「水龍と火神鳥」― 弐 ―

文字数 5,229文字

 朝食を片付けている間に出掛ける準備をしたお爺さんと地底湖に向かう。
 最近火の山の主が復活したと一部で噂になっているので、まさか庭から堂々と飛び立つわけにもいかないのだ。
 ガルダだけならば普通の鳥に擬態出来るようで、山から庭へ直接来ていると言っていたが、そのうち誰かに見られそうで怖い……

 地底湖の天井に開いている穴も結構大きいのだが、ガルダ本体が出るのは厳しいらしい。
 取敢えず1人ずつ穴の上までガルダに運んでもらう。初めにお爺さんが上がり、魔獣や危険が無いかチェックしてくれた。

「いいぞー」

 お爺さんの声に、ガルダが私の後ろに回った。脇の下に手を潜らせてそのまま身体を密着させる。
 くっと力の入った掌がある位置は丁度胸の上で――
 私もだけど、ガルダも固まった。

「……ちょ……」
「なんだこれ! やーらけー!!」

 がばりともう片方の手も後ろから差し入れて、遠慮無く揉みしだく。
 カエルがその手を掴むのと、私が振り返ってガルダをグーで殴ったのは同時だった。
 カエルがちょっとビックリしてる。

「……ってぇ! 何だよ!」
「私のパンチなんて痛くないでしょ! 女性の身体を勝手に触っちゃダメなの!」
「触らなきゃ運べないだろ!」
「胸じゃなくて、この辺を持ってよ!」

 私はガルダの手を自分の腰の辺りに当てた。
 ガルダは憮然としていたが、確かめるようにその腰の辺りを擦ったり、ぷにぷにとつついたりしているうちに興味深そうな顔に変わる。

「……壊れそう」
「弱っちいんだから、優しく扱ってよね!」

 赤い瞳が膨れている私をじっと見つめた。

「わかった。壊さないように気を付ける」

 素直に頷いて、ガルダは私を横抱きにした。最初からそうしてよと思わなくもなかったけど、すぐにふわりと浮き上がったので慌ててガルダの首に手を回す。
 ちらりと見たカエルがムッとした顔をしていた。ガルダにヒトの常識など通じるわけもなく、不満の持って行き場が無いのだろう。

 お爺さんの時のように飛び上がるでもなく、下から風で押し上げられるようにゆっくりと上昇していく。

「……これって、魔法?」
「んー? どうかな? 翼で起こす風みたいに魔素を動かしてるだけだし」

 うん。私には説明されても良く分かんなかったね。
 そういえば、火山なんだからガルダは焔石(ほむらいし)が額にあるんじゃないのかな? 火の魔法をよく使ってる気がするし?
 じっと人型の額を見ても宝石のような物は無い。
 さすさすとその額を触ってみるも、何か埋まってるようでもなかった。

「何だよ」
「ガルダの石はどこ? 隠してあるの?」

 ガルダの瞳が面白そうに細められた。

「今、お前が見てんじゃん」

 透き通るような赤い瞳。これが? でも、あれ?

「……両眼とも?」
「そうだ。丁度いいだろ?」
「2つあるってこと?」
「そうだって」

 私がその瞳に捕らわれているうちに、いつの間にか私達は穴の縁に降り立っていた。
 言ったとおりにそっと私を降ろして、カエルを迎えに行こうとしたガルダは、穴を覗き込んでピタリと足を止めた。そのままにやりと笑っている。

「何年か後には、楽しくなるかな」

 何の事かと思っていたら、ガルダの足下に誰かの手が見えて、穴の縁に手をかけたかと思うと、カエルが飛び出してきた。
 ニヤニヤしているガルダを一瞥すると、眉間に皺を寄せる。


「取らねーって。そんなすぐ壊れそうなのなんて怖ぇよ」

 ガルダは可笑しそうに笑って、乗り方は(じじい)に聞けと言うと、その人型の輪郭がぼんやりと空気に滲んだ。
 着ていた服が風に巻かれたようにくるくるとひらめくと、腰ベルトに付けていた鞄にひとりでに押し込められていく。
 いつの間にか目の前に現れた巨大な鳥の脚は、言われなければその辺に生えている木と間違えてもおかしくはない。その片方に服の詰められた鞄の付いた腰ベルトが巻かれていた。

「ガルダ! 顔、見せて?」

 少し移動して、薄く炎揺らめく体躯を見上げる。
 ガルダがゆっくりとこちらに首を向けてくれた。
 不死鳥のようなその姿は神々しくもあるのだが、色眼鏡で見ているからか、美しいだろ? と言わんばかりのドヤ顔に主らしい威厳は半減だ。
 額には確かに赤い石が2つ並んでおり、数本長い冠羽の炎を映して揺らめいて見えた。
 本体の瞳は金色……かな?
 炎の色に紛れてよくわからない。

