39.コエの行方

文字数 5,817文字

 予感はしてたんだ。あんだけ喋ってたら当然だよねー。
 すかすかと空気の抜けていくような感覚で、クロウに声が出ないと説明すると、渋い顔をして溜息を吐かれた。

 私が身支度をしている間に男性部屋に知らせに行ってくれて、朝食の席ではカエルにもやはりな、と呆れられた。
 以前にカラオケで声が出なくなったときは数日でよくなった気がするので、今回もそんなもんだろう。
 一応テリエル嬢から薬を貰って飲んでおく。

「じゃあ、ユエは午前中宿で待ってんのか?」

 クロウの指摘に私はぶんぶんと首を振った。

 留守番なんて嫌だよ! 声が出ないだけで元気なんだから!
 行き損ねた『夕日の丘』と、孤児院の皆にキャンディー買って帰るのはもう決定事項だよ!

 身振り手振りで訴えてみたが、皆の白い目が痛いだけだった。
 頑張りすぎてちょっと息切れを起こしている私に、カエルが耳を寄せた。

「どこ、行きたいって?」

 ぼそぼそと希望を伝えて、一旦部屋に戻る。
 鞄はランジェリー店の人が着替えごと返してくれたらしい。服が恥ずかしいから裏口から宿に帰ったという理由付きで。
 一応の染抜きがされたワンピースは畳んでトランクに仕舞ってある。荷物はこのまま回収されて馬車に乗せてしまうらしい。

 それにしても雑な言い分だと思うが、出て行ったから後は知らないと言われれば探しようもないのか。カエル達も店の中を一通り調べてもいいと言われて、見て回ったと言っていた。試着室の奥までは調べられなかったようだけど……
 行方不明の何人かは同じ手口でやられたのでしょうと、ビヒトさんは表情を曇らせた。

 結局、残りの一人は見つからないままのようだ。
 昨日と同じようにロビーで待ち合わせて、帰りの時間と待ち合わせ場所を確認する。
 と言っても場所はカエルに丸投げだ。
 乗合馬車の発着場らしいが、私には多分行き着けない。

 出発の段になってカエルはするりと私の手を取った。そのまま歩き始める。
 あんまり自然だったので違和感が無かったのだが、代書屋さんとクロウを振り返るときょとんと立ち竦んでいた。
 手招きすると顔を見合わせてから、ようやく付いてくる。

 今日は港通りを真直ぐ抜けて、左手の『夕日の丘』へと登って行く。名前の通り海に夕日が落ちるのを見渡せる展望台のある丘だ。長い石段の途中にはこんな所に! と感心するような所にスペースを見つけて屋台が設置されたりしていた。
 体力のない私は途中何度も休憩を挟みながら、ようよう上まで登っていく。
 皆汗ひとつかかずに登りきっている中、ひとりぜいぜいと息を乱しているのはかなり恥ずかしかった。

 こっちに来て、大分体力付いたと思ってたのに! 気のせいだったよ!

 ベンチでへばっていると代書屋さんがお水を買ってきてくれた。

「大丈夫? 頑張ったねぇ」
「担いで上がればよかったか?」

 ずっと手を引いていてくれたカエルがにやりと笑って言う。
 私はぶんぶんと頭を振って否定してから、コップの水を一気に煽った。
 座ったまま返す屋台は何処かと首を巡らすと、代書屋さんが手を差し出してくれる。素直にコップを渡してありがとうの気持ちを込めて笑った。

 だいぶ落ち着いたので、さて景色を堪能しようじゃないかと立ち上がりかけたら、代書屋さんがまた手を差し出してくれたので、ありがたく掴まろうと伸ばした手を横からカエルが奪い取った。
 カエル以外の全員が、は? という顔をしていた。

「今日は誰にも貸さん」

 にっこりと笑って、そんなことを言うカエルに無理矢理手を引かれて展望台へと(いざな)われる。
 途中後ろを振り返ったら、立ち竦む代書屋さんの腰元をぽんぽんと叩いて慰めるクロウの姿が見えた。
 これは、捕まえきれなかったあの1人を心配しての事だろうか。

「過保護」

 音にならない私の空気の様な声に、カエルは少しだけ視線を寄越して何故か満足そうに微笑んだ。

「何とでも」

 普段見せない表情になんだかどきどきする。昨夜押したスイッチはオフになっていないのか。それとも私の中で変なスイッチが入ってしまったのか。吊り橋効果は『美人・イケメンに限る』らしいけど、昨日の今日で私は冷静でない、かもしれない。

 木製の手摺に掴まって、眼下の倉庫群と長い桟橋を見下ろして私はそう思うことにした。
 昨日停泊していた大きな帆船はもういない。見えるのは海に長く突き出した桟橋だけだ。白い灯台のその向こうは何処までも海原が続いていて、陽光をキラキラと反射している。
 それ程遠くないはずの帝国のある陸地は、水平線のまだ向こうの様で、ちらりとも見えなかった。
 これはこれで綺麗だが、あの水平線に太陽が沈む様はまさに圧巻だろう。
 見たかった。
 思わず溜息が零れた。

