51.ソレゾレの想い

文字数 4,868文字

 夕食はとても豪華だった。晩餐会という程ではなかったものの、とても緊張する食事会だったことは確かだ。
 カエルは給仕してくれていたが、いつものように気軽に話しかけるわけにもいかない。

 テリエル嬢のご両親は時折じっとカエルの様子を見ていた。
 彼は特に気にする風でもなく、黙々と自分の仕事をこなしている。
 おそらく一流であろう使用人達に混じって、少しも見劣りしていない、と私は思う。

 作法があやふやで目線で助けを求めれば、さり気なく応じてくれるし、お酒を勧められるままに飲んでいたら、飲みきる前にグラスを交換されたりして量を調節されていた。
 言われていた通り、皆、私が多少やらかしても微笑んでスルーしてくれている。

『彼、優秀だね』

 領主様が葡萄酒のグラス片手に隣に座った。
 私は末席にいたのでぎょっとする。

『……だと、思います。あの、何故この言葉で?』
『皆が解らないから、気楽だろう? 失言しても誰も咎めない』
『お気遣い有難うございます』
『君もだけど、私も、だ』

 朗らかに笑う。

『テリエルはどう? ランクィールス君とは上手くやってるの?』
『仲良しですよ? ラブラブ過ぎて、こちらが恥ずかしくなるくらいです』
『らぶら……』

 きょとんとしてから彼は盛大に笑った。だから、視線が痛いんですけど。

『そう。そうなんだ。では我等の杞憂なのだな』

 領主様は一度カエルに視線をやってから、グラスの中味を飲み干した。

『成る程。テリエルの言うように、彼の心組みは変わらなかった、ということか。その上で、君達を連れて……』

 彼はひとりで納得してひとりで頷いていた。
 彼が軽く手を上げると、葡萄酒のボトルを持って使用人がやってくる。それを注いでもらう訳でもなく受け取って、私の方に口を向けた。

『1杯受けてくれ』

 領主自らの酌に私はどぎまぎする。
 あわあわとグラスを差し出すと、赤紫色の液体が3分の1ほど注がれた。
 彼にも葡萄酒の注がれた新しいグラスが差し出され、それを受け取ると、乾杯、と軽くグラスを持ち上げた。
 飲まなきゃ悪いよね?
 とりあえず一口口をつけたところで、グラスの口を誰かの手が塞いだ。

「飲みすぎです」

 丁寧な口調だったけど、ちょっと苛ついてる声だった。
 そのままグラスを持って行かれて、水と交換される。
 い、良いのかな~。
 そっと領主様の方を窺うと、彼はにやにやしながらカエルを見ていた。

『ふぅん? 彼は今、君付きなんだよね? ビヒトさんの秘蔵っ子らしい優秀さだけど……うーん。ついでだ。これはどうかな?』

 彼はおもむろに立ち上がると、私の腕をとって歩き始める。使用人達は誰も止めないし、視線も寄越さない。
 やがてバルコニーに続く窓を開けると、外に出てわざわざ開いていたカーテンを閉めた。これで中からは見えない。

『な、何ですか? 何がしたいんですか?』

 とても楽しそうなので、変なことではないと思うが想像がつかない。
 しーっと人差し指を立てて、彼はカーテンをわくわくしながら見ていた。
 ざっ、とそれを開けてやって来たのはビヒトさんだった。

「ラディウス」
『ビヒトさんが来ちゃ駄目じゃないか』

 ちょっとむくれて彼は言う。

『うちの若いのを試さないでくれ。最近彼女が攫われたりしてたから、冗談じゃすまない』

 ビヒトさんはやっぱり話せるんだと、妙なところに感心してしまう。そんな気はしたんだよね。

『え? 本当に? 攫われたって!?』

 慌てる領主様にこくりと頷いてみせる。

『すぐにビヒトさん達に助けられましたけど』
『ああ、それは悪かった。もしかして私は命拾いしたのかな?』
『そんな教育はしてませんよ。ほら、ユエ様をお返し下さい』
『仕方ないな……まあ、ビヒトさんが止めに来るくらいだってことは解った。義弟(おとうと)達にも面白い報告が出来るよ』
『次は止めませんからね。ご自分で何とかしてもらいますよ』

