14.バイト始めました

文字数 5,349文字

 結局、テリエル嬢の仕事は手伝いという範囲でしかできそうもなく、必要な時に出来高払いで、ということになった。
 カエルに貨幣の種類や価値も教えてもらって(何故か、もの凄い溜息を吐かれた)金貨:銀貨:銅貨が1:20:300だということも分かった。1:10:100なら覚えるのも楽だったのに……と思ったのは内緒だ。
 どのみちレートは変わることもあるらしいんだけど。

 礼拝のある日は街に下りるのを禁止されたけれど、子供のようにメモとお金を渡されてお伴付きでお使いに出たり、ロレットさんの店でマネキン代わりにされたりしているうちに、少しずつ暮らしにも村にも慣れてきた。

 お使い中に、外国のお客を相手に困っていたクロウを助けた縁もあって、宿屋で通訳をさせてもらえることにもなった。こちらに来て初めてのまともな職!
 まだまだ言葉の通じないような所からのお客様は多くは無いけど、言葉が通じるだけで凄く喜ばれる。友達にも勧めるよと帰っていく姿は、宿の主人のルベルゴにも嬉しいものだったようだ。

 もちろん通訳だけでは手持無沙汰なので、昼の酒場の手伝いや受付の仕事も少しずつ教えてもらっている。
 テリエル嬢には少々渋られたが、元から顔見知りということもあって、宿屋の方と色々話をつけてくれた。
 ……主に私の常識の無さの注意だったような気がしないでもない。

 特に夜の酒場の手伝いは厳しく却下された。ルベルゴの宿では無いのだが、給仕を置く店ではお金さえ払えば夜の相手もしてくれる、というシステムがあったりするらしく、誤解されたくないというのが理由だ。

 ちなみに、ちょっとした好奇心で夜の相手の相場を聞いたら、その場にいた全員に、えらい剣幕で怒られた。しかも結局金額は教えてもらえなかった。やるとは言ってないのに……やりかねないと思われていることが解せぬ。

「昼でも安心すんなよ」

 カウンターの端っこで昼ご飯を食べているクロウが、思い出し眉間の皺を刻んでいた私の顔を見てぼそりと呟く。

「チップは銅貨1枚以上はもらうな、でしょ?」
「危なそうな奴からは1枚でももらうな」

 日本人である私にはチップ制度は馴染みがない。今はそれで生計を立てているわけではないので、分からないなら最低限しか貰うなと言い渡されている。
 ルベルゴの宿屋の地下にあるこの酒場は、今まで昼は特に開けていなかったらしい。たまに来る常連客に軽食を振舞っているうちに観光客が来るようになり、私が宿の手伝いをするようになると、若い異国の娘がいる、と、さらに興味本位の客が増えてきていた。水を1杯だけ注文して出ていく客もいるくらいだ。

 常連客や観光客は基本的に危なそうには見えない。今日は隅の方にあまりガラの良くない3人の冒険者風の輩が陣取っているので、クロウがちょっとピリピリしているのだ。
 実はお目付け役ということでカエルも付いていてくれてるのだが、クロウは虚弱だったカエルをあまり信用していない。
 私はビヒトさんと組手するのを見ているから、そこそこ頼りになるとは思っているんだけどね。

「ねーちゃん! エールみっつ! つまみの追加も!」

 まさにその隅の方から注文が飛ぶ。

「はい。ただ今」

 厨房のサーヤさん(ルベルゴさんの奥さん)に注文を取り次ぎ、クロウが注いでくれた木製のジョッキを運ぶ。基本、料金と引き換えなので、テーブルに投げ出された銅貨を数えながら拾い、チップはもらわないっと。
 その、銅貨を迎えに行った手を掴まれた。

「ねーちゃんは、いくらだって?」

 髭面がにやにやと笑った。

「残念ながら、売り物ではないので」

 肩を竦めながら、するりと手を引込める。
 が、その手は離れなかった。

「じゃあ、ここに座って酌でもしてくれよ。花が無くっていけねぇ」

 エールをジョッキで飲んでるくせに、酌も何もないもんだ。

「他のお客様もおりますので、そうもいきません。すみませんが、離していただけますか?」

 にっこりと丁寧に拒否を示したら、髭面の丸くした口からほっと音が漏れる。

「随分なお嬢様じゃねぇか。なんでこんなとこで働いてんだ? 金に困ってんなら、俺が貰ってやるよ!」

 げらげらと笑いながら、腰に手を回され膝の上に抱え上げられた。
 ちょ、酔っ払い!
 持ってきたエールでもぶっかけてやろうかとテーブルに手を伸ばしたら、何かが飛んできて髭面の癖の強い髪を掠めると、そのまま壁に突き刺さった。

