30.リユウ

文字数 4,883文字

「告。テル・ルーメン主教座下。贈位の意志有。中央神殿までご来臨賜りますようお願い申し上げる」

 それだけだった。
 2通目までは全く同じ内容で、教団のエンボス印があるだけだったが、一番新しいと思われる最後の1通は筆跡が違い、印の他に直筆のサインが入っていた。

「――中央に帰還し、助力を(こいねが)う次第。アスピス・シグニフィカ」

 サインを読み上げると、代書屋さんはテーブルに片肘をつきその手で額を抑え込む。
 予測はしたが、認めたくなくて確認してみる。

「誰ですか?」
「今の、総主教……」

 総主教直筆のお手紙?
 これ、私が見てもいいもの?
 確かに内容的には帰ってきてお手伝いしてよっていうだけのものだけど……

「期限は設けないって言ってたけど、これ、放っておいていいものじゃない……よね?」

 混乱の極みなのか、代書屋さんは私に同意を求めた。

「普通はすぐにお返事するものでしょうね……」

 3通あるということは、すでに2通は目も通さずに今まで放っていたということだ。
 腹黒神官が内容はどれも同じだろうと言っていたのだから、解っていて放置していたことになる。その点について私たちに非が無いのは明白だけど……

「夕方の礼拝までは時間があるかな……今届けちゃおう。お願い!」

 ぱんっといい音を響かせて両手を合わせると彼は頭を下げた。

「一緒に来て。情けないけど、内容を証明する意味でも……!」

 ああ、と何となく納得した。
 そういうことを想定した上で、私なのかと。
 とすると、訳されるのは何でもよかったということかなぁ。
 巻き込まれたのは代書屋さんの方なのかもしれない。
 小さく溜息を吐いて、私は彼の顔を上げさせた。

「さっさと行って、終わらせましょう。ホント、関わると碌なことない人ですね」
「……ユエちゃんって大物だよね」

 顔を引き攣らせてそう言う代書屋さんに、私は首を傾げて見せたのだった。



 ルベルゴさんに席を外すことを告げて、一応行先も言っておく。
 すぐに帰ってくるつもりなので、奥の部屋に代書屋さんの荷物も置きっぱなしだ。
 この時間って、神官って何してるんだろう?
 宗教に興味のない私には想像もつかなかった。
 代書屋さんは躊躇いもせずに礼拝室へ入って、横にある幾つかのドアのうちの1つをノックした。

「どうぞ」

 良く通る声が返ってくる。
 開かれたドアからはいかにも事務室という部屋の内装が見えた。
 正面に事務机、その後ろには本棚。資料用の棚とお茶を入れるための小さめの台とコンロのような物が左手に見えている。
 それほど広くない部屋で、本棚に向かっていたのか神官サマが何か書類を持って半身でこちらを向いていた。

「ジョットさんと……ユエ? お二人でということは、以前頼んだ件ですか?」

 何やら細かい細工の鎖のついたモノクルを外しながら、彼は微笑んだ。

「こちらを……」

 ジョットさんが緊張しながら、封書とそれと対になる訳の付いたメモ書きを渡した。

「2つは同じ内容でしたけど、一番新しいのは少し違いましたよ。それ、私が見ても大丈夫な物ですか?」
「指名したのは私ですから。見た者が皆、口を噤めば問題ありませんね。……というか……やはり読めるのですね。ニヒの通訳までこなすので、半信半疑でしたが」

 半信半疑で試さないで欲しいんですけど!

