第87話 ローノルドの教えとミネロから来た青年(1)

文字数 2,461文字

 ここテネア騎兵団第七騎兵隊兵舎の一角にある講義室では、週に二回、新人騎士達を対象に座学が行われていた。
 入団したばかりの騎士達は受講することが必須となっており、講義がある日には配属先の各騎兵隊からそれぞれ集まってくる。
 内容は騎士としての心構えを説いた騎士学から始まり、戦術論、戦略論を説いた軍事学、そして政治論まで多岐に及ぶ。
 講師は騎兵団参謀のローノルドが多くを務める。彼は元々、首都エメラルドの騎士学校で指導者を努め、多くの騎士を育て上げてきた実績があった。
 前テネア騎兵団長でマークフレアーの実父であるルーマ二デアもローノルドに師事した一人だ。
 博識で多様性に富んだ教養を備えた彼の講義を希望する者は多く、受講するためにローラル平原の町々から、わざわざ長旅を押してくる者もいるほどだ。
 そして、身分、職業を問わず希望すれば誰でも受講出来ることから、向学心のある者が集まってくる異色の講座でもあった。
 他の町の騎兵団では、騎士学校を一般人に開放したりはしない。

「ホッホ、百年前に行われたエラル山の戦いはこれまでの戦術を一変させた戦いじゃった」
 この戦いは聖地アルフレムを巡り、聖なる山エラル山が見下ろす平野で、ピネリー王国三千とミロノ王国一万が激突したものだった。
 三倍もの敵軍勢に対して、ピネリー王国を率いていたマリュー三世は新たな戦術を駆使した。
 彼は武王と異名を取る戦の天才だった。
 騎馬同士の戦いが主だったこの時代、騎兵の数で劣る自軍を、歩兵と弓矢で補う戦いをしたのである。
「ホッホ、ミロノ王国軍の騎兵は八千、歩兵二千。騎馬を全面的に押し出した布陣じゃ。対して我がピネリー王国軍は騎兵一千、歩兵二千の布陣じゃ」
「何だよそりゃ、ピネリーの負けだぜ」
 タブロが呆れたような声を出す。
「ああ、そんなに兵力差があるんじゃ勝てるわけないさ」
 ジミーもうんうんと頷く。
「全くなんて非常識な連中だい。今は講義中だよ。静かにしてくれないか」 
 一番後方の席に座っていたマーチルが冷たく言い放つ。
「そうだ、静かにせよ。マーチル様の勉学の邪魔をするとは万死に値するぞ、貴様ら、只では済まぬぞ」ジルが主に続く。
「マーチル様の貴重なる勉学のお時間を無駄にさせるとは何たる不遜。詫びよ。土下座せよ」
 ロハも口を尖らせる。
「ケッ、全くうるせえ奴らだぜ」
「そうさ、愚痴愚痴と肝っ玉の小さい奴らださ」
 タブロ、ジミーの二人とマーチル達は犬猿の仲だ。
「なんだと、我らを愚弄する気か」
「土下座せよ、今すぐ土下座せよ」
 ガタンとタブロとジミーが振り向きながら立ち上がる。負けずにジルとロハも立ち上がり両者はにらみ合う。
「もう、いい加減にしなさいよ、あんた達」
 一人の少女が怒り心頭な表情で立ち上がった。黒髪が揺れ、黒い情熱的な瞳が怒りで燃えたぎっている。ラーナだった。
「だって、あいつら、いちいちうるせえんだ」
「そうさ、あんなこと言われりゃ誰だって頭にくるさ」
 タブロとジミーが弁解する。
「何を言ってるの、元はあんた達が講義中に勝手に発言するからでしょ。講義中は先生の許可なく話しちゃ駄目だって何度注意したら分かるのよ」
 益々ラーナの怒りに火を注ぐ結果となり、二人はタジタジとなる。
「そうだ、お前達が悪いぞ、土下座せよ」
「悔やみ、心からのお詫びをせよ」
 畳み掛けるように言うジルとロハを、ギロリとラーナがにらむ。
「あなた達もいい加減にしなさいよ。講義中に少し話をしたくらいで、何故土下座しなくちゃいけないの。そもそもあなた達ね、マーチルにおべっかばかり使って何が楽しいの。何のために騎兵団に入ったのよ」
「おいおい、僕のことを呼び捨てにするとは、いくら君でも無礼だよ」
 マーチルが前髪を右手で梳きながら話す。
「何言っているの。騎兵団規則第15条を読みなさいよ。団員は階級の名の下において全て平等、同階級同士での敬称は要せずと、書いているわ」
 チッと、マーチルは押し黙る。
「あなたと私達は仲間なのよ。仲間同士を尊重し合うのはいいことだと思うわ。だけど呼び方ぐらい、友達のように呼び捨てで呼んではいけないの。あなたはあたし達と距離を作りたいの、どうなの。マーチル」
 ラーナの真剣な表情にマーチルはおし黙らざるを得ない。
「ホッホ、自分の意見を述べるのは良きこと。仲間同士議論を重ねるのも良きことじゃ。じゃが、時と場所を選ばねば、それは時に悪しきこととなるぞ。ホッホ」
 白髪と白い髭に覆われた物腰の柔らかな老人がにこやかに笑う。頭の頂が禿げ上がってはいるが、全く気にする素振りはない。
「あ、私ったら、いけない。また夢中になっちゃって、ごめんなさい。すみません」
 真っ赤な顔でラーナが頭を下げる。
「ホッホ、感情を昂らせることは時に必要なこと。悪いことではない。但し、冷静な判断を決して失ってはならぬぞ。ホッホ、わしが禁じたのは講義中の私語じゃ。活発な意見交換はどんどん行って良いのじゃぞ。ホッホ」
「は、はい」
 ラーナは席に着く。
「ホッホ、確かにお主らの言う通り、どう考えてもピネリー王国の勝機は薄く見えて当然じゃ」
「そうだろ」「そうさ」
「もう、タブロ、ジミーの馬鹿」
 調子に乗ってすぐに言葉を発するタブロとジミーにラーナが頭を抱える。
「ホッホ、じゃが勝ったのはピネリー王国じゃ」
 エエ、と受講生達は驚く。
「ホッホ、昔の戦いは騎馬同士の競り合いが勝敗を分けることが多い。この理屈で行けば、騎馬の数で劣るピネリー王国軍に勝機が薄いのはその通りじゃ。そこでマリュー三世は弓隊を編成し、討って出ずに、あえて待ち構える作戦を取ったのじゃ」
 受講生達はゴクリと息を呑む。
「ホッホ、円形の陣で敵を待ち構えるのは防御には優れているが攻撃には向かん。またどこかで綻びが出れば敵に包囲され、たちまち全滅の危機じゃ」
「何でそんな危ない陣形を組んだんだよ」
「そうさ、俺だったら矢を射ちながら逃げるぜ」
「ホッホ、ジミーよ。そなたの言う通りじゃ。良く気付いたのう」
 エエ、と皆が驚く。
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