第4話 マルホード軍来襲(1)

文字数 2,971文字

 ドッドッドッと地面を抉るような蹄の音が広大な空間に響きわたる。
 前方から数百ほどの騎兵が向かってきていた。
 お互いに槍を携え前方を見据えながら物凄い速さで接近していく。
「相手はアジェンスト帝国の弱兵共だ。恐れるに足りず」「オオ」
 よし、騎兵達の士気は高いとラドーネ騎兵団副団長ヤルサイは、馬上で力強く頷く。
 この一戦にかかっていた。三万もの大軍で攻めてきたアジェンスト帝国軍に対して、三千で迎え討つラドーネ騎兵団団長ミリオースは、自ら千騎を率いて敵主力部隊に向かっていった。
 副団長ヤルサイに主力部隊である二千騎を預け、サヌンバの森を迂回、側面から敵を挟撃するという作戦である。
 団長であれば、数倍の敵兵力相手でも何とか持ちこたえてくれるだろう、だが、さすがに長時間はこらえ切れまい。
 急げと兵達を叱咤していると、前方から敵騎兵が向かってくるのが見えた。我軍の存在に気づかれたのか、と一瞬焦るが、敵兵力三百ほどに対し、こちらは二千騎の精鋭揃いだ。
 十分に掃討可能だ、一刻も早くミリオースの元へ別働隊として駆けつけなければならない。躊躇している暇などなかった。
「このまま前進。一気に敵を殲滅する」
「オオ」
 敵は鋒矢の陣形で向かってきていた。皆、双剣を口に加えた荒鷲が描かれた旗を背負っている。
 初めて見る紋章だった。四年前、ボルデー侵攻の戦いのとき、この紋章を着けた部隊はいなかった。
 アジェンスト帝国の奴らめ、懲りずにまたローラル平原に侵攻してきたか。
 あの時、ボルデーの町はかなりの損害を受けたが、各町の援軍が一致団結して散々に叩きのめしてやったというのに。
 今回も目にもの見せてくれると、ヤルサイは闘志を漲らせていた。
 それにしても、一番先頭を駆ける敵騎士の異質さには目を見張らずにいられない。
 白い甲冑を身に纏い、白色のプラチナブロンドの髪をなびかせながら草原を駆け抜けていく、その姿はあまりにも華麗で、そして優雅だった。
 何者だ。
 軍勢を率いている者のようだが、このまま先陣を切って突っ込んで来る気なのか。
 余程、己の腕に自信があるのか、それとも命知らずの愚か者か。
「ダロル、先頭の騎士に当たれ」
「ハッ、承知」
 マウト流槍術の達人で、騎兵団一の武術の持ち主であるダロルを充てがう。
「後は、このままの陣形で行く」
「オオ」

「テプロ様、危のうございます。後方へお下がりください」
 疾走する馬上から、副官らしき大柄な男がプラチナブロンドの男に叫ぶ。どこか愛嬌のあるユーモラスな容姿だ。
「心配は無用だ。それより私に遅れるなよ、ライトホーネ」
 美形の騎士が振り向きニヤっと笑うと、ライトホーネはやれやれといった表情を浮かべる。
 我が主の武の力を疑ってはいない。だが戦場では何が起こるのか分からないのだ。あれこれ想像しただけで胃が痛くなる。もう少し腹心の身にもなって下され、といった表情だ。
「ピネリー王国の騎士がどれほどのものか見せてもらおうか」
 そんなライトホーネの心配をよそに、テプロは不敵に笑いながらグイッと兜を深く被った。

