18.孤児院とネコミミ少女
文字数 7,229文字
迎えに来てくれたカエルの口に数枚のうちの1枚を突っ込み、渋々ではあるけれど「うまい」と言わせて満足する。
残りはポケットにしまって夜食にしよう。
「……孤児院って……孤児院か」
口元を拭いながら、カエルは渋い顔をした。
と、いうことはやっぱり。
「教会関係、だよね?」
慈善事業をする組織は他に思い付かない。孤児院と言えば教会。そんなイメージだ。
私はお菓子の相談を又聞きで受けただけだし、特に不安要素は無いはずだ。
無い、はずなのに、そこはかとない不安を感じるのは何でだろう? 考えすぎかなぁ。
「確かに教会に併設されてる。補助も受けてるんだろう。だが、一応はシスターひとりでやってるみたいだぞ。俺はそんなに詳しくないが……」
「そうなんだ。じゃぁ、行くことがあっても大丈夫かなぁ」
別にあの神官に会ったとして、どうこうすることもないし普通にすればいいのだろうけど、テリエル嬢もカエルも必要以上に避けている気がする。
私が教団の欲する人材だったとしても、ちょっと警戒し過ぎだ。
流石に攫ってまで何処かに連れて行こうとはしないだろう。
……しないよね? あれ?
カエルに半眼で睨まれつつも、仕事で頼まれれば断る訳にもいかないだろう。それは解っているようで、断れとか、行くなとは言わなかった。
「坊主の知り合いがいるんだったか? 行くなら出来るだけ誰かと一緒に行け」
「……善処します」
そして、嫌な予感とか不安って言うものは当たるものなのだ。
人はそれをフラグという。
数日後、クロウが孤児院に呼び出されて行った。
◇ ◆ ◇
「なんで、女ってああなんだ?!」
帰ってきて、第一声がそれである。
「……なんかあったの?」
とりあえず聞いてみる。何となく、察しはついていたのだが。
「孤児達には当日まで内緒にしたい。でも人手は足りない。手伝うのはいいさ。飾り付けをやれって言うならやるよ? でも、そのセンスを信用できないからどうにかしろって、どういうことだよ!」
悪いと思ったが、笑ってしまった。
確かに一部の男子にはめんどくせーとか、適当でいいだろ? 祝う心が大事だ、とか言って会場設営には頓着しない人もいる。
アルデアにはクロウはそう見えているということだ。
「笑うな! 信用できないなら、俺に頼むなよ! だろ?!」
いやいや、それは……
そして、クロウがひとりじゃ無理だって、アルデアにSOSを出すのを待ってるんじゃ。
「アルデアちゃんに、なんとか一緒にやってくれって頼めばいいだけなんじゃない?」
「はぁ?! あいつが俺に頼んできてるのに、なんで俺が逆に頼まなきゃいけねーんだよ!」
それも正論である。
あれだ。アルデアちゃんはツンデレ属性持ちと見た。素直じゃない。
このあいだ睨まれた気がしたのも、そういうことなんだろう。
にやにや見守っていたら、ふとクロウが怒るのをやめて、そしていかにも良いことを思い付いたという風ににやりと笑った。
「そうか。ユエを連れてけばいいんだ」
え。
「……それは、拙いんじゃない?」
「孤児院まですぐそこだし、昼時過ぎれば大丈夫だろ? パーティーは4刻に始めるって言ってたし」
いや、そっちじゃないよ?!
「ユエなら
まずい。クロウの中で決定事項になってる。
私、手伝ってもいいけど、そのせいで敵は増やしたくないよ!