「……綺麗だね。よろしく」

 褒めておかねばならない気がして、そう言って、待っていてくれてるカエルの所まで戻った。
 お爺さんを見ると指の根元に無造作に乗って、脚に腕を回している。
 見様見真似で反対側の脚に乗って掴まると、カエルが腰帯のようなもので結わえてくれた。
 彼はお爺さんと同じようにひょいと乗っかるだけで、何だか見ている方がはらはらしてしまう。
 カエルが乗ったのを見ると、お爺さんはその脚を叩いて合図した。

 頭上で巨大な羽が開かれ、ごう、と突風が吹き付けたかと思うと、足下が急に頼りなくなった。思わず脚にしがみつく。
 みるみるうちに木々を追い越し、山向こうの遥か遠くに海も見え始めた。
 眼下には水道橋がミニチュアのように見えていて、山奥へと真っ直ぐ伸びている。あの先に湖があるのだという。
 木々に隠されるようにしてあるその湖も、程なく見えてきた。

 速い、のだろうけど身体に感じる風はさほどでもない。ガルダが気を付けてくれているのだろうか。
 深く澄んだ水は黒々として、角度によっては鏡のように青い空と雲を映していた。
 1度大きく旋回すると、湖に突き出すように出た崖の上にガルダは降り立った。
 湖が一望できる。
 カエルが結わえていた腰帯を解いてくれると、ガルダはぶるぶると身体を震わせてから、今度はひとりで飛び立って行く。
 彼は何かを探すようにゆっくりと湖の上を飛び回り、キジのような声で一声鳴いた。

「呼んで、るのかな?」

 やはり、主の言葉は解らない。

「声を出してるうちは本気じゃねぇ。主の言葉はもっと、こう……」

 お爺さんは両手を動かしながら指をわきわきとさせた。

「空気を伝わってくるというか……空気に満ちるというか……」

 難しい感覚らしい。
 言葉にするのを諦めて、お爺さんは肩を竦めた。

「わしらに出来るこたぁそうねぇ。薪拾いでもしてくらぁ」

 ひらひらと手を振って、森の中に向かうお爺さんに、カエルは一言突きつける。

「ほどほどにしろよ」

 お爺さんは振り返りもせず、高くその手を上げた。

「ほどほど? 薪を?」

 そんなに沢山拾ってくるのだろうかと不思議に思っていると、カエルが笑った。

「ひと月も家に押し込められてたんだ。動きたくてうずうずしてる。ガルダは何だかこっちに夢中だし、その辺の魔獣でも相手にしに行ったんだろ」
「え!? この辺って、主も居るところだから、魔獣って強いんじゃないの? ひとりで――」
「心配ない。ガルダがなんで爺さんに懐いてると思ってる。うっかり次期主候補にでも突っかからなきゃ問題無い」

 自分で言って、笑ってたのに、ふっとカエルは黙り込んで眉間に皺を寄せた。
 うん。フラグ立てちゃダメだよ。

 少し崖の端に近付いてそっと下を覗き込むと、小さく湾のように窪んだ地形に砂がたまって浜になっていた。
 崖から直接生えているのか、その砂浜に根を張っているのか、いくつかの木々が青々と葉を茂らせている。

「あの辺に下りられたら、水に足を浸せるのに」

 じりじりと照りつける陽の光から身を隠せる影もある。
 心配するようにこちらに近付いて来たカエルは、辺りに首を巡らせると残念そうに首を振った。

「下りられる道は無いな。ガルダに言えば下ろしてくれるかもしれんが」

 そのガルダはまだ湖の上を行ったり来たりしている。
 心なしか、空気がぴりぴりしているような気もした。

「……なんか、イライラしてる?」
「かもしれんな」

 今頼んでも無理そうだ。
 山の上の湖を渡る風はひやりとして気持ちがいいが、午前中とはいえ、もう日差しはキツイ。
 私達は遮るものの無い崖の上から、木々が生い茂る森の境目へと場所を移したのだった。

 ◇ ◆ ◇

 木漏れ日の揺れる森の入口で薪となる枝を拾う。
 お昼用に軽食を持ってきているのだが、お茶はその場で淹れることにしていた。
 夏はアイスティーがいいけど、氷が無いので贅沢は言えない。
 『水龍(ナーガ)』なら水魔法が使えそうだし、氷作ってくれないかな? 無理か。ガルダじゃないんだから、話が通じるかもわからない。
 よさげな枝を見つけて、屈み込んで手を伸ばす。
 枝を半分隠していた草叢から、唐突に黄緑色の蛇が顔を出し、するするとその枝を伝って私の腕に絡みついた。

 う、わ。

 かなり驚いたけど、声を上げるのはぎりぎり耐えた。
 こ、こういう時は動いちゃだ、ダメなんだ、よね?
 肘の辺りで頭をもたげて、チロチロと舌を出し入れしながらじっと見つめられる。
 心臓がバクバクいってたけど、(ヒタム)は笑うかのように少し首を傾げて、今出てきた草叢の方を振り返った。すぐにまた私を見つめる。

 怒ったりして、襲われるわけじゃない、かも?

