53.ユメジ

文字数 5,240文字

 結局どうしたかというと。
 堂々と出た? 残念。
 こっそりと出た? まぁ、近い。
 朝まで出なかった? 流石にそれは……

 カエルは堂々としてればいいと言ったのだが、直前に結構目立っていたことを思うと、どうしてもそのカーテンは開けられなかった。
 フロアに戻って踊る気もなかったし、出来ればもう部屋に戻って引き籠っていたかった。

 そんな私を仕方ないなと笑って抱き上げ、カエルはひょいと手摺に飛び乗ると、そのままバルコニーから飛び出した。
 流石の私も、ひゃあ! って声が出たよ?
 2階とはいえ、飛び降りるなんて思ってなかったし。

 中庭のあちこちには抜け出してきたカップルが割といて、いきなり降ってきた私達を何事かと振り返っていた。
 お騒がせしてスミマセン……

「舌噛まなかったか?」
「だ、大丈夫、だけど」

 飛ぶなら飛ぶって言ってほしかった! 今頃どきどきしてる。
 カエルはそのまま部屋に戻るのではなく、一旦控室の様な所に寄って私を降ろした。

「このままじゃ目立ち過ぎるから、着替えてくる。ちょっと待っててくれ」

 今日は廊下で誰にも会わないなんてことが無い。使用人達は忙しく動き回ってるし、お客が興味本位で散歩してたりもする。
 そんな中でもカエルの正装は目立つのだ。明らかに一般客とはランクの違う衣装で、多分領主様からの借りものなんじゃないかな? 跡取りだと思われても仕方がないくらいの仕上がりで、テリエル嬢の熱意が窺われる。

 入り口とは別のドアから隣の部屋に入って行くカエルを見送って、私はようやく一息ついた。椅子を1つ引いて腰掛けると、先程のカエルの言動を思い出して急に恥ずかしくなる。今になって自分の中に沁みてきたみたいだ。
 頭を抱えて悶絶してると、ドアが開いた。驚いて顔を上げると、きょとんとしたビヒトさんと目が合った。

「……ユエ様……が、ここに居られるということは」

 ビヒトさんはするりと入り込むと、後ろ手に素早くドアを閉めた。

「カエル様と踊られましたか?」
「え? あ、はい。目立ってたかは、分かりませんけど、多分?」

 にっこりと笑って、彼は声のトーンを落とした。

御髪(おぐし)と化粧直しにこちらへ来たわけではありますまい? カエル様は何か仰られましたか?」

 はっとして頭に手をやって焦る。

「な、何もしてませんよ!? 本当に、何も!」
「左様ですか」

 くすくすと可笑しそうにビヒトさんは笑った。

「カエルなら隣で着替えてますけど……」
「いえ、誰も居ないはずなのに人の気配がしたので、覗いたまでです。坊ちゃまに見つかったら私が叱られるでしょう。今回は会心の出来でしたからね」

 緩く乱れた私の毛先を一束摘まんで、ビヒトさんは軽くウィンクした。

「お気持ちくらいはお伝えされたと思っても?」
「え? あー。うー」
「左様ですか。上出来ですね。言わずに済ませようなどと、甘いことを考えていそうでしたので、僭越ながらお節介を焼きました。ラディウス様も乗り気だったのは意外でしたが……お陰でこちらの長年の厄介事も片付くかもしれません」

 曖昧な唸り声しか出さなかったのに、ビヒトさんは的確に意味を汲取っていた。
 そんなに分かりやすいかな? 確かに顔は熱いけど。

「ユエ様を困らせるつもりはございませんので、お返事は遠慮なく。その辺は坊ちゃまも分かっていらっしゃいます。……そろそろ戻られますね。叱られる前に仕事に戻ります。失礼致しました」

 音も立てずに彼が出て行くと、入れ替わりにカエルが戻ってきた。執事服に戻っている。
 こちらを見ると、訝しそうに眉根を寄せた。

「誰か居たか?」

 言っていいものか迷って、どうせそのうち顔を合わせれば分かることだと思って告げることにした。

「ビヒトさんが……」

 カエルはひとつ舌打ちをした。

「神出鬼没だな。いつまでもやられっぱなしだ」

 綺麗に畳んだ衣装を持って、もう片方の手で私と手を繋ぐと、カエルはそのまま部屋まで送ってくれた。さすがに客室の方はまだ人も少なく、静かなものだった。

「ちゃんと鍵かけて着替えとけ。誰か来ても開けるな。俺は中から声を掛けるから」
「カエルは部屋に戻らないの?」
「このまま? そんな危ないこと出来るか。戻って文句言って、少し頭を冷やしてくる」
「危ないって……」

