68.ヨルを越えて
文字数 3,784文字
神官サマと話しているうちに空は明るさを増していた。
一日の始まりを告げる鐘が鳴る前には、フォルティス大主教も起き出してきて、既に起きて話し込んでいる私達に驚いていた。
大主教もあの唄で寝てしまったのか聞いてみると、慌てて耳を塞いでやり過ごしたのだと笑っていた。あの後すぐに神官サマは座ったまま仮眠をとり、夜中に交代して眠りについたのだという事だった。
結局こうして朝まで何事も無かったので良かったと、彼は少し伸びた髭を撫でていた。
鐘が鳴り人々が動き出し始めてから、私はカエルの元へ送り届けられた。
部屋へと続く廊下の角を曲がったら、ドアの前でこちらを睨みつけていたカエルが弾かれたように駆け出してきて、その勢いのまま私に抱きついた。少し持ち上げられて、足が床から浮いてしまっている。
「カ、カエル。恥ずかしい」
神官達の朝は早い。この時間でも廊下には沢山の人が行き来していた。昨日の出来事を知らない人々が、何事かと好奇の視線を寄せるのは当然のことだ。
両手でカエルの身体を押しやって離すと、すとんと降ろされた。
今度は一歩離れて頭の先から爪先まで確認される。その険しい瞳の下に少し隈が出来ていた。
「……寝てないの?」
「眠れる訳がない」
気が済むまで眺め回すと、もう一度ぎゅっと抱き締められた。
「90点」
ぼそりと神官サマの声が聞こえた。
だから、なんの点数?!
その場では目立つからと、とりあえず全員でカエルの部屋に移動する。
一連の情報のすり合わせと、今後の予定を立てる為だ。
「――という感じで後は国の方に任せるしかない。追々関わりのある奴らにも手は伸ばされるだろう」
「その後始末に少し時間を取られるかもしれないので、しばらく帝都観光でもしてゆっくりしていて下さい。連絡係にジョットさんを使えばいいでしょう」
代書屋さんもすぐ解放してはもらえないのか。ホント大変だね。
「滞在の融通の利く宿は、こちらと、こちら……あと、ここも。お薦めはこちらですかね。客層がしっかりしていて、従業員の教育が行き届いています」
カエルと神官サマが地図を前に滞在する宿をチェックしている。滞在費は神官サマ持ちらしいので、多分、一番高い宿を選びそうな気がする。
「通行証はそのままお持ちいただいて、図書館を利用する際にでも使って下さい。もうこちらでユエさんに手を出そうなどと思う者はいないでしょうから、安心して使って下さいね」
何をした? というカエルの問い詰めるような瞳に、神官サマはただ薄く微笑んでいるだけだった。
「ああ、1つお願いが。貴方の使うあの仕込みナイフ、数を増やしてもらえませんか? その方が砂漠越えが楽になると思います。お調べになると思いますので先にお伝えしますが、少し砂漠の生き物達に異変があるようなので、念には念を入れておくべきですよね?」
「わかった」
渋々と返事をして、カエルは少し考え込んだ。
「この辺で火薬が手に入るのは」
「こちらとこちらで扱っています。変に疑われてもなんですから、こちらから一筆入れておきます。私の名を――あ、いえ。フォルティスの名を出して下さい」
「お前の名でも問題無いぞ。お前は何年経とうが忘れられるということは無い」
「それでは私がこちらに戻ってきたみたいではありませんか」
「戻ることになるやもしれんぞ」
神官サマは珍しくそれと判るほど顔を顰めた。
「そうならないように努力いたしますよ」
「努力の方向性が違うっ」
フォルティス大主教は蟀谷 を押さえながら、深々と溜息を吐いた。
◇ ◆ ◇
宿を決めてしまうと、代書屋さんも含めて皆で朝食をとった。
彼は引き続きこちらに滞在して、私達との橋渡しをしてくれるようだ。タダだしね、と肩を竦める仕種が、もう色々諦めてますと物語っていた。
その朝食の席で神官サマに先程の『一筆』を代書させられて、若干不満そうだったけど、その為の道具がどこからか出てくるのは、さすがに本職を忘れてないのだと妙に感心した。
「本職で稼げた方が嬉しいでしょう?」
「えぇ、えぇ、そうですね。で、これを届けるのも僕なんでしょう? はい、署名をお願いします」
ペンを渡されてうっかり署名しかけて、神官サマは慌ててフォルティス大主教にペンを差し出した。
「だから、お前の名前でもいいというのに」
「レモーラの流れでうっかりするところでした」
ゆるゆると首を振りながら代書屋さんをちょっと睨むと、神官サマはお茶に口を付けた。
「ル、ルーメン主教の署名じゃなかったのですね?」
代書屋さんはわざとじゃないよ、と青褪めたまま笑顔を作る努力をしていた。
