17.私のカチ
文字数 5,351文字
酒場でのいざこざはあの後何度かあったけど、カエルとルベルゴさんに速やかに対処してもらっているうちに、その数は減っていった。
そろそろカエルに付いていてもらわなくても大丈夫そうだ。常連さん達も協力してくれるし。
「ユエ、これそっちのテーブルに頼む」
ちょっと前から突然呼び捨てにするようになったクロウに、山盛りの櫛形のフライドポテトにバターが添えられた皿を2つ渡される。
キッチンからは続々と料理が出来上がってきていて、クロウはちょこまかと往復しているのだ。
呼び捨てで呼ばれることに全然納得できないんだけど、仕事の先輩という点では紛れもなく彼が先輩なので、なんだか文句も言い辛い。
「お待たせしました」
「お姉さん、お水もう1杯貰えるかな?」
「はい、只今」
ランチタイムの目の回るような忙しさを超えると、後に残るのは時間をずらしてきてくれる常連さん達だけだ。ちょっとだけ気が抜ける。
「ユエちゃん、今日はなんか変わった服着てるな。それ、ズボンかい?」
賄いを食べていると、常連さんのひとりに声を掛けられる。
ふっふ〜ん。
「ロレットさんとこで作ってもらったんです。私、裾が長いと踏んじゃったりして危ないから。ズボンタイプですけど、生地やフリルで男装っぽくはないでしょ? 短かめのスカートが捲れても大丈夫ですし!」
そう言って、立ち上がり、膝丈のスカートを持ち上げる。
「「捲るな!!」」
左右から突然腕を払われて、私は固まった。
クロウとカエルが私を挟んで両側から睨んでいる。
……2人とも、いつの間にそんなに仲良くなったの?
「だから、ズボンなんだから見えても大丈夫だって……」
「そういう問題じゃ無い!」
11歳に懇々と説教される私……常連さん達は生暖かい目でこちらを見ながら笑っている。
そう。クロウは11歳だった。日本なら小学生だ。
でも、小さいときから家を手伝うのが当たり前だからか、ずっとずっと大人っぽい。確かに勉強は日本の小学生に劣るだろうが、ここではそれで充分なのだ。私は先輩に頭が上がらない……くそう。
半分くらい聞き流したところで、軽い足音が下りてきた。
「いらっしゃいませ!」
反射的に挨拶して振り返る。
「ユエ! 聞いてんのか?!」
私じゃなくて、下りてきた女の子がびっくりして足を止めた。
「……クロウ?」
「あ?」
私を説教したままのトーンで不機嫌な声を出し、クロウは私の陰から彼女を覗き込んだ。
赤茶の髪をポニーテールにして、同色の瞳をまん丸に見開いている彼女はクロウと同じくらいの少女だった。
「ルディ?!」
「こんにちは。えぇと……」
明らかに私を不審そうに見ながら、彼女はクロウに近づいた。
「ちょっと、クロウとおばさんに相談があったんだけど……」
気になるけど、聞けないという風に視線が忙しく往復する。
私は席を外した方がいいだろうか? 説教は終わりだよね?
うっかりにやりとしてしまって、クロウに睨まれた。
「ユエは賄い食っちまったら洗い物な」
ハイ。ヨロコンデー。
サーヤさんに可愛いお客さんの来訪を告げて、洗い物を交代する。
あれはクロウの彼女かな?
ちょっと気が強そうだけど、お似合いではないか。
っていうか、当たり前だけど友達とかいるんだなー。みんなやっぱり働いてるから、あんまり遊んだりしないのかな……
急に、自分がここに居ることでクロウの時間を奪っているような気になった。
せめてあんまり怒らせないようにしよう……
洗い物が終わっても、サーヤさんはまだ戻ってこなかった。
カウンターを見てみると3人で和やかに話している。
常連さん達も数人を残してるだけだったので、私は上に上がることにした。
「サーヤさん、クロウ。私、上に居るね」
2人は軽く手を振って応えてくれた。
視線で誘うとカエルも一緒に階段を上がる。
「じゃ、帰りよろしく」
「ああ。お前はちゃんと反省しろ」
ぐっと喉が詰まった。
くそう。どうしてこうなった?
