77.イライ

文字数 5,467文字

 私の馬鹿げた脅しは思った以上にカエルに効いたようだった。
 何やらしばらくは落ち込んでいたようだったが、宿に戻る頃には、表面上はいつものカエルに戻っていた。

 神官サマの動向が掴めなかったので、一休みしてから酒場に向かう。何処に行っているのか、まだ部屋に戻ってない。
 入口近くで彼が来てもすぐ分かるような場所を陣取って、とりあえずエールを注文した。

 後から来るとはいえ、カエルと2人の酒場なんて初めてかもしれない。屋敷では何度か2人で飲んだ――ホットミルクだったけど――こともあるけど。
 ちょっとだけテンションが上がっている私に、カエルは冷たい目を向けていた。

「まだ1杯も空けてないのに、もう酔ってんのか?」
「酔ってる訳じゃないよ。2人の時はあんまり一緒に飲んでくれないから、珍しいなって」
「後からあいつも来るんだろ……」

 わざとらしく視線を入口に向けて、カエルはジョッキを傾けた。
 私、そんなに酒癖悪くないと思うんだけどな。男同士で飲む方がやっぱり楽しいのかな。

「お待たせしましたー」

 布地部分が少ない踊り子さんのような服を着た、肌の浅黒い、プロポーションのいいお姉さんが、料理を運んできてカエルにウィンクした。間違いなく違う

もしてるんだろう。

 昼食が食べたんだか食べてないんだか分からないような状態だったので、今夜は遠慮せず米料理を頼んでみた。無難に、お肉や野菜と炊き込んだものだ。
 カエルも興味深そうに覗き込んでいる。

 全く興味を示されないことに、残念そうな顔をするお姉さんにチップを渡して追い払い、久しぶりのお米を噛みしめる。スパイスの効いたピラフ、が一番近いかもしれない。思ってたよりお米お米していて幸せな気分になった。

「カエル、帰りにお米買って帰ろう。お願い」

 小皿に取り分けた分を口に運んでいたカエルは、何を言い出すのかとこちらを向いた。

「そんなに気に入ったのか? この、米?」
「故郷の主食に似てるの。お腹持ちもいいんだよ? 帝国で手に入るならそっちでもいいけど……お願い」

 故郷、と聞いてカエルの瞳が少し翳る。別にカエルが悪い訳じゃないのに。
 わかった、と頷いて彼は次の一口を神妙な顔で噛みしめていた。
 私よりも深刻な様子のカエルが可笑しくて、笑ってしまう。

「何だ?」

 彼は訝しげに眉を寄せる。

「そんなに深刻な顔しないで? 私はこれが家でもたまに食べられれば幸せ。別に帰りたくなった訳じゃないから」
「……そんな顔してたか?」
「してた」

 自分の頬に手を当てて困惑しているカエルにまた少し笑った。

「宝石やドレスではなく、食べ物をねだるのでは、少し色気が足りないのではないですか?」

 すとんと空いていた椅子に神官サマが座った。
 お米に夢中で、酒場に入ってきたことに全く気付いてなかったよ……
 帰ってきたばかりのようで、フードを脱ぐ仕種に周りの視線が集まってくる。それを特に気にする様子も無く、こちらを凝視している先程のお姉さんに神官サマは軽く手を上げた。

「ヤシの実のお酒を」

 ぽーっと頬を上気させてこくこくと頷いたお姉さんは、テーブルを離れる時に私に一瞥をくれた。
 あれは神官サマでなくても解る。なんでこんな娘が、という目だ。
 いや、私もここに居るのは本意じゃないのよ?

 昨夜は時間帯が遅かったからか、給仕さんは男の人ばかりだったし、周りも酔っ払いばかりであまり神官サマを気にする人はいなかった。何だか改めて目立つ人を連れてるんだなと実感した。
 正直見慣れてきていて、周りの反応が新鮮だ。

「で? 何をねだっていたのです?」
「お米です。帰ってからも食べたかったので」

 お酒以外頼む気の無い神官サマにもピラフもどきを分けてあげて、食べるようにとにっこり笑う。

「ユエは私の瞳を逆に利用するので、怖いですね。フォルティスは無意識なのですが……」

 神官サマは苦笑しながらピラフを口にした。

「帝国でも手に入りますか?」
「……帝国で流通しているのとは少し種類が違うようですね。これが欲しいなら、こちらで買っていく方が無難かもしれません」

 私はもう1度カエルにお願いをした。

「ユエには物より食べ物なんですね」

 くすくすと笑う神官サマを睨みつける。悔しいけど反論はできない。
 だって私の中でカエルへの好意は3分の1くらいお茶やご飯で占めているのだから。胃袋を捕まえるというのは絶対間違いではない。女の私が言うのもおかしい気がするけど、世の中のコックは男性が多いんだし、間違ってはいないよね。
 神官サマのお酒がきてから、改めてお疲れ様ですと乾杯をした。

