47.夕暮れのワルツ
文字数 5,020文字
召集令状はそれから数日後に届いた。代書屋さんが自ら届けてくれたので、私はそれを酒場で受け取った。
封蝋を崩して開けると、中にはあっさりした文章で帝国の中央神殿まで来るように書いてあった。護衛は神殿主要施設まで認めるとも。
日時は2週間後の4刻。半島を出るまでに少なくとも丸1日。まっすぐ帝都に向かってもそこから4日程かかるらしいので、どんなに遅くとも1週間後にはこちらを発った方がいいだろう。
神官サマの予定次第では、もう少し早く出ることになるかもしれない……
なんだか急に現実味を帯びてきた。
黙って以前にも見た総主教のサインを見ていると、代書屋さんが難しい顔で覗き込んできた。
「随分急いでるよね」
「そうなんですか? 内容ってジョットさんのも同じですよね?」
彼は軽く頷いた。
「先週の出来事だからね。他国からの召集だし、通常はひと月くらい余裕があるんだけど……よっぽどルーメン主教に早く戻ってほしいのかもね」
事件うんぬんよりも神官サマが中央入りすることに重きがあるのか……
もう、いっそ教団を仕切っちゃえばいいのに。
多分、以前はそうしてたんだろうし、なんで戻りたくないんだろう。
ふっと息を吐いて手紙を畳んで戻した。
「日時が決まったから、神官サマと摺合せしなくちゃなぁ……」
正直、気が重い。主にカエルのせいだが。
あの2人が顔を合わせて険悪にならなかったことが無い。
虐めないでって言ってるのに。
「先に届けてきたから、そっちの予定次第で今日中にも話し合いするんじゃないの?」
「私のいないとこで決められるのも、なんか嫌 だなー」
いえ。口出しできないので、いなくたって全然影響ないのは分かってますが。
「どうせ、大まかな旅支度は終わってるんじゃないの? 君んちの執事さん達優秀すぎだもの」
「……です。後は私の着替えくらいだよ」
あはは、と彼は楽しそうに笑った。
◇ ◆ ◇
夕方、迎えに来たカエルは宿を出るなり口を開いた。
「出立日、決まったぞ。手紙は受け取ったんだろう?」
少し前を行くカエルの顔は見えない。
「神官サマ、来たの?」
「ああ。3日後に発つから、そのつもりで」
「3日後!? 早くない?」
「帝国の港に真直ぐ行かないで、パエニンスラに寄って行く。そっちに寄るならと、お嬢達も一緒に行くことになったから、パエニンスラまでは賑やかだぞ」
ご両親に会いに行くってことなのかな?
嫌な予感がして、でも確かめずにはいられなくて聞いてみる
「……ちなみに、何処に泊まることになるの?」
「領主の城、だろうな」
「お城……ですか」
顔が引き攣る。今のお屋敷でも気後れしてるのに、お城とか想像が追いつかない。
「安心しろ。俺もそんなとこ落ち着かん」
「うぅ。教会に泊めてもらおうかなぁ」
軽い気持ちで口に出したのだが、カエルに怖い顔で睨まれた。
「例え招かれざる客だったとしても、それは向こうが許さない筈だ。世間体的にもな」
「……はい……ねぇ、なんか覚えておく作法とかないの? 私、何にも知らないんだけど」
カエルはちょっと考え込む。
「食事のマナーとかはそれほど問題無いと思う。向こうでも俺が給仕するから心配するな。挨拶も、大丈夫だろう。頭は下げるなよ? ダンスくらいか?」
ちょっと待って、確認したい項目がいくつかあるんですけど。
「向こうでも、カエルが給仕するの!? カエルもお客さんでしょ?」
「いいんだ。その方が、多分向こうも気が楽な筈だ」
その話は、聞いていい話なのかな? 聞いとくべき?
