「水龍と火神鳥」― 肆 ―

文字数 6,391文字

 お爺さんがそう言うので、私は最後まで見届ける覚悟を決める。
 こちらに来ないということは、ガルダはちゃんと私達のことを考えてくれている。そういうことだ。

 『水龍(ナーガ)』の撃ち出す水の塊は徐々に小さく、速くなっているようだった。
 それをガルダはただ避け続けている。
 『水龍(ナーガ)』はつまらないと言うように、こちらに視線を投げた。
 目が合った瞬間、私でも全身が総毛だった。
 何か、来る。
 気が付くとパン、と音を立ててお爺さんの前で水の塊が2つに分かれるところだった。
 お爺さんがいつの間に剣を抜いたのか判らない。
 2つに割れた水の塊は、そのまま重力に引かれてざばりと地面を濡らした。

 地面を滑る水を目で追って、カエルもいつの間にか私の半歩前に出ていることに気が付いた。
 その服の裾を控え目に摘まむ。
 多分、ガルダに向ける何倍も手加減した一撃だ。それでも私なんかは避けることも出来ない。
 お爺さんがいなければ今頃は――

 ガルダの雰囲気が少し変わった。
 『水龍(ナーガ)』はまた黙ってガルダを目で追っている。
 ひとつ、ふたつ、と『水龍(ナーガ)』の周辺にピンポン玉くらいの水玉が浮かんで留まる。それは見ている間に10、20と増えて、やがてふっと消えた。

 いや、消えたんじゃない。
 全てがガルダに向かったのだ。
 ガルダは慌てるでもなく、その場にホバリングして『水龍(ナーガ)』の水の弾丸を待ち受ける。着弾する寸前、ガルダの体躯(からだ)が白く輝いた。水の蒸発するジュウという音が響き、光の塊からゆらりと白い蒸気が立ち上る。洞窟内の温度が上がった気がした。
 眩しくて、掌で影を造りながらなんとか彼らを視界に収め続けていると、白い塊が木の葉のようにひらりと落ちた。

 それだけのダメージがあったのかと心配になったが、ガルダが居た場所の丁度真後ろ、つららのように垂れていた鍾乳石がいくつか、弧を描く水の軌跡にスパリと切られて落下するのを見て、彼が次の攻撃を避けたのだと理解した。
 今までとは違う魔法のようだ。
 体躯(からだ)の色を戻しつつ旋回したガルダはとても不満そうだった。
 そんなガルダを嘲笑うように『水龍(ナーガ)』は先程と同じようにピンポン玉くらいの水玉を作り始める。
 今度は先程の半分ほどの数が『水龍(ナーガ)』の周りに浮いたところで、おもむろにこちらを向いた。

 お爺さんの舌打ちより先に、彼の数メートル先に白い壁が立ちはだかる。かなりの熱を感じて、私はカエルの服を掴んだまま数歩後退った。
 白い壁はゆらりと揺らめきながら水の弾丸を水蒸気へと変え、1つも後ろに洩らさない。

「ナーガ」

 白い炎の壁の向こうでガルダの声がする。

「やめよう」

 壁の密度が薄くなり、炎の間から向こう側を窺えるようになると、上半身裸で背中に揺らめくオレンジの羽を携えた、天使のようなガルダが『水龍(ナーガ)』の鼻先に浮いていた。

 何故。

 『水龍(ナーガ)』が平坦に疑問を投げかける。

「爺はいい。だが、ユエは弱い。すぐに壊れる。あの白い岩のように」

 元々世の理から外れた者。壊れたところで問題無かろう?

 ガルダはゆっくりと首を振った。

「ユエは既に組み込まれた。我等の……俺の勝手な戯れに巻き込んではいけない」

 アレを巻き込んだのはお主だろう?