 (ヒタム)は少し(からだ)を傾けてカエルがいる方を覗き込むようにした。
 呼べ、と言われているような気がしてようやく声を上げる。

「カ、カエル?」

 まだ緊張していて、声が裏返る。蛇から目が離せない。
 呼んだのに振り向きもしない私を訝しく思ったのか、カエルの足音が近付いてきた。

「なんだ? 座りこんで……具合でも……」

 カエルが蛇を視界に入れたと確信してから、私は彼を仰ぎ見る。

「なんか、捕まった」

 カエルは呆れたような、諦めたような、そんな顔をしてからひとつ溜息を吐いた。
 彼もしゃがみこんで(ヒタム)に手を伸ばしたが、蛇は私の腕をくるりと回り込んで巧みに避けている。ついでのように向きを反転させて今度は手首の上で首をもたげると、私達を振り返った。きゅ、と腕を締める力が少しだけ強くなる。

「……ついてこい、な気がする」

 こくりと頷くように蛇が頭を下げた気がするのは、気のせいだろうか。
 カエルは額を抑えこんで立ち上がると、腰のポーチから細長い煙草くらいの筒を取り出して咥えた。

 ピーーーと甲高い鳥の声の様な音が響き渡る。
 少しして、同じような音が何処からか聞こえてきた。

「爺さんが戻ってくるまで、ちょっと待て」
「それ、冒険者さん達が使ってたのと同じ?」

 カエルの持つ金属製の笛を指差して聞いてみる。

「同じかはわからん。伝達用の笛だ。結構種類があるらしいからな」

 へぇ、と感心していると崖の方が一瞬だけ太陽が下りてきたような明るさになって、ガルダが駆けてきた。いつの間にか人型に戻っている。

「爺を呼んだのか? 何かあったのか!?」

 ちょっと嬉しそうなのは、トラブルがあった方が楽しいからなんだろうか。

「この()に呼ばれたの」

 装飾品のように腕に巻きついている(ヒタム)を、少し持ち上げてガルダに見せる。
 (ヒタム)はそれまで大人しかった表情を変えて、ガルダにシャーっと威嚇の声を上げた。

「ナーガの! 連れてってくれんのか!?」

 ぷい、とガルダから顔を逸らす(ヒタム)

「何もしねーって。うん。このまま行ってもいい。制限掛かるんだ悪くないだろ!?」

 表情が無いはずなのに、(ヒタム)が疑わしげな目でガルダを見たのが分かった。

「制限って?」
「身体を作り変えてるからな。本体の時より使える魔法が少なくなるし、威力も落ちる。翼を使った風の攻撃も使えない。ほら、喧嘩売りに来たんじゃねーって」

 何だか弱みのような事をべらべらと、いいのだろうか。
 質問したのは私だけど、説教した方がいいような気がしてきた。
 ガルダが物言わぬ蛇に言い訳の様な説得をしているうちに、お爺さんが戻ってきた。
 顔に返り血が飛んでいて、ぎょっとする。

「何じゃい。『水龍(ナーガ)』でも出たか?」
「まだ出てないが、使いが来たみたいだ」

 (ヒタム)を見せるついでに差し出したハンカチを軽く手を振って断って、お爺さんは自分の袖でぐいと顔を拭った。

「嬢ちゃんは蛇にも好かれてんのか。恋敵が多いな、坊主」
「まったくだ」

 渋い顔をしてカエルは肩を竦める。

「だが、嬢ちゃんを連れ歩けば退屈はせんかもなぁ」
「否定はしないが、やめてくれ」
「なぁ、爺もそう思うだろ?」

 きらきらと同意を求める顔でガルダが口を挟んだ。

「思う。思うがなぁ、ガルダ。嬢ちゃんは坊主の命を繋ぐ大事な鎖だ。わしにはそれを引き千切れんなぁ。わしらに出来るのは、面白そうなことの始まる時に駆けつけることくらいよ。どうせお前の眷属に見張らせとるのだろう?」
「ここ暫くは退屈だったけどな」

 不満気に頷くガルダにお爺さんはガラガラと笑って見せた。

「お前たちの時は長い。楽しいことばかりは続かん。さ、『水龍(ナーガ)』の使いよ、何処に行けばいい? ガルダに悪さはさせん。連れていけ」

 お爺さんが促すと、黄緑色の蛇はちらりとガルダに視線を投げてから、諦めたように首をもたげてそれを少し伸ばすと、一点を指し示した。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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