 両者の速度は全く落ちない。それどころか、ドッドッドッとさらにスピードは増していき、膝丈まで伸びた草木が大きく揺れる。
 互いの騎士達が兜をグッと被りなおす。
 何も遮るものがない草原の真ん中で、互いの先陣の騎士同士による一騎打ちという形で戦いの幕が上がった。
 ダロルが、オオと叫びながら白い甲冑の騎士に向かって、鋭く槍を突き出す。何度も相手を討ち果たしてきた渾身の突きだ。
 ところが、突きが相手の胴に届いたと思った瞬間、目の前に居た白い甲冑の騎士の姿が消えた。
「何ィ」
 次の瞬間、ダロルは首筋に焼けるような熱い痛みを感じていた。
 いつの間にか、互いの槍が交差していた。しかし、自分の槍は空を突き、白い甲冑の騎士の槍は自分の首筋に突き刺さっていた。
 ダロルはドサッと落馬する。悲鳴を上げることなく絶命していた。
「何だと、ダロルが」
 信じられないことが目の前で起こった。兵達の間に一気に動揺が広がる。
 いかん、今は戦いに集中しなくてはと、ヤルサイは気を取り直すと、「怯むな、数は我軍が有利、白い騎士には複数で当たれ」と指示する。
 ところが、二、三騎が同時に槍を突いても、白い騎士に悠然と打ち倒されていく。
 まるで何も障害の無い草原を駆け抜けているかのように我軍の騎兵達を全く寄せ付けない。
「な、何という奴だ」
 悪魔のような強さだ。それでいて、白い髪を靡かせながら戦場を駆け巡る姿は華麗で荘厳ですらある。
「白い騎士、いや、あれが白の貴公子と異名を持つ男、テプロか」
 ミリオースから事前に話は聞いていた。まるで踊りを舞うように次々と相手の兵を倒しながら戦場を華麗に駆け抜ける男が敵軍にいるから気をつけよ、と。
 そしてその男は、白の貴公子という異名を持っていると。
 しかも白の貴公子だけではない。実際に交戦してみて分かったのは、他の騎兵達の力も凄まじく強いということだ。精鋭ぞろいの我が兵達が次々と討たれていく。
 脇から槍を突かれ、あえなく落馬する者、背中を剣で斬られ、馬上で伏したまま離脱していく者。
 二千騎は居たであろう自軍の精鋭部隊はあっという間に半分ほどになる。
「撤退、撤退だ。全軍撤退せよ」とヤルサイが叫ぶ。
 三万にも上る敵の主力部隊を、ミリオース率いる千騎が引き付けている間に、別動部隊のヤルサイ率いる二千騎が襲いかかるという作戦は早くも破綻した。
 長距離を継続して早く走ることができる、ローラル平原産の駿馬と、馬術に長けた我が兵達ならば、例え十倍の敵であろうと撃退出来るとミリオースは踏んでいた。
 アジェンスト帝国軍が兵站に苦労するのはわかっていた。初戦を叩き、持久戦に持ち込めば、十分に勝機はあると考えていたのである。
 ところが、戦いが始まった矢先に、息を切って駆け付けて来た斥候から受けた報告はミリオースを愕然とさせた。
「何だと、ヤルサイが敗れ去ったというのか」
 まさか、いや敗れるにしても早すぎる。
 自身率いる軍勢は敵の主力部隊と交戦を始めたばかりだ。このまま戦うか、撤退するか、決断が必要な時だった。
「如何します、団長」
 うぐぐとしばし唸った後、ミリオースは撤退を命じた。突然の撤退命令に兵達が動揺する中、ミリオースはクルッと向きを変え馬を走らせる。
 勢いに乗るアジェンスト帝国軍の追撃を受けながらの撤退は、かなりの困難を極めた。
 出撃してから、あまり時間が経っていないにも関わらず、息を切らしながら城に戻ってくる我が町の騎兵団を見て、ラドーネの民は大きな不安に駆られた。 
 かなり兵の数が減っているように見えた。あちらこちらに傷を負い満身創痍の兵もいる。
「これは不味いぞ」
「ヤルサイ副団長がやられたらしい」
「敵の数は十万という話だ」
「それでは勝てる訳がない」
「これは逃げたほうがいい」
 慌ててラドーネを捨てる者が続出した。しかし、老人や幼子を抱えた者達にとって、町を出て放浪の旅に出るのは容易なことではなく、止む無く町に残る者も多い。
「オバスティといったか。あの者の言う通りになったな」
 ミリオースはそう呟くと、城門を固く締めるよう命じた。
 かなりの食料や武器は城に蓄えている。ラドーネは籠城戦に入った。
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