62.帝都サンクトゥア
文字数 5,453文字
サンクトゥア。帝国の主要都市であるそこは、情報、技術の最先端が溢れている。
そう、代書屋さんは説明してくれた。
『最先端』がどのくらいなのか、とても興味があるところだ。電気の無い暮らしの最先端なんて、想像もつかない。
今朝は朝イチでカエルが教会まで足を運んだらしい。
殴り込みに行ったんじゃないかと一瞬緊張したのだけれど、昨日の報告と聞きたいことがあるから、という理由だったようだ。
聞きたいこと、も気になったけど、それよりも神官サマとカエルが何事も無く話しているのが想像できなくて、せめてフォルティス大主教が立ち会っていてくれますようにと願ってしまった。
出発前に顔合わせした時、特に何事も無かったので大丈夫だったのだろう。
中央神殿は現在、神官サマと反発していた勢力が実権を握っているので、心無い言葉をかけられるかもしれないが、無視してほしいと進言を受けた。
審問会までは誘拐や閉じ込め等にも注意が必要だとも……
なんだか殺伐としている。
代書屋さんはある意味関係者としての証言となるが、私は完全に第3者ということになるので、見たままを伝えられると困る者達がいるのだとか。
だから、愛妾の証言だと空言を言う輩が現れるのだと。
愛妾、という言葉にカエルが酷く顔を顰めていた。大主教が思わず謝ってしまうくらいに。
当の神官サマがいつもと変わらず薄い微笑みを湛えたままだったので、空気は冷えきったままだったけど。
「怒ってもしょうがないよ。神官サマが言いふらしてる訳じゃないんだし」
馬車の中で機嫌の悪いカエルに言ってみるが、庇うのは庇うので面白くないらしい。
「解ってる」
ぷいと窓の外に目を向けてしまったので、代書屋さんと顔を合わせて苦笑する。
神官サマに関わる時だけ、妙にカエルは子供っぽい。
あの瞳に全てを剥がされてしまってるかのようだ。
「僕、帝都で結構忙しいから、案内とかは審問会終わってからじゃないと無理そうだけど、大丈夫?」
「問題無い」
窓から視線を動かさないカエルは口数も少ない。
「忙しいんですか?」
「挨拶とかねー。結構お世話になった人もいるし。中央神殿以外の教会にも顔出しときたいし……」
「そうなんですね。ちょっと寂しいです」
「ホント? 終わったらまた一緒に飲もうね」
「潰れない程度になら、付き合いますよ」
あれはね、と慌てて代書屋さんは潰れるまでの経緯 を話してくれた。
まぁ、何を言っても言い訳にしかならないんだけどね。
カエルがそう、とも違う、とも言わないので、話は大分代書屋さんの都合のいいように聞こえた。
こういう時は話半分で聞いておけばいいのかなぁ。
結局、カエルに肩を借りて連れ帰ってもらったらしい。
「カエル君が介抱し慣れてて、若干引いちゃったもん」
「あぁ、私をちょくちょく運んだり、ベッドに入れたりするから、慣れちゃったのかも」
「え?」
「ユエ」
代書屋さんが笑顔のまま固まって、カエルが溜息を吐いた。
「誤解される言い方をするな」
「え? あ、えーと、うっかり寝ちゃっても、カエルは私を襲ったりしません?」
「違う!」
「え? 私、襲われてるの?」
「そうじゃない!」
カエルは頭を抱えてしまった。
代書屋さんは乾いた笑いを張り付けたまま、窓の外など見てる。
「君達がうらやまけしからん生活を送っていることだけは分かった。カエル君にはある意味同情するよ」
「仕事の一環だ。何度もある話じゃない」
「はいはい」
もうまともに聞く気も無い代書屋さんに、カエルは再び拗ねたように黙り込んだ。
しまった。フォローが思い付かない。
「……一緒に住んでれば、色々あるよね?」
「何も無い、という話をしてるんだ。もう黙ってろ」
睨まれた。
フォローの甲斐なし。難しいね。
でも、今のやり取りで代書屋さんは声を殺して笑っていたので、気持ちはちょっとだけ軽くなった。
◇ ◆ ◇
帝都までの道のりは、今までののんびりしたものと少し違っていた。
