第38話 邪悪なる者の影(6)

文字数 4,594文字

「投降する気はないようだな。よし、全員攻撃せよ。殺しても構わん」
 ミランドラが右手を上げ指示する。
 すると、オーバルは「フフ、ここで殺される訳にはいかぬな」と橋の欄干に左足を乗せ、そのまま川に飛び越りた。
 バラルも大きくジヤンプし欄干を飛び越え後を追う。両腕がないのに、恐るべきバランスと身体能力だ。
 ミランドラ達がすぐさま欄干に駆け寄り、下を覗くと、アッと声が上げる。
 大きく水飛沫は上がったが、川の中に落ちたのではない。小舟の上に二人が立っていたのである。
 予め用意していたのであろう。クソ、と声が出る。
「弓で射て。早く」
 時間が経てば経つほど標的までの距離が延びる上、暗闇の中、松明の灯が届かなくなる。ミランドラが叫ぶ。
 ロアナら5人が弓を構え狙いをつける。
 その時、シュンと空気を切り裂く音がした。タシー川の右岸側の石積護岸の上から、何者かが放った矢の音だった。
 矢はオーバル目掛けて飛んでいく。オーバルがスッと首を撚ると、矢が頬を掠っていく。
 岸にオバスティとその隣に弓を構えた男がいた。
「野郎を逃がすんじゃねえ、必ず撃ち落とせ」
 無言のナランディ。神技の様な弓矢の腕を持つ、オバスティの右腕だ。オバスティの激に応え、すぐ二の矢を放つ。
 それを見て、一瞬気を取られていたミランドラが「射て射て」と叫ぶ。5人が一斉に矢を放つ。
 絶体絶命の状況に、オーバルは船上でフウとため息をつく
「バラルよ、少しは役に立ってもらうぞ」
 そう言いながら、バラルの影に立つように自身の体を密着させる。
「オーバル様、な、何を」
「我が盾となれ」
「え、そ、そんな」
 ぐわんとバラルの首筋に矢が突き刺さった。ナランディが放った矢だ。「ウグ、グワア」とバラルが悲鳴を上げる。
 更にロアナらが放った矢も次々と命中する。
「オ、オーバル様、無体な」
 バラルは血をゴボッと吐きながら、泣きそうな顔でカアっと目を見開いた。
 そして、時間が止ったかのように立ち尽くすと、そのまま静かに川に落下した。
 ドボーンという大きな音と共に水飛沫が上がる。
「やったか」「川に落ちたのはバラルって野朗だ。オーバルはまだ船に乗っている。ミランドラ、追撃させろ」
 そう言って、ロラルドは、岸に向かって駆け出す。
 一方、オーバルは何事もなかったかのように、「急げ、奴らに追いつかれるな」と船頭に指示する。
 へい、と返事をした初老の男は下流に向かって静かに船を漕いでいく。
「ロアナ、五騎を連れてトヨ橋に先回りせよ。橋の上から迎え撃て」
 ミランドラはロアナ達に指示し、下流の一つ先にあるトヨ橋に向かわせる。
 そして、自身は「我らは岸から追う」とサンディが騎乗する馬の背に飛び乗る。
「俺も乗せてくれ」とロラルドも、近くにいた女騎士の馬の背に飛び乗る。
 トヨ橋はソヨルシ橋から四〇〇メートルほど下流にある。サランドラ達が駆けつけた時、ロアナ達は橋上で弓を構えたまま厳しい目で黒く揺れる水面を見ていた。
「奴らはまだこないのか」
「ハッ、それらしき姿は未だ見えません」
 クソっとミランドラは唇を噛む。
「逃げられたようだな」とロラルドが言う。
「ああ、月明かりがあるとはいえ、闇夜だ。うまく巻かれたようだ」
「どうする、夜の深追いは危険だぜ」
「うむ、その通りだ。取り急ぎ、サルフルム副司令に報告した方がいいな。マークフレアー様に危害が及ぶ恐れもある」
 二人は急遽テネア城に登城し、顛末を報告することにした。サルフルムは既に寝床にあったが、飛び起きて報告を受けると、すぐさま、マークフレアーを警護する近衛兵を増員、また、翌朝早朝、部隊長に招集を掛けたのである。

 場面は翌朝に開かれた部隊長会議に戻る。
