第7話 マルホード軍来襲(4)

文字数 3,465文字

 ヨーヤムサンと言えば、軍隊を目の敵にしていることで有名だ。何千の守備軍を前にしても平気で襲いかかる異色の山賊は、雑兵達の間で怪談話になっているほどだ。
 アロウ平野での守備軍を相手にした暴れっぷりは敵と言わずして何というのかと言ったところだ。
「長官はご存知なのですか」
「無論、お伝えしている」
「長官はなんと」
「フフ、ある程度の予測はしていたようだ。まあマルホード長官のいつもの作戦のようだが、必ず伏兵を警戒して支援部隊をつける」
 今回も先鋒隊のダボーヌ軍の後方支援としてアキレル軍を配置している。しかも念には念を入れ、テプロ隊を索敵を目的とした支援部隊に任命している。
「しかし、子飼の将校達を差し置いて、我らに出撃命令が下されたのは驚きでしたな」
 ライトホーネは未だ信じられないと言った顔だ。
「まあ、そう思うのも無理はない」
「我らの騎兵の実力を認めたということですか」
「それもあるだろう。だが、一番は我らの諜報力を買ってのことだろう」
「そうなのですか」
「索敵能力において、ビクトに勝る者は中々いない」
「それはそのとおりですな」
「マルホード長官は慎重な方だ。伏兵の存在を最も忌み嫌う。今回のラドーネ侵攻も攻め手の他にわざわざ同等の戦力を配置しているほどだ」
「石橋を叩いてなんとやらというやつですな」
「その通りだ。そこで長官に吹き込んだのだ。我らの動きが敵に把握されている可能性がある。そうなれば援軍が来る。念の為援軍に備えてみてはどうかと」
 進言を受けマルホードはかなり思案した。当初の戦略はラドーネに拠点を作ることだ。これまでのローラル平原侵攻の失敗は戦線を伸ばし過ぎて、兵站の確保が困難になったことが明らかである。
 そのためにはラドーネに拠点を作り、まずは自給自足可能な体制を構築しなければならない。だが、三万もの大軍を養えるほどラドーネは大きくはない。
 軍師ベニールは、近隣の町々を占領し、戦力を維持するよう作戦を述べていた。あの赤鼻めが、机上の空論を述べおってと苦々しく思ったものだが、アデリー山脈を越えての補給が期待出来ない以上、そうするしかないのも理解していた。
 そうしたある日、テプロが進言してきたのである。我々の作戦が敵に漏洩している可能性がある、他の町々からの援軍に備えて機動力のある我が手勢五百を先鋒隊に加えてほしいと。
 マルホードは悩んだ結果、許可した。
 我らの動きが敵に漏れているとは、にわかには信じ難い話だがあり得ない話ではない。それにテプロの情報収集能力は目を見張るものがある。独自の諜報部隊を持っているようだ。
 万が一にも敵の援軍により、この作戦が躓くことがあってはならなかった。
「我が将軍様は現実主義者ということですな」
 子飼いの部下より実力がある者を優先したということに対して、ライトホーネが皮肉めいた言い方をする。
「一軍の将であれば当然の判断だろう」
 言われてみればその通りだが、これまでの我が主に対する扱いを振り返ると良い気分ではない。
「どうした、機嫌が悪いな」
 いつも愛嬌のある顔がムスッとしている。
「これまでの扱い。高貴なテプロ様が蔑ろにされていたというのはとても納得出来ませぬ」
「フフ、意外と根に持つ奴よ。だが、貴族である私が第七騎兵軍に入れただけでも異例のこと。長官としても扱いに困るのだろう。フフ」
「笑い事ではありませんぞ」
「それに今回の出撃は作戦どおりだ。司令長官に我々の実力をお見せすることが出来た」
「それはそうですが」
「我らの野望の第一歩が踏み出せたではないか、そう思わぬか、ライトホーネ」
 いよいよ王の道への足掛かりにするのか、とライトホーネは感慨深く我が主を見た。我が主が、どのような戦略を練っているのか、そこはあまり積極的に知ろうとは思わなかった。
 想像を絶する戦略を立てているのだろう。一国の王になる。有力貴族の嫡男とはいえ、年若き男が発想するものではない。だが、野心に向かって突き進む我が主にとことん忠誠を尽くすのだ。ライトホーネはそう思っていた。
 ふと、テプロが天幕の入口に目をやる。その動きを見て一同が振り返る。
「ビクトか」
「ハッ、お寛ぎのところ申し訳ございません」
「構わん。入れ」
「ハッ」
 全身黒尽くめの男が現れた。逞しい長身の体と切れ長の目の男がテプロの前に跪く。
