74.ムレ

文字数 5,269文字

 暑さで目が覚めた。
 陽が昇ると寝袋では暑すぎる。そこから抜け出して、もう少し寝ようか迷ったけど、結局汗でベタつく気持ち悪さに負けて起き出した。
 テントから顔を出すと、外には昨夜のように神官サマが火の番をしていて、焚き火には鍋がかかっていた。

「おはようございます。今何刻くらいですか?」
「もう少しで2刻というところですかね」
「カエルは……」
「これを作ってから仮眠に入りましたよ。食べますか?」

 神官サマはそりの方を指差した。

「食べたいですけど、汗かいちゃって……ここの水って危ないモノ居ますか?」
「大丈夫だと思いますよ? 沐浴でもするつもりですか?」
「駄目ですかね?」
「ユエが大丈夫なら良いのでは。ただ、急に深くなったりしてるかもしれないので、お気を付けて」

 頷いて、テントの中に入れていた荷物の中から沐浴着を探し出す。それに着替えただけで大分涼しくなった。
 タオルは昨日椅子代わりにしていた木箱の上に置いておく。

 砂トゲトカゲ達が頭を突っ込んでいた辺りから、足下を確認しながら水に入る。湧き水だからか結構冷たい。これは一気に行った方がいいかもと、膝の深さを超えた辺りで泳ぎだしてみた。
 澄んだ水に顔を付けて水中を確認する。神官サマの言うように、少し先で急に深くなっていた。

 透明度が高い水の中には小魚がそこかしこで群れを作っている。しばらく着衣での泳ぎに慣れなかったけど、慣れてしまうと少し潜ることも出来た。
 ひととき堪能して、身体も気分もすっきりした。
 浅い水際で髪や沐浴着を軽く絞る。
 一連の動作を、神官サマがいつものように薄く微笑みながら見ていた。

「その沐浴着も少し変わっていますね」
「これ、私の国にある物にとても似てるんですよ。カエルのご先祖様から伝わってる物らしいんですけど」
「そうなのですね。それで、ユエによく似合うのでしょうか」

 タオルでわしわしと頭を拭いていたら、そんなことを言われた。
 今度、浴衣デザインして作って貰おうかな……
 着替えは少し迷ったけど、Tシャツと短パンにした。こちらに来たときに着ていた物だ。どうせもう一眠りするのだからと開き直ることにした。
 だって暑いんだもん。

「……ユエ、ずいぶん刺激的な格好ですね?」

 カエルの作ったというスープに、マカロニの様なパスタが入った物をよそってくれながら、神官サマは苦笑していた。

「食べる間だけです。向こうではいつもこんな感じでしたし」
「彼に怒られそうですね」
「夏になる前に少し慣れてくれないかな……」
「ある意味ユエの方が男前に見えるのが不思議です」

 えへへー、と笑ってみる。
 褒められたんだよね?

 朝食は私が最後のようなので、食器も鍋も水辺で洗ってしまう。
 ほら、こういう時だってTシャツ短パンの方がいいじゃん。
 鼻歌交じりに、火の始末をしているはずの神官サマの方へ戻ると、彼は立ったままあらぬ方向を見ていた。

「どうかしましたか?」

 神官サマはこちらに目もくれず、人差し指を口に当てると、じっと何かに耳を澄ませているようだった。
 私も口を噤んで耳を澄ませてみる。
 微かにさくさくというか、さわさわというかそんな音が聞こえてきた。
 何だろうとさらに注意深く辺りを見回してみると、その音は四方からしていて、少しずつ増えているようでもあった。
 不気味に思って神官サマの傍に寄る。

「ユエ、テントの荷物をそりへ。それが終わったらここの荷物です。そりへ行ったら彼を起こして」

 私は黙って神官サマの指示に従った。取敢えず持てるだけの荷物を抱えてそりまで行くと、悪いとは思ったけどカエルを起こした。
 カエルは私に起こされたことに驚いて、更に私の恰好を見て小言を始めようとした。

「それ、後で聞くから。なんか、変なんだよ。周りから、何か聞こえるの」

 少し耳を澄ませた後、眉間に皺を寄せてカエルはそりを飛び出した。
 何度かテントとそりを往復して、かなり適当ではあるけれど何とか荷物を移し終える。
 外の荷物は重い物もあるので1人では少し厳しそうだった。

 テントはどうやって畳むのかと目をやると、その上に蜂かバッタのようなものが乗っているのに気が付いた。
 緑がかった黄色と黒のまだら模様のそれは、体長4cmくらいで、見ている間に1匹、また1匹とテントの上に増えていく。翅が未熟なのか、飛んでくるというよりは飛び上がってくると言った方がいい。
 そうやってテントの上に着地したものは、がりがりとその布地を噛んでいるようだった。