 冷めかけていた頬に熱が戻ってくる。

「そういう顔も俺を煽るぞ。早く部屋に入れ」

 頬を優しく撫でられた後、私は部屋に仕舞われた。鍵、と言われてどきどきしながら鍵をかける。カエルの足音が遠退くと腰が抜けた様にその場に座り込んだ。
 カエルは冷静な様で内に秘めているモノが意外と熱い。そうだ。組手もとても楽しそうにするじゃないか。何処までも冷静なビヒトさんとは対照的な……

 それは若さだろうか。それとも、本質だろうか。
 あの真直ぐな思いを私はきちんと受け止めきれるだろうか。
 なんて、上辺だけの良い子ちゃん思考はしないことにする。

 だって、私は、カエルと、キスしたかったのだ。

 ◇ ◆ ◇

 慣れないコルセットを脱ぐのに、ものすごい苦労をして、やっと解放された体は空腹を訴えていた。
 そういえばお茶会でも苦しくてあんまり食べていなかった。
 部屋には特に食べる物はなく、仕方なく水を飲んで誤魔化した。
 体力的にも精神的にも疲れたので、お風呂に入って寝てしまうことにする。
 古い映画で見るような浅い猫足のバスタブで数回意識を失った。寝るような体制で入るお風呂は危険である。



 ちゃんとベッドに潜り込んで取り留めのない夢をいくつか通り過ぎると、以前にも見たような場所に辿り着いた。
 周りは白く、薄い硝子が万里の長城のように左右に何処までも伸びて立っている。
 何処で見たんだっけ?
 硝子に近づいてみると、少し向こうに誰かがテーブルに突っ伏しているのが見えた。
 あの、見慣れた背中は。

 ――わたる。

 びくりと反応してわたるはこちらを振り返った。
 あれ? 聞こえるのかな? 以前は物音ひとつ聞こえなかったのに。
 飛び付くようにしてこちらに来ると、わたるは何事かぱくぱくと口を動かした。
 ああ、やっぱり聞こえないんだ。
 ふるふると首を振る。

 硝子を叩きつけようとしたわたるの手に、何かが握られているのが見えた。
 私は指をさしてみる。
 本人も気が付いてなかったのか、眉を寄せてそちらに視線を向けた。
 あ、あれ、私のスマホだ! てか、なんでわたるが私のスマホを?
 あ、夢か。いいな。あれ欲しいなぁ。電話もメールも出来なくても写真が撮れる。
 わたるははっとすると、何やらスマホを操作し始めた。
 くるりと画面をこちらに向けると、『何処にいる?!』とメモ画面に打ってあった。

 どこ? どこって……

 お城、と言ってみたが、わたるはイライラするだけだった。
 ふと、思いついて硝子に息を吹きかけてみる。少しの間だが、曇った。長文はいけないが、単語くらいなら伝わりそうだ。
 おしろ、と書くとわたるの動きが止まった。もう消えてしまっているその単語をずっと凝視していた。
 やっと動き出したかと思ったら、尾白? とあほな文字が帰ってきた。
 『パエニンスラ の 城』と頑張って書いてみたが、わたるが追えたかどうか。

 ――誰かに攫われたのか?

 ふるふると首を振る。

 『穴 おちた』

 ――怪我は?

 首を振る。

 ――元気、なんだな?

 頷く。
 少しほっとしたような顔になって、わたるはずるずると座り込んだ。

 ――あおいが居なくなってもう3ヶ月過ぎてる。部屋はそのままにしてある。さっさと帰ってこい

 私は少し動揺した。これは夢のはずだ。ずいぶん具体的な指摘じゃないか。いや、そういう夢もあるだろうけど。

 『かえれ ない』

 震える指でそう書いた。

 『かえり かた わから ない』

 わたるが苦しそうに顔を歪めた。
 やはりこれは夢なんだろう。彼が私の為にそんな顔をするのを見たことが無い。
 硝子に付けた頭を撫でる様に手を寄せた。

 ……カツリと音がしたような気がした。
 何の音もしないはずなのに。辺りに視線を彷徨わせると、小さなナイフが落ちていた。
 カエルの投げるような、ナイフ。

 それを拾い上げるのと、わたるがなにか叫ぶのと、身体が浮き上がるのが同時だった。
 視界の右隅に白い刃が映り込む。
 わたるがスマホを握ったまま硝子を叩きつけた。
 やめてよ。壊れたらどうすんの。

 私は手を伸ばして、カエルの短剣を持つ右手を捕まえた。彼を見上げて首を振る。
 何か言いかけて、カエルは声が出ないことに気が付いた。
 短剣を仕舞わせて彼の腕の中から出ると、私はもう一度硝子に近づき、こちらの文字で『弟』と書いた。