フローラリアを出て少しの間は畑や果樹園が広がったりしていたのだけれど、それを越えると、だだっ広い敷地に大きな建物を建築している様子がぽつぽつと見られた。
質素な身形の人々が木材や石材を汗して運んでいたりする。
「工場を増やしてるんじゃないかなぁ。僕もしばらく離れてたからね。蒸気を使った機械化が進みそうだとは聞いてるんだけど……」
では、働いているあの人達はやはり奴隷なのだろうか。
鞭で叩かれたり、無駄な暴力は受けていないようだが、休憩する姿はぐったりと生気が無い。
腕や肩に刺青の様なものがあるのは判るが、細かいところまでは見えなかった。
奴隷制度に明るくない私には、カエルの話を聞いていなければ気付かなかったことかもしれない。
そうなのだ。カエルは私が気付くかもと思っていたようだが、多分、あの話を聞かなければ、その紋があるのが奴隷だと気付かなかったに違いない。皮肉なものだ。
休憩する街に着いたとき、私はそこがもう帝都なのではないかと思っていた。
石造りの建物なのは他と同じなのだが、その材質が大理石の様なものやコンクリートと変わりない物だったりするのだ。
目線を下げて歩いていると、その角にコンビニが現れそうな錯覚を起こす。
思わずカエルに掴まって、無駄な心配をかけてしまった。
帝都に着いたらビルが建っていそうで怖い。
「大丈夫? 酔った?」
代書屋さんが水を差し出してくれた。
道は整備されていて、ほとんど揺れない。今まで馬車で酔わなかったので不思議に思われたらしい。
「ちょっと、都会の雰囲気に……空気が違うと言うか」
「あぁ、全体的に帝国内は堅い雰囲気あるよね。水もレモーラの方が美味しいんだよね」
受け取った水を飲んでみると、カルキ臭いということこそ無かったが、確かに無味無臭で味気ない感じはした。
「帝都はもっと都会なんですか?」
「もちろん。建物はもっと高くてひしめき合ってるし、劇場やコロシアムでの催事も盛んに行われてるから、活気が違うね」
私達が昼食に入ったのも、もう酒場とは呼べない感じで、レストランと言って差し支えないような所だ。冒険者さん達は酒場がいいといって別の店に行ったりしている。
「興味あるけど……私は帝都では暮らせなさそう」
代書屋さんが不思議そうに首を傾げた。
隣のテーブルから、神官サマの興味深げな視線が飛んできていたが、気付かないふりをした。
初めから帝国に落ちて来ていたら、また違った感覚だったんだろうな。
あぁ、でも、元から東京では暮らしたくないと思っている地方民だったから、実は変わらないのかも。
都会は旅行するくらいで丁度いい。
陽が傾き始める頃、帝都に入る。
代書屋さんの言うとおり建物は高く、10階以上あるようなものが林立していた。
ただ、それはビルと呼べるほどの物ではなく、私は少しだけほっとして空を見上げる。何処の都会も、空は狭いのだなぁ。
大通りには馬車がひっきりなしに行き来しており、明確に車道と歩道が分かれていた。お祭りでもあったの? と言いたくなるくらいの人の群れは、誰も彼も洗練された服を着ている。なるほど。流行が分かるようだ。
帝都に入ってから鐘1つ分くらいの時間で、中央神殿と呼ばれる今回の目的地に到着した。
巨大な門を潜ってまだしばらく馬車を走らせ、ようやく見えてきた建物は教会と呼べるようなものではなかった。
辛うじてその建物を教会たらしめているものは巨大な鐘楼と、所々に立つ尖塔くらいで、他は堅牢な城と言って過言ではない。複数ある建物の間を行く人々は確かに神官服に身を包んではいたのだが。
その雰囲気はどちらかというと広い敷地を持つ大学に近いかもしれない。
実際、この敷地内には図書館や講堂、寮等の建物の他に森や湖まであるというのだから、もはや1つの街なんじゃないだろうか。
降車場で馬車を下り、重厚な扉を見上げていると、神官サマがこちらに腕を差し出した。エスコートされるらしい。目の前には衛兵が2人、入口を固めていた。