「なんだ、嬢ちゃんはまた怒られたのか?」
ルベルゴさんはカラカラと笑う。
「ちょっと、こう、スカートを上げたら……」
「上げんなって言ってんだろ!」
裾を叩き落とされてからしまったと反省する。
ルベルゴさんは爆笑していたが、ひとしきり笑うと私じゃなくてカエルを見て言った。
「嬢ちゃん、男ってのは常に服を着てない姿を想像すんのよ。なぁ? 一部では脱がせたい服を贈る男もいるらしいぞ?」
この服は別にカエルに贈られた訳じゃないけど、カエルは明らかに動揺して、挨拶もそこそこに出て行ってしまった。
ルベルゴさんはそれを見てまた笑っている。
「珍しいもんが見れたな。兄ちゃんもクロウもまだまだそっちはお子様なのさ。煽ってやらんでくれ」
同レベル? 確かに息ぴったりだったけど。
「嬢ちゃんは――無邪気に見せ掛けて、そう言うのも利用しちまうタイプだろ」
ルベルゴさんのグレーの瞳が少し細められる。
流石にいろんな人を見てるだけはあるなぁ。
「利用、とまでは行かないですけど、あんまり気にしません。一応、人は見てるつもりですけど」
「怖ぇな。嬢ちゃん、あんまり自分を粗末に扱うんじゃねぇぞ?」
「過保護にされまくってて、そんな暇も無いですよ?」
肩を竦めてみせると、ルベルゴさんはまた豪快に笑った。
それから耳元に口を寄せて真面目な声で言った。
「金貨百枚」
「え」
「忘れんな。嬢ちゃんの価値はそれ以下じゃねぇ。それ以下でどうこう言うヤツは蹴りでも喰らわしとけ」
盛りすぎじゃない? とも思ったけど、このくらい、という基準を置いて貰えるのは助かる。正直自分の価値がさっぱり分からなかったのだ。
「身請けならまた別だぞ。10倍でも行くなよ」
「はい……ん、え?!」
それは流石に高すぎ……
「高すぎねぇぞ。加護2つ持ちで若い娘だ。教団あたりに買ってもらおうとか考えるなら妥当だ。分かるか? 兄ちゃん達は過保護なんじゃねぇ。嬢ちゃんの価値をきっちり解ってんだよ」
怖いことを聞いた。どうしよう。聞かなかったことにしたい。
「解ったら、あんまり馬鹿はすんなよ」
にやりと笑って、ルベルゴさんは私の頭を掻き回した。
あれ? 脅されただけ? どこまでホント?
混乱していると、ルディと呼ばれていた少女が階段を上がってきた。
「おじさん、またね」
「おう、ちょくちょく来ていいんだぞ? バークによろしくな。飲みに来いって言っといてくれ」
「おじさんと飲んだら潰れて帰ってくるから嫌よ」
鼻の上に皺を寄せて答えると、からころと彼女は出て行った。
「彼女、誰ですか? クロウの友達?」
ちょっと睨まれたような気がするけど、彼女に何かした記憶は無い。気のせいかな。
「ああ、アルデアといってな。俺とサーヤの友人の娘だ。最近は孤児院の手伝いをしてるって聞いたな。クロウとは幼馴染みってことになんのか?」
へぇ。いいね、幼馴染み。
うちは両親が引越し好きだったから、中学に入るまではあちこち転々としてたのだ。
小さい頃から一緒って、ちょっと憧れる。
「ユエ、ちょっと」
クロウが軽やかに階段を駆け上がってきて呼んだ。
私がルベルゴさんの顔を見ると、必要なら呼ぶから行けと手を振る。
「何かあったの?」
あるはずもないことを聞きながら、首を傾げる。何かあっても、私に出来ることなどほとんど無い。
「ルディが……さっき来てたヤツだけど、孤児院で手伝いしててな、なんでも誕生会みたいなことを計画してんだとよ。院では甘いものとか滅多に口に入らないから、何か出来ないもんかって母ちゃんに相談に来たんだけど……ユエにも知恵を貸して欲しいって」
甘いもの……
「呼び戻しちゃって御免なさいね。私、お菓子系はあんまり作らないものだから……ユエちゃん何か作れる?」
そういえばデザート系は見たことがない。あれば女性客がもっと増えること間違いなしなのにな。