「カ、カエルっ!」

 目が離せなくて、数歩後ずさった私を抱える様に引き寄せたのは神官サマだった。

「もう少し下がって。毒などは無い、普通の昆虫ですが……数が異常ですね。気付きませんでしたが、昨夜から木々や草叢に潜んでいたのでしょう」

 周りに目を向けると、オアシスの周囲に生えていた木々が黒っぽくざわざわと蠢いている。その黒い塊が移動すると後には何も残っていなかった。
 食べる緑が無くなると残っていた枝や幹にも取り付き、がりがり、ごりごりと顎の強靭さを物語るような音を立てている。
 見える範囲の黒い点全てがその虫なのだと思うとぞっとした。

 目の前のテントが真っ黒になり穴が増え、潰れる寸前のようにふるふると何度か揺れたかと思ったら、突然音を立てて燃え上がった。
 赤々と燃えるテントをそれでもまだ()み続けるものと、熱さに耐えきれずぴょんぴょんと燃えたまま四方に飛び出すもの、異様な混乱がそこにあった。

 私は思わず神官サマを見上げて、その表情を読み取ろうとした。
 テントにはもう荷物は無かった。燃えそうな物は何も。何度か見た炎と神官サマの関係の確証が欲しかった。
 けれど神官サマはいつもと変わらぬ微笑みを湛えていて、私が無意識に握りしめていた神官服を離させると、その手にいつも使うような魔道具を握らせた。

「そりの幌まで食べられてはかないません。一番後ろで腰かけて、それを発動させて下さい。そのまま動かないで。範囲で効く物ですから軽く打ち付けるだけで大丈夫ですよ」
「荷物積んじまうから、ちょっと待て!」

 小さな個体に苦労してたらしいカエルが戻ってきて、ひょいひょいと木箱を重ねて持って行く。私もなんとか1つ抱えるとカエルの後を追った。

「油でもあれば焼き払ってやるんだが……」
「料理用では量が足りませんね。逃げますか? 今から行くと炎天下の走行になりますけど」

 最後の箱を持ってきた神官サマが提案する。

「ここを潰した後向かうのは、俺たちが行く集落じゃないのか? せめて、数は減らしておきたい」

 カエルの言葉に彼は溜息を吐いた。

「気は進みません……が、背に腹は代えられません。カエルさんのナイフでは誘導がいいところですか……このオアシスが小さなもので良かったかもしれませんね」

 神官サマはカエルの火薬の仕込まれたナイフをオアシスの半周程度、等間隔で地面に刺す様に指示した。最初の1本は見える位置に、と注文を付けて。
 カエルが戻ってくると私に魔道具を発動させ、動かない様に念を入れると見えている1本のナイフに向かって瞳を光らせた。

 右手を上げ掌をナイフに向けると、それは前触れもなく爆発した。
 付近にいた虫達が一斉に逃避行動をとる。巻き込まれた物もいそうだが、ほとんどがまだ木々の残るこちら側へと意識を向けていた。
 それは本能か、群れとしての性質か。

 カエルは何もしていないのにナイフが爆発したことに驚いて、神官サマを振り返って凝視していた。
 彼はそんなことに構うことなく、少し身体と腕の向きを変えて次のナイフのある辺りに手を(かざ)す。同じように爆発が起こり、黒いうねりが出来ていく。半周分終わると、周囲は厚みのある黒いカーペットがうぞうぞと蠢いているようだった。

 虫達はその体色の黄色っぽいところを狙うかのように共食いを始めていた。
 ぞぞぞと怖気が走る。
 そりの周囲は球形に虫達が近寄れなくなっており、近寄る物は何かに弾かれたように飛ばされている。風が巻いてるのかもしれない。
 来ないとは解っていても、時々こちらに飛びかかってくるものがあると、びくりとしてカエルを掴んでしまうのだった。

「普段口にしないものまで食べるとは、聞いていた異常行動のひとつなんでしょう。その前に数も異常ですが」

 しばらく様子を観察していた神官サマはちらりとこちらを見ると、にこりと笑った。

「砂漠では旋風(つむじかぜ)がよく見られるんですよ」

 視線を虫達に戻して手を少し動かすと、目の前で風が巻き始めた。
 それは少しずつ速度を増し、虫達を巻き上げながらゆっくりと移動し始める。

「こんな風に」

 神官サマのゆったりした手の動きに合わせる様にその旋風は意志を持って進んでいく。

旋風魔術(ウェルテクス)……」

 カエルが呟いた。
 旋風がある程度の虫達を吸い上げ、黒々と色を変えると、それは砂漠の方に進路を変え、少し行ったところで上下からその身を縮め始めた。やがて黒い球体になると、神官サマが鳴らした指の音を合図にオレンジの球体へと姿を変えた。

