第37話 邪悪なる者の影(5)

文字数 2,514文字

「おい、この音はまさか」
「ランビエル様の御屋敷の方から聴こえるぞ」
 バルロシ橋を渡らずに右に行けば、大商人ランビエルの屋敷だ。 
「これは剣だ、剣同士がぶつかり合っている音だ」
 酔いが冷めるほどの緊張感が走る。酔った騎士同士の私闘の類か、それとも守備兵が盗賊を取り締まっているのか。
「守備兵を呼んだ方がいい」
 近づくのは危険だった。皆、武術には疎い。
 迂回した方が無難だと考えた時、後ろから、カチャカチャという金属が擦れる音と蹄鉄の音がこちらに向かってくるのが聞こえた。
 松明を掲げながら、鎧に身を包んだ騎士が10騎、暗闇から現れた。
 余りの迫力に、思わずハッと息を呑む。

「そこをどけ」
 先頭の騎士に怒鳴られ、ソヨルシ達は咄嗟に両脇に避ける。怒鳴ったのは女の声だった。兜を被っているため顔は見えないが、この騎士達は女騎士だけで構成される第七騎兵隊に違いなかった。
 ドドドッと通り過ぎた騎士達がバルロシ橋の手前で一斉に馬から降りるのを見て、興味本位で近づいてみる。
 剣を弾き合っている者達の素性は分からないが、10騎もの味方の騎士達が居るという安心感があった。 
 どんな奴らなのか、酒の勢いが蘇り野次馬根性が覗く。
「あ、あれは」
 松明の灯りに照らされ、はっきりと映った姿には見覚えがあった。第七騎兵隊隊長のミランドラと第三騎兵隊隊長のロラルドが一人の男を相手に立ち回りを演じていた。
「ウッ」
 相手の男のあまりにも奇怪な姿に思わず声が出る。 
 痩けた頬に大きく窪んだ目、そして大きく見開かれた口の端に牙が見える。
 しかし、本当に生きている人間なのか、そう思うほど生気が無い。
 そして、ランランと赤い眼光を放ちながら、片腕で振るう剣は恐ろしいほど速く強烈で、それはおよそ人間技とは思えない。
 テネア騎兵団でも、指折りの武術の腕を持つと言われる、ロラルド隊長とミランドラ隊長を二人同時に相手しているのだ。男の底しれぬ強さと不気味さが伺える。
 そして、もう一組、剣を交えている二人がいた。一人は顔を黒頭巾で覆っている男で、もう一人は、異様な圧力を放っている背の高い男だった。
 二人は凄まじい速さで斬撃を交わし合っていた。その一進一退の攻防は、まるで華麗な踊りを舞っている様で思わず目が釘付けになる。とても命のやり取りをしているとは思えない。
「少々手間取り過ぎたな。騎兵隊共が応援に来たようだ」
 光速の剣を受けながら、疑心の騎士が言う。
「おいおい、オーベルさんよ。まさか、逃げるつもりじゃねえだろな。今日は最後まで相手してもらうぜ」
 黒頭巾から覗く両目が鋭い。
「フフ、華美な容姿を持つ男よ。いずれ、お前とは、また逢うことになろう。その時に続きをしてやろう」
「逃げる気か」
「今日は、まだ事を荒立てる時ではない。だが覚えておくがいい。もはや時は満ちている。あの方が明日にでも動き出すと言えば、事態は一変する」
 そう言うと、オーベルは身を翻してバルロシ橋に向かう。
「まて、この野郎」とオバスティが追いかけようとした時、「ギャア」と悲鳴が聞こえ、一瞬動きが止まる。
 剣を握ったままの人間の腕が、血飛沫を上げながら空を舞っていた。ロラルドの剣が一閃、バラルの左腕を斬り落としたのである。
 絶え間ないミランドラの攻撃に晒されたバラルは、常に死角へ死角へと回り込むロラルドに挟まれ、隙を生じさせてしまったのである。斬ったのはロラルドだが、二人の連携プレイの成果といえた。
 勝負はあった。だが、ロラルド達は恐るべき光景を目の当たりにする。
 バラルは、しゃがみこむと、地面に落ちている自分の左腕から、剣を口に咥えて拾い上げたのである。
 なんという執念だと、さすがの二人も背中がゾクっとする。
 両腕を失ったバラルが、獣のような速さでオーベルの元に駆けつけていた。こいつは悪魔なのか魔獣なのか、と慄かずにはいられない。

「隊長、ご無事ですか」
 と、サンディがミランドラに駆け寄る。ロアナも居た。ミランドラの様子に異変を感じ取っていた彼女達は、ラーナ達を兵営に送り届けた後、鎧甲冑を身に着け、仲間を引き連れ戻ってきたのだ。以心伝心というべきものだろう。
「サンディ、よく来た。私は無事だ。奴らを取り囲め。絶対に逃がすな」
「ハッ、わかりました。全員、このまま前進。賊を取り囲め」
 サンディの指示で騎士達が槍を構えながら進む。
 松明の明かりが橋上のオーベルとバラルを照らし出す。
 さらに橋の対岸にあるテネア城から異変に気付いた守備兵5人が、こちらに向かってくるのが見えた。
 進めば守備隊、戻れば第七騎兵隊に挟まれ、橋の上で二人は完全に行く手を阻まれてしまった。
「無駄な抵抗は止めろ。大人しく武器を置け」
 とサランドラが叫ぶ。
「逃げ場はねえぞ」とロラルドも警告する。
 バラルはもはや戦闘不能だ。オーベルという男は底知れぬ強さを持っている様だが、流石にこの人数に取り囲まれてはどうにもなるまい。
 サンディ達が二人に対して、一斉に槍を向ける。守備隊5騎も槍を構え、徐々に包囲網を狭める。
 だが、オーベルは全く慌てる素振りを見せない。
「バラルよ、またしても失態を犯したな。私がせっかく残してやった片腕を斬られるとは、何と情けない限りよ。そなたの不様な様には、あの方もさぞや落胆されるであろう」
 オーベルに冷たい視線を向けられ、バラルは怯えた表情を浮かべる。
「か、必ずや、この借りは返しまする。何卒、お許しを」左肩からボタボタと血を垂らしながら、バラルは懇願する。
「まずは一旦、引く」「ハッ」
 投降する気配を見せない二人に、サランドラは驚くと共にこの男達は何を考えている、逃げおおせると思っているのか、と苛立つ。
「最後の警告だ。武器を置け」
 剣を向け、再度警告すると、振り向いたバラルが、グワッと大きく口を開き威嚇してきた。
「貴様ら、よくも我が左腕を。よくもよくも。この代償は高くつくぞ。おのれ、この恨み、八つ裂きにしても足りぬわ。己らの四肢を斬って落とし、我と同じ思いを味あわせてやろうぞ」
 両手を失った男が剣を振って復讐するとは思えないが、その怨念とも言える執念は不気味であった。
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