 昼下がりの食堂とは思えない静けさが広がって、びぃぃぃんと間抜けな音が響いている。
 ソーセージとチーズの盛り合わせを持ってこちらに向かっていたクロウも、思わず足を止めていた。
 何事? と振り返ると、壁にナイフが突き刺さっていた。

「だ、誰っ」

 髭面のセリフが終わらないうちに、カツカツと壁から生えるナイフが増える。
 彼の注意がこちらに無くなったのを見計らって、私はそそくさとクロウの元に駆け寄った。

「悪いが、

なんでやれんな」
「……っんだとぉ!」

 がたりと3人が立ち上がる。間を置かずにそれぞれの服やマントが椅子やテーブルにナイフで縫い付けられた。
 カエルは元居た反対側の壁際から動いてもいない。
 クロウがびっくりしてカエルを凝視している。

「大人しく食えないなら、出てってもらおうか」

 カエルはくるりと回してからナイフで階段を指した。

「カッコつけんなよ? あんちゃん。俺たちゃあ別に……」
「なんの騒ぎだ?」

 上からルベルゴさんが下りてきた。

「お客さんがお帰りだとよ」

 カエルは平然と腕を組んで言う。
 ルベルゴさんは一見すると強面で、屈強な戦士のような風貌をしている。そんな彼が壁や椅子に刺さったナイフを見て状況を察したのか、口元だけ笑みを作ると「またのお越しを」と道を開けた。

 男たちは舌打ちをすると椅子から抜いたナイフを投げ捨て、カエルをひと睨みして出て行った。
 緊張した空気が解れていく。
 近くの客がカエルに興奮気味に兄ちゃんすげえな、と話しかけていた。

「お騒がせしてスミマセン」

 ルベルゴさんに謝ると、にっとして頭をくしゃくしゃと掻き回された。

「こっちこそすまんな。ああいう客は少ないんだが、でっけー声で呼んでくれていいんだぞ」
「はい」

 夜はそれなりに荒事もあるようで、ルベルゴさんはとても頼りになる。
 私は投げ捨てられたり壁に刺さったナイフを集めると、カエルにもお礼をと近づいた。ナイフを差し出しながら、お礼より先に気になっていたことが口をついてしまう。

「ねぇ、カエルって何本ナイフ持ってるの?」

 周囲が一瞬しんとして、生暖かい笑いがすぐに湧く。

「ねぇちゃん、そこはありがとうって抱き着く場面じゃないのかい?」
「えっ。あっ。ありがとう、は言うつもりでっ」
「にーちゃん、働き損だなぁ」

 お客さん達のからかい声があちらこちらから飛んできた。
 中にはカエルにエールを勧めている客もいる。あまりお酒を飲んでいる姿が記憶にないので、普通にジョッキを傾けている姿が不思議だった。
 ちょっと周りが落ち着いてから、改めてカエルにお礼を言う。

「さっきはありがとう。えぇっと、エール飲んでたけど大丈夫?」
「1杯くらい問題無い。それより、簡単に絡まれるな」
「え。それ私にどうこうできる問題?」
「知らん。考えろ」

 なかなか無茶を言う。私は話題を変えることにする。

「ところで、お昼まだでしょ? お礼に奢るから、何がいい?」
「金の無い奴に集る気はない」
「お給料から引いてもらうから大丈夫だよ! んもう!」
「嬢ちゃん嬢ちゃん、」

 近くの席の客がにやにやと口を挟んできた。

「そりゃあ、礼なんかいいからあんまり心配かけるなって言われてるんだよ」

 そうかな? そんなニュアンスだった?
 まぁ、さっきの今では何を言ってもからかいの対象になるのかもしれないけど。
 カエルは舌打ちすると、その客に向かってにっこり笑いかけた。
 あれ。何だろう。なんか、寒気がするヨ……

「誰が払ってもいいよ。ほら、兄ちゃんの昼はこれだってよ」

 クロウがクリーム系のパスタをカウンターの上に置いた。

「いいのか?」
「母ちゃんが持ってけって言ったんだ。いいんだろ」

 カエルがカウンターに座ると、クロウは向かい側で投擲について熱心に聞いていた。

「ベッドの中でも練習できるからな。そんなに凄くもないぞ」
「充分すげぇよ!」

 素直に称賛されて、カエルはちょっと居心地が悪そうだ。
 クロウはカエルのことを見直したみたいで、話をする瞳がきらきらしていた。男の子だねー。
 2人を見て口元を弛めていたら、カエルに睨まれた。なんで?
 仕方なく厨房に逃げ込んで洗い物を手伝う。

