「水龍と火神鳥」― 参 ―
文字数 4,943文字
近づくと冷やりとした空気が頬を撫でる。
先を促されるが、お爺さんは通れるんだろうか? 結構厳しい大きさだ。
そのお爺さんが這いつくばって先に行った。
周囲の土がぼろぼろと落ちている。
その姿が完全に穴の中に入ってしまうと、その後にガルダが続いた。
「ユエ、俺の後に来い。その方が良く見える」
ガルダの言葉に大人しく従う。四つん這いでぼんやりと見えているガルダに付いて行くと、やがて広い洞窟に出た。
お爺さんが警戒していて、軽く手を払って立ち上がったガルダが空を撫でる様にすると、炎の渦が出現して洞窟内を明るく照らし出した。
洞窟はまだ奥に続いている。岩ばかりで水は見えないのだが、どこからか水の流れるような音がしていた。
「ガルダ、いきなり火を使うと危ねぇぞ。ここは
「罠じゃなきゃ大丈夫だ。自分の棲家はそうそう埋めようと思わないだろ?」
「お前らは知らねぇが、わしらは酸欠にもなる。明かりはもっと小さくていい。『
ガルダは肩を竦めると、炎の渦に手を掲げた。生き物のように彼の腕に巻き付いたそれはだんだん小さくなり、火の玉のようになって彼の前に揺れて浮いた。
「ユエにもつけておくか」
そう言って手品のように火の玉を2つに分けると、1つはお爺さんへ、もう1つはおにぎりを握るようにくしゃりと潰してから、その掌を私の前に差し出した。
そこにあったのは火の玉ではなく、ぶるると羽を震わせて飛び立つ寸前の小さな鳥の形をした炎だった。
炎の小鳥は私の周りをくるりと1周すると、ずっと手に巻き付いている
シャーっと威嚇の声がそれに向けられる。
「ありがたいけど、余計なことすると会わせてもらえないよ?」
春色の蛇をよしよしと宥めて、私はガルダに釘を刺す。
「挨拶じゃないか」
悪びれないガルダの頭に、私は
蛇が口先でその頭をゴッゴッと小突く。
「……んなっ」
「挨拶でしょ?」
つーんと顔を逸らすと、苦々しそうに顔を歪めて、彼は黙り込んだ。
お爺さんがガラガラと笑っている。
途中で大きな道から外れ、一見ただの割れ目のような所に入り込み、また別の広い洞窟に出る。一本道のようなそれは振り返るといくつも横道が見えて、どこから出てきたのかもう判らない。黙って追い込まれたのなら簡単には出られなさそうだった。
先の横道の1本に入り込み、洞窟を流れる川を越えると空気が変わった。
警戒。
それが辺りを満たしていた。
「嬢ちゃん、あんたが先に行け。わしやガルダだといらん対立が生まれかねん」
言われていることはもっともだと解っていたが、ちょっとだけ怯んでしまう。これだけの警戒と……怒り? のようなものを肌で感じていると、やっぱり怖い。
「大丈夫だ。一緒に行く」
主と対するときはいつも一緒だった。
カエルの手に勇気をもらう。
ガルダの小鳥に足元を照らしてもらいながら私は一歩を踏み出した。
◇ ◆ ◇
緩くカーブした道の先に巨大な空間が開けていた。
高い天井からは所々細い光が差しこんでいて、周りの鍾乳石を纏った岩々を仄青く見せている。
ゆっくりと見渡せば、しっとりと濡れた石筍が浅い水溜まりから顔を出していたり、天井まで繋がる巨大な石柱が神殿の柱のように見えて、一際幻想的だった。
そんな視界の一番奥、光が目に入ったせいで見辛いが、確かに何か巨大な物が鎮座していた。そこから動く気配は無いので、来いということなのだろう。
カエルと共にその目前まで進み出ると、ガルダのつけてくれた炎の小鳥がジュ、という音を立てて消えてしまった。エメラルド色の塊がこちらを見る視線は冷たい。
私は少し屈んで地面に腕を近づけた。
「案内、ありがとう」
春色の蛇は一度だけ私を振り返り、あとは躰をくねらせて『
2体は鼻先を付け合わせる様にして、なにか話をしているようだった。始終『
仲が悪かったのは先代だとガルダは言ったけど、それだけじゃない因縁めいたものがあるのかもしれない。
知らず、カエルの手を握る指に力が篭った。
2体の話し合いが終わると、少しだけ警戒を弛めて『
何のためにアレを連れてきたのかと、濃密な空気が私達を包みこむ。
「ガルダが、どうしても貴方に会いたいと。いきなり戦うことはしないからと約束したので、会うくらいはしていただけませんか? 貴方も知る通り私達はちっぽけです。主の頼みを断れる力量は、私にはありません」
約束?
