28.ホウヨウ

文字数 6,868文字

「港町でこれを使ったとして、カエルは来てくれるの?」

 ブレスレットを眺めながら、帰り道で聞いてみる。

「反応があれば行く」
「――間に合わない可能性も、あるよね?」

 カエルは思いっきり顔を顰めた。

「何に巻き込まれるつもりだ?」
「巻き込まれるつもりも予定もないけどさぁ」
「じゃあ問題無い」
「……カエルも一緒に行く?」
「何の話だ?」

 カエルは呆れた顔でこちらを振り返った。

「港町」

 私はそっとカエルの人差し指を絡め取る。

「金、無いんじゃないのか」
「無いよ。だから、お金貯まったら」
「先の話を今するな」
「行ってみたくない?」

 逃げるように離れた手を私は追いかけて捕まえた。
 行きたいはずだ。一度外に目が向けば、あとは際限がない。

「護衛って雇うのにどのくらいかかるの? カエルを予約しておくよ」

 ふーっと一息吐き出して、カエルは私と手を繋ぎ直した。

「何か不安なのか?」
「不安というか……さすがに(ヌシ)とかと会っちゃう自分が信じられなくなったと言うか……」

 ひとりで新しい所へ行くのが少し怖い。
 保険を掛けておきたい。
 悪いが代書屋さんでは心理的に役不足なのだ。
 カエルはちょっと意外そうな顔をした。

「一応、あれも役に立ったんだな。警戒心が育ってるようでなによりだ」

 それからちょっと考えて付け加える。

「護衛、安くしといてやる。その代わり行くとなったらお嬢の説得をお前がしろよ? ランクが居るうちはしやすいだろうから、きりきり働いて稼ぐことだな」
「ホント? わかった。頑張る。カエル」
「なんだ?」
「ぎゅってしていい?」

 ばっと手も離された。

「ダメだ」

 スタスタと遠ざかる背中を追いかける。
 ケチ。わざわざ聞いてあげたのに。
 ぬくもり不足だなー。近いうちに孤児院に行って、ニヒを抱きしめてこよう。

 ◇ ◆ ◇

 晩御飯は別の意味でお腹がいっぱいになってしまった。
 なんだこの新婚ラブラブカップル。
 お互いからほとんど視線を外さないし、一言しゃべっては微笑み合っている。
 周りは慣れているのか、顔色一つ変えないでスルーしてるし。
 長期出張から帰ってきたと思えばこんなもん? でも、お昼からずっとこの調子ってことだよね? 私、お邪魔なだけなんじゃないかなー。

「カエル、一緒に食べない?」

 小声で訴えると彼は流石に苦笑した。

「では、一通りお持ちしましたら席に着かせていただきます」

 今日のメニューはビーフシチューにサラダ、茸のキッシュにデザートのオレンジだった。
 カエルは自分の分も手早く並べて、取り分ける物は言ってくれと隣に座った。

「カエル、随分適当ね?」

 ふと、カエルが席に着いたのに気付いてテリエル嬢が眉根を寄せた。

「ユエの要望だ。いいからランクと話してろ」

 そう言われてずっと2人の世界だったことに気付いたのか、彼女は少し頬を赤らめた。

「ユエさんは面白い物を使っているね。なんだい? それは」
「箸って言います。故郷で使っていた物で、物を挟んで持ち上げたり、柔らかい物は切り分けることも出来ます。あと、さん付けは要りませんよ? 皆、呼び捨てなのでその方が慣れちゃいました」
「了解したよ。ちょっと見せて貰っても?」