「ちょ、ちょっと待って! 知らない人たちの所にいきなり行くのはやだよ。せ、せめて事前に顔合わせというか、事情をすり合わせてくれないと!」
クロウはきょとんとする。
「ユエってそんな人見知りか?」
「人見知るよ! するから、そこはちゃんとして!」
ちょっと、自分でも何を言ってるのかよく分からなくなったけど、勢いに押されてクロウは承知してくれた。
ちょうど明日の朝、パンを届けると言うので、少し早く来て一緒に行くことにする。
次の日の朝、健康チェック中のカエルとテリエル嬢に早く行くことを告げて屋敷を後にした。
色々煩いだろうとわざとぎりぎりまで言わなかったのだ。
案の定、カエルの呼ぶ声が聞こえた気がするが、心の中で舌を出して駆けて行く。
水べりで身支度を整える人や、これから朝食を準備するだろう女の人達。朝の風景はのんびりしたものだ。
たまに会う店の常連さんと挨拶をしたりもして、息を切らせて店に飛び込んだ。
「ユエ? 早いな。ひとりか?」
ルベルゴさんが目を丸くしている。
「えっへへー。おはようございます!」
私の笑顔を見て、彼は苦笑を浮かべる。
「怒られっぞ!」
「ちゃんと、声は、かけてきましたよ」
ちょっと息を整える。
どうせ昼にはカエルも来るだろう。来なくていいと言ったって来るのだ。大丈夫だってことをたまには行動で見せれば、何か変わるかもしれない。
「クロウは?」
「下で用意してる。一緒に孤児院に行くんだって?」
「うん。アルデアちゃんに変な誤解されたくないし、手伝いに行くことになるならシスターとも挨拶しておきたいから……」
アルデアの名前にルベルゴさんは噴き出して、あれはクロウの保護者ぶりたがるからな、と笑っていた。
酒場ではクロウとサーヤさんがパン籠に焼きたてのパンを詰めていた。
「おはようございます」
「おー」
「おはよう。ユエちゃんこっちの籠お願いね」
「はい」
焼きたてのパンの香りが鼻腔をくすぐる。
お腹が鳴りそうだ。
「朝食べた? まだなら焼き立てをどうぞ。お手伝いしてくれる代わりに好きなだけ食べていいわよ」
サーヤさんが嬉しいことを言ってくれる。
「ありがとうございます! 遠慮なく、いただきます」
濃いめのお茶とバターもつけてくれて、私はスコーンのようなそのパンを美味しくいただく。
シアワセ♪
「あんまり食うとデブるぞ」
クロウはにやりと笑った。
これを毎日食べられるなんて、贅沢なんだぞ!
名残惜しいが程々でやめて、孤児院へと向かわねばならない。このパンを待っている子達がいるのだ。
クロウと並んでカナートを横目に歩いていく。
それっぽい建物を見た記憶がなかったのだけれど、そのはず。それは教会の裏手にひっそりと建っていた。
木造の簡素な造りだが、それなりの形は整っている。一応2階建てで、入口には『レモーラ孤児院』と申し訳程度に看板が掲げられていた。
「ここで暮らしてる孤児たちは5人だけど、農作業や仕事中に預けたい人たちの子も見てくれるんだ。ルディも下の子を連れて来てるから、自然に孤児院を手伝うことになったんだろうな」
とはいえ、繁忙期には赤ん坊は背負って、動ける子は手伝いで農作業に駆り出されるらしい。
もうすぐ種蒔きの季節だから、その前に春生まれの子供たちを祝ってあげたいのだそうだ。
「レモーラって、シスターの名前?」
何気なく聞いたつもりだったが、クロウは呆れた顔をした。
「レモーラはこの村の名前だろう? ホント、ユエってオカシイよな」
言いながらクロウはドアを開けた。
おかしくないよ! 誰も村の名前教えてくれなかったんだよ!
監獄半島っていう呼び方が強烈過ぎて、村の名前なんてどうでもよかったっていうのもあるけど……
「おはようございまーす! パン届けに来ましたー」
「はい。いつもありがとうございます」
優しそうな女の人の声がした。
深いグリーンの髪をかっちりと纏め上げ、シンプルな黒のワンピースに、肩を覆う程度の短い白のマントを羽織ったような出で立ちのシスターが、水色の瞳でこちらを見ながらやってきた。
「あら。初めまして、かしら。クロウ、紹介して下さる?」
「ユエだ。最近うちで手伝ってもらってる。例のハナシも手伝ってもらおうかと思って」
私はお嬢様の礼をして、口を開いた。
「ユエです。お手伝いする前にご挨拶だけでもと思いまして、連れて来てもらいました」
「私はマーテル。一応、孤児院の院長ですわ」
軽く握手を交わす。
「ルディも来てるだろ? ルディー?」
クロウは部屋の中に身を乗り出して覗き込み、声を掛ける。アルデアが気付いたのか、彼は手招きをしていた。
玄関まで出てきたアルデアは、私の顔を見て思いっきり顔を顰めた。
やっぱりね。
「例のハナシ、ユエにも手伝ってもらおうと思って。ちょっと外で話そう」
「誰?」
不満と不信とを隠そうともしない声が清々しい。
パン籠を一旦机に置いてから、私達は玄関を出てドアを閉めた。
「ユエです。ルベルゴさんの宿でお手伝いさせてもらってます。本職は通訳なんですけど」
「……アルデアよ」
通訳と聞いて彼女の警戒は少し緩んだようだ。よしよし。
「あいつら連れ出してる間に部屋の中の飾り付けとかしとけばいいんだろ? ユエはこう見えて大人だし、俺よりはセンスあるだろうから手伝ってもらおうと思ったんだ。マーテルとアルデアに挨拶しときたいって言うから連れて来てみた」
大人、という所にぴくりと反応する彼女。
「まぁ。私達はそうしてもらえると、とても助かりますわ。頼んでも? ユエさん」
「もちろんです。誰にも信じてもらえないんですけど、私20歳なんですよ。頼りにして下さい」
「……頼りになるかどうかは、別だけどなー」
ぼそりとクロウが呟く。
うるさい!