「どちらでも構わんのだ。こいつが頑ななだけで。ほら、悪いが届けるとこまで頼む」
署名を終えた用紙をふたつに畳むと、フォルティス大主教はそれをペンと共に代書屋さんに差し出した。
彼は丁寧に受け取ると、さらにふたつに折りたたんで懐に仕舞い込む。
「火薬ってことは、カエル君の仕込みナイフに使うの?」
「作れって言われたんでな。後でいい武器屋があれば紹介してほしい」
神官サマをちょいちょいと指差して、カエルは肩を竦めた。
「ナイフだと……ちょっと遠くてもいい?」
「構わん。時間はありそうだ」
「石扱ういい店も知ってるよ。後で纏めて教えるね」
用意してもらった馬車に代書屋さんも一緒に乗り込むと、神官サマとフォルティス大主教に見送られて中央神殿を後にする。
何はともあれ無事に終わって良かった。通訳の件もばれなかったし。
総主教の許可証だと言うアームレットはそのままもらい受けてきた。教団関係で何かあれば突き出してやるといい、なんて言われたので結構えげつない許可証なんだろう。聞くのが怖いので、知らないままにしておく。
道の途中で代書屋さんを降ろして、馬車は宿に向かった。
カエルがちょっとうとうとしていて、時々頭を振っている。
寝ちゃってもいいのに。
言ったって聞かないので、呆れながらも黙っていた。
着いた宿はいかにも歴史のありそうな重厚な石造りの宿だった。御影石の様な黒っぽい石がふんだんに使われていて、高級感を醸し出している。
馬車の扉を開けたベルボーイが荷物を預かってくれて、教団からの紹介だと名前を告げると、承っておりますと案内された。
朝食中に手を回したのだろうか。気付かなかった。
階段をどこまで登るのかと嫌な予感がしてきた頃、最上階に着いた。奥まった部屋の両開きのドアを開け放ち、ベルボーイはにっこりと笑う。
「何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」
「では、早速」
は? と彼は笑顔のまま間抜けな声を出した。
「1人用の部屋を2つ、用意し直してください。鍵が掛かるなら、続き部屋でもよしとします」
はあ、とまだ納得のいっていない顔で、とりあえずこのお部屋でお待ち下さいと言って彼は下がっていった。
恐らく神官サマの嫌がらせだろうその部屋は、キングサイズのベッドが入ったスイートルームだった。せっかくなので待ち時間くらいは堪能してやる。
大きな窓からは帝都が一望できる。ソファは柔らかく、座ると沈み込むようだ。良く磨かれた曇りひとつ無い氷板石のテーブルにはティーセットが一式置かれていた。
「別に変えなくても良かったんじゃないか?」
ぐるりと部屋を見渡してカエルが言った。
「一緒に寝てくれるの?」
「違う。俺が部屋を変えればいいだけだ」
「やだよ。こんな広い部屋。落ち着かないし寂しくなる」
口を尖らせるとカエルは苦笑した。
「こんな部屋、泊まれる機会もうないぞ」
「庶民には過ぎた部屋です」
しばらくして戻ってきたベルボーイが次に案内してくれたのは、リビングの他に寝室が2つあるような部屋だった。ちゃんと鍵もそれぞれの部屋についている。
神官サマめ、こういう部屋もあるって知っててやってるな。
「いかがでしょう?」
カエルに目をやると頷いていたのでここで良しとする。
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
「はい。ではごゆっくりお寛ぎ下さい」
今度こそにこやかに彼は退出して行った。
お互いに荷物を片付けてしまって、リビング部分で一息つく。早速カエルがお茶を入れてくれた。
「昨夜もお茶とパンありがとうね。美味しかった」
「いや。そのくらいしか出来なかった」
宙を睨んで、カエルはカップに口を付ける。
「もう今日はゆっくりしよう? 何処にも行かないから、着替えて少し寝ればいいよ」
「ジョットが来るかもしれないだろ?」
「来たら起こしてあげるよ。膝枕でもしようか?」
膝枕は断られたが、普段着に着替えたカエルはソファで横になると躊躇いがちに手を貸してくれと言った。
寝ると言っているのに執事用の手袋を嵌めていて、外すよう言っても、いいんだとその手で軽く指を絡めた。
私はお茶が飲めるようにソファと床の間に座り込んで、背をソファに預ける。体勢を整えてしまうとカエルはすぐに眠ったようだった。
私が思っている以上に心配をかけたのかもしれない。時々確かめる様にきゅ、と指先に力が篭る。
お茶をゆっくり飲んでから、カエルを起こさないようにそっと体勢を変える。少し横を向いて頭をソファに乗せ、しっかりと手を組み直してから私も目を瞑った。