ちらりとカエルを振り返ってみたが、少し渋い顔をしているものの、特段おかしいことではないらしい。
おずおずとその腕に手を添えると、神官サマはゆっくりと衛兵の前に進み出る。
「パエニンスラ領、レモーラ教会テル・ルーメン並びに、証人ユエ、証人ジョット、護衛カエルレウム、審問会出席の為通行証発行に参りました」
「お待ちしておりました」
衛兵2人は左右に別れて、それぞれが扉を開ける。槍を立ててぴしりと直立する様は鏡に映したようだ。
扉の中は左右に廊下が延びていたが、神官サマは真っ直ぐ正面の部屋に歩みを進めた。
ノックの後、名乗りを上げて部屋に入る。
部屋の中は壁一面に資料が詰め込まれており、事務員2人が机を並べていた。
神官サマの姿を確認すると、うちのひとりが席を立ち、こちらにやって来た。
「ルーメン大主教、お久しぶりです」
深々と頭を下げるその人は年の頃50代半ばくらいだろうか。もう白髪が混じっているのだろう、白っぽいグレーの髪を短く刈り込み、緑がかった茶の瞳はとても落ち着いて見えた。
「今はただの主教ですよ。こちらのお二人に通行証の発行をお願いします」
ふたり?
「では、こちらへ」
長机に案内されたのは私とカエルの2人だった。
代書屋さんは? と振り返ったら、ちょっと笑ってウインクされた。
「僕は以前ここに出入りしてたから、関係者用の通行証持ってるんだ」
成る程と納得して前に向き直ると、既に準備が出来ていて、手袋を外したカエルの指先に針が刺されるところだった。
ちょっとぎょっとして見ていると、カエルは自分でぎゅっと指先を絞り、ぷくりと盛り上がった血の玉を金属の板のような物に擦り付けた。
3cm×4cmくらいのそのプレートは少しの間仄かに光り、それが収まると表面に文字が浮かんできた。
外来者 と書いてあるようだ。
ある種の感動を抱いて見ていたが、お手をと言われて自分も同じ事をするのだと思い出した。
慌てて手を差し出すとカエルと同じように指先に針を刺される。
ちくりとした痛みに一瞬だけ目を閉じた。
見様見真似で血を絞り、ちょっとドキドキしながら血を擦り付ける。確か、この後仄かに光って――
――ん?
ひか、らない?
全員の困惑した雰囲気が伝わってくる。
「どうしたんでしょう? すみません。もう一度こちらにお願いします」
事務員のおじさんは新しいプレートを用意して私の前に置いた。
もう一度指先をぎゅっと絞って、血を擦り付ける。
沈黙。
プレートは変化しない。
「うちの魔道具への登録も上手くいかなかったんだ」
カエルが小さく溜息を吐いてぼそりと言った。
「防犯用魔道具ですか?」
「ああ」
「ユエに反応したのですか? その防犯用魔道具は」
「ユエには近付くなと言ってあった。試したことは無い」
神官サマは口元に手を当てて少し考えると、資料棚の抽斗を幾つか確かめて私を手招きした。
「ユエ、この抽斗を開けてみて下さい」
近付いて、指差された抽斗に手をかける。
するりと何の抵抗も無く開いた。
「では、こちらを」
先の抽斗を閉めて、次に指された抽斗も開ける。
3つ目は鍵の掛かった抽斗だった。勿論開かない。神官サマは鍵を開け、どうぞと私を促した。
するりと開く。
正直、何を確かめているのかさっぱり分からない。
疑問の表情で皆を振り返ると、事務員の2人が青ざめていた。
「見事ですね。何の反応も無いとは」
神官サマは楽しそうに笑って頷いている。
「ル、ルーメン主教、笑い事では……」
神官サマは胸元から先程のプレートと同じ物を取り出して、首から外すとカエルに投げ渡した。
「登録が無いものが開けようとするとこうなります」
鍵の掛かっていた抽斗に手をかけ、引こうとするとガタリと引っ掛かり、更にバチッと静電気が起きたような音がして彼の手が弾かれた。
彼がカエルに手を差し出し、登録証が戻ってくると、もう一度同じ動作をする。
今度はするりと開いた。
へー! 不思議!