私の戸惑いを察知したのか、カエルはちらりとこちらを見た。
「帰ったら、挨拶の確認とダンス教えてやる。ダンス、やったことないんだろ? その時に、一緒に話す」
「わ、わかった」
なんでダンスしたことないって判ったんだろ。
そっちの話は触れないようにしたのに。
私のイメージでは広いホールでくるくる回ってるウィンナーワルツくらいしか思い付かないのだが、出来る気がしない。気分が悪いって部屋に居ちゃ駄目かなぁ。
お屋敷に着くとカエルは真直ぐ洗濯物干し場に向かった。
陽が長くなったお陰でまだ外は明るい。
初めに領主への挨拶を叩き込まれた。と、いってもいつものお嬢様の挨拶をもう少し丁寧に、というか深くというかするだけだったので、何とかなりそうだ。
言ってはみても親戚なので、失敗してもそれほど咎められないから気楽に、とも言われた。
問題はダンスだ。
取敢えず、基本のステップを教えてもらう。3拍子で右足を1歩引くところから始まる、多分ワルツでいいと思う。
もちろん1回で覚えきれる訳も無く、カエルも男性のステップからだと教え難いのか、自分でも何度か確認していた。
「……カエルは誰に教えてもらったの?」
「ビヒトに。実際踊ったことなんてないけどな」
「ビヒトさんって、ホントなんでも出来るんだね」
あぁ、と小さく笑う。
「それでも初めて会ったときは子供の世話なんて分からないって、ずいぶん困惑してたな」
「そうなの? 初めからこのお屋敷で働いてたんじゃないの?」
「爺さんが連れてきたんだ。俺が5つくらいの時だったか……もう10年以上も経つんだな」
1度通してやってみよう、とカエルは私の右手を取って、基本の姿勢を作っていった。
右手は軽く伸ばされ、カエルの右手が私の左肩甲骨辺りに添えられる。
私の左手はカエルの二の腕辺りに落ち着かせるように言われ、背筋は伸ばせと怒られた。
距離が近くて気恥ずかしいとか、考える暇はなかった。姿勢維持が結構大変なのだ。普段だらだらしている弊害だろうか。
足元を見てステップを確認しようとする私を、その度に注意して、イチ、ニ、サン、と拍を取る。出だしは何とかなるのだが、くるりと回っているうちに次がどっちの足だったか判らなくなる。
何度かカエルの足を踏んだけど、気にするなとそのまま続行された。
「基本的に男性側がリードするんだ。あんまり考えないで相手の顔を見て任せておけばいい。ドレスで足元なんて見えやしない」
「……ドレスが無きゃ、出なくていいかな」
「お嬢が張り切って用意してた。とりあえずは着なきゃ拗ねられるぞ」
「む、無茶でしょ!? ど素人なの、見ればわかるじゃない!」
「お嬢の関心はそこじゃない。ユエを着飾らせたいんだ。普段あっさりしたのばかり好んでるからな。物足りないんだろう」
私は充分物足りてるよ! 普段着でもひらひらしすぎじゃないかと思ってるのに!
「まぁ、多分身内しかいないだろうから、先に上手くないと牽制しておけばいい」
「カエルは? カエルは居てくれないの?」
踊れるんだから、カエルといれば他の人と踊らなくて済む。
「俺は護衛と執事で手一杯だ」
顔を上げると逆回転でくるりと回された。
「ほら、考えない方がついてこれるだろう?」
「――どうしてカエルはお客扱いじゃないの?」
私を見ていた視線が何処か遠くに移った。
「俺は家族を失って、爺さんに拾ってもらったんだ。冒険者だった爺さんがストラーノを始めたのだって、半分は俺の為だ。ここから動けなかったからな。家を作り、それまで貯めてた、というか貯まってた金を切り崩しながら俺の面倒を見て、たまに孫のお嬢を連れて来てた。歳が近かったから、丁度いいと思ったらしい」
足を止めずに、カエルは淡々と言葉を紡ぐ。
私はきちんと話を聞きたいのに、ステップに付いて行くのに必死で、内容を深く受け止められなかった。カエルとしては、それが狙いなのかもしれない。
「お嬢は昔からお転婆で、自然の多いこの土地をとても気に入っていたようだ。爺さんの見つけてくる、なんだかよく分からないガラクタも楽しそうに弄ってた。人を雇って店を任せると、少し経営は楽になったみたいだった。そのうちにお嬢の来る回数が増え、子供ながらに店の手伝いを始めると、だんだん帰らなくなったんだ。結局、爺さんが攫うようにして引取り、こっちで暮らすようになった。ご両親はそりゃあ怒るよな? 元々冒険者なんぞやって、自分達のことはほったらかしにしてたっていうのに、孫まで攫われたんじゃ……」
