第34話 邪悪なる者の影(2)

文字数 2,970文字

 一行が暗闇に消えていくのを見届けると、ベードはロラルドに駆け寄った。
「兵長殿、兵長殿、いかがされたのでありますか」小声で囁く。
「誰かいる」
「え」ベードは相当驚いたようであった。
「どこにいるのですか。こ、こんなところに誰が、盗賊ですか」
「そう考えるのが普通だろうな。だが、かなりやばい奴のようだ」
「え、そんなにやばいのですか」
「まあな、こんな圧力は俺も感じたことがない。殺気と言っていい」
 ロラルドがそういうほどだ。目の前の闇に、かなりの危険人物が身を潜めているのかと思うと良い気分ではない。
「そ、それはやばいじゃないですか、私なんかではとても、敵わないのでは」
「全くお前という奴は、やる前からビビるなよ」
 ハ、ハア、とベードは自分の臆病さが恥ずかしくなり、顔が赤くなった。
「だが、マジで中々の腕の持ち主のようだぜ。油断するな」
 前方の暗闇を見渡しながらロラルドは呟く。
「も、もう、矢でも槍でもかかって来いであります。我はテネア騎兵団第三部隊ロラルド隊であります」ベードは鼻息を荒くしながらいう。
「フフ、その粋だ、べード」
 ベードは引き締まった表情で手持ちランプを掲げる。光源が一方向に集まるように作られた特殊なランプだ。十数メートル先まで照らすことが出来る。
 よし、と一歩前に出ようとするミランドラをロラルドが右手を上げ制す。俺に任せろという合図だ。ミランドラは軽く頷き、同意する。
 スウーと深呼吸をすると、ロラルドは前方の暗闇に向かって叫んだ。
「おい、そこに居るんだろう。分かっているんだぜ」月明かりがあるとはいえ、暗闇の街路だ。所々にある屋敷のランプの灯りが微かに照らす程度では、例え知り合いに会ったとしても判別出来るほどの明るさはない。
 ベードは、ロラルドが声を発した方向に目を凝らす。街路樹の枝が静かに揺れているだけで、何の気配も感じられない。返答もなく、勘違いだったかと、思い始めた時だった。
「これはこれは、騎兵団の御一行様ではございませんか。今夜はお寛ぎのところでございますかな。ククク」
 街路樹の木陰から何者かが姿を現した。すかさず、ベードが手持ちランプの灯りで照らす。その途端、あまりに奇怪な容貌に思わずヒッと声を上げる。
 血色が悪く黒く変色した肌と落ち窪んだ目に異様なほど爛々と光る瞳。まるで悪鬼のような容貌である。男の右腕は上腕から先がなかった。
「何だ、こいつは。人間なのか」ベードが慄きの声を上げる。
「狼狽えるな」
 そう言いながら、ミランドラは腰に吊るしている剣の鞘に右手をかける。
 ロラルドは一歩前に出た。
「こんなところで何をしている。お前は何者だ」
「これはこれは、御役目ご苦労様でございます。私はランビエル様の御屋敷に用があって参った者、決して怪しい者ではありません。ククク」
「名前は」
「名前でございますか、騎兵団の方々に私の名前など名乗るのは、とてもとても畏れ多く、御容赦を。ククク」
 俺達を舐めているのか、男の不遜な態度に苛立った時だった。
「アロウ平野から参りました、薬草の卸問屋のアキルと申します。手代の者が失礼をいたしました」後ろから黒尽くめの衣装を身に纏った男が現れた。凄まじい圧力だ。先程から感じていた尋常ならぬ殺気は、この男から発せられていたのだ。
「こんな夜更けにランビエルの屋敷を尋ねるのは不自然だぜ」
「道に迷い、先程テネアに着いたばかりなのです。夜遅くに失礼かとは思いましたが、一刻も早く商談をさせて頂きたく、御訪問させていただくことにした次第です」
 口調は穏やかで軽く笑みを浮かべている。歳は40代中半くらいか。