……じゃ、なかった。あれ? 何で私は開けられたの?
ようやくこの場の全員が同じ疑問を共有したところで、神官サマは抽斗に鍵を掛け、にっこりと笑った。
「ユエは全ての登録制の魔道具を無効化してしまうようですね。あるいは、認知されないか」
「に、認知されないことなど……」
「魔力が全く無ければ、理論的には認知されません。そうなれば魔力感知式の魔道具は役立たずです」
魔力。何それ美味しいの?
あるはずないわー。
って、いうか、その話だとこの世界の人達って全員が魔力持ちなの?
なるべく表情に出さないように考える。
後でカエルに聞いてみよう……
「しかし、登録が出来ないのでは色々と支障が……」
「彼女は善良な証言者です。私が常に同行致しましょう。それで、問題は無い筈です」
事務員2人は顔を見合わせる。それから、恐る恐るという風におじさんは言った。
「ルーメン主教自ら常に同行なさると?」
「私の判断だけでは不服を申し立てる者が出ますでしょうから、総主教まで話を通しておきましょう。こちらの書類もそのように報告して下さい。ちゃんと滞在するお部屋まで送迎も致しますよ。御心配なく」
神官サマの薄い微笑みは、皆を黙らせるのに充分な迫力を伴っていた。
失脚して、位も剥奪された筈なのに、まだ影響力があるというのはこういうことかと思わせる。
敵が多いはずだ。
そう、代書屋さんは説明してくれた。
『最先端』がどのくらいなのか、とても興味があるところだ。電気の無い暮らしの最先端なんて、想像もつかない。
今朝は朝イチでカエルが教会まで足を運んだらしい。
殴り込みに行ったんじゃないかと一瞬緊張したのだけれど、昨日の報告と聞きたいことがあるから、という理由だったようだ。
聞きたいこと、も気になったけど、それよりも神官サマとカエルが何事も無く話しているのが想像できなくて、せめてフォルティス大主教が立ち会っていてくれますようにと願ってしまった。
出発前に顔合わせした時、特に何事も無かったので大丈夫だったのだろう。
中央神殿は現在、神官サマと反発していた勢力が実権を握っているので、心無い言葉をかけられるかもしれないが、無視してほしいと進言を受けた。
審問会までは誘拐や閉じ込め等にも注意が必要だとも……
なんだか殺伐としている。
代書屋さんはある意味関係者としての証言となるが、私は完全に第3者ということになるので、見たままを伝えられると困る者達がいるのだとか。
だから、愛妾の証言だと空言を言う輩が現れるのだと。
愛妾、という言葉にカエルが酷く顔を顰めていた。大主教が思わず謝ってしまうくらいに。
当の神官サマがいつもと変わらず薄い微笑みを湛えたままだったので、空気は冷えきったままだったけど。
「怒ってもしょうがないよ。神官サマが言いふらしてる訳じゃないんだし」
馬車の中で機嫌の悪いカエルに言ってみるが、庇うのは庇うので面白くないらしい。
「解ってる」
ぷいと窓の外に目を向けてしまったので、代書屋さんと顔を合わせて苦笑する。
神官サマに関わる時だけ、妙にカエルは子供っぽい。
あの瞳に全てを剥がされてしまってるかのようだ。
「僕、帝都で結構忙しいから、案内とかは審問会終わってからじゃないと無理そうだけど、大丈夫?」
「問題無い」
窓から視線を動かさないカエルは口数も少ない。
「忙しいんですか?」
「挨拶とかねー。結構お世話になった人もいるし。中央神殿以外の教会にも顔出しときたいし……」