「お菓子って砂糖凄い使うんですけど、大丈夫なんですか? 屋敷ではたまにチーズケーキとかアップルパイとか出ますけど……」
「そう……そうよね? 蜂蜜と甘蕪の糖みたいなもので代用できないかしら」
「甘蕪糖っていうのがあるんですか? じゃあ、問題ないですよ。クッキーでも作って、みんなで分け合って食べやすいようにすればいいんじゃないですか? 糖は少なめで、蜂蜜練り込むとかで……アレッタにジャム分けて貰えないか聞いてみてもいいですし」
後は……
「甘い種類のお芋とかあれば蜂蜜だけでもスイートポテトに出来るんですけどね……」
「甘いお芋? そんなのがあるの?」
「南の、暖かい地方にあると思うんですけど……サーヤさんが知らないんじゃこの辺では手に入らなさそうですね」
「明日明後日の話しじゃないから、商人や冒険者に聞いてみるわ。手に入ったら儲けものよね」
ちょっと楽しそうに笑って、サーヤさんは胸の前で手を組んだ。
本当に料理が好きなんだなぁ。
「クッキーは1度作ってみましょうか」
材料さえあればすぐ出来るだろう。
私は腕まくりをして言った。
私が作るものは基本手抜きだ。簡単でそこそこ美味しいもの。
今回は売り物にするわけじゃないのでそれで充分だろう。
小麦粉と目に付いたオートミール、バターと卵。甘蕪糖(甜菜糖に似ていた。名前が違うだけかも)と蜂蜜があっという間に揃う。
「オートミールクッキー、私好きなんです。これにレーズンとか木の実入れても美味しそうですよねー」
バターを湯煎にかけて溶かし、甘蕪糖と蜂蜜も混ぜてしまう。
小麦粉とオートミールは同量で、これも混ぜ込み種が完成。簡単すぎる。
後は天板に油を塗ってスプーンで種を落とし、少しつぶして準備完了!
石窯の温度が上がりきるまでちょっとかかるので、ついでにパン生地を分けてもらってピザも作ってみた。トマトソースとチーズでマルゲリータ風だ。
温度調節は薪と焔石でするようで、私には出来そうもない。その辺はサーヤさんにお任せである。
「やだ、これ美味しい! パン生地にこんな使い方もあるのねぇ」
焼きたてのピザに舌鼓をうちながら、サーヤさんが新しいレシピに考えを巡らせている。
「チーズと蜂蜜でも美味しいですよ。野菜やハム、ベーコンを乗せるとボリュームも出ますし、魚介もイケます。一次発酵でやめた生地で作ると皮がパリパリで、また違う食感になりますよ」
「それは生地を作るのも楽ね。短時間で焼けるのもいいのよねぇ。んー。でも、そうなると窯の温度を上げたままだから……」
色々葛藤があるようだ。
私は酒場を覗いて客が数人しか居ないのを確認してから、小さめに切り分けたピザを皿に乗せていく。
「お客さんにも食べてもらいましょう。反応見たいですよね?」
お客さん達とクロウ、ルベルゴさんにも食べてもらって感想を聞いたが概ね好評のようだ。
中にはトマトやチーズが嫌いな人もいるので、こんなものだろう。
「夜に試しに出してみようかしら」
サーヤさんがそう決めるくらいには喜んでもらえたらしい。
そうこうしているうちにクッキーの焼ける甘い匂いが充満してきた。
クロウがそわそわして厨房を覗き込んでいる。
「すげぇ、いい匂い」
うんうん。幸せの匂いだよね〜。
焼き加減を確認しながら、サーヤさんがもうちょっと、と笑う。
次に窯に入れる煮込み料理の鍋も準備万端で、そのまま晩御飯まで食べて帰りたくなった。
いや、お屋敷のご飯が美味しくないわけじゃないのよ?
たまにジャンクな物が食べたくなる気持ちに似てるというか……居酒屋みたいな所で好きな物だけ摘まんでいたい時ってあるよね?
もうちょっとお金が貯まったら、お客として残ろうと胸に決める。
そうこうしているうちにサーヤさんが天板を窯から引き出した。
窯から出されたクッキーはふっくらキツネ色で見た目もばっちり!