 私は頷いてビヒトさんに箸を預ける。

「――ただの棒だね……どうやって動かしてるんだい?」

 真似しようとして出来なくて、彼は楽しそうに笑った。
 ビヒトさん経由で箸が戻ってくる。

「少しこつは要りますけど、中指が大事ですかね」
「カエル君は出来るようになったんだね?」

 そうなのだ。元々手先が器用だからか、割とすぐ使えるようになって、今では自分用に箸を作って使っている。
 指先の訓練にもなるとか、どうとか。

「挟めるって言うのが意外と便利だ。量も調節し易いし」
「本当に不思議な気分なんだけど、あれから寝込んでないんだね?」
「ああ」

 ランクさんは感慨深げに何度か頷いた。

「酒場で給仕をしているのを見たときは夢かと思ったよ。でもあんまり無理はしないでおくれよ? テリエルの泣き顔は見たくない」

 そう言うと優しい瞳でテリエル嬢を見つめた。
 再び2人の世界だ。
 ええっと。ごちそうさま?
 カエルは肩を竦めて、目で諦めろと訴えてきた。

 食後はお茶もそこそこに、ランクさんに談話室に誘われた。
 ゆっくり話したいって言ってたけど……テリエル嬢は?
 そんな心配をしてたが、彼女はお風呂で体を磨いてくると上機嫌で温泉に向かっていった。
 私も入りたい……
 談話室ではランクさんがゲーム盤を持ってきて、カエルにウィンクしていた。

「久しぶりに1戦付き合ってくれないか。ビヒトさんには負けっ放しでね」
「いいが、まだビヒトと呼べないのか? あんたが主人だろう?」

 ランクさんは眉尻を下げて頭を掻いた。

「長年の習慣はなかなか直せなくてね。ビヒトさ……ビヒトにも注意されるんだが」
「まぁ、ビヒトも俺をまだたまに坊ちゃまって呼ぶしな」

 笑いながら盤上に駒を並べていく。チェスみたいな感じかな?
 それにしても関係性が良く分からない。昔から良く知っている風ではありそうだけど……

「不思議かい?」

 優しい瞳がこちらを向いた。
 どうして皆私の心を読むのだ!

「僕は元々このストラーノの従業員だったんだよ。変わり者でね、お爺様とはとても気が合っていた」
「ストラーノ?」
「店の名前だよ。なんだ。テリエルは言ってないのかい? ストラーノ商会。ガラクタ商会と呼ぶ人もいるね」

 ランクさんは先手をカエルに譲ると静かに微笑んだ。

「まさか店を譲られるとは思ってなかったからね。今も結構綱渡りだよ。テリエルが僕と一緒になってくれてどれだけ助かったか」

 昔を懐かしむように彼は目を細めた。
 それから自分の駒を動かす。

「だから、ビヒトさんが僕の執事だなんてとても思えなくてね。根も庶民だし。テリエルを大事にしてやることしか出来ないんだよ」

 ええっと。つまり入り婿なのか。
 話だけ聞くとあんまりラブラブじゃないけど、結婚してから色々あったのかなぁ。

「ユエ、ぼやっとした見た目と話し方に騙されるなよ。お嬢を落とした男だからな」

 本気なのか冗談なのか、カエルは盤から目を離さずににやりと笑った。

「失敬な言い方だなぁ。誠意が通じたと言って欲しいね」

 どっちが優勢か判らないが、盤上はかなり混み合っている。

「爺さんのいい加減な経営を実質支えていたのはランクだからな。今回だって大口まとめに行ったんだろ?」
「急いだから、中口くらいになったよ。仕入れの方は楽しくやらせてもらったけどね」

 パタパタといくつか駒が減った。

「ユエは面白い計算の方法を知ってるんだって? 数字の書き方も違うとか」
「あ、ええっと、書きましょうか? 黒板持ってきますね」

 ゲームを見ているだけで暇だったので立ち上がる。

「ああ、嬉しいな。ありがとう」

 部屋へ行って戻る少しの間にカエルは負けてしまったようだ。
 ちょっと落ち込んで見える。

「もう1戦するかい?」
「……今のは反則気味だったからな」
「ふふ。勝ちたいなら、使える物は使わないと」
「これだ」
「カエル君はもう少し欲張って欲しがった方が良いと思うよ」

 駒を並べている間に私はカクカクの数字を書き上げて、次も先手をカエルに譲ったランクさんに黒板を向ける。

「こんなのです。下が私の使ってる数字ですね」

 優しかった瞳が真剣味を帯びて、黒板に手を伸ばした。
 私はそのまま差し出す。

「成る程」
「その数字だと計算機なしで計算が早くできる」

 カエルが初手を動かして口を挟んだ。

「テリエルがいくつか置き換えて使っていたよ。読み違えが減ると。本気で考えてもいいかもしれないね」
「こっちも考えてくれよ」

 とんとんと盤を叩く。

「ああ、すまない。ユエの頭の中を覗きたいね。素敵なことが詰まっていそうだ」

 ほとんど悩まずに、ランクさんは駒を移動させた。

「宣誓を受けたんだって? 今回ばかりはその神官がちょっと羨ましいよ」
「ランク。そういうことを言うから変わり者って言われるんだ」
「知り得なかったことを知りたいと思うのはおかしな事じゃないだろう?」
「思うのはな」