 二人の話を聞いた部隊長達は、しばらく沈黙した。
 恐るべき相手ということは分かった。だが、相手は一人だけとの思いもある。
「何者なんです」第五騎兵隊隊長のアザムが聞く。
「今のところは分からん。だが、アジェンスト帝国の曲者であるとわしは睨んでいる」
 サルフルムはギロリと厳しい表情で断言した。
 ここ二、三年、ローラル平原での戦乱は起きていない。四年前、アジェンスト帝国軍に、ボルデーが侵攻された時が最後だ。
 テネアに至っては、ドラングル率いる盗賊騎士団が度々押し寄せてくることはあるものの、他国に責められたことは21年前、テネア国だったときを最後に無い。
「ドラングル一味の可能性はないのか」
 第二騎兵隊隊長のタムラ・カズが両腕を組んだまま聞く。ドラングルとは三千もの盗賊騎士団を従える、元々騎士だった男の名前だ。
 三年前に、テネアに攻め入ってきたときはミランドラ率いる第七騎兵隊が撃退している。
「その可能性は薄いとみておる。だが、密かに其奴らと組んでいる可能性はある」
「お言葉ですが、サンドルは侮れませんぜ。あの腐れ野郎の手の者である可能性が一番高いと思われますが。三年前にテネアに手を出し失敗した復讐を考えているのじゃないですか」
 第六騎兵隊隊長のアルンストが怒り心頭の表情だ。サンドルとは、ローラル平原の西にある町パキルの地方長官である。裏で、ドラングルと組んで、町を牛耳っていると云われる男のことだ。
「うむ、お主の言う通り、そう考えるのが自然じゃ。だが、ミランドラ、ロラルドの話を聞けば、オーベルという男、尋常ならぬ邪悪な気を発しているという」
「邪悪な気?」
「うむ、わしに心当たりがある」
 え、と一同はサルフルムに注目する。
「21年前、テネアがまだ、テネア国という独立国であった頃、アジェンスト帝国の進攻を受けた時の話じゃ。わしは、まさしく邪悪な剣を振るう男をこの目でみたことがある」
 サルフルムは悪霊の騎士の話を始める。
「わしが見たのは悪霊の騎士本人ではないが、恐ろしく強い男だった。恐らくは仲間の一人であろう。10人の味方を、事も無げに斬り捨て、30人の射手が一斉射撃しても、仕留めることが出来なかった。もし、わしが其奴と立ち会っていたならば、今、此処にはいないだろう」
 テネア騎兵団の生きる伝説、鬼のサルフルム、不死身のサルフルムと異名を取る、この歴戦の猛者より強いというのか。一同は衝撃を受ける。
「一人といえども油断ならぬ相手よ。他に仲間がいることも十分に考えられるわい。それと、黒い頭巾を被った男の正体も分からぬ。オーベルとは敵対関係にあるようだが、我らの味方なのかはわからん」
「いつの間にか姿を消していました」
 ミランドラは思う。黒頭巾の男は一体、何者なのかと。あのオーバルと一人で剣でやり合っていた。もう一人の仲間もかなりの弓の腕だった。只者ではない。
「ランビエルも怪しいぜ」
 アザムが言うと、一同は一斉にアザムを見る。
「奴に用事があるってのは、本当じゃねえのか。ただし商談なんかじゃねえ。元々仲間だった奴が夜にランビエルの屋敷に集まろうとしていたところを偶々、ロラルド達が出くわしただけじゃねえのか」
 その可能性も十分に考えられた。
「うむ。推測の域を出ぬが、その可能性もある。そこでだ、暫くの間、日中、夜間を問わず警戒態勢を強化することとする。夜間は部隊が交代で街の警邏を行え。それと、ミランドラ、第七騎兵隊にはマークフレアー様の夜間の警備を任せる。交代で当たれ」
 と、サルフルムが命令すると、「ハッ」とミランドラが応える。
 その時、一人の騎兵がけたたましく部屋に入ってきた。
「何事だ」とサルフルムが鋭い目線を向けると、
「身元不明の死体がタシー川湖畔に上がりました。両腕がなく、弓で射られたと思われる傷があります。恐らく昨夜、ロラルド隊長、ミランドラ隊長が遭遇した不審な男ではないかと思われます」