代書屋さんがドアをノックをするまで、私はそうやってカエルの傍で夢うつつを楽しんでいた。
一日の始まりを告げる鐘が鳴る前には、フォルティス大主教も起き出してきて、既に起きて話し込んでいる私達に驚いていた。
大主教もあの唄で寝てしまったのか聞いてみると、慌てて耳を塞いでやり過ごしたのだと笑っていた。あの後すぐに神官サマは座ったまま仮眠をとり、夜中に交代して眠りについたのだという事だった。
結局こうして朝まで何事も無かったので良かったと、彼は少し伸びた髭を撫でていた。
鐘が鳴り人々が動き出し始めてから、私はカエルの元へ送り届けられた。
部屋へと続く廊下の角を曲がったら、ドアの前でこちらを睨みつけていたカエルが弾かれたように駆け出してきて、その勢いのまま私に抱きついた。少し持ち上げられて、足が床から浮いてしまっている。
「カ、カエル。恥ずかしい」
神官達の朝は早い。この時間でも廊下には沢山の人が行き来していた。昨日の出来事を知らない人々が、何事かと好奇の視線を寄せるのは当然のことだ。
両手でカエルの身体を押しやって離すと、すとんと降ろされた。
今度は一歩離れて頭の先から爪先まで確認される。その険しい瞳の下に少し隈が出来ていた。
「……寝てないの?」
「眠れる訳がない」
気が済むまで眺め回すと、もう一度ぎゅっと抱き締められた。
「90点」
ぼそりと神官サマの声が聞こえた。
だから、なんの点数?!
その場では目立つからと、とりあえず全員でカエルの部屋に移動する。
一連の情報のすり合わせと、今後の予定を立てる為だ。
「――という感じで後は国の方に任せるしかない。追々関わりのある奴らにも手は伸ばされるだろう」
「その後始末に少し時間を取られるかもしれないので、しばらく帝都観光でもしてゆっくりしていて下さい。連絡係にジョットさんを使えばいいでしょう」
代書屋さんもすぐ解放してはもらえないのか。ホント大変だね。
「滞在の融通の利く宿は、こちらと、こちら……あと、ここも。お薦めはこちらですかね。客層がしっかりしていて、従業員の教育が行き届いています」
カエルと神官サマが地図を前に滞在する宿をチェックしている。滞在費は神官サマ持ちらしいので、多分、一番高い宿を選びそうな気がする。
「通行証はそのままお持ちいただいて、図書館を利用する際にでも使って下さい。もうこちらでユエさんに手を出そうなどと思う者はいないでしょうから、安心して使って下さいね」
何をした? というカエルの問い詰めるような瞳に、神官サマはただ薄く微笑んでいるだけだった。
「ああ、1つお願いが。貴方の使うあの仕込みナイフ、数を増やしてもらえませんか? その方が砂漠越えが楽になると思います。お調べになると思いますので先にお伝えしますが、少し砂漠の生き物達に異変があるようなので、念には念を入れておくべきですよね?」
「わかった」
渋々と返事をして、カエルは少し考え込んだ。
「この辺で火薬が手に入るのは」
「こちらとこちらで扱っています。変に疑われてもなんですから、こちらから一筆入れておきます。私の名を――あ、いえ。フォルティスの名を出して下さい」
「お前の名でも問題無いぞ。お前は何年経とうが忘れられるということは無い」
「それでは私がこちらに戻ってきたみたいではありませんか」
「戻ることになるやもしれんぞ」
神官サマは珍しくそれと判るほど顔を顰めた。
「そうならないように努力いたしますよ」
「努力の方向性が違うっ」
フォルティス大主教は
◇ ◆ ◇
宿を決めてしまうと、代書屋さんも含めて皆で朝食をとった。
彼は引き続きこちらに滞在して、私達との橋渡しをしてくれるようだ。タダだしね、と肩を竦める仕種が、もう色々諦めてますと物語っていた。
その朝食の席で神官サマに先程の『一筆』を代書させられて、若干不満そうだったけど、その為の道具がどこからか出てくるのは、さすがに本職を忘れてないのだと妙に感心した。
「本職で稼げた方が嬉しいでしょう?」
「えぇ、えぇ、そうですね。で、これを届けるのも僕なんでしょう? はい、署名をお願いします」
ペンを渡されてうっかり署名しかけて、神官サマは慌ててフォルティス大主教にペンを差し出した。
「だから、お前の名前でもいいというのに」
「レモーラの流れでうっかりするところでした」
ゆるゆると首を振りながら代書屋さんをちょっと睨むと、神官サマはお茶に口を付けた。
「ル、ルーメン主教の署名じゃなかったのですね?」
代書屋さんはわざとじゃないよ、と青褪めたまま笑顔を作る努力をしていた。