 オレンジの濃さがゆらゆらと揺らめくように変わり、ようやくそれが炎だと気が付く。誰も言葉も無く、しばらくその様子を眺めていたが、やがてオレンジの勢いが無くなり黒の上にちろちろと舌を伸ばす程度になると、私はほっと息を吐いた。
 その息遣いを聞いて神官サマがくすりと笑う。
 何だろうと思っていると、人差し指を立ててくるりと回した。

 とたん。
 ドン、と耳の痛くなるような音が響いた。
 球体の上部から赤々とした炎が吹き上がっている。
 驚いてカエルを掴む手に力が篭った。
 キーンと耳鳴りがする中、球体が解けて中の燃えカスがはらはらと空気中に舞っていく。

「……魔法が使えるなら、俺は要らないんじゃないか?」
「おや。ユエと2人で行ってもいいのですか? それに、これは奥の手です。連続で幾つも使える物でもないですし」
「重ね掛けは出来るのに? ひとりでいくらでも行けるだろう」
「ユエが行かなければ意味が無いので」

 カエルは渋い顔をして、溜息を吐いた。

「詠唱はどうした」
「私の詠唱はポンコツなので。無くてもなんとかなるものですよ?」

 ふふ、と笑って小首を傾げたりしてるが、カエルの様子からして普通は何とかならないものなのかもしれない。
 それにしても、この人ほどポンコツという言葉が似合わない人もいないな。どこで覚えたんだろう……っていうか、私の通訳そこだけ間違ってる気がする。

「今ので風と炎2種類だ。他にも出来るとか言いそうだな」

 癒しも出来るよ、と喉まで出かかった。
 神官サマににこりと微笑まれる。危ない。

「秘密です。使わないに越したことはありません。私が動けなくなったら、貴方は運んでくれないでしょう?」

 カエルは鼻で笑った。

 ◇ ◆ ◇

 虫達は全てが巻き上げられたわけではなく、まだそこかしこでさくさく、がりがりと目にするものを食んでいる。
 やがて食べる物が見つからなくなると共食いを始めるのかもしれない。

 それでも命の危険を感じる程ではなくなった。
 魔道具を発動させたまま、私達はそりの中にいた。
 砂トゲトカゲは大丈夫なのかと少し心配になったが、あの虫を平然と食べるらしい。皮膚も硬く、虫達が狙うのも、よっぽど食べ物が無い時だろうと神官サマは言った。

 カエルが寝足りないと言ったので、この場に留まって座ったままだが仮眠を取ることにした。
 横になれば? と膝枕を勧めたのだが固く固くお断りされた。
 危うく仮眠ではなく説教で時間が潰れるところだ。

「魔力ってどの位で回復するんですか?」

 一応そりの後方で外を警戒している神官サマに並んで座って聞いてみる。

「魔素の濃い所なら数時間。普通では半日という所ですかね。先程使ったくらいというなら、ですが」
「魔素の濃い所ってどんなところなんです? 何か違うんですか?」
(ぬし)が現れると言われるような場所は魔素が濃いと言えますね。目には見えない物なのでここからここ、というような線は引けませんが」
「砂漠とかはやっぱり少ないんですか?」
「そうですね。でも、乾燥が酷い所は逆に濃い場合もありますよ」
「難しいんですね……」

 神官サマは私を見て笑うと、寝ているカエルにも少し視線をやった。

「昨日の補足のさらに付け足しですが、タマハミ達は魔力があまり多くないと思います。『何か』が足りない時、魔力で補えばいいだけの話ですから。それでも寝込むほどだというのは、魔力も足りなくなるからだと思います」

 少し考えて、なるほどと頷いた。

「『何か』が多くて魔力が少ない。あるいは無い。ユエと彼は似てると言えますね」
「私、カエルの遠い遠いご先祖様に同じ国の人が居ると思ってます」

 神官サマはぱちぱちと目を瞬いて、それから何かを考え込む顔になった。

「それは……こちらに来た者が、他にも居たという事ですか?」
「多分、結構な人数。違う国の人もきっと」

 神官サマはそのまま深い思考の海に潜ってしまい、しばらく戻ってこなかった。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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