「これに冷めてからジャムを乗せたりすると、見た目も綺麗になるんですよねー」
焼き立てはまだ少し柔らかい。
待ちきれずにクロウが熱々を口に放り込んだ。
「っつ!はふ。ん。うまっ!」
クロウの顔が幸せそうにほころぶ。
「甘さはどう? 冷めるともう少し甘く感じると思うんだけど……」
「ん? わかんね。旨いのは確かだ」
全く役に立たない答えが返ってきた。
私は甘さ控えめが好きだし、普段甘味を食べないのなら、充分だとは思うのだが。
「大丈夫じゃないかしら。子供達喜ぶわね」
サーヤさんからはお墨付きをもらえた。
アレッタからジャム分けてもらえるといいな。
私は焼いた分食べ尽くす勢いのクロウから数枚を確保して、受付の業務に戻ったのだった。
そろそろカエルに付いていてもらわなくても大丈夫そうだ。常連さん達も協力してくれるし。
「ユエ、これそっちのテーブルに頼む」
ちょっと前から突然呼び捨てにするようになったクロウに、山盛りの櫛形のフライドポテトにバターが添えられた皿を2つ渡される。
キッチンからは続々と料理が出来上がってきていて、クロウはちょこまかと往復しているのだ。
呼び捨てで呼ばれることに全然納得できないんだけど、仕事の先輩という点では紛れもなく彼が先輩なので、なんだか文句も言い辛い。
「お待たせしました」
「お姉さん、お水もう1杯貰えるかな?」
「はい、只今」
ランチタイムの目の回るような忙しさを超えると、後に残るのは時間をずらしてきてくれる常連さん達だけだ。ちょっとだけ気が抜ける。
「ユエちゃん、今日はなんか変わった服着てるな。それ、ズボンかい?」
賄いを食べていると、常連さんのひとりに声を掛けられる。
ふっふ〜ん。
「ロレットさんとこで作ってもらったんです。私、裾が長いと踏んじゃったりして危ないから。ズボンタイプですけど、生地やフリルで男装っぽくはないでしょ? 短かめのスカートが捲れても大丈夫ですし!」
そう言って、立ち上がり、膝丈のスカートを持ち上げる。
「「捲るな!!」」
左右から突然腕を払われて、私は固まった。
クロウとカエルが私を挟んで両側から睨んでいる。
……2人とも、いつの間にそんなに仲良くなったの?
「だから、ズボンなんだから見えても大丈夫だって……」
「そういう問題じゃ無い!」
11歳に懇々と説教される私……常連さん達は生暖かい目でこちらを見ながら笑っている。
そう。クロウは11歳だった。日本なら小学生だ。
でも、小さいときから家を手伝うのが当たり前だからか、ずっとずっと大人っぽい。確かに勉強は日本の小学生に劣るだろうが、ここではそれで充分なのだ。私は先輩に頭が上がらない……くそう。
半分くらい聞き流したところで、軽い足音が下りてきた。
「いらっしゃいませ!」
反射的に挨拶して振り返る。
「ユエ! 聞いてんのか?!」
私じゃなくて、下りてきた女の子がびっくりして足を止めた。
「……クロウ?」
「あ?」
私を説教したままのトーンで不機嫌な声を出し、クロウは私の陰から彼女を覗き込んだ。
赤茶の髪をポニーテールにして、同色の瞳をまん丸に見開いている彼女はクロウと同じくらいの少女だった。
「ルディ?!」
「こんにちは。えぇと……」
明らかに私を不審そうに見ながら、彼女はクロウに近づいた。
「ちょっと、クロウとおばさんに相談があったんだけど……」
気になるけど、聞けないという風に視線が忙しく往復する。
私は席を外した方がいいだろうか? 説教は終わりだよね?
うっかりにやりとしてしまって、クロウに睨まれた。
「ユエは賄い食っちまったら洗い物な」
ハイ。ヨロコンデー。
サーヤさんに可愛いお客さんの来訪を告げて、洗い物を交代する。
あれはクロウの彼女かな?
ちょっと気が強そうだけど、お似合いではないか。
っていうか、当たり前だけど友達とかいるんだなー。みんなやっぱり働いてるから、あんまり遊んだりしないのかな……
急に、自分がここに居ることでクロウの時間を奪っているような気になった。
せめてあんまり怒らせないようにしよう……
洗い物が終わっても、サーヤさんはまだ戻ってこなかった。
カウンターを見てみると3人で和やかに話している。
常連さん達も数人を残してるだけだったので、私は上に上がることにした。
「サーヤさん、クロウ。私、上に居るね」
2人は軽く手を振って応えてくれた。
視線で誘うとカエルも一緒に階段を上がる。
「じゃ、帰りよろしく」
「ああ。お前はちゃんと反省しろ」
ぐっと喉が詰まった。
くそう。どうしてこうなった?