「……はた…はたちって……」
アルデアがちょっと震えている。
「クロウ?! あなた、そんな年上の人にこの間怒鳴りつけてたの?!」
「あれは、ユエが悪いんだ」
「……! ……呼び捨てだし!」
「いいだろ。仕事は俺が先輩だ。ユエだって別に何とも思ってない」
何とも思ってなくはないよ!
ばっ、と勢いよく彼女はこちらを向いた。
「あなた、それでいいの?!」
「……えぇと……私世間知らずみたいで……みんなに怒られるんです。あ、でも、仕事はちゃんとしますよ。仕事でクロウに怒られるようなことはしてないです」
「まぁ、そうだな。仕事はな。そこそこ頼りになると言ってやってもいい」
一発殴ってもいいかな?
ちょっと拳に力が入った。
くすくすと控えめな笑い声が割って入る。
「アルデア、大丈夫よ。手伝ってもらいましょう」
アルデアは複雑な表情だ。少なくとも私にはそういう気持ちが無いだろうということは伝わったと思いたい。
「できれば、子供達とも顔を合わせておきたいんですけど、紹介してもらえますか?」
「そうね。その方がいいわね。ちょっと、難しい子もいるのだけれど気にしないでね?」
「大丈夫です」
私は頷くとシスターの後に付いて孤児院の中へと足を踏み入れた。
部屋の中には10人ほどの子供がいて、1人はクロウやアルデアと同じくらいの女の子。おさげ髪の大人しそうな少女で、小さい子に絵本を読んであげている。
あとは、はいはいしている子が1人、5歳から7歳くらいの男の子達は駆け回っており、14、5歳くらいの男の子が1人皆をまとめようとてんてこ舞いしている。まだ少しあどけなさの残る顔をしていて、癖のあるオレンジの髪が特徴的だ。
「ナランハ」
シスターが声を掛けると、オレンジ色の髪の彼が振り向いた。
「最年長のナランハ。そろそろここを出ていかなければならない年齢なのだけど……私が至らないばかりに院の手伝いを優先してくれているの」
「こんにちは……クロウのお知り合いですか?」
彼は、はいはいしていた赤ちゃんを抱き上げ、私の後ろにクロウを見つけると微笑んでそう言った。
「ユエと言います。ルベルゴの宿でお手伝いさせてもらってます。こちらに顔を出すことも増えるかもしれませんので、ご挨拶に」
「ご丁寧にありがとうございます。院で暮らしているのは僕を入れて5人いて――」
そこで彼はきょろきょろと辺りを見渡す。
「ミゲル、リベレ。ちょっと、こっちにおいで」
駆け回っていた2人の男の子に声を掛けると、2人は勢いそのままに真直ぐ駆けて来た。
「なにー? あ! クロウだ! クローウ! あそぼー!」
「あそぼー」
2人は私に目もくれず、クロウに飛び付いて登ろうとしている。
クロウは登られまいと彼らを引き剥がしているが、それさえも遊びのうちなのか、子供達はけたけた笑って何度でも飛び付いている。
男の子はパワフルだね……
「ミゲル。リベレ。お姉さんに挨拶して。時々、クロウみたいに来てくれるんだって」
彼らはようやくきょとんとした顔でこちらを見た。
そしてクロウに抱き着いたまま、こんにちわーと挨拶してくれる。
「こんにちは。ユエよ。よろしくね」
彼らはちょっと顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
可愛い。
「それから、ファル。ファール」
絵本を読んでもらっていた女の子達のうち1人が渋々という体でこちらにやってくる。
読んでいた子は少しだけ中断して待っていてくれるようだ。
「ご挨拶。クロウみたいに時々来てくれるって。ユエお姉さんだよ」
「こんにちは。おねえさんもごほんよめる?」
「こんにちは。何でも読めるよ。今度好きな本教えてくれる?」
彼女は分かりやすくぱああと顔を輝かせた。
「えっとね、えっとね。おひめさまのとー、むしさんのとー」
つらつらと好きな本を上げ続けるファルを、待っているおさげ髪の女の子の前まで送り届けてあげる。彼女は目が合うと軽く目礼して、絵本の続きを読み始めた。
「彼女はこの子のお姉さんでココ。院の子じゃないけどアルデアと一緒で下の子を預かる代わりに手伝いをしてもらってるんだ。他に数名いるけど、入れ代わり立ち代わりという感じだよ」
彼は腕の中の赤ちゃんを優しく揺すった。