『
あぁ、うん。そうだよね。私も他の主となら出来る気がしない。
言葉にしなかったけど、そういう雰囲気が伝わってしまったのか、『
カエルの手に力が篭る。
――よい。分かった。そんな馬鹿げたことを言う次代を一目見てやってもいい。資質無きモノならこの場で何が起きるか、覚悟しておけ。
背中がぞくりとして、肌が粟立つ。
お爺さんはなんとなくの意思疎通しか出来なくてもどかしいと言っていたけど、私には何が言いたいか大体わかる。これも翻訳機能のお陰なのか、『
小さく震えている私の耳にガルダが駆けこんでくる音が聞こえた。
軽やかなそれはこの場に全くそぐわない。
資質無きモノなら、という『
『
一瞬怪訝そうな顔をして(いや、無表情なんだから怪訝そうな雰囲気を出してというべきなのかもしれないけど)『
軽やかな足音は私を通り越し、止める間もなくそのエメラルド色の体躯に飛びついた。
「ナーガ! あぁ、やっと会えた!」
ひっと息を呑む私達にお構いなしで、ガルダは『
周りに張りつめいていた警戒という名のガラスの囲いが、一瞬で粉々になり音を立てて崩れていく様が見えた気がした。
「ガ、ガルダ……」
小さく呼ぶと、彼は少し恥ずかしそうに降り立って『
「別に、何かしに来たんじゃない。会いたかったんだ」
人型のまま、人の言葉で語りかけるガルダに『
……蛇の溜息って、初めて聞いたかも?
後からお爺さんがにやにやしながらゆっくりと歩いてきた。
「おぅ。『
ちりちりと苛立ちの様なものがお爺さんに向けられる。
連れ出したのはお前かと。
それに気付いているのか、いないのか、お爺さんは笑い顔を崩さなかった。
ずるりと、その
主を手玉にとって、どうするつもりか。
先程までの警戒の空気がお爺さんひとりにぶつけられていた。
お爺さんは臆するでもなく、武器を手にするでもなく静かに笑っている。
「別に、爺といるのはその方が楽しいことにぶち当たるからだ。何か頼まれた覚えも、頼んだ覚えもない」
ガルダの声が割って入った。
「爺の家にはユエもいる。その、異質なものと対になるのがタマハミだ。見張っていてもおかしくないだろう?」
マレビトか。
彼らはもうそれ程問題無い。納まるところに納まった。
それより、何故その形をとっている。ヒトに紛れて何を成そうというのだ。我らの力は簡単に秩序を乱す。もう昔のように我らが闊歩できる時代ではない。
諭すような『
「今この形をとっているのは、ナーガの眷属と約束したからだ。この形ならば先代のように戦いに来たと思われないだろう?」
『
案内役と? では、そこのマレビトと約束したと言うのも本当か?
「ユエと? どれだ? 今日時間までに帰るってやつか?」
……何故、彼女と約束を交わす。
「そうすれば、ナーガに会えたり、旨いものを食えるから」
彼女が秩序を乱すようなことを持ちかけたら、お前は旨いものと引き換えにそうするのか。
「意味が解らない。人の形である時は人の決まりを守れと言われるが、それは秩序を守ることにも当たる。他の姿の時にユエに何か言われることはないし、言われてもそれに従う謂れはない」
しばらく静寂が辺りを満たした。
『
両者とも互いから目を逸らそうとはしなかった。
いつもの姿に戻れ。
『
「ここで?
ガルダは私の方をちらりと見る。
どうした。やってやってもいいと言ってる。さあ。
にやりと笑っている。見た目は変わっていない。でも、笑った気がした。
ガルダは私を見つめながら、その人型の輪郭を空気に滲ませる。
「ガルダ!」
炎のように揺らめいたガルダの顔は、ほんの少し微笑んでいたような気がした。
カエルが私を抱えて元来た道へと戻り始める。
「爺さん!」
動かないお爺さんにカエルは声を掛けたけど、お爺さんはちょっと振り返ってにやりと笑うだけだった。
「カエル。私も見たい」
何を言うんだと、紺色の瞳が私を非難した。
「少しだけ。ガルダは私達を危険な目に合わせないよ。時間までに帰るって約束したもん」
すぐに暴れたがる普段のガルダを見てたらちょっと不安だけど、『
私達がここに居た方が、思いっきり暴れることはしないんじゃないだろうか。
そんなことを言っているうちに、天井付近を『
『
お爺さんが場所を譲るように少し下がると腕を組んで仁王立ちになった。
私も渋るカエルに降ろしてもらって、ガルダを見上げる。
ゆったりと旋回するガルダだったけど、不意に傍らを何かが掠めた。
岩の壁にべしゃりと音を立ててそれがぶつかり、つぅ、と液体の垂れる染みが2つ、3つと引かれていく。
「『
お爺さんはぶつぶつと今の攻撃を分析している。『
「……アクア・グランスってどういう魔法?」
子供っぽいというお爺さんの言葉に、カエルに解説を求めてみた。お爺さんに聞いても生返事されそうだったから。
「水の塊をぶつける、初歩の魔法だ。魔術学校に行くような子供達は、それをぶつけ合って遊ぶらしい」
水鉄砲みたいな感じかな?
「まぁ、初歩だからと軽く見てると酷い目に遭うがな。魔力の込め方と操作力で威力は段違いだ」
「ああ……ハンドガンとライフルじゃ違うものね。『
うんうんと頷いた私をカエルは不思議そうな顔で見下ろした。
『
この空間全てを使えばもう少し動きに余裕が出るだろうに、ガルダはこちら側には来ようとしなかった。
やはり、ここから出ていてあげるべきだろうか?
「ふむ。思ったより冷静だな。わしの出る幕はなさそうだ」
お爺さんは少し残念そうにそう言うと、意味ありげに私を振り返った。
「嬢ちゃん、そこで見ててやってくれ。何、魔法が飛んできたらわしが盾になる」
にっと笑うお爺さんをカエルが渋い顔で睨みつけていた。