「そうだ。戦い(やり)に来たんじゃない。会いに来たんだ。この綺麗な棲家を壊すのも忍びない。こんな手加減された手合わせも楽しくない。やるなら、何処か海の孤島にでも行こう」

 ………………ふむ。
 先代よりは、マシだな。

 『水龍(ナーガ)』はその身を少し震わせたかと思うと、見る間にぼやけ、粒子となった。それが1つ処に集まり纏まったかと思うと、額に水色の宝石の嵌まったサークレットを付けた美女が居住まい正しくそこに立っていた。

 エメラルド色の髪は膝の辺りまで届き少しの癖も無い。深緑の瞳に鎮座する瞳孔は少し縦に長く、身体にはサリーのような衣装を纏っていた。
 青みがかったグリーンのそれは薄いのか、レースなのか、金の刺繍が施されてはいるが、くびれたお腹の辺りが透けていて艶めかしい雰囲気を醸し出している。

 私もカエルもぎょっとしたが、ガルダもお爺さんも当たり前のような顔で彼女を見ていた。

「驚かぬか。つまらぬ」
「若ぇのは驚いとるぞ。ガルダに出来ることが、あんたに出来んわけがねぇし、わしは謎の美女がもう滅んだ国の王と激しい恋に落ちたお伽噺を知っとるからな」
「お前のような爺でも、知ってるのはお伽噺か。ヒトはほんにすぐ死による」

 嫣然と微笑む彼女の唇を朱い舌がちろりと舐めた。

「火の山の次代よ。ヒトに関わるな。爺も女も子供もすぐにいなくなる。虚しいだけだ。例え血を分けようとも同じ者は産まれん。その身を炎以外で焦がす前に離れた方が良い」
「俺が何をしようと、何と居ようと、決まりから踏み外さなければ、指図される謂れは無い」
「そうだ。だからこれは指図では無い。忠告だ。永く生きた者からの」

 羽を消して、もういつもの姿のガルダの頬を、ナーガは指先でそっとなぞるように撫でた。

「あの先代のことだ。次代に何も残してないのだろう? 無垢ならば無垢のままあった方が、良いのではないか?」
「どちらが良いのかは、本人が決めること。選ぶのならば、正しく世の中を見なければならん。引き籠もらせておいては何も知れん。あんただって色々と見てきただろうに」

 口を挟んだお爺さんに、ナーガはその瞳を細めた。

「ヒトに落胆し、見限り、主の本分を忘れて生きるようになっても、か」
「主の本分を忘れたのなら、主ではいられまい。さらに次代に代わるだけ。違うか?」
「……そうだ」
「既にガルダは人の脆弱さを学んだ。すぐに人の死も学ぶ。ユエに会うてなければ、脆弱なモノを思いやる気持ちは生まれんかったかもしれん。わしは可能性をわざわざ潰したくは無い。時代は変わった。これからも変わる。ガルダにはそれをしっかりと見ていてほしい。わしらに1番近い主として」

 ナーガは私とカエルを温度の感じさせない瞳で見た後、お爺さんに視線を戻し、更にガルダへとその視線を移した。
 それから小さく溜息を吐くと、そっと瞳を閉じ、誰にともなく呟く。

「年寄りの言葉は要らぬか」
「要らなくはない。ちゃんと留めておく。そういうことだろう? 俺は――」

 急にもじもじと言葉を詰まらせたガルダに全員の視線が集まった。ナーガも瞼を持ち上げる。

「確かに強いナーガとやり合いたい気持ちもあるけど、昔、もうだいぶ昔、俺がまだ主候補でさえなかった頃に、ちらりと見たあんたが忘れられなくて。あんなに綺麗なモノを見たのは初めてで――」

 ナーガの顔に驚きの色が広がった。

「ずっとずっとこうして傍で会って話したかったんだ。なぁ。元の姿に戻れよ。爺との話は終わったんだろう?」
「愚か者め。我等は捕食者と非捕食者。何処まで行っても相容れぬわ」

 心底呆れた表情(かお)でナーガはガルダを叱責する。
 そう言われてもガルダは不思議そうな顔をするだけだった。

「俺は蛇を食わなくても生きていける。眷属までそうさせるつもりはないが、それの何処が愚かなんだ?」
「その、眷属の長が敵と認定しているモノの長とどうして気安く出来よう。その考えは強者側の驕りだ」
「強者側? 蛇だって卵や雛を捕食する。はっきりとした力の差は個々にしか無い。蛇を食う鳥ばかりでもない。誰かに――先代に、お前は食い物だとでも言われたのか?」

 ふっとナーガの美しい顔の眉間に皺が寄った。
 言われた、のかもしれない。
 それは大喧嘩にもなるよね……

「どのみち、俺の本来の姿では寄り添えない。けれど、この姿なら、傍らにいて話をすることは出来る。時々そうして話をして、時々海の向こうで本気でやろう。な?」
「愚か者め」