 わたるが呆然と消えゆくその文字を見つめていた。
 わたるには――悩んだが、多分一番近いと思われるので『カレ』と書いておいた。
 こっ恥ずかしい。家族にちゃんと紹介した彼氏は今までいなかった。
 夢の中とはいえ、こんな風に紹介するなんて。

 わたるはしばらく私たちを見比べて、頭を抱えた。
 あぁ、その恰好はよく知っている。私が何かやらかすたびに、そうやって頭を抱えていた。
 懐かしく思って笑っていたら、わたるに睨まれた。

 ――どうしてそう能天気なんだ! 帰ってくる気はないのか!?

 スマホの画面に、カエルが不思議そうに見入っている。

 『かえれ たら かえる』『かも』

 ――かもってなんだ!

 私は肩を竦めて、それよりも、とスマホを指差して写真を撮ってと促した。
 脱いだはずのドレスを着ていたので、撮れるなら撮っておいてほしかったのだ。
 わたるは憮然としながらも、試してみたかったのか、素直にカメラモードにしてくれた。

 カエルの腕に絡みついて、ポーズをとる。カエルは何が何だか分からない風でスマホを警戒していた。
 フラッシュにびくりと体を震わせるのが可笑しい。
 わたるはもう1枚と人差し指を上げた。
 だよね。フラッシュをたいちゃ駄目だよ。

 わたるの手がOKの文字を作るのを見て、私は硝子に歩み寄る。
 画面にはドレス姿の私がぼんやりと写っていた。カエルはピントがぼけたように輪郭が判るくらいだ。写っただけでも凄いのかもしれない。

 カエルは眉間に皺を寄せて写真を凝視してから、私を見た。そして、わたるも。
 誰かに呼ばれた気がして、振り返る。カエルも同時に振り返った。
 戻らなきゃ。

 わたるは溜息を吐いてから、カエルに向かってお辞儀した。
 カエルは少し躊躇ったものの頷いて私の手を取る。
 私はわたるにひらひらと手を振りながら、またね、と叫んだ。
 今度は『また』がちゃんとあるような気がした。

 いつの間にかカエルも居なくなって、また取り留めのない夢の中を渡り歩く。
 そのうちノックの音が現実の世界を連れてきた。

 ◇ ◆ ◇

 急かせる様なノックの音に人の声が混じっている。
 夢の世界から浮上してきたばかりで、それが自分を呼んでいるのだと気付くまでに少し時間がかかってしまった。
 わたるに『あおい』と呼ばれていたせいもあるかもしれない。

「……ユエ、起きてくれ……ユエ……」

 切羽詰った様な声に、何かあったのかとカエルの部屋へと続くドアに向かった。

「おはよう? もう朝?」

 ドアを開けた私を見て、カエルは心底ほっとした顔をした。襟のついたくたりとした亜麻の長袖Tシャツみたいなものに膝丈のズボンという、完全に寝間着モードのカエル。
 確かめる様に私の頬に触れると、はっとして今度は気まずそうに視線を逸らした。

「……いや、まだ早い。悪かった。変な夢を見て――」
「夢? 私も変な夢見てたよ。久々に弟に会って……なんか、怒られた。カエルも出て来てね」

 ばっとこちらに向き直り、彼は私を凝視した。
 びっくりして言葉が止まる。

「何を、話した?」
「え? えーと、帰ってこないのか、とか?」
「帰るのか」

 カエルの声が固くて不思議に思う。

「帰れないって、言ってるじゃない? 夢だし。夢の中でなら帰れてもいいと思うんだけど……硝子の壁があって向こうに行けないんだよね」
「……ガラス……窓とかに使われてる氷板石のことか?」

 私もまじまじとカエルを見詰めてしまった。
 こっちでは硝子って言わなかったのか。ってか、もしかして別物? 随分割れにくいなーとは思ってたんだけど……
 妙な沈黙が流れた。

「……今度……レモーラの屋敷に帰ってからでいいから、ユエの国の文字を教えてくれ」
「え? 文字? いいけど、何? 急に。覚えても全然使えないよ? 無駄に沢山あるし……」
「沢山?」
「えーと、子供が覚える字が50文字くらいあって、それの別表記が同じだけあって、表記するのに便利な漢字という物になると大人で3000字くらいは――」
「待て。どういう種族なんだ?」

 眉間に皺を寄せたカエルに、にへらっと笑って見せる。

「私も時々そう思うよ。えっとね、いろんな変態が居る国」

 ますます難しい顔になったカエルが可笑しくて、ひとりでころころと笑っていた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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