「そうなんですね。ちょっと寂しいです」
「ホント? 終わったらまた一緒に飲もうね」
「潰れない程度になら、付き合いますよ」
あれはね、と慌てて代書屋さんは潰れるまでの
まぁ、何を言っても言い訳にしかならないんだけどね。
カエルがそう、とも違う、とも言わないので、話は大分代書屋さんの都合のいいように聞こえた。
こういう時は話半分で聞いておけばいいのかなぁ。
結局、カエルに肩を借りて連れ帰ってもらったらしい。
「カエル君が介抱し慣れてて、若干引いちゃったもん」
「あぁ、私をちょくちょく運んだり、ベッドに入れたりするから、慣れちゃったのかも」
「え?」
「ユエ」
代書屋さんが笑顔のまま固まって、カエルが溜息を吐いた。
「誤解される言い方をするな」
「え? あ、えーと、うっかり寝ちゃっても、カエルは私を襲ったりしません?」
「違う!」
「え? 私、襲われてるの?」
「そうじゃない!」
カエルは頭を抱えてしまった。
代書屋さんは乾いた笑いを張り付けたまま、窓の外など見てる。
「君達がうらやまけしからん生活を送っていることだけは分かった。カエル君にはある意味同情するよ」
「仕事の一環だ。何度もある話じゃない」
「はいはい」
もうまともに聞く気も無い代書屋さんに、カエルは再び拗ねたように黙り込んだ。
しまった。フォローが思い付かない。
「……一緒に住んでれば、色々あるよね?」
「何も無い、という話をしてるんだ。もう黙ってろ」
睨まれた。
フォローの甲斐なし。難しいね。
でも、今のやり取りで代書屋さんは声を殺して笑っていたので、気持ちはちょっとだけ軽くなった。
◇ ◆ ◇
帝都までの道のりは、今までののんびりしたものと少し違っていた。
フローラリアを出て少しの間は畑や果樹園が広がったりしていたのだけれど、それを越えると、だだっ広い敷地に大きな建物を建築している様子がぽつぽつと見られた。
質素な身形の人々が木材や石材を汗して運んでいたりする。
「工場を増やしてるんじゃないかなぁ。僕もしばらく離れてたからね。蒸気を使った機械化が進みそうだとは聞いてるんだけど……」
では、働いているあの人達はやはり奴隷なのだろうか。
鞭で叩かれたり、無駄な暴力は受けていないようだが、休憩する姿はぐったりと生気が無い。
腕や肩に刺青の様なものがあるのは判るが、細かいところまでは見えなかった。
奴隷制度に明るくない私には、カエルの話を聞いていなければ気付かなかったことかもしれない。
そうなのだ。カエルは私が気付くかもと思っていたようだが、多分、あの話を聞かなければ、その紋があるのが奴隷だと気付かなかったに違いない。皮肉なものだ。
休憩する街に着いたとき、私はそこがもう帝都なのではないかと思っていた。
石造りの建物なのは他と同じなのだが、その材質が大理石の様なものやコンクリートと変わりない物だったりするのだ。
目線を下げて歩いていると、その角にコンビニが現れそうな錯覚を起こす。
思わずカエルに掴まって、無駄な心配をかけてしまった。
帝都に着いたらビルが建っていそうで怖い。
「大丈夫? 酔った?」
代書屋さんが水を差し出してくれた。
道は整備されていて、ほとんど揺れない。今まで馬車で酔わなかったので不思議に思われたらしい。
「ちょっと、都会の雰囲気に……空気が違うと言うか」
「あぁ、全体的に帝国内は堅い雰囲気あるよね。水もレモーラの方が美味しいんだよね」