と、いうことは本を読んでもらっているもう1人の女の子がアルデアの妹なのか。
「最後にもうひとり……」
少しだけ顔を曇らせた彼の視線の先を追うと、窓際のカーテンの影に隠れている子がいるのに気が付いた。
「ニヒ」
ぴくりとカーテンが揺れる。
カーテンの裾から見える足は動こうとしない。
「ニヒ。お顔を見せて」
随分と恥ずかしがり屋さんだなぁ、と私はカーテンの傍まで行ってしゃがみこんだ。
「こんにちは。ユエだよ。時々来るから、よろしくね」
カーテンは動かない。
「ニヒ」
ナランハがちょっと困った声を出すと、おずおずと顔を半分だけ覗かせてくれた。
とても印象的なブルーの瞳はどことなく猫を想像させる。
クリーム色の髪は前髪だけ黒っぽい茶になっており、さながらシャム猫のようだ。
と、いうか、この子猫耳カチューシャ着けてる!
どうしよう! 凄く可愛い!!
私が怪しいオーラを発し始めたのが分かったのか、彼女はその瞳の警戒色を強めた。
「そ、その耳凄く可愛いね? えっと、ちょっと、ぎゅってしていい?」
明らかに変態的だったと思う。衛兵を呼ばれなくてよかったと、後でかなり反省した。
でも、その時は止められなかったのだ。誰かが私のハートをキューピットの矢で射抜いたに違いない。
私は戸惑う彼女の返事も待たずに、ぎゅっと抱き着いて、その頭にすりすりした。
柔らかい髪の毛の感触と、少しだけ触れた耳が触れた途端にぴぴぴと震えた。
――あれ? 動いた?
ちょっと驚いて腕が緩んだとたん、彼女はふーーっ! と猫のように威嚇の声を上げ、私から飛びのいた。と同時に右手の甲に痛みが走る。
「ニヒ!」
「ユエ!」
後ろからナランハとクロウの声が重なって聞こえた。
そして、それとは別に久々に感じる二か国語放送のような違和感。
ニヒの唸り声に重なって、囁くように聞こえる戸惑い、恐怖心、猜疑心の交じり合った感情。
はっきりと聞こえるわけではなかったが、それは確かに言葉だったのだ。
「ごめんね。大丈夫だよ。あんまり可愛くて先走っちゃった」
伝わればいいな、と思いながら声を掛ける。
彼女の瞳が驚きで見開いた。それから、私の手の甲へと視線を走らせる。
そこには血の滲んだ線が2本くっきりとついていた。
彼女の爪は鋭く伸びている。
「大丈夫大丈夫。舐めとけば治るよ」
私はにっこり笑うと、ぺろりとその傷を舐めた。
彼女はさっきよりもさらに目を見開くと、初めて言葉を発してくれた。
「なめてなおすのはダメっていわれた」
「そうなの? うちと違うね」
「ちがわない! かあさんはなめてくれた!」
ニヒはそう言うと、慌てて私の手を取ってその傷を舐めようとした。
私はそっと手を引込めると、不満そうなニヒを撫でながら注意する。
「他の人のは、舐めちゃダメだよ。病気をもらうかもしれないからね。それと、深い傷も舐めちゃダメ。一番なのは綺麗な水で洗うことだから。それから血が止まるようにぎゅって押さえるんだよ。綺麗な布でね」
「お水……ぬの……」
その時になってやっと彼女は緊張している周りの様子が見えたようだった。
いつの間にか彼女の爪が引っ込んでいる。本当に猫のようだ。
「ごめ……んなさい。マーテル、お水とぬの、ほしい」
しゅんと耳まで伏せて素直に謝る彼女に、今度は周りが驚いたのだった。
残りはポケットにしまって夜食にしよう。
「……孤児院って……孤児院か」
口元を拭いながら、カエルは渋い顔をした。
と、いうことはやっぱり。
「教会関係、だよね?」
慈善事業をする組織は他に思い付かない。孤児院と言えば教会。そんなイメージだ。
私はお菓子の相談を又聞きで受けただけだし、特に不安要素は無いはずだ。
無い、はずなのに、そこはかとない不安を感じるのは何でだろう? 考えすぎかなぁ。
「確かに教会に併設されてる。補助も受けてるんだろう。だが、一応はシスターひとりでやってるみたいだぞ。俺はそんなに詳しくないが……」
「そうなんだ。じゃぁ、行くことがあっても大丈夫かなぁ」
別にあの神官に会ったとして、どうこうすることもないし普通にすればいいのだろうけど、テリエル嬢もカエルも必要以上に避けている気がする。
私が教団の欲する人材だったとしても、ちょっと警戒し過ぎだ。
流石に攫ってまで何処かに連れて行こうとはしないだろう。
……しないよね? あれ?