 この人も好奇心の塊なんだなあ。
 同士の気配を感じて笑いが漏れた。

「ユエは知りたい方? 知らなくても良い方?」
「知りたい方です」
「だろう?」

 勝ち誇ったように笑って、彼は駒を持つ。

「ほら。知りたいって。カエル君の秘密教えてあげなよ」

 カタカタと駒が倒れた。カエルが駒を落としたらしい。

「また、そうやって……!」
「打たれ弱くなった? それとも、ユエの前だからかな」

 更に挑発するランクさん。
 使える物って……結構えげつない?

「じゃあ、この勝負君が負けたら秘密をバラすということで」
「勝手に……!」
「勝てば良いんだよ」
「俺にうまみが無い」

 ランクさんがすっと私の左手を指差した。

「あれの代金、僕が払おう」

 カエルはこちらを見てちょっと躊躇う。

「……あ、ごめん。あっちじゃなくて、こっちが良いね」

 彼はカエルの左腕を差し直した。

「ともかく、1つ分僕が払うよ。それでどう?」

 無言は肯定。
 カエルは溜息を吐いて盤を睨みつけた。

「追い詰められないと本気にならないところは相変わらずなんだね」
「うるさい」

 ランクさんは苦笑して肩を竦めた。
 暫く無言で攻防が続く。

「ユエは何か秘密無いの?」

 さすがに盤から目を離さずに彼は聞いた。

「無いことも無いですが」
「気になる言い方をするね。何が欲しい?」

 私は少し考える。

「カエル」

 2人は同じタイミングで盤から顔を上げて私を見た。

「――を護衛に港町に行く権利?」

 1拍を置いてランクさんは表情を崩す。

「それ、結構難しいけど」
「やっぱりですか……」

 うーん、と顎に手を当てて思案のポーズをとる彼。

「日帰りだとして……うーん……それならいっそ……いや……」

 目の前の1戦より悩んでる気配がする。
 カエルはそんな様子をじっと眺めていた。

「確約は無理だけど、交渉は僕もしてあげる。と、いうのはどうだろう? カエル君が寝込まずにいられるのなら勝算は高いと思うけど」
「中身も聞かずにいいんですか? 大したことないかもしれませんよ」
「いやいや妥当な線じゃないかな。僕個人の興味本位な質問だからね。女性の秘密は時々高く付くから……」
「高く付いた経験があるのですか?」

 彼はくすくすと笑った。

「何度かね。過度な好奇心は身を滅ぼしかねないと解っているつもりなんだけど……」

 カエルの次の一手を見て、彼は少し表情を引き締めた。

「で? どうする? 別に、自分で交渉するという道もあるからね。無理にとは言わないよ」
「港町行きたいんで、確率は上げておきたいです」

 ふふっと笑って、彼は静かに私を促す。

「私、もうひとつ名前があります」

 今度はランクさんが駒を落とした。
 混み合っていた盤の上が乱れる。
 それを全く気にも止めずに2人は私を凝視していた。

「宣誓……」
「受けました」
「アイツは何も言ってなかった」

 カエルがフォローのようなものを入れる。

「サインも『ユエ』でしましたし、問題なかったと思います」
「偽名を別に持っているということ?」

 水色の瞳が厳しく細められる。

「いいえ。それならこの場で言いません。確かにどちらも私の名前です」
真名(まな)を持っていると? 何か特別な種族なの?」
「特別かどうかは……真名が何を表すのか私には解らないし、もう使わない名前なので」

 ランクさんは深々と溜息を吐いた。

「ユエはびっくり箱だね。覗き込むと怪我をしかねないな。ちなみにそちらの名前で尋ね人の触れが出ている可能性は?」
「ありません」
「ご家族は出しているかも」
「出来る状況にありません」