ぴたりと、カエルの足が止まった。
「お嬢は俺の面倒もよく見てくれた。小さい頃は倒れる回数も少なかったから、振り回されてたと言った方が近い。爺さんだけでは手に余ると思ったのか、ある時友達だと言って連れてきたのがビヒトだった。初対面の時はビヒトも冒険者といった格好だったんだが、半ば押し付けられるように俺たちの世話をするようになって……」
そこで、可笑しそうに彼は笑う。
「……爺さんが子育てに飽きただけだったのかもな。ビヒトは困惑してたものの、出来ないっていうのはプライドが許さなかったのか、単に放っておけなかったのか……元から器用だったのもあって、今ではあんな感じだ。勉強する姿を傍で見てたから、素直に感心した。少しでも丈夫になろうと体術なんかも教えてもらった。爺さんはそれから少しして買付けだと世界を巡りに出て行って、年に何度か帰ってきてはガラクタを増やしていく状態だった」
いかにも懐かしいという風に目を細める。
「俺が8つくらいの時にランクを雇うとぐっと売り上げが伸びて、ストラーノの名前も有名になった。始めのうちは足繁く通ってお嬢を連れ戻そうとしていたご両親も、その頃になると諦念の感が漂っていた。本人が戻りたがらなかったからな。俺を置いては何処にもいけないと言ってくれて、俺は嬉しかったが、ご両親はどう思ったか……」
カエルの顔が翳ったのは、夕闇が下りてきたせいだけではないだろう。
「年々寝込む回数が増えると、お嬢は俺を治すことだけに心を割くようになった。医者になると帝都の学校にも通ったが、半分の期間ですべてをこなして帰ってきた。その間に両親と会ったかどうかは知らない。でも、帰ってきてからは1度もここを出なかった。向こうもこちらに来ていない」
……その間に完全に拗れてしまったんだろうか。
「ランクと結婚が決まった時も連絡はしたが、ご両親は来ることは無かった。俺と一緒になるって言い出さなかっただけよかったと思ってるとは思う。元々、それだけは駄目だって爺さんに言い聞かされてたから、あり得ない話なんだけどな。向こうはその辺り詳しくないから仕方ない。それでも、ここに居着くことになるストラーノの関係者と結婚する事自体が嫌だったのかもしれないな」
ふっと、一息ついてカエルはこちらに戻ってきた。
「そんな感じだから、俺は彼女の家族としては振舞えない。従者としてなら少し許してもらえるんじゃないかと思ってる」
「……カエルのせいじゃないのに」
彼はホールドを解いて、寂しそうに笑った。
「理屈で納得できない感情もある」
「お爺さんはどうしてるの?」
「ランクに店を譲った後、好きなことをするって出てったきりだ。何処にいるのか、死んでるのかも分からない。持たせたはずの通信具から返事が無いからな」
遅くなったな、とカエルは練習の終わりを告げた。
空はもうすっかり夜の色の方が多い。
その色にカエルが溶けてしまいそうで、私は思わず手を伸ばした。
飯にしようと踵を返されたので、空を掴むだけに終わってしまったが。
今聞いたのがすべてではないだろう。彼自身の話はほとんどなかった。
それでも、彼の通ってきた道が少し見えてよかった。
私は彼の背中を追いかけながら考える。テリエル嬢は本当はどうしたかったのだろう。
今ではランクさんとあんなにラブラブだけど、今の話を聞いただけだと急に結婚の話が出てくるのがひっかかる。カエルが2人の恋愛譚を省いただけならいいんだけど。
食堂に着くとテリエル嬢達はもう食事を終えるところだった。
簡単に出発の打ち合わせをしてから、彼女達はその場を後にした。
ひとりで食べるのは寂しかったので、カエルにお願いして今日は一緒に食べてもらう。
俺に作法の確認をさせない気かと怒られたが、カエルなら大丈夫だろう。
少し笑ってこちらを見ているビヒトさんの子育てに奮闘する姿を想像してみるが、そつなくこなす姿しか思い浮かばなくて残念だ。
部屋に戻ったら荷造りを始めなくちゃ。今回は作務衣も持って行くぞ。
10日分くらいかぁ。どうやって決めよう? コインランドリーなんてないよね?