「何か分かりましたか?」

 つまみ系の料理も並んでお腹がそこそこ満足する頃、本命の話題を振る。

「そうですね。明日か明後日の夜ということですので、夜の森の様子を見てから決めましょう。で、情報料代わりに一仕事頼まれてしまったので、明日は半日一緒してもらえますか?」

 神官サマはカエルを見ていた。

「ユエも、か?」
「どちらでも。頼まれたのは前に仕事を頼んだ冒険者の安否の確認と、現状の把握ですので」

現状の把握だ?」

 神官サマはうっすらと微笑んでいたが、その眼は笑っていなかった。

「この街の北側にある旋石(つむじいし)の採掘場付近で、蠍による被害が増えていたそうです。ある程度の駆除を冒険者に頼んだようですが、戻って来ないと。旋石はこの辺りの主要交易品ですから、鉱山(やま)に入れないのは死活問題なので、とりあえず確実な情報が欲しいから、危ないと思ったら戻ってきていいそうです」

 カエルは私を見る。微妙な顔だ。

「置いて行かれるよりは、一緒に行きたいかな」
「そりに乗っていればそう危なくもないと思いますが。先日使った魔道具もありますし」

 しばらく渋い顔をして黙っていたカエルだったが、私をひとり置いて行く方が嫌だったようで、毒対策など万全にすることを条件に了承していた。
 神官サマは癒しも使えるのを知っているので、私はそれはそれ程心配していない。
 それよりも、うきうきと「油を買い込みましょう」と、別方向にやる気満々な神官サマが心配だった。
 危なかったら帰ってくるんだよね!?

 明日は早いということで早めのお開きにしたのだが、酒場を出る時、あのお姉さんが神官サマに声を掛けていた。
 先に戻っていいと軽く手を振って示されたので、私達はそのまま酒場を後にする。
 この街には教会はないようだったので、彼女が信者という線はないだろう。やっぱり、夜のお誘いなのかな? 受けるのかな?

 カエルは彼の秘密を知る前から、そういうのは受けないと思っていたから考えたことも無いけど、神官サマがどうなのかは想像がつかない。
 フォルティス大主教の弁によると、女性に不自由したことはなさそうだった。向こうから近づいてくるというのはこういうことなのだろう。
 他人事(ひとごと)なのに私はひとりでどきどきしていた。

 ◇ ◆ ◇

 次の日の朝食の時、神官サマが肩を震わせて、受けてませんよ、と言った。
 カエルはきょとんとしていたが、私はとても恥ずかしかった。
 確かに、凄く、気になっていたけれど! わざわざ答えてくれなくても!

「彼女は商売でしたからね。お金を払うことはありません」

 それは、お金が絡まなければウエルカム、ということだろうか。
 神官サマはそれ以上は何も言わず、時々思い出したように喉の奥で笑っていた。
 もう!

 昨日の宣言通り油を買い込んで、北に向かう。
 この街は朝には朝の、夜には夜の露店が出るようで、どの時間帯でも買物に困ることはないらしい。
 リアルに眠らない街ということだ。

 件の鉱山まではなんとなく道のような物があり、それに沿って進みさえすれば迷うことはないようだ。
 早朝の気温の上がりきらないうちに移動してしまいたい。現地までは鐘1つ分くらいということだった。

 カエルと神官サマが交代で御者をしていたので、私は時々切れ込みから顔を出して前方を確認していた。
 昼間は後方の景色は退屈すぎる。

 少し走ると、右前方に岩山が連なる様子が見えてきた。
 所々、誰かが斬りつけたように谷になっていて、そこを風が通り抜けると、ビル風のように風速が増すようだ。
 斬り込みの角度や深さ、風向きでその日の風が複雑に変わり、風を読む専門の職があるのだと神官サマが教えてくれた。

「旋石が採れるということは、もしかして魔素が濃い場所なんですか?」
「その通りです。魔獣系は出会うと厄介な物が多いでしょうね。今回は奥まで行くつもりはないので大丈夫だと思いますが」

 油を3樽も買い込んでおいて、にっこり笑われても、イマイチ信用に欠けるんだけど。

 鉱山入口の、休憩用の掘っ立て小屋がある開けた場所へそりを乗り入れ、カエルが周囲を確認してくれた。
 何匹か蠍が潜んでいたようだけど、それくらいは普段でもいるらしい。
 建物よりもそりと砂トゲトカゲ達といる方が安全らしく、そり周辺から離れるなと念を押された。