「ほう、知らないのか、ランビエルは早寝をすることで有名だ。商談は諦めた方がいいぜ。それに薬草の商談なんかじゃないんだろう。欲しいのは、ランビエルの命じゃねえのか。隠しているつもりかも知れんが、殺気がビンビン伝わってくるぜ」
「これは、これは、ご冗談にしては穏やかではありませんな」
 笑みを浮かべたまま、男の目が段々と据わってくる。
「残念だが冗談じゃないぜ。俺は血生臭い冗談が嫌いなんだ」
 ロラルドが剣の柄に手を掛ける。すると、奇怪な容貌の男が前に出てきた。
「ククク、相手はたったの三人です。私にお任せを」 
「ふう、表沙汰にせず事を運びたかったのだが、仕方あるまい。早く始末せよ」
 アキルと名乗った男が後方に下がる。
 こいつらは一体何者なのだ。騎兵隊員三人を前にして動揺するどころか早く始末しろとは、べードの心臓がドキドキと高鳴る。
「ベード、お前は下がっていろ。ランプの灯りを絶やすな、いいか」
「了解です、兵長殿」
 最初は震え上がっていたベードも、いざ戦いとなれば命知らずな男に変わる。キッと不審な男達を睨みつける。
「いいぜ、どこからでも掛かってきな」
 ロラルドは奇怪な容貌の男に言い放つ。
「ククク、三人まとめて相手をしてやっても構わないのだぞ」
「大した余裕だな、お前の名は」
「名乗っても良いが、お前たちには意味のないことだ。ククク」そう言いながら、奇怪な容貌の男が、腰に吊るしている剣の柄に左手を掛ける。
「意味がないとは、どういうことだ」
 隻腕とはいえ油断は出来ない相手だと、ロラルドは警戒する。
「ククク、だってそうではないか。お前達は全員、ここで死ぬのだからな」
 クワっと口を開けて、男が斬り掛かってくる。口端に鋭い犬歯が見える。
「チッ」
 咄嗟に剣を引き抜き刀身で斬撃を受ける。ガチーンと鈍い音がした。
(何て、斬撃だ)これまで受けた中で一番と言っていい速さと衝撃の強さに驚く。片腕で振るった剣とは思えない。
「ハッ」と、ミランドラが剣を抜き奇怪な容貌の男に突きを放つ。一撃のミランドラと称される、強烈な突きだ。ところが男はクルっと後ろ向きに宙返りをしながら、躱してしまう。
「何だと」
 一撃必殺の突きを、これまでに躱わすことが出来た相手はロラルドだけだ。男の反射神経と身の軽さに、ミランドラは信じられない顔をする。
「お前、何者だよ」
 珍しくロラルドが険しい表情を浮かべている。
「死にゆく者に名乗っても意味がないといったはずだぞ。ククク」
「構わねえから、名乗れよ」
「ククク、我が斬撃を受け止めるとは、中々の腕を持つ男よ。それに女、お前の突きも中々の威力だったぞ。ククク、気に入った。良かろう。我が名を教えよう。我が名はバラルだ」
「バラルか」
「ククク、冥土で我が名を思い出すがいい」
 バラルが斬撃を繰り出す。それも次々と凄まじい。だが、ロラルドは全て剣で受け止め、いなす。
 その剣さばきに、「ほう」とアキルと名乗る男が感嘆する。
「騎士の男よ。お前の剣筋は初めて見る。なんという流派だ」
「そこで待ってな。こいつを片付けたら相手してやる。そん時に教えてやるぜ」
 クククッとバラルが笑う。
「威勢がいいな。だが、これではどうだ」
 バラルの斬撃のスピードが更に増してくる。あまりの速さにベードの目はついていけない。だが、ロラルドは剣で全て受け止める。
「こいつ、俺の速さについてくるとは」
 バラルの顔から笑みが消えた。凄まじいばかりの怒りで血色の悪い肌に血管が浮かび上がっている。ロラルドの集中力は増してきていた。徐々にではあるが、バラルの剣筋が見えてきている。
「もう良い。お前では埒が明かぬ。退け」
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