「災難だったわねぇ」

 サーヤさんがほんわりとした笑顔で言った。

「接客業ではそういうこともありますよね」
「あら。意外とタフなのね」

 ころころと彼女は笑う。

「良かったわ。明日から来ないって言われるかと思ったもの。とても助かってるのよ? 変な客がいるときは遠慮なく主人を呼んで? クロウじゃまだ頼りないだろうし……彼も毎日居られる訳じゃないんでしょう?」
「多分……」

 カエルの予定はよく分からない。

「私もお世話になってる上に仕事にまで付き合わせるのは申し訳ないんで、来なくていいよって言ってるんですけど」

 サーヤさんは不思議そうな顔でこちらを見た。

「え? ユエちゃんって彼のお嫁さんに来たんでしょう?」
「は?」
「え?」

 お互い困惑顔で見つめ合う。

「だって、今まで街で姿を見かけたこともない彼が、毎日甲斐甲斐しくあなたに付き添って来るのよ? 愛は病気も治しちまうんだなって常連の間で噂なんだから」

 とんでもない誤解が蔓延していた。

「……夢を壊すようでなんですが……愛じゃ病気は治りませんよ。色々タイミングが重なっただけで、そういう訳じゃないんです。そうそう、お嫁にしてって言ったら断られてもいますし」
「えっ? 本当に?」
「年上の行き遅れは嫌だったんじゃないですか?」

 はははと笑い飛ばす。

「えっ? 行き遅れ?!」
「もう20歳ですからねー。この辺りでは結婚、もう少し早いんですよね? 若い娘の方がやっぱり良いでしょう?」

 息を詰める様にしていたサーヤさんは、天井を見上げて何度か深呼吸をした。

「言動がたまに妙に落ち着いてることがあると思ってたけど……ううん。そうじゃないわね。ユエちゃん、その話、たとえ本当だったとしても皆に話しちゃダメよ」
「え?! なんでですか? これでカエルもいいお嫁さん探せる機会が出来ると……!」
「面倒なことになるから」
「面倒?」
「ここの常連さんにも独身は結構いるし、外から来る人だって一目で異国の血が流れてるとわかる、見た目若い娘さんなんて、物珍しさも手伝って欲しがる人が沢山いるのよ? ちゃんとあなたを大事にしてくれる人ならまだいいけど、甘い言葉で騙して連れ去って、売り払われたりだってするんだから! お屋敷の奥様が危機感が足りないって言うのが良く分かったわ。いい? 皆にはこのまま誤解させておきなさい」

 う、売り払われるのか。それは、確かにちょっと嫌だな。
 ってか、私ってそんなに珍獣系?
 地味なのは割と自覚してるんだけど……そうか。珍獣系か……

「……物好きはそんなに多くないですよね?」
「誤解させときなさい」

 笑顔で凄まれて、結局私は頷いた。
 カエルごめんね。出会いが遠退いちゃったよ。
 洗い物を終えると、追加の注文もお客も無くなったことを確認して、私は1階のルベルゴさんと受付に回る。

 少し前まで宿泊客はほとんどいなかったと聞いた。西の港町がある程度発展していて、この村から馬車で鐘2つ程の距離しかないため、日帰り客がほとんどだったらしい。

 急に増えた訳は週2度の礼拝だ。2刻の鐘で始まる礼拝に参加しようと思ったら、泊まるのが一番確実なのだ。
 腹黒神官め。村にも利益を落とすとなると批判もし難いもんね。

「ユエ。一旦戻る。帰り迎えに来るから、俺が来るまで絶対待ってろ。親父さん、頼む」
「おうよ。心配ねぇ」
「わざわざ来なくても大丈夫だよ? クロウに送ってもらってもいいし」

 カエルは呆れた顔をして首を振った。

「さっき絡まれたばかりでよく言えるな。ああいう輩は執念深いのもいるんだ。ともかく今日は待ってろ」
「えっ。じゃあカエルが1人で行き来するのも……」
「ひとりの時に突っかかってくれるなら、その方が楽だ」

 被せ気味にそう言って、カエルは帰って行った。
 ルベルゴさんがにやにやしている。

「若ぇっていいなぁ」
「……そんなんじゃ、無いんですけどね」

 それ以上の言い訳を諦めて、私は溜息を吐いた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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