まだまだカエルに迷惑をかけるなと思いながら、私はナイフとフォークの練習をするのだった。
封蝋を崩して開けると、中にはあっさりした文章で帝国の中央神殿まで来るように書いてあった。護衛は神殿主要施設まで認めるとも。
日時は2週間後の4刻。半島を出るまでに少なくとも丸1日。まっすぐ帝都に向かってもそこから4日程かかるらしいので、どんなに遅くとも1週間後にはこちらを発った方がいいだろう。
神官サマの予定次第では、もう少し早く出ることになるかもしれない……
なんだか急に現実味を帯びてきた。
黙って以前にも見た総主教のサインを見ていると、代書屋さんが難しい顔で覗き込んできた。
「随分急いでるよね」
「そうなんですか? 内容ってジョットさんのも同じですよね?」
彼は軽く頷いた。
「先週の出来事だからね。他国からの召集だし、通常はひと月くらい余裕があるんだけど……よっぽどルーメン主教に早く戻ってほしいのかもね」
事件うんぬんよりも神官サマが中央入りすることに重きがあるのか……
もう、いっそ教団を仕切っちゃえばいいのに。
多分、以前はそうしてたんだろうし、なんで戻りたくないんだろう。
ふっと息を吐いて手紙を畳んで戻した。
「日時が決まったから、神官サマと摺合せしなくちゃなぁ……」
正直、気が重い。主にカエルのせいだが。
あの2人が顔を合わせて険悪にならなかったことが無い。
虐めないでって言ってるのに。
「先に届けてきたから、そっちの予定次第で今日中にも話し合いするんじゃないの?」
「私のいないとこで決められるのも、なんか
いえ。口出しできないので、いなくたって全然影響ないのは分かってますが。
「どうせ、大まかな旅支度は終わってるんじゃないの? 君んちの執事さん達優秀すぎだもの」
「……です。後は私の着替えくらいだよ」
あはは、と彼は楽しそうに笑った。
◇ ◆ ◇
夕方、迎えに来たカエルは宿を出るなり口を開いた。
「出立日、決まったぞ。手紙は受け取ったんだろう?」
少し前を行くカエルの顔は見えない。
「神官サマ、来たの?」
「ああ。3日後に発つから、そのつもりで」
「3日後!? 早くない?」
「帝国の港に真直ぐ行かないで、パエニンスラに寄って行く。そっちに寄るならと、お嬢達も一緒に行くことになったから、パエニンスラまでは賑やかだぞ」
ご両親に会いに行くってことなのかな?
嫌な予感がして、でも確かめずにはいられなくて聞いてみる
「……ちなみに、何処に泊まることになるの?」
「領主の城、だろうな」
「お城……ですか」
顔が引き攣る。今のお屋敷でも気後れしてるのに、お城とか想像が追いつかない。
「安心しろ。俺もそんなとこ落ち着かん」
「うぅ。教会に泊めてもらおうかなぁ」
軽い気持ちで口に出したのだが、カエルに怖い顔で睨まれた。
「例え招かれざる客だったとしても、それは向こうが許さない筈だ。世間体的にもな」
「……はい……ねぇ、なんか覚えておく作法とかないの? 私、何にも知らないんだけど」
カエルはちょっと考え込む。
「食事のマナーとかはそれほど問題無いと思う。向こうでも俺が給仕するから心配するな。挨拶も、大丈夫だろう。頭は下げるなよ? ダンスくらいか?」
ちょっと待って、確認したい項目がいくつかあるんですけど。
「向こうでも、カエルが給仕するの!? カエルもお客さんでしょ?」
「いいんだ。その方が、多分向こうも気が楽な筈だ」
その話は、聞いていい話なのかな? 聞いとくべき?