受け取った水を飲んでみると、カルキ臭いということこそ無かったが、確かに無味無臭で味気ない感じはした。
「帝都はもっと都会なんですか?」
「もちろん。建物はもっと高くてひしめき合ってるし、劇場やコロシアムでの催事も盛んに行われてるから、活気が違うね」
私達が昼食に入ったのも、もう酒場とは呼べない感じで、レストランと言って差し支えないような所だ。冒険者さん達は酒場がいいといって別の店に行ったりしている。
「興味あるけど……私は帝都では暮らせなさそう」
代書屋さんが不思議そうに首を傾げた。
隣のテーブルから、神官サマの興味深げな視線が飛んできていたが、気付かないふりをした。
初めから帝国に落ちて来ていたら、また違った感覚だったんだろうな。
あぁ、でも、元から東京では暮らしたくないと思っている地方民だったから、実は変わらないのかも。
都会は旅行するくらいで丁度いい。
陽が傾き始める頃、帝都に入る。
代書屋さんの言うとおり建物は高く、10階以上あるようなものが林立していた。
ただ、それはビルと呼べるほどの物ではなく、私は少しだけほっとして空を見上げる。何処の都会も、空は狭いのだなぁ。
大通りには馬車がひっきりなしに行き来しており、明確に車道と歩道が分かれていた。お祭りでもあったの? と言いたくなるくらいの人の群れは、誰も彼も洗練された服を着ている。なるほど。流行が分かるようだ。
帝都に入ってから鐘1つ分くらいの時間で、中央神殿と呼ばれる今回の目的地に到着した。
巨大な門を潜ってまだしばらく馬車を走らせ、ようやく見えてきた建物は教会と呼べるようなものではなかった。
辛うじてその建物を教会たらしめているものは巨大な鐘楼と、所々に立つ尖塔くらいで、他は堅牢な城と言って過言ではない。複数ある建物の間を行く人々は確かに神官服に身を包んではいたのだが。
その雰囲気はどちらかというと広い敷地を持つ大学に近いかもしれない。
実際、この敷地内には図書館や講堂、寮等の建物の他に森や湖まであるというのだから、もはや1つの街なんじゃないだろうか。
降車場で馬車を下り、重厚な扉を見上げていると、神官サマがこちらに腕を差し出した。エスコートされるらしい。目の前には衛兵が2人、入口を固めていた。
ちらりとカエルを振り返ってみたが、少し渋い顔をしているものの、特段おかしいことではないらしい。
おずおずとその腕に手を添えると、神官サマはゆっくりと衛兵の前に進み出る。
「パエニンスラ領、レモーラ教会テル・ルーメン並びに、証人ユエ、証人ジョット、護衛カエルレウム、審問会出席の為通行証発行に参りました」
「お待ちしておりました」
衛兵2人は左右に別れて、それぞれが扉を開ける。槍を立ててぴしりと直立する様は鏡に映したようだ。
扉の中は左右に廊下が延びていたが、神官サマは真っ直ぐ正面の部屋に歩みを進めた。
ノックの後、名乗りを上げて部屋に入る。
部屋の中は壁一面に資料が詰め込まれており、事務員2人が机を並べていた。
神官サマの姿を確認すると、うちのひとりが席を立ち、こちらにやって来た。
「ルーメン大主教、お久しぶりです」
深々と頭を下げるその人は年の頃50代半ばくらいだろうか。もう白髪が混じっているのだろう、白っぽいグレーの髪を短く刈り込み、緑がかった茶の瞳はとても落ち着いて見えた。
「今はただの主教ですよ。こちらのお二人に通行証の発行をお願いします」
ふたり?