 もう一度同じ言葉を繰り返して、ナーガは元の姿へと戻ってしまった。
 2度目の言葉に拒絶はこもってなかったと思うけど、どうなんだろう。
 ガルダはそんなことにはお構いなしに、また洞窟の最奥へ戻っていく『水龍(ナーガ)』に纏わり付いている。
 私達は気が抜けて、とたんにお腹が空いてきた。
 『水龍(ナーガ)』に断ってこの場でお昼を食べさせてもらう。燃やせそうなものが無くて焚き火は出来なかったけど、上機嫌なガルダが火を貸してくれた。

 ◇ ◆ ◇

 人心地ついて、まったりと2杯目のお茶をという雰囲気になってはたと気付く。
 お願いしたら、やってくれるだろうか。
 ダメでも魔法をぶつけられることはない、ような気がする。
 私はとぐろを巻いたその体躯(からだ)に座り込んで、にこにこと話しかけているガルダに心底うんざりした様子の『水龍(ナーガ)』に近付いて、そっと様子を伺いながら口を開いた。

「あの」

 ガルダまで言葉を止めてこちらを見た。

「えぇと……ちょっとしたお願いがあるんですけど……」

 拒否はされてないね? 視線は痛いけど。

「こ、氷とか、作れたらこれにいっぱいいただけないかな〜なんて……」

 私はおずおずと自分のカップを差し出した。持ち歩くのでマグカップくらいの木製のカップだ。
 呆れられるかなー、と思いつつ、どきどきしながら返事を待った。

 火の山の次代、これはいつもこうか? 先程殺されかけたのを覚えてないのか?

「ユエはいつもそんな感じだ。俺も拳で殴られたりする」

 ちょっと! 殴られるようなことをしたのはガルダでしょ!

 娘。もう少し危機感を持て。そなたは先程命を落としてもおかしくなかった。その原因の我に易々と話しかけるなど。

「え? でも、お爺さんやガルダが防げるくらい手加減していたでしょう? この場に居るというだけでいつどうなるか判らないのなら、やりたいことをやってしまった方がいいじゃないですか」

 『水龍(ナーガ)』は一瞬きょとんとして、深々と溜息を吐いた。
 と、同時に私の隣にザラザラと音を立てて氷が積み上がっていく。私の背と同じくらいの高さになると、何処からか出現していた氷はぴたりと現れなくなった。

 わ。わ。

「あ、ありがとうございます! カエル! ちょっと濃いめにお茶淹れて!」

 振り返るとカエルも私を冷たい目で見ていた。

 ……あ。叱られそう?

 とりあえず氷をカップいっぱいに詰め込んで、ガルダの火を囲んでいるカエルとお爺さんの所へ戻る。
 むっとしながらお湯を沸かすカエルを横目に、人数分のカップを持ってもう1度氷の山へと引き返した。
 すべてのカップに氷を詰め込むと、鍋のお湯を茶葉の入ったポットに移しているカエルの傍へとそれを持って行く。

「濃いめ、だな?」
「うん」

 カエルはいつもより少し長く待ってから、戸惑い気味に氷の入ったカップにお茶を注いでいく。
 初めの2杯を私はガルダと『水龍(ナーガ)』に持って行った。

「暑いから、どうしても冷たいものが飲みたくて。ここは涼しいけど、こんな機会逃したくないじゃないですか」

 飲むかどうかは『水龍(ナーガ)』の判断に任せるとして、カップをその場に置いた。
 ガルダはもう何も言わなくても、私の差し出すものは躊躇無く何でも口にする。
 毒でも仕込んであったらどうするんだろう……それも、今度叱らなくちゃ。

「おぅ。こりゃあいいな。胃の腑まで冷たくなりよる」

 自分の分に口を付ける頃には、お爺さんのカップは空だった。
 笑いながら一口飲み込むと、求めていたものが喉を通り過ぎていく。

 ああ! 幸せ!