 領主様は肩を竦めてから天を仰いだ。

『怖いなぁ。もぅ』

 ビヒトさんに連れられて席に戻ると、何事もなかったように食事は再開された。
 領主様も上座に戻っている。
 良く分からないが、ご両親とテリエル嬢のわだかまりを解けそうなんだろうか。そんな雰囲気だった。
 長年の誤解を解くのは大変だろうな。
 カエルの言った『あり得ない』が、彼女の方も同じように思っていたのかは分からない。
 それが誰かの不安をかき立てたのではないかという想像はつく。
 そのまま疎遠になれば、たとえ道を変えたとしてもなかなか信じてもらえないのではないか。
 私の憶測は間違ってるかな? 自信は無いけど、そういう話なんじゃないかな。
 食後のお茶を淹れてくれたカエルと、テリエル嬢を見比べてみる。
 どちらも普段と変わりない。
 ご両親の不安がカエルの何処にあったのか。病弱というだけではないんだろう。
 そういう話もきっとそのうち聞くことになる。
 私には重要じゃなくても、他の人にはそうじゃない話。
 斜め後ろにカエルを感じながら、私は紅茶を流し込んだ。

 ◇ ◆ ◇

 お開きとなった後、私は立ち上がって愕然とした。意外と世界が回っている。
 歩けないほどではないが、うっかりコケでもしたら……
 そろそろとカエルを振り返ってみたら、ピンときたらしく視線が冷たくなった。

「ちょ、ちょっと酔いを冷ましてから帰ろうかな!?」

 多分、何処からか外に出られるはずだ。バルコニーから見えていたのは中庭だろう。
 カエルに場所が分かるか聞くと、呆れながらも後ろから先導してくれるという器用なことをしてくれた。

 中庭に出るとふわりと甘い香りがした。薔薇のような、甘い香り。
 
「……いい匂い」

 ふらふらと誘われるように歩を進めると、月明かりの中、小振りの白い薔薇のような花が生垣にぽつぽつと張り付いていた。
 よく見ると蔓薔薇が絡みついているようだ。

「ユエ、足元に気をつけ……」

 カエルの言葉が途切れた。不思議に思って見上げると彼の視線の先に女性が立っていた。
 金髪碧眼のその女性は、驚いたように口元に手を当て、生垣の向こうでカエルを凝視している。
 テリエル嬢のお母様だった。
 彼女は母親似だったんだなぁと、しみじみ眺めてしまう。お父様は割とがっしりとした人だった。

「今晩は」

 必要以上に冷たくなった空気を払うかのように、私は声を出した。
 お母様ははっとしてこちらを向く。

「……こんばんは」
「酔い醒ましに来たんです。この花、いい匂いですね」
「ええ。アラブと言って……テリエルも……好きな花でした」

 過去形で話す彼女は、さっきまで娘と会っていた人とは思えなかった。
 視線はどうしてもカエルの方に向く。
 カエルは少し伏し目がちにして、正面から目が合ってしまわないようにしていた。

「お屋敷にも蔓薔薇はあるけど、同じなのかもしれませんね。詳しくないので言い切れませんが」
「同じだ」

 ぼそりとカエルは言った。

「お嬢が好きだから、それにしたと聞いた」
「……そう」

 視線の交差しない、不思議な会話だった。

「……カエルが元気になったから、今度はいつでも会えますね」
「いつでも?」

 2人の視線が私に向いた。
 私はわざとカエルの手を絡めて取り、そっと寄り添った。

「今は、カエルは私のモノだし」

 2人が同じ様にぎょっとした。

「私の護衛で、私の執事で、私が手の掛かる人間だから、私のことで手一杯なんだよね?」

 にっこり笑ってみたが、否定の言葉も出てこないというのはどうなんだろう?
 そんなに手を掛けさせているだろうか。
 ……させてるか。

「だから、会いたければ会えますよ。私がカエルを元気でいさせますから」

 彼女は私とカエルを見比べて、それから少しだけ微笑んだ。

「……ありがとう」

 カエルもようやく顔を上げて彼女を見た。
 視線は合わせなかったが、そうやってちょっとずつ歩み寄れるといいね。
 彼女と別れて、薔薇の香りに満ちている中庭をぐるりと1周する。お酒の酔いは醒めてきたけど、今度はこの香りに酔いそうだ。

「ユエ」

 元の出入口に戻ろうかという頃、カエルが足を止めた。
 また誰か居るのかと辺りを見回してみたが、誰も居ない。

「俺も、ありがとう」

 そ、そんな改まって言われると照れるんですけど。

「ど、どういたし、まして?」

 なんだか挙動不審になってしまった。
 そんな私を見て、カエルは小さく笑う。

「もう酔いは醒めたか?」
「お陰様で。付き合ってくれてありがとう」

 私もちゃんとお礼を言ってみた。カエルはなんてことないという風に頷いて、真面目な顔になった。

「注がれるからって、全部飲まなくていいんだからな」

 …………あれ?