「これの翻訳は意外と面倒なので、毎回手伝って欲しいですね」

 にっこりと笑う神官サマに代書屋さんは少したじろいでいた。

「面倒ごとに巻き込まれるのはごめんなんですが……」
「そんなに面倒な文面ではなかったでしょう?」

 首を傾げてメモ書きに視線を落とす。
 3枚目を見たとたん、その視線が冷えた。

「……大丈夫ですよ。面倒ごとなんてありませんから」

 封書から視線を外さずに、神官サマは冷たく笑う。
 言い終わるかどうかのタイミングで3つの封書が炎を上げた。

「――!!」

 驚いたのは私だけではない。代書屋さんも一瞬動きを止めてから、水を探して辺りを見渡している。
 けれど、彼がお茶のポットを手にした時には神官サマは燃え滓を宙に放っていて、それが床に落ちる前にはすっかり燃え尽きてしまっていた。

「あなた方は何も見ていない。現物ももう無い。問題ありませんね?」

 茫然と突っ立ったままの代書屋さんを尻目に、私はツカツカと彼に歩み寄って、書類を持っていた手を掴み上げた。

「何を……」

 神官サマの書類を持っていた指先は赤く色付いている。
 どうやったのか分からないが、炎は手に近い方から上がっていた。すぐに全体に回ったのでよく見ていなかったら気が付かなかったかもしれない。

「馬鹿じゃないの」

 私はそのまま彼を引き摺るように連れ出し、礼拝堂を抜けて丸い葉の浮かぶ池に自分の手ごと突っ込んだ。
 何事かとこちらを見遣る観光客の中を、追ってきた代書屋さんが掻き分けてくる。

「ユエ、服が濡れます」

 当惑気味の神官サマの声。

「服はそのうち乾くけど、火傷は放っておいても治りません」
「大丈夫ですよ? シスター・マーテルに癒しをかけてもらいますから」
「本当に? 今、呼んできてもいいですか?」

 珍しく彼を黙らせることに成功して、私は少し満足する。

「……本当に大丈夫ですから。ユエにそんなに心配してもらえると、次に会ったときに同じ事をしますよ?」

 何それ。

「同じ事を何度もする人の面倒はみません。私、自分を大事にしない人って嫌いですから」
「ああ」

 神官サマはくすくすと笑った。

「それでは、私は嫌われる訳ですね」

 池に注いでいる水は元々外の物なのか意外と冷たく、無理な体勢をしている私達の手をすぐに冷やしてくれた。
 じんと指先が痛くなる。

「もう、いいでしょう? 離して下さい。タオルを――ああ、ここでは人目がありますね。付いてきて貰えますか?」

 私が手を離すと、彼は代書屋さんにも声を掛けて、礼拝室ではない方のドアを開けた。

「ユエちゃん、何が何だか解んないんだけど」

 小声の代書屋さんが袖を引いた。

「火傷してたんで冷やしただけですよ?」
「いや……火傷の前に……」
「分からないことは考えても無駄です」 

 私は神官サマの後についてドアを潜った。
 すぐ左手に鐘楼への階段があり、正面のドアを開けて神官サマが待っている。
 代書屋さんを促して足を踏み入れると完全にプライベートな空間だった。
 ドアは開けたまま、神官サマはタオルを2つ棚から取り出すと1つを私にくれた。
 それからソファを進められて、代書屋さんと並んで座る。

「人を招くような部屋ではなくて申し訳ないのですが」

 軽く手を拭いてから、彼は執務室にもあった簡易コンロのようなものでお茶を入れてくれた。
 テーブルはないので直接渡される。

「失礼して、着替えさせて貰いますね。少しお待ち頂けますか?」

 黒い詰め襟のような神父服の替えを持って、神官サマは部屋を出ていった。
 ぐるりと部屋を見渡すと、ベッドに机、本棚とクローゼットそしてソファーというありきたりなラインナップだった。
 ベッド以外は特に高級という感じもしない。
 机の上は雑然としていて、資料なのかメモした物なのか紙類が積んであった。
 窓際に視線を移した時、望遠鏡が置いてあるのに気が付いた。散々お誘いを受けたあれだ。
 立ち上がって近付いてみる。

「ユ、ユエちゃん?」

 長さは50㎝くらい。レンズの直径は7~8㎝くらいだろうか。
 窓の方を向いているそれをしゃがみ込んで覗いてみる。
 もちろん何も見えない。白く丸い物が見えるだけだ。