「また来ればいい」

 繋いだ手に少し力を込めて、カエルが言う。

「日帰りでも、長期滞在でも好きなだけ」

 それはカエルも一緒に、という事だろうか。
 どんな答えも心に波が立ちそうで、私は黙って彼の横顔を眺めるだけにした。

「今度は向こうにも行けばいいんじゃない?」

 隣に並んだ代書屋さんは海の向こうを指差した。

「僕、帝都もそこそこ案内できるよ。時代の最先端はいつもそこにあるからね。きっと楽しいよ」

 ちょっとだけカエルに挑戦的な顔を向けた代書屋さんがなんだか可笑しかった。
 それよりもその隣で海の向こうに羨望の眼差しを向けるクロウが印象的だ。少年よ、大志を抱け――そう、言ってあげたかった。
 そういえば……
 私は手を引いてカエルの注意を促す。
 少し屈んでくれた彼の耳元でなるべく簡潔に、と言葉を選んだ。

「テリエルさんの、ご両親って」

 指差された先を見て、ああ、と説明してくれた。

「フェリカウダは火山の向こうとこちらに分かれてる国なんだ」

 え。ちょっと待って。この国ってフェリカウダっていうの? そうだっけ?
 今から地名をばしばし言われても覚えられる気がしない……
 帰ったらもう一度聞くか、本を貸してもらおう……
 私の動揺を見てとったカエルは諦めの溜息を吐きながら、先を進める。

「元々向こう側だけが国として成り立ってたんだが、帝国がこの半島の開拓に手を出すのが分かって、火山があるとはいえ背中を帝国に預けるのは不安だってことでフェリカウダからも開拓の人員や物資を注ぎ込んだんだ。その甲斐あって一応フェリカウダの領地という事に納得してもらったが、帝国の影響は大きいと言えるな。帝国は開拓当時に火山が爆発したことで及び腰になって、面倒事はそちらで受けてくれっていう態度だったらしいし」

 お、おう。大分噛み砕かれてはいるけどやっぱりややこしい歴史があるんだね?
 火山の爆発はガルダが関係してるとかだったりする? そんでナーガとの喧嘩に負けたのかなぁ。

「で、その領地……パエニンスラ領というんだが、これを代々治めているのがお嬢の親戚で、両親はその領主に仕えてるんだ。お嬢がこっちで力を振るえるのもそういう所があるからなんだが。村長よりも頼りになるのは確かだな」

 村長? 誰それ、美味しいの?
 本気で会ったことない!
 村の一員になるのに村長にも会わないって、そういえばおかしなことだよ……
 ってか、親戚が領主ってかなりお嬢様じゃん! 違うようなこと言ってたけど、嘘つき!

「……まあ、言いたいことはなんとなくわかるが、その辺はまた今度話してやる。で、両親は向こうで仕事をしてるし、お嬢はこちらを離れられない……主に俺のせいだし、それ以外にも諸々の理由があって、前回両親に会ったのはお嬢が帝国の学校に通っていた時じゃないかな。ランクは時々挨拶しに行ってるみたいだが、そろって顔を見せたことは無い筈だ」

 ん? 結婚の時は? 普通、遠くてもどちらかは来るよね?
 諸々の理由、なんだろうか……

「今回俺に不調は出なかったからな。そのうち向こうにも行くだろ。早く行きたいなら、ランクにお願いするんだな」

 いえ。ちょっと落ち着いてからがいいです。
 色々頭の整理もしたいので。

「パエニンスラには、有名な教会があるんだよ」

 横で話を聞いていた代書屋さんは遠慮がちに口を挟んできた。

「教団関係に関わりたくないって言うのは分かってるんだけどさ、あそこのオルガンが凄いんだ。大主教が常駐してるんだけど、彼は気さくないい人でさ、オルガンの腕を買われてのし上がったと言われるくらい演奏も素晴らしいんだよね。ユエちゃん、そういうの……」

 きらっきらした私の目を見て、代書屋さんは最後まで言わずに笑った。
 オルガン。パイプオルガンでしょ!? しかも奏者付き? 行きましょう。行くべきです。
 カエルを振り返ると頭を抱えていたが、代書屋さんをひと睨みした後、言い聞かせるように口を開いた。

「向こうに行くことがあって、時間に余裕がある時、だぞ」

 私はこくこくと頷いて、小指を出した。
 カエルは疑問の顔になる。
 あ。知らないか。指切り。
 繋がれた手を解いて、小指と小指を絡める。ぶんぶんと振り回したら約束完了だ。
 私の奇行に皆はきょとんとしていたが、ひとり満足していたのでどうでもよかった。