「なんだ、嬢ちゃんはまた怒られたのか?」
ルベルゴさんはカラカラと笑う。
「ちょっと、こう、スカートを上げたら……」
「上げんなって言ってんだろ!」
裾を叩き落とされてからしまったと反省する。
ルベルゴさんは爆笑していたが、ひとしきり笑うと私じゃなくてカエルを見て言った。
「嬢ちゃん、男ってのは常に服を着てない姿を想像すんのよ。なぁ? 一部では脱がせたい服を贈る男もいるらしいぞ?」
この服は別にカエルに贈られた訳じゃないけど、カエルは明らかに動揺して、挨拶もそこそこに出て行ってしまった。
ルベルゴさんはそれを見てまた笑っている。
「珍しいもんが見れたな。兄ちゃんもクロウもまだまだそっちはお子様なのさ。煽ってやらんでくれ」
同レベル? 確かに息ぴったりだったけど。
「嬢ちゃんは――無邪気に見せ掛けて、そう言うのも利用しちまうタイプだろ」
ルベルゴさんのグレーの瞳が少し細められる。
流石にいろんな人を見てるだけはあるなぁ。
「利用、とまでは行かないですけど、あんまり気にしません。一応、人は見てるつもりですけど」
「怖ぇな。嬢ちゃん、あんまり自分を粗末に扱うんじゃねぇぞ?」
「過保護にされまくってて、そんな暇も無いですよ?」
肩を竦めてみせると、ルベルゴさんはまた豪快に笑った。
それから耳元に口を寄せて真面目な声で言った。
「金貨百枚」
「え」
「忘れんな。嬢ちゃんの価値はそれ以下じゃねぇ。それ以下でどうこう言うヤツは蹴りでも喰らわしとけ」
盛りすぎじゃない? とも思ったけど、このくらい、という基準を置いて貰えるのは助かる。正直自分の価値がさっぱり分からなかったのだ。
「身請けならまた別だぞ。10倍でも行くなよ」
「はい……ん、え?!」
それは流石に高すぎ……
「高すぎねぇぞ。加護2つ持ちで若い娘だ。教団あたりに買ってもらおうとか考えるなら妥当だ。分かるか? 兄ちゃん達は過保護なんじゃねぇ。嬢ちゃんの価値をきっちり解ってんだよ」
怖いことを聞いた。どうしよう。聞かなかったことにしたい。
「解ったら、あんまり馬鹿はすんなよ」
にやりと笑って、ルベルゴさんは私の頭を掻き回した。
あれ? 脅されただけ? どこまでホント?
混乱していると、ルディと呼ばれていた少女が階段を上がってきた。
「おじさん、またね」
「おう、ちょくちょく来ていいんだぞ? バークによろしくな。飲みに来いって言っといてくれ」
「おじさんと飲んだら潰れて帰ってくるから嫌よ」
鼻の上に皺を寄せて答えると、からころと彼女は出て行った。
「彼女、誰ですか? クロウの友達?」
ちょっと睨まれたような気がするけど、彼女に何かした記憶は無い。気のせいかな。
「ああ、アルデアといってな。俺とサーヤの友人の娘だ。最近は孤児院の手伝いをしてるって聞いたな。クロウとは幼馴染みってことになんのか?」
へぇ。いいね、幼馴染み。
うちは両親が引越し好きだったから、中学に入るまではあちこち転々としてたのだ。
小さい頃から一緒って、ちょっと憧れる。
「ユエ、ちょっと」
クロウが軽やかに階段を駆け上がってきて呼んだ。
私がルベルゴさんの顔を見ると、必要なら呼ぶから行けと手を振る。
「何かあったの?」
あるはずもないことを聞きながら、首を傾げる。何かあっても、私に出来ることなどほとんど無い。
「ルディが……さっき来てたヤツだけど、孤児院で手伝いしててな、なんでも誕生会みたいなことを計画してんだとよ。院では甘いものとか滅多に口に入らないから、何か出来ないもんかって母ちゃんに相談に来たんだけど……ユエにも知恵を貸して欲しいって」
甘いもの……
「呼び戻しちゃって御免なさいね。私、お菓子系はあんまり作らないものだから……ユエちゃん何か作れる?」
そういえばデザート系は見たことがない。あれば女性客がもっと増えること間違いなしなのにな。
「お菓子って砂糖凄い使うんですけど、大丈夫なんですか? 屋敷ではたまにチーズケーキとかアップルパイとか出ますけど……」
「そう……そうよね? 蜂蜜と甘蕪の糖みたいなもので代用できないかしら」