カエルに半眼で睨まれつつも、仕事で頼まれれば断る訳にもいかないだろう。それは解っているようで、断れとか、行くなとは言わなかった。
「坊主の知り合いがいるんだったか? 行くなら出来るだけ誰かと一緒に行け」
「……善処します」
そして、嫌な予感とか不安って言うものは当たるものなのだ。
人はそれをフラグという。
数日後、クロウが孤児院に呼び出されて行った。
◇ ◆ ◇
「なんで、女ってああなんだ?!」
帰ってきて、第一声がそれである。
「……なんかあったの?」
とりあえず聞いてみる。何となく、察しはついていたのだが。
「孤児達には当日まで内緒にしたい。でも人手は足りない。手伝うのはいいさ。飾り付けをやれって言うならやるよ? でも、そのセンスを信用できないからどうにかしろって、どういうことだよ!」
悪いと思ったが、笑ってしまった。
確かに一部の男子にはめんどくせーとか、適当でいいだろ? 祝う心が大事だ、とか言って会場設営には頓着しない人もいる。
アルデアにはクロウはそう見えているということだ。
「笑うな! 信用できないなら、俺に頼むなよ! だろ?!」
いやいや、それは……
クロウに
頼みたかったんじゃないかな?そして、クロウがひとりじゃ無理だって、アルデアにSOSを出すのを待ってるんじゃ。
「アルデアちゃんに、なんとか一緒にやってくれって頼めばいいだけなんじゃない?」
「はぁ?! あいつが俺に頼んできてるのに、なんで俺が逆に頼まなきゃいけねーんだよ!」
それも正論である。
あれだ。アルデアちゃんはツンデレ属性持ちと見た。素直じゃない。
このあいだ睨まれた気がしたのも、そういうことなんだろう。
にやにや見守っていたら、ふとクロウが怒るのをやめて、そしていかにも良いことを思い付いたという風ににやりと笑った。
「そうか。ユエを連れてけばいいんだ」
え。
「……それは、拙いんじゃない?」
「孤児院まですぐそこだし、昼時過ぎれば大丈夫だろ? パーティーは4刻に始めるって言ってたし」
いや、そっちじゃないよ?!
「ユエなら
年の功
でそういうのも何か知ってんだろ? クッキー作るのも母ちゃんと一緒にやるんだろうから、顔出してもおかしくねーし」まずい。クロウの中で決定事項になってる。
私、手伝ってもいいけど、そのせいで敵は増やしたくないよ!