 次の目標は海の向こうだね。外海ではないけど、日本を出て外国に行くような感覚がある。実際は同じ国なんだけどね。北海道から本州に渡るとか、沖縄から九州に渡る感覚の方が近いのかな。橋で行けない同じ国。
 楽しみがひとつ増えた。



 また長い石段を下りて、中央通りでお土産をゲットする。
 昨日の影響か、衛兵の姿がやけに目についた。通りすがりにちらりと見たら、あの高級ランジェリーショップは閉められていて、兵士が2人入口を守るように立っていた。
 これで犯罪が減るといいんだけど。

 お土産に買った飴は透明感のある青や緑、水色が混じりあったマーブル模様で、硝子瓶に容れたりすると海をそこに閉じこめた雰囲気になる。
 透明度の高い瓶は買えないが、安い瓶でもなかなか可愛らしかった。
 自分の観賞用に同じセットを買ってしまったくらいだ。

 お昼に食べるサンドイッチ系のパンと水筒に入ったお茶も購入して、私達は待ち合わせ場所の馬車に乗り込んだ。
 昨日と同じ御者さんで、にこやかに迎えてくれたのが嬉しい。
 出発してからわいわいとお昼を食べ、お腹がくちくなると流石に皆疲れたのか、うとうとし始めた。
 クロウは行きと同じように代書屋さんにもたれ掛かって既に夢の中だし、その代書屋さんも目を閉じている。
 同じようにカエルも目を閉じてはいるのだが、寝てるのかどうかは分からない。多分、一番疲れているのはカエルだよね。

 私は眺めていた飴の詰まった瓶をそっと鞄に仕舞い込んで、欠伸をひとつかみ殺した。目を瞑れば私も夢の国へ旅立てるだろう。
 以前の教訓を元に、今度は最初から馬車側の壁に頭を付けておく。石を踏んだり穴に落ちれば頭をぶつけることになるが、まぁ、仕方ない。

 目を瞑ってとろりと意識が溶け出した頃、腕を引かれて驚いた。それ程強い力ではなかったが確実に身体を持って行かれ、その手は背中側に回されると私の頭をカエルの肩に乗せた。
 慌ててカエルを見るが目は閉じられたままだった。
 離れた頭をもう一度肩に押し付けられ、最終的にその手が私の腰元に固定されると、もう私には為す術が無い。

 逆に寝られないよ!

 いっそ起きてしまおうかと視線だけ動かすと、代書屋さんの顔がちょっとだけ引き攣っていた。
 あ。あれ、起きてる。
 どうしよう。起きても寝ても居たたまれない。
 どちらの方がより精神的ダメージが少ないか考えて、結局代書屋さんを見習って寝たふりをすることにした。
 皆寝てた。
 そういうことにする。

 今日のカエルは少し変だ。正確にはあの海岸から……
 そういえば、今日はカエル以外の人間に触れていない気がする。人混みで肩もぶつけていない。
 ――今日は誰にも貸さん。
 朝のカエルの言葉が蘇る。あれって、そういう意味だったの?
 じゃあ、明日は? 今日って何時まで?

 急に不安が押し寄せてきた。カエルは何処にも行かない。行かないと分かってるけど、今日が過ぎれば二度と手も繋いでくれないんじゃないかと、そんな気がしたのだ。
 杞憂であればいい。
 カエルが私を求めてくれるなら、それに応えればいい。その権利があると言ったのは私だ。
 ――いや、それは体のいい言い訳かもしれない。

 恐らく私もカエルが嫌いじゃないんだ。恋焦がれる程ではないとしても。そしてそれを簡単に認めたくない自分がいる。
 でなければこんなに不安になる訳がない。今現在こんなに傍に居るのに――
 寝られないまま馬車は休憩所に着き、誰も起き出さないまま、また走り始める。
 ほんの数時間だったのに、私は馬車が着かなければ良いのにとずっと思っていた。

 ルベルゴの宿で代書屋さんとクロウと別れ、私達は馬車を乗り換える。お屋敷まではあっという間だった。
 私の部屋の前までトランクを運んでくれて、カエルは夕食まで休めと言った。

と。
 それを知っているということは、カエルも寝てないんじゃないだろうか。

「カエル、は?」
「俺も、少し休む」

 少し、間があって彼は続けた。

「……一緒に、寝るか?」

 私はこくりと頷いてみた。本当にそうしたかった訳じゃない。カエルの反応を見たかったから。

「……お前は、また……そこは断るとこだろう? 寝られるわけがない」

 げんなりと呆れ顔のカエルに、少しほっとした。
 急に帰ってきた実感が湧く。
 ちょっと考え過ぎただけだったようだ。旅先でカエルも浮かれていたのかもしれない。
 安心したら、無意識に彼に抱き付いていた。このカエルが居なくならないように。

「ユエ?」

 戸惑う彼にお休みと囁いて、1日と少しぶりの自分の部屋に戻る。
 仮眠のつもりでベッドに倒れ込んだら、程なく意識を失った。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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