私の戸惑いを察知したのか、カエルはちらりとこちらを見た。
「帰ったら、挨拶の確認とダンス教えてやる。ダンス、やったことないんだろ? その時に、一緒に話す」
「わ、わかった」
なんでダンスしたことないって判ったんだろ。
そっちの話は触れないようにしたのに。
私のイメージでは広いホールでくるくる回ってるウィンナーワルツくらいしか思い付かないのだが、出来る気がしない。気分が悪いって部屋に居ちゃ駄目かなぁ。
お屋敷に着くとカエルは真直ぐ洗濯物干し場に向かった。
陽が長くなったお陰でまだ外は明るい。
初めに領主への挨拶を叩き込まれた。と、いってもいつものお嬢様の挨拶をもう少し丁寧に、というか深くというかするだけだったので、何とかなりそうだ。
言ってはみても親戚なので、失敗してもそれほど咎められないから気楽に、とも言われた。
問題はダンスだ。
取敢えず、基本のステップを教えてもらう。3拍子で右足を1歩引くところから始まる、多分ワルツでいいと思う。
もちろん1回で覚えきれる訳も無く、カエルも男性のステップからだと教え難いのか、自分でも何度か確認していた。
「……カエルは誰に教えてもらったの?」
「ビヒトに。実際踊ったことなんてないけどな」
「ビヒトさんって、ホントなんでも出来るんだね」
あぁ、と小さく笑う。
「それでも初めて会ったときは子供の世話なんて分からないって、ずいぶん困惑してたな」
「そうなの? 初めからこのお屋敷で働いてたんじゃないの?」
「爺さんが連れてきたんだ。俺が5つくらいの時だったか……もう10年以上も経つんだな」
1度通してやってみよう、とカエルは私の右手を取って、基本の姿勢を作っていった。
右手は軽く伸ばされ、カエルの右手が私の左肩甲骨辺りに添えられる。
私の左手はカエルの二の腕辺りに落ち着かせるように言われ、背筋は伸ばせと怒られた。
距離が近くて気恥ずかしいとか、考える暇はなかった。姿勢維持が結構大変なのだ。普段だらだらしている弊害だろうか。
足元を見てステップを確認しようとする私を、その度に注意して、イチ、ニ、サン、と拍を取る。出だしは何とかなるのだが、くるりと回っているうちに次がどっちの足だったか判らなくなる。
何度かカエルの足を踏んだけど、気にするなとそのまま続行された。
「基本的に男性側がリードするんだ。あんまり考えないで相手の顔を見て任せておけばいい。ドレスで足元なんて見えやしない」
「……ドレスが無きゃ、出なくていいかな」
「お嬢が張り切って用意してた。とりあえずは着なきゃ拗ねられるぞ」
「む、無茶でしょ!? ど素人なの、見ればわかるじゃない!」
「お嬢の関心はそこじゃない。ユエを着飾らせたいんだ。普段あっさりしたのばかり好んでるからな。物足りないんだろう」
私は充分物足りてるよ! 普段着でもひらひらしすぎじゃないかと思ってるのに!
「まぁ、多分身内しかいないだろうから、先に上手くないと牽制しておけばいい」
「カエルは? カエルは居てくれないの?」
踊れるんだから、カエルといれば他の人と踊らなくて済む。
「俺は護衛と執事で手一杯だ」
顔を上げると逆回転でくるりと回された。
「ほら、考えない方がついてこれるだろう?」
「――どうしてカエルはお客扱いじゃないの?」
私を見ていた視線が何処か遠くに移った。
「俺は家族を失って、爺さんに拾ってもらったんだ。冒険者だった爺さんがストラーノを始めたのだって、半分は俺の為だ。ここから動けなかったからな。家を作り、それまで貯めてた、というか貯まってた金を切り崩しながら俺の面倒を見て、たまに孫のお嬢を連れて来てた。歳が近かったから、丁度いいと思ったらしい」
足を止めずに、カエルは淡々と言葉を紡ぐ。
私はきちんと話を聞きたいのに、ステップに付いて行くのに必死で、内容を深く受け止められなかった。カエルとしては、それが狙いなのかもしれない。
「お嬢は昔からお転婆で、自然の多いこの土地をとても気に入っていたようだ。爺さんの見つけてくる、なんだかよく分からないガラクタも楽しそうに弄ってた。人を雇って店を任せると、少し経営は楽になったみたいだった。そのうちにお嬢の来る回数が増え、子供ながらに店の手伝いを始めると、だんだん帰らなくなったんだ。結局、爺さんが攫うようにして引取り、こっちで暮らすようになった。ご両親はそりゃあ怒るよな? 元々冒険者なんぞやって、自分達のことはほったらかしにしてたっていうのに、孫まで攫われたんじゃ……」