「甘蕪糖っていうのがあるんですか? じゃあ、問題ないですよ。クッキーでも作って、みんなで分け合って食べやすいようにすればいいんじゃないですか? 糖は少なめで、蜂蜜練り込むとかで……アレッタにジャム分けて貰えないか聞いてみてもいいですし」
後は……
「甘い種類のお芋とかあれば蜂蜜だけでもスイートポテトに出来るんですけどね……」
「甘いお芋? そんなのがあるの?」
「南の、暖かい地方にあると思うんですけど……サーヤさんが知らないんじゃこの辺では手に入らなさそうですね」
「明日明後日の話しじゃないから、商人や冒険者に聞いてみるわ。手に入ったら儲けものよね」
ちょっと楽しそうに笑って、サーヤさんは胸の前で手を組んだ。
本当に料理が好きなんだなぁ。
「クッキーは1度作ってみましょうか」
材料さえあればすぐ出来るだろう。
私は腕まくりをして言った。
私が作るものは基本手抜きだ。簡単でそこそこ美味しいもの。
今回は売り物にするわけじゃないのでそれで充分だろう。
小麦粉と目に付いたオートミール、バターと卵。甘蕪糖(甜菜糖に似ていた。名前が違うだけかも)と蜂蜜があっという間に揃う。
「オートミールクッキー、私好きなんです。これにレーズンとか木の実入れても美味しそうですよねー」
バターを湯煎にかけて溶かし、甘蕪糖と蜂蜜も混ぜてしまう。
小麦粉とオートミールは同量で、これも混ぜ込み種が完成。簡単すぎる。
後は天板に油を塗ってスプーンで種を落とし、少しつぶして準備完了!
石窯の温度が上がりきるまでちょっとかかるので、ついでにパン生地を分けてもらってピザも作ってみた。トマトソースとチーズでマルゲリータ風だ。
温度調節は薪と焔石でするようで、私には出来そうもない。その辺はサーヤさんにお任せである。
「やだ、これ美味しい! パン生地にこんな使い方もあるのねぇ」
焼きたてのピザに舌鼓をうちながら、サーヤさんが新しいレシピに考えを巡らせている。
「チーズと蜂蜜でも美味しいですよ。野菜やハム、ベーコンを乗せるとボリュームも出ますし、魚介もイケます。一次発酵でやめた生地で作ると皮がパリパリで、また違う食感になりますよ」
「それは生地を作るのも楽ね。短時間で焼けるのもいいのよねぇ。んー。でも、そうなると窯の温度を上げたままだから……」
色々葛藤があるようだ。
私は酒場を覗いて客が数人しか居ないのを確認してから、小さめに切り分けたピザを皿に乗せていく。
「お客さんにも食べてもらいましょう。反応見たいですよね?」
お客さん達とクロウ、ルベルゴさんにも食べてもらって感想を聞いたが概ね好評のようだ。
中にはトマトやチーズが嫌いな人もいるので、こんなものだろう。
「夜に試しに出してみようかしら」
サーヤさんがそう決めるくらいには喜んでもらえたらしい。
そうこうしているうちにクッキーの焼ける甘い匂いが充満してきた。
クロウがそわそわして厨房を覗き込んでいる。
「すげぇ、いい匂い」
うんうん。幸せの匂いだよね〜。
焼き加減を確認しながら、サーヤさんがもうちょっと、と笑う。
次に窯に入れる煮込み料理の鍋も準備万端で、そのまま晩御飯まで食べて帰りたくなった。
いや、お屋敷のご飯が美味しくないわけじゃないのよ?
たまにジャンクな物が食べたくなる気持ちに似てるというか……居酒屋みたいな所で好きな物だけ摘まんでいたい時ってあるよね?
もうちょっとお金が貯まったら、お客として残ろうと胸に決める。
そうこうしているうちにサーヤさんが天板を窯から引き出した。
窯から出されたクッキーはふっくらキツネ色で見た目もばっちり!
「これに冷めてからジャムを乗せたりすると、見た目も綺麗になるんですよねー」
焼き立てはまだ少し柔らかい。
待ちきれずにクロウが熱々を口に放り込んだ。
「っつ!はふ。ん。うまっ!」
クロウの顔が幸せそうにほころぶ。
「甘さはどう? 冷めるともう少し甘く感じると思うんだけど……」
「ん? わかんね。旨いのは確かだ」
全く役に立たない答えが返ってきた。
私は甘さ控えめが好きだし、普段甘味を食べないのなら、充分だとは思うのだが。
「大丈夫じゃないかしら。子供達喜ぶわね」
サーヤさんからはお墨付きをもらえた。
アレッタからジャム分けてもらえるといいな。
私は焼いた分食べ尽くす勢いのクロウから数枚を確保して、受付の業務に戻ったのだった。