「ちょ、ちょっと待って! 知らない人たちの所にいきなり行くのはやだよ。せ、せめて事前に顔合わせというか、事情をすり合わせてくれないと!」
クロウはきょとんとする。
「ユエってそんな人見知りか?」
「人見知るよ! するから、そこはちゃんとして!」
ちょっと、自分でも何を言ってるのかよく分からなくなったけど、勢いに押されてクロウは承知してくれた。
ちょうど明日の朝、パンを届けると言うので、少し早く来て一緒に行くことにする。
次の日の朝、健康チェック中のカエルとテリエル嬢に早く行くことを告げて屋敷を後にした。
色々煩いだろうとわざとぎりぎりまで言わなかったのだ。
案の定、カエルの呼ぶ声が聞こえた気がするが、心の中で舌を出して駆けて行く。
水べりで身支度を整える人や、これから朝食を準備するだろう女の人達。朝の風景はのんびりしたものだ。
たまに会う店の常連さんと挨拶をしたりもして、息を切らせて店に飛び込んだ。
「ユエ? 早いな。ひとりか?」
ルベルゴさんが目を丸くしている。
「えっへへー。おはようございます!」
私の笑顔を見て、彼は苦笑を浮かべる。
「怒られっぞ!」
「ちゃんと、声は、かけてきましたよ」
ちょっと息を整える。
どうせ昼にはカエルも来るだろう。来なくていいと言ったって来るのだ。大丈夫だってことをたまには行動で見せれば、何か変わるかもしれない。
「クロウは?」
「下で用意してる。一緒に孤児院に行くんだって?」
「うん。アルデアちゃんに変な誤解されたくないし、手伝いに行くことになるならシスターとも挨拶しておきたいから……」
アルデアの名前にルベルゴさんは噴き出して、あれはクロウの保護者ぶりたがるからな、と笑っていた。
酒場ではクロウとサーヤさんがパン籠に焼きたてのパンを詰めていた。
「おはようございます」
「おー」
「おはよう。ユエちゃんこっちの籠お願いね」
「はい」
焼きたてのパンの香りが鼻腔をくすぐる。
お腹が鳴りそうだ。
「朝食べた? まだなら焼き立てをどうぞ。お手伝いしてくれる代わりに好きなだけ食べていいわよ」
サーヤさんが嬉しいことを言ってくれる。
「ありがとうございます! 遠慮なく、いただきます」
濃いめのお茶とバターもつけてくれて、私はスコーンのようなそのパンを美味しくいただく。
シアワセ♪
「あんまり食うとデブるぞ」
クロウはにやりと笑った。
これを毎日食べられるなんて、贅沢なんだぞ!
名残惜しいが程々でやめて、孤児院へと向かわねばならない。このパンを待っている子達がいるのだ。
クロウと並んでカナートを横目に歩いていく。
それっぽい建物を見た記憶がなかったのだけれど、そのはず。それは教会の裏手にひっそりと建っていた。
木造の簡素な造りだが、それなりの形は整っている。一応2階建てで、入口には『レモーラ孤児院』と申し訳程度に看板が掲げられていた。
「ここで暮らしてる孤児たちは5人だけど、農作業や仕事中に預けたい人たちの子も見てくれるんだ。ルディも下の子を連れて来てるから、自然に孤児院を手伝うことになったんだろうな」
とはいえ、繁忙期には赤ん坊は背負って、動ける子は手伝いで農作業に駆り出されるらしい。
もうすぐ種蒔きの季節だから、その前に春生まれの子供たちを祝ってあげたいのだそうだ。
「レモーラって、シスターの名前?」
何気なく聞いたつもりだったが、クロウは呆れた顔をした。
「レモーラはこの村の名前だろう? ホント、ユエってオカシイよな」
言いながらクロウはドアを開けた。
おかしくないよ! 誰も村の名前教えてくれなかったんだよ!
監獄半島っていう呼び方が強烈過ぎて、村の名前なんてどうでもよかったっていうのもあるけど……
「おはようございまーす! パン届けに来ましたー」
「はい。いつもありがとうございます」
優しそうな女の人の声がした。
深いグリーンの髪をかっちりと纏め上げ、シンプルな黒のワンピースに、肩を覆う程度の短い白のマントを羽織ったような出で立ちのシスターが、水色の瞳でこちらを見ながらやってきた。
「あら。初めまして、かしら。クロウ、紹介して下さる?」
「ユエだ。最近うちで手伝ってもらってる。例のハナシも手伝ってもらおうかと思って」
私はお嬢様の礼をして、口を開いた。
「ユエです。お手伝いする前にご挨拶だけでもと思いまして、連れて来てもらいました」
「私はマーテル。一応、孤児院の院長ですわ」
軽く握手を交わす。
「ルディも来てるだろ? ルディー?」
クロウは部屋の中に身を乗り出して覗き込み、声を掛ける。アルデアが気付いたのか、彼は手招きをしていた。
玄関まで出てきたアルデアは、私の顔を見て思いっきり顔を顰めた。
やっぱりね。
「例のハナシ、ユエにも手伝ってもらおうと思って。ちょっと外で話そう」
「誰?」
不満と不信とを隠そうともしない声が清々しい。
パン籠を一旦机に置いてから、私達は玄関を出てドアを閉めた。
「ユエです。ルベルゴさんの宿でお手伝いさせてもらってます。本職は通訳なんですけど」
「……アルデアよ」
通訳と聞いて彼女の警戒は少し緩んだようだ。よしよし。
「あいつら連れ出してる間に部屋の中の飾り付けとかしとけばいいんだろ? ユエはこう見えて大人だし、俺よりはセンスあるだろうから手伝ってもらおうと思ったんだ。マーテルとアルデアに挨拶しときたいって言うから連れて来てみた」
大人、という所にぴくりと反応する彼女。
「まぁ。私達はそうしてもらえると、とても助かりますわ。頼んでも? ユエさん」
「もちろんです。誰にも信じてもらえないんですけど、私20歳なんですよ。頼りにして下さい」
「……頼りになるかどうかは、別だけどなー」
ぼそりとクロウが呟く。
うるさい!