ぴたりと、カエルの足が止まった。
「お嬢は俺の面倒もよく見てくれた。小さい頃は倒れる回数も少なかったから、振り回されてたと言った方が近い。爺さんだけでは手に余ると思ったのか、ある時友達だと言って連れてきたのがビヒトだった。初対面の時はビヒトも冒険者といった格好だったんだが、半ば押し付けられるように俺たちの世話をするようになって……」
そこで、可笑しそうに彼は笑う。
「……爺さんが子育てに飽きただけだったのかもな。ビヒトは困惑してたものの、出来ないっていうのはプライドが許さなかったのか、単に放っておけなかったのか……元から器用だったのもあって、今ではあんな感じだ。勉強する姿を傍で見てたから、素直に感心した。少しでも丈夫になろうと体術なんかも教えてもらった。爺さんはそれから少しして買付けだと世界を巡りに出て行って、年に何度か帰ってきてはガラクタを増やしていく状態だった」
いかにも懐かしいという風に目を細める。
「俺が8つくらいの時にランクを雇うとぐっと売り上げが伸びて、ストラーノの名前も有名になった。始めのうちは足繁く通ってお嬢を連れ戻そうとしていたご両親も、その頃になると諦念の感が漂っていた。本人が戻りたがらなかったからな。俺を置いては何処にもいけないと言ってくれて、俺は嬉しかったが、ご両親はどう思ったか……」
カエルの顔が翳ったのは、夕闇が下りてきたせいだけではないだろう。
「年々寝込む回数が増えると、お嬢は俺を治すことだけに心を割くようになった。医者になると帝都の学校にも通ったが、半分の期間ですべてをこなして帰ってきた。その間に両親と会ったかどうかは知らない。でも、帰ってきてからは1度もここを出なかった。向こうもこちらに来ていない」
……その間に完全に拗れてしまったんだろうか。
「ランクと結婚が決まった時も連絡はしたが、ご両親は来ることは無かった。俺と一緒になるって言い出さなかっただけよかったと思ってるとは思う。元々、それだけは駄目だって爺さんに言い聞かされてたから、あり得ない話なんだけどな。向こうはその辺り詳しくないから仕方ない。それでも、ここに居着くことになるストラーノの関係者と結婚する事自体が嫌だったのかもしれないな」
ふっと、一息ついてカエルはこちらに戻ってきた。
「そんな感じだから、俺は彼女の家族としては振舞えない。従者としてなら少し許してもらえるんじゃないかと思ってる」
「……カエルのせいじゃないのに」
彼はホールドを解いて、寂しそうに笑った。
「理屈で納得できない感情もある」
「お爺さんはどうしてるの?」
「ランクに店を譲った後、好きなことをするって出てったきりだ。何処にいるのか、死んでるのかも分からない。持たせたはずの通信具から返事が無いからな」
遅くなったな、とカエルは練習の終わりを告げた。
空はもうすっかり夜の色の方が多い。
その色にカエルが溶けてしまいそうで、私は思わず手を伸ばした。
飯にしようと踵を返されたので、空を掴むだけに終わってしまったが。
今聞いたのがすべてではないだろう。彼自身の話はほとんどなかった。
それでも、彼の通ってきた道が少し見えてよかった。
私は彼の背中を追いかけながら考える。テリエル嬢は本当はどうしたかったのだろう。
今ではランクさんとあんなにラブラブだけど、今の話を聞いただけだと急に結婚の話が出てくるのがひっかかる。カエルが2人の恋愛譚を省いただけならいいんだけど。
食堂に着くとテリエル嬢達はもう食事を終えるところだった。
簡単に出発の打ち合わせをしてから、彼女達はその場を後にした。
ひとりで食べるのは寂しかったので、カエルにお願いして今日は一緒に食べてもらう。
俺に作法の確認をさせない気かと怒られたが、カエルなら大丈夫だろう。
少し笑ってこちらを見ているビヒトさんの子育てに奮闘する姿を想像してみるが、そつなくこなす姿しか思い浮かばなくて残念だ。
部屋に戻ったら荷造りを始めなくちゃ。今回は作務衣も持って行くぞ。
10日分くらいかぁ。どうやって決めよう? コインランドリーなんてないよね?
まだまだカエルに迷惑をかけるなと思いながら、私はナイフとフォークの練習をするのだった。