「どちらでも構わんのだ。こいつが頑ななだけで。ほら、悪いが届けるとこまで頼む」
署名を終えた用紙をふたつに畳むと、フォルティス大主教はそれをペンと共に代書屋さんに差し出した。
彼は丁寧に受け取ると、さらにふたつに折りたたんで懐に仕舞い込む。
「火薬ってことは、カエル君の仕込みナイフに使うの?」
「作れって言われたんでな。後でいい武器屋があれば紹介してほしい」
神官サマをちょいちょいと指差して、カエルは肩を竦めた。
「ナイフだと……ちょっと遠くてもいい?」
「構わん。時間はありそうだ」
「石扱ういい店も知ってるよ。後で纏めて教えるね」
用意してもらった馬車に代書屋さんも一緒に乗り込むと、神官サマとフォルティス大主教に見送られて中央神殿を後にする。
何はともあれ無事に終わって良かった。通訳の件もばれなかったし。
総主教の許可証だと言うアームレットはそのままもらい受けてきた。教団関係で何かあれば突き出してやるといい、なんて言われたので結構えげつない許可証なんだろう。聞くのが怖いので、知らないままにしておく。
道の途中で代書屋さんを降ろして、馬車は宿に向かった。
カエルがちょっとうとうとしていて、時々頭を振っている。
寝ちゃってもいいのに。
言ったって聞かないので、呆れながらも黙っていた。
着いた宿はいかにも歴史のありそうな重厚な石造りの宿だった。御影石の様な黒っぽい石がふんだんに使われていて、高級感を醸し出している。
馬車の扉を開けたベルボーイが荷物を預かってくれて、教団からの紹介だと名前を告げると、承っておりますと案内された。
朝食中に手を回したのだろうか。気付かなかった。
階段をどこまで登るのかと嫌な予感がしてきた頃、最上階に着いた。奥まった部屋の両開きのドアを開け放ち、ベルボーイはにっこりと笑う。
「何かございましたら、何なりとお申し付け下さい」
「では、早速」
は? と彼は笑顔のまま間抜けな声を出した。
「1人用の部屋を2つ、用意し直してください。鍵が掛かるなら、続き部屋でもよしとします」
はあ、とまだ納得のいっていない顔で、とりあえずこのお部屋でお待ち下さいと言って彼は下がっていった。
恐らく神官サマの嫌がらせだろうその部屋は、キングサイズのベッドが入ったスイートルームだった。せっかくなので待ち時間くらいは堪能してやる。
大きな窓からは帝都が一望できる。ソファは柔らかく、座ると沈み込むようだ。良く磨かれた曇りひとつ無い氷板石のテーブルにはティーセットが一式置かれていた。
「別に変えなくても良かったんじゃないか?」
ぐるりと部屋を見渡してカエルが言った。
「一緒に寝てくれるの?」
「違う。俺が部屋を変えればいいだけだ」
「やだよ。こんな広い部屋。落ち着かないし寂しくなる」
口を尖らせるとカエルは苦笑した。
「こんな部屋、泊まれる機会もうないぞ」
「庶民には過ぎた部屋です」
しばらくして戻ってきたベルボーイが次に案内してくれたのは、リビングの他に寝室が2つあるような部屋だった。ちゃんと鍵もそれぞれの部屋についている。
神官サマめ、こういう部屋もあるって知っててやってるな。
「いかがでしょう?」
カエルに目をやると頷いていたのでここで良しとする。
「ありがとうございます。宜しくお願いします」
「はい。ではごゆっくりお寛ぎ下さい」
今度こそにこやかに彼は退出して行った。
お互いに荷物を片付けてしまって、リビング部分で一息つく。早速カエルがお茶を入れてくれた。
「昨夜もお茶とパンありがとうね。美味しかった」
「いや。そのくらいしか出来なかった」
宙を睨んで、カエルはカップに口を付ける。
「もう今日はゆっくりしよう? 何処にも行かないから、着替えて少し寝ればいいよ」
「ジョットが来るかもしれないだろ?」
「来たら起こしてあげるよ。膝枕でもしようか?」
膝枕は断られたが、普段着に着替えたカエルはソファで横になると躊躇いがちに手を貸してくれと言った。
寝ると言っているのに執事用の手袋を嵌めていて、外すよう言っても、いいんだとその手で軽く指を絡めた。
私はお茶が飲めるようにソファと床の間に座り込んで、背をソファに預ける。体勢を整えてしまうとカエルはすぐに眠ったようだった。
私が思っている以上に心配をかけたのかもしれない。時々確かめる様にきゅ、と指先に力が篭る。
お茶をゆっくり飲んでから、カエルを起こさないようにそっと体勢を変える。少し横を向いて頭をソファに乗せ、しっかりと手を組み直してから私も目を瞑った。
代書屋さんがドアをノックをするまで、私はそうやってカエルの傍で夢うつつを楽しんでいた。