 にまにまとアイスティーを堪能していると、複雑そうな顔をしてカエルが切り出した。

「これが飲みたかったのは解った。だが、心臓に悪いことはやめてくれ」
「お酒をこうして飲んでも美味しいんだよ。だって、多分、ここでしかできないでしょ?」

 お酒と聞いて、お爺さんがいそいそと氷の山に向かった。

「止められなかったし……」
「ガルダに話しに行ったと思ったんだ」
「……ごめん」

 小さな溜息と共に、斜向(はすむ)かいに座っているカエルが私の腕を引いた。
 簡単にカエルの腕に包まれて、ぎゅっと痛いくらいに抱き締められる。

「いつまで経っても、目が離せない。やっぱり、置いていけない」

 ん? と思った。

「何処に、行くの?」

 少し身体を離して、カエルは私をしっかりと見つめる。

「まだ、決まったわけじゃないんだ。フォルティス大主教に誘われてて――指名で護衛業やらないかと。ふた月に1度くらい帝都までの行き帰りと、たまに他の教会へ行ったりもするから、その時に、と」

 初耳だ。手紙をやり取りしてるのは知ってたけど、そんなことを話してたなんて。

「お嬢にもまだ言ってないんだ。月に1度かふた月に1度帰れれば、何とかなりそうな気もするし、何より少し自分を試したい。何が、出来るのか」
「それで、私は置いていくつもりなの?」
「……ユエはレモーラに居たいって前に言ってたし、宿の仕事もしてる。無理に付き合わせる訳には……向こうでは下働きを雇う余裕もないだろうし……」

 と、いうことを考えてて、やっぱり置いていけないと言うのなら……

「断るの?」

 ふっともう1度軽く息を吐き出す。

「そうなるかな」

 視線を外そうとしたカエルの顔を両手で挟んで固定した。座っているカエルに抱き寄せられたので、私の方が視線が高い。この紺色の瞳を見下ろす機会はそうそうない。

「待って。ちゃんと聞かせて。出来る出来ないは別にして、カエルはどうしたかったの? どうなるのが1番良かったの?」

 ぐっとカエルが言葉に詰まった。瞳が泳ぐ。

「――パエニンスラで、護衛の仕事をやりながら、護身具を作ったりして収入を安定させて……月に1度はレモーラに戻って体調チェックと……」
「現実的な理想なんて聞いてないよ。どうだったらいいなーって思うの?」

 カエルは出来なかったことが多すぎて、出来ることしか考えない傾向がある。
 今のもそうだ。したいことではなく、出来ることしか答えてない。
 声が出る前に、カエルの顔が熱くなって赤く色付いた。

「ユ……ユエと、ふたりで、パエニンスラで……暮らした、い」

 ふるふると頭を振って私の手から逃れ、カエルは私の胸元に顔を埋めてしまった。
 先程より強い力で抱き締められる。

「いや、違う。駄目だ。収入もない、安定しない暮らしなんて、ユエにさせられない。長期で家を空けることになれば、ひとりで残すなんて考えられない」

 早口でもう否定の言葉を吐くカエルの頭をそっと抱え込む。
 紺色の髪は暑いからとビヒトさんに切ってもらっていて、出会った頃と同じくらいの短さになっていた。

「分かった。じゃあ、カエルがパエニンスラに行くことになったら、私は勝手に付いてくよ。置いていかれたくないもん。船でのひとり旅も良いかもねー」

 弾かれたように顔を上げて、カエルは繁々と私を眺める。にっこりと笑う私を不思議なものを見るように。

「い、いか、ない」
「じゃあ、私がパエニンスラの教会で通訳の仕事回してもらおうかな。観光客にオルガンの説明するのって楽しそう。月に1度は帰ってきて、子供達を抱き締めて――ついでにカエルも抱き締めてあげるよ」
「ユエをひとりでなんて行かせないっ」
「そう? じゃあ、そうする? 私が決めた道に、そっとカエルがついてくる?」

 カエルは、はっとする。
 どうすればいいのか、きっと解ったはずだ。

「……まだ、決めてない。決めてないけど――パエニンスラに行くって決めたら、その時はユエも連れて行きたい。皆にちゃんと相談して、1番良い形を見つけて――どうなるか分からないけど、許されるなら、ユエ。その時は一緒に来てくれるか?」

 良く出来ましたって心の中で花丸をあげて、私は答える。

「もちろん。置いていったら、押しかけるよ?」

 小さな笑い声が洞窟の中に反響して、細く射し込む光を震わせた気がした。



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それはプロポーズだと思っているカエルと、全くそうは思っていないユエ(笑)
先代も次代も面倒くさいと思ってるナーガ。

次の閑話で完結です。案内役の蛇ちゃん視点です。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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