「……はた…はたちって……」
アルデアがちょっと震えている。
「クロウ?! あなた、そんな年上の人にこの間怒鳴りつけてたの?!」
「あれは、ユエが悪いんだ」
「……! ……呼び捨てだし!」
「いいだろ。仕事は俺が先輩だ。ユエだって別に何とも思ってない」
何とも思ってなくはないよ!
ばっ、と勢いよく彼女はこちらを向いた。
「あなた、それでいいの?!」
「……えぇと……私世間知らずみたいで……みんなに怒られるんです。あ、でも、仕事はちゃんとしますよ。仕事でクロウに怒られるようなことはしてないです」
「まぁ、そうだな。仕事はな。そこそこ頼りになると言ってやってもいい」
一発殴ってもいいかな?
ちょっと拳に力が入った。
くすくすと控えめな笑い声が割って入る。
「アルデア、大丈夫よ。手伝ってもらいましょう」
アルデアは複雑な表情だ。少なくとも私にはそういう気持ちが無いだろうということは伝わったと思いたい。
「できれば、子供達とも顔を合わせておきたいんですけど、紹介してもらえますか?」
「そうね。その方がいいわね。ちょっと、難しい子もいるのだけれど気にしないでね?」
「大丈夫です」
私は頷くとシスターの後に付いて孤児院の中へと足を踏み入れた。
部屋の中には10人ほどの子供がいて、1人はクロウやアルデアと同じくらいの女の子。おさげ髪の大人しそうな少女で、小さい子に絵本を読んであげている。
あとは、はいはいしている子が1人、5歳から7歳くらいの男の子達は駆け回っており、14、5歳くらいの男の子が1人皆をまとめようとてんてこ舞いしている。まだ少しあどけなさの残る顔をしていて、癖のあるオレンジの髪が特徴的だ。
「ナランハ」
シスターが声を掛けると、オレンジ色の髪の彼が振り向いた。
「最年長のナランハ。そろそろここを出ていかなければならない年齢なのだけど……私が至らないばかりに院の手伝いを優先してくれているの」
「こんにちは……クロウのお知り合いですか?」
彼は、はいはいしていた赤ちゃんを抱き上げ、私の後ろにクロウを見つけると微笑んでそう言った。
「ユエと言います。ルベルゴの宿でお手伝いさせてもらってます。こちらに顔を出すことも増えるかもしれませんので、ご挨拶に」
「ご丁寧にありがとうございます。院で暮らしているのは僕を入れて5人いて――」
そこで彼はきょろきょろと辺りを見渡す。
「ミゲル、リベレ。ちょっと、こっちにおいで」
駆け回っていた2人の男の子に声を掛けると、2人は勢いそのままに真直ぐ駆けて来た。
「なにー? あ! クロウだ! クローウ! あそぼー!」
「あそぼー」
2人は私に目もくれず、クロウに飛び付いて登ろうとしている。
クロウは登られまいと彼らを引き剥がしているが、それさえも遊びのうちなのか、子供達はけたけた笑って何度でも飛び付いている。
男の子はパワフルだね……
「ミゲル。リベレ。お姉さんに挨拶して。時々、クロウみたいに来てくれるんだって」
彼らはようやくきょとんとした顔でこちらを見た。
そしてクロウに抱き着いたまま、こんにちわーと挨拶してくれる。
「こんにちは。ユエよ。よろしくね」
彼らはちょっと顔を見合わせてから、こっくりと頷いた。
可愛い。
「それから、ファル。ファール」
絵本を読んでもらっていた女の子達のうち1人が渋々という体でこちらにやってくる。
読んでいた子は少しだけ中断して待っていてくれるようだ。
「ご挨拶。クロウみたいに時々来てくれるって。ユエお姉さんだよ」
「こんにちは。おねえさんもごほんよめる?」
「こんにちは。何でも読めるよ。今度好きな本教えてくれる?」
彼女は分かりやすくぱああと顔を輝かせた。
「えっとね、えっとね。おひめさまのとー、むしさんのとー」