 鉱山というと坑道に入っていくイメージだったが、旋石は風に晒されていなければそもそも出来ないのだ。
 この広場から見える実際の採掘現場は、さながら採石場のようだった。
 よう、というか。石を採るのだからまんま採石場なのか。
 大小様々に切り出された石の壁に沿って、細い道が続いている。こうして見ている限りでは特に異変はない。

「冒険者らしき人影も見当たりませんね。何かあって逃げ出した、とかならまだ良いのですが」
「下りてみるか?」

 採石場へは少し下りになっており、石の迷路のような現場には、ときおり風が何処からか吹き付けて、笛のような甲高い音が聞こえてきたりする。

「ユエはこの辺で待ってろ。何かあったらそれを発動させて、そりに乗ってろ」

 私は神官サマに持たされた魔道具を握りしめて、こくこくと頷いた。
 カエルは腰の剣を抜いて手にしたまま道を下りていく。その後を神官サマがゆっくりとついていった。

 切り出されて放置されているのか、そこだけ残された物なのか、林立している石柱の手前で神官サマは立ち止まり、カエルはひょいとその1つに登っていった。
 カエルの背丈の倍くらいあるそれに登っていく姿を見ていると、彼の周りだけ重力が弱いんじゃないかと思わされる。

 幾つか石柱を渡り歩いて、奥の方まで確認しに行くと、一旦神官サマの所まで戻り、上から何やら話しかけていた。
 ここからでは表情が見えないので、なんだか緊張する。
 結局、そのまま2人は戻ってきた。

「どうだったの?」
「奥に蠍の出入りする割れ目があった。幾つかあるんだが、中で繋がってそうな予感がする」

 カエルは溜息を吐いた。

「冒険者の装備の切れ端みたいなのが転々と落ちてたりしたから、彼等は多分……」

 ゆるゆると首を振るカエルにかける言葉は見つからなかった。

「……じゃあ、戻って報告してお終い?」

 カエルと神官サマが顔を見合わせた。

「蠍も、異常繁殖している可能性がある。姿は見えないが、嫌な音がしてる」
「せっかく油も買い込みましたので、少し燃やしていこうかと」

 少し首を傾げてふふと笑う神官サマは、火遊びしたがる少年のようだった。
 規模が違うけどね。

「カエル。悪い遊びは覚えない方が良いよ?」
「は?」

 カエルは真面目に異常繁殖を心配してるだけで、私の言わんとすることを解っていなかった。
 やることは同じなんだろうけど……
 呆れた瞳で神官サマを見たが、彼はそんな私をにこにこと楽しそうに見ているだけだった。

 魔法という切り札まで見せて、自分のやりたいことに付いてきてくれる、あるいは付いてこられる人材と(つる)めて嬉しいのだろう。
 あんまり危ないことに付き合わせないで欲しいんだけどな。
 カエルがやる気になってるなら、止めないけど。

「……じゃ、私は大人しく待ってれば良いのね?」
「念の為それ発動しとけ」

 そう言うとカエルは油の詰まった樽を2つ抱えて行ってしまった。
 後を追おうとする神官サマの袖を引く。

「予測してましたね? あんまりいいように使わないで下さい」
「彼が居るなら出来ることを考えただけですよ。1番確実で、1番被害が少ない。とても効率的です。彼ひとりに押し付ける訳でもないのですから、いいでしょう?」
「予測してるなら、伝えておいて下さい。それで断るような人じゃありません。危険は更に減ります」
「彼が私と同じ結論に至るかは直面するまで判りません。先に言ってしまえば彼は私の言葉に流されるかもしれません」
「オアシスでの彼の言動を見たなら明らかでしょう? 彼の意見を尊重すると言うのなら、話した上でも尊重してあげて下さい。信頼とはそうやって築いていくものです」

 神官サマは少し驚いた顔をした。

「私が、彼と、信頼?」

 無理だと、そう思っているのが解る。

「アリジゴクの時も、ちゃんと神官サマを信頼してたじゃないですか。そういうのは好き嫌いで判断する人じゃないんです。もっと仲良くなりたいなら、きちんと話して下さい。あなたも彼を信頼してますと見せることで、変わるものもあるはずです」

 カエルが訝しげにこちらを振り返った。
 私は神官サマの袖を離す。

「カエルやフォルティス大主教のような人には、きっとその方が上手くいくと思います」
「フォルティス?」
「その方が喜びますよ」

 私が彼の腕を軽く押して促すと、神官サマは戸惑いの表情のまま歩き出した。
 すぐには変われない。それは皆同じだ。変わらなくていいものもある。
 私は黙って2人が坂を下りていくのを見守っていた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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