「例え注いだのが領主だって、口をつける振りで充分だ。その上あんなに簡単についていって……」

 夕食時を思い出したのか、眉間に皺が寄った。
 え。ちょっと。

「前回うっかりついていって酷い目に遭いかけたの忘れてるんじゃないか?」
「え、と。いや、領主様でしょ?」
「碌でもない権力者なんてごまんと居る」

 いや、だから、そうじゃなくて。
 なんであの流れで説教になるの?!

「いや、でもカエルだって領主様に意見しないでしょ?」
「時と場合による。さっきだってビヒトに止められなきゃ……」
「ビヒトさんに止められるようなことしちゃ駄目だよ?!」

 何故? と紺の瞳が言っていた。

「俺は、ユエの護衛だろ? 必要ならビヒトからも護るくらいじゃなきゃ、意味が無い」

 それは正論だけども。

「カエル……見えない敵とは戦わなくていいんだよ。見える物も見えなくなったら意味が無いよ」

 カエルは一瞬何を言ってるか分からない、という顔をして黙り込んだ。

「私が甘いのも解ってるけど、カエルはちょっと疑いすぎ。足して割れば丁度いいのかな」

 軽く溜息を吐いて視線を落とす。

「……それは」

 カエルは両手で私の顔を挟み込み、上を向かせると無理矢理視線を合わせた。

「ユエは俺が守るくらいで丁度いいってことじゃないのか?」

 珍しくカエルの方から真っ直ぐ瞳を覗き込まれて焦る。
 胸の奥がちりちりと音を立てているようだった。

「他の人をもっと信用したり協力してもいいんじゃない? ってことだよ」

 なんとか平静を保って答える。

「嫌だ」
「え?」
「嫌、だ」

 明確な拒否に困惑する。

「なんで」
「ユエが悪い」
「はぁ!?」

 ぶんぶんとカエルの手を振りほどく。
 憮然として、カエルはもう一度はっきりと言った。

「ユエが、悪い」
「なんで!?」

 もうカエルは何も答えなかった。
 意味が解らない。
 むっとして踵を返してドアを探す。探し当ててノブに手を掛けたら、その上から手を重ねられた。

「1人で部屋まで帰れるのか?」

 頭が真っ白になった。どうやってここまで来たっけ?
 いや、途中で誰かに聞けばなんとかなる、はずだ。
 動きを止めた私をひょいと抱き上げて、カエルは意地悪な笑みを作った。

「全部ユエのせいだが、酔っ払いだから部屋まで運んでやる」
「もう酔ってないよっ」
「うるさい」

 溜息が零れた。

「どうしろって言うの?」
「黙って運ばれてろ」

 恥ずかしいのと納得いかないのとで、私は顔を伏せてふて腐れたようにカエルにもたれかかった。
 こんな時でもカエルの体温が心地いいと思える自分に少し呆れる。
 夜だからか、そういうところを選んで歩いているのか、しばらくは誰も居ない廊下にカエルの足音だけが響いていた。

「……ユエ、怒ってるか?」

 静かな廊下を歩くうちに、声を潜めてカエルは言う。

「ちょっと、むきになった、かもしれん」

 視線を上げると、若干の後悔を滲ませた瞳と目が合う。

「……別に。楽だからいいけど。私が悪者なのに、私を甘やかすのは矛盾してるよ。止めた方がいいんじゃない?」
「そうかもな」

 苦笑するカエルはそう言いながらも私を離そうとはしなかった。
 部屋に着くとカエルの部屋に続くドアの前で降ろされ、自分がドアを潜ったら鍵を閉めろと念を押された。
 自分も信じないカエルの姿勢に呆れながら、お望み通り鍵を掛ける。
 カシャンと軽い音が、彼の心の鍵も閉めたように聞こえた。
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登場人物紹介

ユエ(葵):主人公。お気楽な性格。

      自分では平均的日本人だと思っているけどちょっとズレている。触り魔。

      一方的に可愛がっていた弟(わたる)がいる。


カエルレウム:ユエが落ちた先で出会った青年。両手首と胸に魔法陣のようなものが刻んである。

       真面目で人に触れるのを極端に怖がっている、トラウマ持ち。

       病弱だというのだが、ユエが来てからは一度も寝込んでない。


 ※アイコンのイラストは傘下さんからのいただきもの

(表紙イラストは151Aさんより)

ルーメン(神官サマ):村の教会の主教。天使のようと噂される銀髪の麗しの神官。

           全てを見通すという『神眼』と呼ばれる加護を持つ。

           お屋敷の面々にはひどく警戒されている。

ジョット(代書屋さん):教会のアトリウムで代書の仕事をしている青年。

            見かけは地味だが明るく人当たりが良い。

            酒好きで気持ちの切り替えはピカイチ。

ビヒト:お屋敷のロマンスグレイな執事。

    一見温和そうだが、実は強いらしい。ワーカホリックの気がある。

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