。
小さい船は恐らく漁船なのだろう。まだ娯楽で船に乗る人は居そうにない。
港を包み込むように伸びた防波堤の先には白い灯台が立っていて、空と海の青さとのコントラストが綺麗だった。
「反対側には何があるのかな?」
隙間から水面が見える板の上を靴音を響かせながら歩いていく。何の気なしに出た言葉だったが、カエルから律儀な答えが返ってきた。
「少し行くと浜になっていて、夏場は泳げるらしい。その向こうは岩場が続くだけみたいだな」
「海水浴も良いね。またお金貯めたら、日帰りなら来られるかなぁ」
「まだ来たばかりだろ」
港側を歩いていると港通りは少しずつ高くなり、やがて階段がないと登れないようになっていく。適当なところで道路側に登り、中央通りとの交差点までやって来た。
「俺、朝早かったから屋台でなんか食いてーな。ジョットの兄ちゃん教会行ってる間に茶でもすれば、丁度良くなんね?」
「それでいいよ。やっぱり魚介が豊富かなぁ」
私が賛成すると後の2人も頷いた。
中央通りはとても幅があり、馬車が3台は余裕で並べる広さがあった。
屋台や露店は中央付近に出ており、両端にびっちり並ぶ建物は1階が全て店舗で、色とりどりの庇の下、呼び込みの声がこだまのようにあちこちから聞こえてくる。陽気な南国の観光地というのがしっくりくる感じだ。
ときおり馬車が間をゆっくりと移動しており、注意を促す為なのか、ベルを忙しなく鳴らしていた。それでもごった返す人々は我が道を行く人が多く、御者も渋い顔だ。
目の前の人混みに1歩を踏み出そうとしたら、代書屋さんが手を差し出した。
「これに突っ込むの、無謀じゃない? ユエちゃんだと見失う率高すぎ」
私は更に背の低いクロウを見たが、クロウはカエルを見ていた。
カエルが他人と手を繋ぐことはなんとなく無いような気がして、私はクロウの手を取った。
「じゃあ、クロウも繋いでおこう?」
それからちょっと情けない
「どちらか離れてもこれで大丈夫! カエルは迷子にならないよね? 見付けやすいから、はぐれたら動かずに待っててね」
身体を捻って振り返ると、カエルは肩を竦めて見せた。それから左手を上げて軽く振る。
「どうしてもの時は使えばいい」
本気で迷子札か!
使わないよ! 使わないからね!?
お店と屋台と露店を端から舐めるように見て歩き、お土産にいいとか、ちょっと高いとか、ぐだぐたと言うのがお祭りっぽくて楽しい。
期待していた食べ物は期待以上だった。
海老や貝の入ったブイヤベースや帆立のような物の網焼き。私はお醤油を垂らして食べたかったけど、残念ながらスパイスの効いたレモン風味だった。
何かのお肉の串焼きバーベキューソース味、チキンソテーに豆のスープやオレンジのサラダ、チュロスやフィッシュフライ等々定番な物も沢山ある。
各々が好きな物を好きなだけ食べたらかなりお腹が膨れた。
食後の一杯と洒落込んで、テラス席のように、外に椅子とテーブルのあるお店でまったりと休憩する。
クロウと私はジュースで、男性陣はアルコール類だった。
「ジョットさん、お酒いいんですか? これから用事があるんですよね?」
「え。このくらい普通でしょ? 問題ないよ」
エールはここではコーラくらいの位置付けなんだなぁ。
どうもまだ慣れない。
「酒に弱いユエと一緒にすんなってよ」
にやにやとクロウがこちらを見た。
「そ、そんなに弱いわけじゃないよ? 仕事中に飲むのが躊躇われるだけで」
「今は仕事中じゃないだろー」
「飲んだら飲んだで何か言われるじゃん!」
弱いとかやめろとか迷惑を掛けるなとか。
「夜の楽しみにしておくよ」
「僕も付き合うよ? そういえばユエちゃんが飲んでるの見たこと無いね」
「1人の時は結構飲んでたんですけどねー。ここでは健全に生きてますね。そういえば」
沈黙が降りたかと思ったら、全員から微妙な表情で見られた。ナニ?