「それが何か知ってるの?」
「うん。月や星を見る道具」

 代書屋さんに答えて振り返ると、着替えを終えた神官サマが入ってくるところだった。

「夜に来るなら見せてあげられますよ」
「夜は来られませんと何度言えば」
「同じ趣味があるのに、寂しいですね」

 彼はわざとらしく肩を竦めてみせる。

「……それより、ルーメン主教。お手紙は返されないのですか?」

 代書屋さんは恐る恐るという風に話を蒸し返した。

「今、私はこの村を出る気は無いですからね。お話しがあるなら出向いてくればいいだけです」
「その……それで、大丈夫なんですか?」

 神官サマはふふっと不敵に笑った。

「私は教団における自分の価値をよく解っています。教団には私を切る勇気は無いんですよ」

 総主教であっても自分の足で来いというその態度は、教団にとって忌々しいものに違いない。

「だから、貴方達は何も見ていない、でいいのです」
「ユ、ユエちゃんのことは――何故……」

 神官サマは少しの間私を見てから、代書屋さんに視線を戻す。

「ユエのことは本当に個人的な理由で教団に譲りたくないのです。幸い宣誓の書類にも『繋ぐ者』の文字はありませんし、教団側の目に付くようなことは無いはずです。私より詳しく

人間は居ませんしね」
「もし、何らかの理由で教団側が知ったら?」
「プロラトル家に居るならば、ストラーノの名で守られると思います。ここでは無名に近いですが、成金や貴人達の間では無視できない力を持っていますから。ストラーノお抱えと言われては教団でも引き抜きは困難だと思いますよ」

 思ってもいない話で、私はどぎまぎする。
 そんなに凄い商売だとは全く気付かなかった。

「そんな訳で、ユエ。分かったら安心して通訳の仕事を受けて下さい。ジョットさんさえ黙っていればバレることはありませんから」

 にこにことした神官サマとは対照的に、ひくりと代書屋さんの顔が引き攣った。
 やっぱり、巻き込まれたのは彼の方だったんじゃないかなぁ…… 

「神官サマの『個人的な理由』が分からないので、安心して、は微妙です」
「いつか、2人で星を見る機会があれば、話して差し上げても良いですよ」

 聞きたいような、聞きたくないような……
 どちらにしても、そんな機会は巡ってこないだろう。夜にふらふらと出掛けられる身分ではないのだ。

「そうですね……では自作で恐縮ですが、天空図なんて要りませんか? ここは星が見えすぎるので、かなり書き込んだ数とは違うのですが」

 彼は机の上の棚の書類の間から、星座盤のようなものを取り出し、私へと差し出す。
 餌付けされるまいとは思うのだが、好奇心に負けてしまった。
 天空図と呼ばれたそれを受け取り、頭上にかざしてみる。
 やっぱり知った星座は見付けられない。
 時々チェックの付いた星や名前が書き込んである星もあった。
 何気なく指で差すと、神官サマの解説が入る。

「名の付いてる物は私が星読みで使う基準の星です。チェックが付いている物は動きのあったものですね」
「これ、もらっちゃうと困りません?」
「一度使ったものは次には使わないので大丈夫ですよ」

 少々躊躇いはあったものの、要らない物ならばともらってしまった。
 これで恩を売りつけたりしないよね?



 宿に戻ると気疲れしてる代書屋さんを励ましながら、残りの仕事を片付けた。
 今回の仕事の報酬と言って私の手に握らせたコインは金色で、しかも2枚だった。
 慌てて返そうとしたら、神官サマから既に貰っていた報酬から出しているから大丈夫だと言う。

 口止め料も入ってるのか!

 代書屋さんが懐が暖かいと言うはずだ。
 腹黒の金なら危険手当だと思ってもらっておこう。
 思いがけず、港町への旅行が近くなったな。
 あ、でもカエルにはまともに言えない? どうやって稼いだって絶対突っ込まれる……
 どちらにしても、すぐに旅行は出来そうにない。
 私はひとり溜息を吐いた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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