つらつらと好きな本を上げ続けるファルを、待っているおさげ髪の女の子の前まで送り届けてあげる。彼女は目が合うと軽く目礼して、絵本の続きを読み始めた。
「彼女はこの子のお姉さんでココ。院の子じゃないけどアルデアと一緒で下の子を預かる代わりに手伝いをしてもらってるんだ。他に数名いるけど、入れ代わり立ち代わりという感じだよ」
彼は腕の中の赤ちゃんを優しく揺すった。
と、いうことは本を読んでもらっているもう1人の女の子がアルデアの妹なのか。
「最後にもうひとり……」
少しだけ顔を曇らせた彼の視線の先を追うと、窓際のカーテンの影に隠れている子がいるのに気が付いた。
「ニヒ」
ぴくりとカーテンが揺れる。
カーテンの裾から見える足は動こうとしない。
「ニヒ。お顔を見せて」
随分と恥ずかしがり屋さんだなぁ、と私はカーテンの傍まで行ってしゃがみこんだ。
「こんにちは。ユエだよ。時々来るから、よろしくね」
カーテンは動かない。
「ニヒ」
ナランハがちょっと困った声を出すと、おずおずと顔を半分だけ覗かせてくれた。
とても印象的なブルーの瞳はどことなく猫を想像させる。
クリーム色の髪は前髪だけ黒っぽい茶になっており、さながらシャム猫のようだ。
と、いうか、この子猫耳カチューシャ着けてる!
どうしよう! 凄く可愛い!!
私が怪しいオーラを発し始めたのが分かったのか、彼女はその瞳の警戒色を強めた。
「そ、その耳凄く可愛いね? えっと、ちょっと、ぎゅってしていい?」
明らかに変態的だったと思う。衛兵を呼ばれなくてよかったと、後でかなり反省した。
でも、その時は止められなかったのだ。誰かが私のハートをキューピットの矢で射抜いたに違いない。
私は戸惑う彼女の返事も待たずに、ぎゅっと抱き着いて、その頭にすりすりした。
柔らかい髪の毛の感触と、少しだけ触れた耳が触れた途端にぴぴぴと震えた。
――あれ? 動いた?
ちょっと驚いて腕が緩んだとたん、彼女はふーーっ! と猫のように威嚇の声を上げ、私から飛びのいた。と同時に右手の甲に痛みが走る。
「ニヒ!」
「ユエ!」
後ろからナランハとクロウの声が重なって聞こえた。
そして、それとは別に久々に感じる二か国語放送のような違和感。
ニヒの唸り声に重なって、囁くように聞こえる戸惑い、恐怖心、猜疑心の交じり合った感情。
はっきりと聞こえるわけではなかったが、それは確かに言葉だったのだ。
「ごめんね。大丈夫だよ。あんまり可愛くて先走っちゃった」
伝わればいいな、と思いながら声を掛ける。
彼女の瞳が驚きで見開いた。それから、私の手の甲へと視線を走らせる。
そこには血の滲んだ線が2本くっきりとついていた。
彼女の爪は鋭く伸びている。
「大丈夫大丈夫。舐めとけば治るよ」
私はにっこり笑うと、ぺろりとその傷を舐めた。
彼女はさっきよりもさらに目を見開くと、初めて言葉を発してくれた。
「なめてなおすのはダメっていわれた」
「そうなの? うちと違うね」
「ちがわない! かあさんはなめてくれた!」
ニヒはそう言うと、慌てて私の手を取ってその傷を舐めようとした。
私はそっと手を引込めると、不満そうなニヒを撫でながら注意する。
「他の人のは、舐めちゃダメだよ。病気をもらうかもしれないからね。それと、深い傷も舐めちゃダメ。一番なのは綺麗な水で洗うことだから。それから血が止まるようにぎゅって押さえるんだよ。綺麗な布でね」
「お水……ぬの……」
その時になってやっと彼女は緊張している周りの様子が見えたようだった。
いつの間にか彼女の爪が引っ込んでいる。本当に猫のようだ。
「ごめ……んなさい。マーテル、お水とぬの、ほしい」
しゅんと耳まで伏せて素直に謝る彼女に、今度は周りが驚いたのだった。