「ユエ、1人で暮らしてたことあるのか? 本当に?」
クロウの疑わしげな目が全てを物語っていた。
「し、失礼だな! ちゃんと暮らしてたよ? 料理も出来るし、そりゃたまには実家に帰ってたけど……」
「焔石のコンロ使えなかったのに? 焚き火で煮炊きしてたのか?」
あ、やば。あんまり言うとぼろが出る。
「……色々勝手が違ってたんだよ……」
「物凄い田舎か、物凄い都会から来たって事かな~? 海の向こうは未知の世界だし、そんなところから来たのかもね」
私は代書屋さんの言葉に適当に頷いて誤魔化した。
海の向こうじゃなくて星の向こうとか、次元の向こうだったりスルカモネー。
幸いそれ以上の突っ込みはなかったが、一番私の知識の偏りを傍で見ているカエルの方は向けなかった。向くのが怖かった。
不用意な発言だったと本気で反省する。
私は木製のコップに残ったジュースを一気に煽って気持ちを切り替えた。
店を出る頃、お昼の鐘が鳴った。
私達は代書屋さんの先導で、教会とはまた少し違う方向の広場へと向かっていた。有名な名所の1つだとか。
中央通りから左右に伸びる路地を興味本位で覗き込むと、怪しい露店を開いてる人の他に、スタイルの良い濃い化粧のお姉さんや、わざわざ胸元を強調した衣装だったり、中にはもうあからさまに布部分の少ない服を着た人などがぽつぽつと立っていたりした。
そういう
商売も潤っているのだろうか。「ユエちゃん、路地には入らないでね。大丈夫な道もあるんだけど……」
繋いだ手を引かれて、心配そうな代書屋さんに笑いかける。
「大丈夫ですよ。流石にそんなに馬鹿じゃないです」
クロウの目にも毒だしね。
「不特定多数が集まる大きな町は、怖いところも多いからねー。結構行方不明者がいるんだよ? この町でも」
港がある特性上、攫われた人はすぐに船に乗せられ、大陸の方へと連れて行かれるのだそうだ。
釣り針型の半島は湾の入口を狭めているので外海の影響を受けにくく、船が出しやすいという好立地が災いともなるのだ。
そんな少し怖い話をしつつ、途中で南の方に進路を変えると、先の方から歓声が聞こえてきた。
「俺、ちょっと見てくる!」
クロウが駆け出そうとするのを呼び止める。
「はぐれるよ!」
「大丈夫だよ! カエル兄ちゃんを目印に戻ってくるから!」
軽やかに手を振りほどいて、人混みをすり抜けていくクロウ。
大丈夫かな……
さっきの話の後だけに妙に心配になってしまう。
「クロウ君なら大丈夫だと思うけど。しっかりしてるよね、彼」
ああ、やっぱりしっかりしてるんだと再認識して、心持ち強めに握られた手に急に意識が集中し出す。
う、わ。なんか緊張する。
どきどきするというわけでは無く、手を繋いでいる相手が代書屋さんだというのに違和感があるというか……
人肌恋しかったのは、カエルの肩枕でもう充分充電されてしまったかのようだった。
今更離すわけにもいかないし、クロウが早く帰ってこないかな、とちょっとそわそわしてしまう。
人垣の谷間で人の隙間に目を凝らしていると、息を弾ませて帰ってきたクロウの姿と共に、前方で一際大きな歓声が上がった。
思わず顔を上げると、頭上で何かがキラキラと光を反射している。
「ユエ、噴水だ! すげぇでっけー噴水があるぞ!」
クロウは私の空いている手を取ると、すぐに踵を返してまた駆け出す。
「ちょ、クロウ!?」
反対側に繋がっている代書屋さんはくすくすと笑いながらつかず離れずで付いて来ていた。
皆、人混み歩くの上手すぎるよね?!