「そうか、直ぐに向かう。案内せえ」
「ハッ」
 昨夜、ロラルド、ミランドラから報告を受けたサルフルムは、日が明けると同時にタシー川沿いの捜索を行うよう指示していたのだ。
「これにて、部隊長会議は終了じゃ。何か質問はあるか」
 サルフルムが見渡すとサイモルが挙手するのが見えた。
「申してみよ」
「ハッ。賊の死体、我々も検分に参加してよろしいですか」
「いいだろう。邪悪なる男が如何なる者か、お主らも見ておいた方が良いだろう」
 その死体は、バルロシ橋の下流300メートルのところで発見された。仰向けで岸に流れ着いた両腕の無い男を見て、一同はアッと息を呑んだ。
 まるで悪魔の様な男が、大きく目を見開いたまま、断末魔の如く、苦しんだ表情をして息絶えていたからだ。髪は大きくばらけ、どす黒い肌には体中至る所に青く変色した大きな痣が出来ていた。
「ロラルド、ミランドラ、どうだ」
 死体の側にしゃがみ込んだサルフルムが聞くと、二人は近くにより確かめる。
「バラルだ」
 ミランドラが呟く。昨夜、斬り合いをしたばかりの相手だ。受けた剣の衝撃は、まだ掌の感触にある。
 もし一人でこの男の相手をしていたら、死んでいたのは自分だったのかもしれない、と思わずにはいられない。それほどの強さだった。
「ああ、間違いないですな」
 左腕の切創を見ながら、ロラルドが答える。
「ふむ、左腕が綺麗に斬られておる。ロラルド、お主の剣筋だな」
 ギロリと鋭い目つきで、サルフルムは隅々までバラルの体を検分する。
「首筋に矢が刺さっておる。見事な腕じゃな。射ったのはロアナか」
「いいえ、黒頭巾の男の仲間が射ったものです」
「ふむ。この傷跡を見よ。真っ直ぐに貫通しておる。よほど強い力で、なお正確に射った矢じゃ。その男、只者ではないな」
 夜の闇の中、小舟に乗っている標的の急所を射抜くのは並大抵の腕ではない。
「それと、オーバルと名乗る男と対等に渡り合っていたという黒頭巾の男。その男も、かなりの腕前じゃな」
「そうですな」
「しかし、俺はとても信じられんぜ。ミランドラがやられそうになるほどの相手と渡り合ってたってのか」と、サイモルは納得いかない顔でミランドラを見る。
 グッと唇を噛むミランドラは悔しそうな表情を隠さない。
「認めたくはないが、今の私一人では、オーバルという男には勝てない」
「ロラルド、貴公ならばどうだ」
 タムラ・カズが聞く。実直なこの男は、騎兵団隊長が敵わない相手がいるというのが、面白くないのだ。
「さあな、分からねえな」
「何だと、曲がりなりにも貴公は我がテネア騎兵団の中では一番の剣の腕を持っているのだぞ。そんなあやふやな答えは聞きたくもない」
「そんなこと言われてもなあ」
 ロラルドはボリボリと頭を掻く。
「ロラルド、少しは自覚を持て。貴公が舐められるということは、我がテネア騎兵団全体が舐められるということだぞ」
「そう興奮するなよ」
「なんだと」とタムラが激昂する。
「だから、そう興奮するなって。確かに必ず勝てるとは言わねえ。かと言って、必ず負けるとも言ってねえぜ」
 テンペスト流剣術は受けの剣である。相手の攻撃が如何に強烈だろうと、受けることさえ出来れば負けることはない。それこそが、この剣の真髄である。
「警邏は、五人一組で行え。もしも、五人以下でいるときに奴らを見かけたら、相手にするな。味方が来るのを待て。特にもオーバルという男を見かけたら、わしを直ぐに呼べ。良いな」
 サルフルムの命令に、部隊長達は引き締まった表情で、ハッと返事をする。
 何か世界が動き始めているのを、感じずにはいられない一同だった。
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