 少し視線を伏せた私に彼等の戸惑いが感じられた。

「疑念は最もでしょうが、その名前はこの世に出たことが無いものですし、この先使う気も無いので信用してくれ、としか……」

 何だか居心地の悪い沈黙が落ちてしまったので、ちょっと失敗したかなぁと思いつつ、にっこり笑ってみる。

「っていう秘密で協力は取り付けられますか?」

 ランクさんは不意を突かれたように我に返って、苦笑を浮かべた。

「そういう話だったね。全く……また高く付きそうだ。ちなみに、その名というのは?」
「名乗る気も、使う気もありませんと言っています」

 うんうんと頷いて、彼は満足そうに笑った。

「いいよ。最大限に努力しよう。その代わり、

はここだけの秘密だ。そういうことにしよう」

 ね、とカエルにも同意を促して、彼は駒を立て直す。

「こう、だったかなー」

 カエルは暫く私をじっと見つめていたが、やがて盤を見下ろして駒を1マスずらした。

「ランク、大人げない」
「わ、わざとじゃないから」
「どうだか」

 結局その1戦はカエルが勝った、ようだ。ランクさんがあまり悔しそうじゃ無かったので、もしかしたら勝たせて貰ったのかもしれない。
 今日はそこでお開きになった。
 ランクさんも疲れているのだろう。
 私の部屋の前でカエルと別れるとき、彼がぽつりと聞いた。

「弟はユエと呼ばないのか」
「え? ああ、うん。でも姉に対して呼び捨てだよ? 生意気だよね」
「……俺は弟に似てるか?」

 私は首を傾げる。

「全然。すぐ怒るとこくらいかな?」
「……そうか……ぎ……」

 そこで、カエルは口籠もった。それから深呼吸するように深く息を吸い込んで、意を決したように言葉を紡ぐ。

「ぎゅって……するか?」

 何に気を使っているのか、悲壮感さえ漂わせている姿に、私は吹き出した。
 カッとカエルの顔に朱が差す。

「……人が……!」
「気……気を、使ってくれなくてもいいのに。でも、カエルの気が変わらないうちに、背中、借りようかな」
「背中?」

 まだ意味が沁みていないカエルの後ろに回り込んで、そっと頭を寄せる。

「動かないでね」

 耳を付けると、早鐘を打っている心臓の音と振動が伝わってきた。
 これでは落ち着かない。
 くすくすと笑っていると、ふて腐れたようなカエルの声が響いてくる。

「それで、いいのか?」
「嫌がる人に無理にはしないよ。今度ニヒをぎゅってしてくるつもりだし」
「ニヒ?」
「孤児院の子。猫耳が可愛いんだよ」
「獣人か?」

 驚きと共に心臓の方は落ち着いてくる。

「うん。言葉もちょっとずつ教えてる」
「獣人の言葉も分かるのか……」
「今度泊まってこようかなぁ。ニヒなら抱っこして寝ても怒られないだろうし……」

 急に背中が離れた。

「カエル、動かないでって――」
「駄目だ」

 正面から見据えられた真剣な光を宿す紺色の瞳は、すぐにはっとして逸らされた。

「……いや、違う。行かないで欲しい、だ。ユエの生き方を邪魔するつもりは無い……」
「腹黒神官を警戒してる? うまく言えないけど、大丈夫だよ。そんなに無謀なことはされないみたいだから。孤児院には他の子もシスターも居るしね」

 カエルは眉間に皺を刻んだまま、自分の胸元をぐっと掴んだ。

「余計なことは言わないし、お守りももらったし」

 左腕を掲げて笑ってみせる。

「――そう、だな。そのための……だ」

 言葉とは裏腹にカエルの表情は晴れない。

「ユエ、ぎゅってしていいか」

 答えは待ってくれなかった。
 ふわりと包まれたその腕は、けれど小刻みに震えていて、とても甘い雰囲気には成り得ない。

「無理しない方がいいよ」

 背中をさすってあげたかったがカエルには逆効果だろう。私はただ突っ立っているだけしか出来なかった。

「――こういうことをされたら、振りほどくものだ。全然危機感が足りない。俺も、信用するな」

 投げ捨てられるように抱擁を解かれると、彼は振り返りもせずに部屋に戻っていく。

 なにそれ!
 え。なんか、納得いかないんですけど?

 呆然としながらカエルの去った廊下を見つめる。
 カエルは何かを確かめたかったんだと思うんだけど、それが何か見当も付かない。
 廊下の冷えた空気が身体を震わせるまで、私はそこに佇んでいた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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