「では、こちらへ」
長机に案内されたのは私とカエルの2人だった。
代書屋さんは? と振り返ったら、ちょっと笑ってウインクされた。
「僕は以前ここに出入りしてたから、関係者用の通行証持ってるんだ」
成る程と納得して前に向き直ると、既に準備が出来ていて、手袋を外したカエルの指先に針が刺されるところだった。
ちょっとぎょっとして見ていると、カエルは自分でぎゅっと指先を絞り、ぷくりと盛り上がった血の玉を金属の板のような物に擦り付けた。
3cm×4cmくらいのそのプレートは少しの間仄かに光り、それが収まると表面に文字が浮かんできた。
ある種の感動を抱いて見ていたが、お手をと言われて自分も同じ事をするのだと思い出した。
慌てて手を差し出すとカエルと同じように指先に針を刺される。
ちくりとした痛みに一瞬だけ目を閉じた。
見様見真似で血を絞り、ちょっとドキドキしながら血を擦り付ける。確か、この後仄かに光って――
――ん?
ひか、らない?
全員の困惑した雰囲気が伝わってくる。
「どうしたんでしょう? すみません。もう一度こちらにお願いします」
事務員のおじさんは新しいプレートを用意して私の前に置いた。
もう一度指先をぎゅっと絞って、血を擦り付ける。
沈黙。
プレートは変化しない。
「うちの魔道具への登録も上手くいかなかったんだ」
カエルが小さく溜息を吐いてぼそりと言った。
「防犯用魔道具ですか?」
「ああ」
「ユエに反応したのですか? その防犯用魔道具は」
「ユエには近付くなと言ってあった。試したことは無い」
神官サマは口元に手を当てて少し考えると、資料棚の抽斗を幾つか確かめて私を手招きした。
「ユエ、この抽斗を開けてみて下さい」
近付いて、指差された抽斗に手をかける。
するりと何の抵抗も無く開いた。
「では、こちらを」
先の抽斗を閉めて、次に指された抽斗も開ける。
3つ目は鍵の掛かった抽斗だった。勿論開かない。神官サマは鍵を開け、どうぞと私を促した。
するりと開く。
正直、何を確かめているのかさっぱり分からない。
疑問の表情で皆を振り返ると、事務員の2人が青ざめていた。
「見事ですね。何の反応も無いとは」
神官サマは楽しそうに笑って頷いている。
「ル、ルーメン主教、笑い事では……」
神官サマは胸元から先程のプレートと同じ物を取り出して、首から外すとカエルに投げ渡した。
「登録が無いものが開けようとするとこうなります」
鍵の掛かっていた抽斗に手をかけ、引こうとするとガタリと引っ掛かり、更にバチッと静電気が起きたような音がして彼の手が弾かれた。
彼がカエルに手を差し出し、登録証が戻ってくると、もう一度同じ動作をする。
今度はするりと開いた。
へー! 不思議!
……じゃ、なかった。あれ? 何で私は開けられたの?
ようやくこの場の全員が同じ疑問を共有したところで、神官サマは抽斗に鍵を掛け、にっこりと笑った。
「ユエは全ての登録制の魔道具を無効化してしまうようですね。あるいは、認知されないか」
「に、認知されないことなど……」
「魔力が全く無ければ、理論的には認知されません。そうなれば魔力感知式の魔道具は役立たずです」
魔力。何それ美味しいの?
あるはずないわー。
って、いうか、その話だとこの世界の人達って全員が魔力持ちなの?
なるべく表情に出さないように考える。
後でカエルに聞いてみよう……
「しかし、登録が出来ないのでは色々と支障が……」
「彼女は善良な証言者です。私が常に同行致しましょう。それで、問題は無い筈です」
事務員2人は顔を見合わせる。それから、恐る恐るという風におじさんは言った。
「ルーメン主教自ら常に同行なさると?」
「私の判断だけでは不服を申し立てる者が出ますでしょうから、総主教まで話を通しておきましょう。こちらの書類もそのように報告して下さい。ちゃんと滞在するお部屋まで送迎も致しますよ。御心配なく」
神官サマの薄い微笑みは、皆を黙らせるのに充分な迫力を伴っていた。
失脚して、位も剥奪された筈なのに、まだ影響力があるというのはこういうことかと思わせる。
敵が多いはずだ。