「おお、ビクト、良いところに来た、お前も飲まんか」
 ライトホーネが顔を赤くして声を掛ける。
「これはライトホーネ様。折角のお誘いですが、諜報活動を行う者が酒など飲んでは任務に支障がございます。平にご勘弁を」
「分かっておる。皆の手前、誘ってみたまでよ」
 ライトホーネは機嫌がいい。
「フフ、ビクトがいるからこそ我らも安心して酒が飲めるのだ。皆、ビクトに感謝せよ」
 テプロの言葉に一同は頷く。
 彼の大事な任務に諜報活動とテプロ警護がある。どんなときでも必ず手の者が影で見守っている。
「どうした」
「ハッ、以前に申し上げておりました、新たな手の者が参りましたので、お目に入れたく参上いたしました」
「オオ、テプロ様の身辺警護を行う者のことだな」
 ライトホーネが声を上げる。
「はい」
 テプロを専門に警護する者を張り付けたいとビクトから申し入れがあったのは二ヶ月ほど前のことである。
「いいだろう、通せ」
「ハッ、入れ」
 天幕の中に戦闘服に身を包んだ細身の人物が現れた。二十代半ばに見えるその人物は切れ長の目と長いまつ毛、そして黒い長髪が特徴的だった。
 すぐにビクトの隣で跪く。
「名を申せ」
「ハッ、シーレイ・ハルカと申します」
 まるで能面のような表情からは何の感情も読み取ることは出来ない。感情を抑えるよう訓練されているのだろうが、何を考えているのか、一抹の不気味さを覚えない訳でも無い。
「我が配下の中でも、一二を争うほどの手練です。今まではアルフレムでの諜報活動に従事させておりましたが、これから戦が本格化すると思われますので、テプロ様の警護専属とするため、こちらに呼び戻しました」
「大義。よく来た」
「ハッ」
 シーレイと名乗る人物は、自ら話をするような感じではなかった。
「アルフレムでは、どのような任務についていたのだ」
「ハッ、恐れながら修行者に成りすまし、三賢人様の動向を探っておりました」
「ほう、三賢人の方々はサンクチュアリ・エリアに住まわれていると聞くが、修行者であれば、簡単に入ることが出来るものなのか」
「いえ、一般の修行者が入ることは叶いませんが、メートフィ教のサンクチュアリエリアには、最高指導者様のお目に適えば出入り出来ます」
「ほう、我が国教の最高指導者は何とも慈悲深いものだな」
 サンクチュアリエリアの三賢人と呼ばれる、各宗教の最高指導者達は、信者から崇拝の念を一身に集める存在だ。
 また、宗教間の諍いを治める役割もある。例え王であっても、許可なくサンクチュアリ・エリアには立ち入ることは出来ないとされ、圧倒的な信者の数を背景にした政治的な権限も強い。
 だが、メートフィ教に関しては頑なまでに政教分離を徹底していることで知られている。
 とは言うものの物事には表と裏があるものだ、とテプロは己の野心を達成させるためにアルフレムと繋がりを持つ必要性を感じていた。
 人々の間に、ここまでの信仰が広まった世界では宗教的な大義が欠かせないという判断である。
「シーレイにはテプロ様の身の回りのお世話もさせますので、日夜共に過ごさせて頂きたくお願い致します」
 ふむ、と頷いたものの、この能面のような者と四六時中居るというのは気が滅入りそうであまり気乗りはしない。
 常に影から警護されており、サンド流剣術の達人ゆえ、その気配を察知出来るテプロではあるが、顔をずっと合わせているというのは、また別の話だ。 
 まあ、夜も一緒の部屋で寝るということではないだろうが。
「夜の寝所も共にしていただきます」
 思わずビクトの顔を見る。
「ほう、それは良い。テプロ様のことだ。こっそり抜け出して村の女子に会いに行かれるかもしれん。見張り役が必要と思っていたところだ」
 ライトホーネが愛嬌のある顔で声を上げると、こいつめ面白がりおって、とテプロは苦々しい顔をする。
「恐れながら」
 シーレイが口を開く。
「どうした」
「私は女でございます。夜の伽もできます故、ご不快でなければ、お側に置いていただきたく存じます」
「?!」
 能面のような顔を見る。ああ、たしかに整った見目をしている、とテプロは思った。


 そして、ここから、話は三ヶ月ほど前に遡る。
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