第8話 嵐のマクネの森(1)

文字数 2,666文字

 風吹はますます強くなっていた。雨がパラパラ降りだしてきたかとおもうと、それは次第に強く木々の葉を打ち、地面に叩きつけるかのようになった。風に森は大きく揺れ動き、雨は斜めにニードルをうちさすかのように降り注ぐ。


 場面はマルホード軍によるラドーネ侵攻の三カ月ほど前、テネアの東方に広がるマクネの森に遡る。

 フードをすっぽりと深く被ったナナは、木に掴まりながら移動していた。少し油断すれば体が吹き飛ばされそうになる。
(こんな嵐の夜に見廻り当番だなんて、ホントついてないなあ)
 金髪碧眼の少女は18歳になったが、トレードマークのそばかすはそのままだ。お気に入りのヤモリをあしらったチョーカーネックレスを首に巻いている。
 女山賊エリン・ドール一味の仲間になってから四年が経つ。盗みをしながら貧民街で一人で生きてきた少女は、命の危険と抱合せではあったが、共に生きる仲間ができ、充実した日々を過ごしていた。
 それに最近は気になる異性が身近にいる。ひとつ年下の少年だ。
 あれこれ考えている内に雨が止んできた。相変わらず風は強いが、ずぶ濡れのままよりは大分マシだった。
 テネアに向かうべく一味がアデリー山脈を越え、ローラル平原に降り立ってから大分経つ。悪霊の騎士の目を警戒し、エネリー山脈沿いに進んだ一行はマクネの森に野営していた。
 ここまでくれば、テネアは間近だった。
 この森は昼間でも薄暗いほど深く、地形も起伏がある。暗闇の斜面に仲間達が野営するための天幕が10箇所ほど立っているのが見える。
 異常は無し、と自分の天幕に戻ろうとした、その時だった。谷を挟んだ向こう側の斜面で、キラっと何かが光った。月明かりも無い嵐の夜なのにおかしいと警戒心が持ち上がる。気配を消し、スッと猫の様に忍び寄ってみる。
 谷には沢が流れていた。嵐で増水した濁流を越えるのは危険だったが、数本の倒木が丁度跨いでおり渡れなくはない。
 落ちたら一巻の終わりだが、ナナの身体能力とバランス感覚からすれば容易い。
 森の木々が鬱蒼と茂る斜面に土砂が滑落した跡があった。比較的新しい。ランプで下方を照らすと、黒い物が濁流の手前で止まっていた。もう一メートルも落ちていたら、命はなかっただろう。
 懐の武器を握り締め、警戒しながら、ゆっくりと近づく。熊かもしれない、あるいは人か。黒いものが動く気配はない。近寄りランプで照らすと、獣革で出来たフードを被った人であることが分かった。
(こんなところに人がいるなんておかしい)
 森に迷い込み、行き倒れた人の様だが、何者なのかは不明だ。背中に剣を二本背負っている。
(これが光ってたのね)
 一本は普通の剣だが、もう一本の剣の柄に施された、見事な彫刻にナナは目を見張る。絡みつく二匹の蛇が掘られていた。只の剣で無いことはすぐに分かる。
(凄い剣。持ち主は何者なの)
 最大限に警戒しながら黒いフードに触れる。アッと小さく声を上げた。黒髪は雨で濡れ、肌は泥で汚れていたが、フードの奥に整った顔立ちの少年がいた。自分とあまり変わらない歳に見えた。
(これ、生きてるの)
 首筋の脈を取る。体はかなり冷たくなっていたが、微かに息がある。
「うわあ、これはかなりやばいなあ」
 応援を呼びにナナは急いで戻った。

「もしかしたら、お頭が見込んだっていう子じゃないかしら」
 人形のような造形の美女が無表情で言う。
 真っ白な肌、大きく見開かれた青い瞳、首筋と目元に彫られた蝶の刺青。腰まで伸びた青い髪は小分けにされた束となって細かく編み込まれている。
 長身ですらりとしたスタイルの彼女の名前はエリン・ドール。若い女達40人で構成されている山賊のリーダーだ。ピタッと体に密着した奇抜な出で立ちが彼女のスタイルの良さを際立たせている。
 ナナが見つけた行き倒れの少年は天幕に運ばれていた。狭い天幕の中に横たわる少年を四人の女達が囲んでいる。
 エリン・ドール、マキ、ルナ、ナナの四人だ。ナナ以外は皆、20代だった。
「体が冷え切っている。こりゃ助からないかもしれないよ。こいつが本当に、お頭が見込んだ男なのか」
 マキが疑いの目を向けた。小柄な体格だが、勇猛果敢で気が強い美女だ。
「間違いないと思うわ。この剣を持っているのが証拠ね」エリン・ドールが指差す先の剣を見る。柄に彫られた絡みつく二匹の蛇は繊細で見事だ。
「確かに、お嬢の言う通り、そこいらにある代物ではないね」マキが腕を組んで頷く。
「だけど、もし、こいつが死んじまったら、何の為にわざわざこんなところまで来たのか、分からなくなっちまうよ」
「それはマキの言うとおりね。先ずは死なせないようにしないとね。ナナ、悪いけど、ターナを呼んできてくれる」
「分かった。だけど姉貴の天幕にはいないみたいだよ。何処にいるの、ターナの姉貴は」
「アルジと一緒にいるはずだわ」
 それだけ聞けば、どこにいるのかは分かった。雨は小雨になっていた。
「はーい」とランプを頼りに集団の一番外に張った天幕に向う。
「それと、ルナ、嵐の中悪いけど、急いでお頭に知らせて頂戴」疾駆のルナと称される20歳の女性だ。小麦色をした肌とスレンダーな体を持ち、脚が一味の中で一番速い。
「分かったよ、お嬢。ちょっと行ってくる」
 ルナはスッと天幕を出て行った。
「こいつが着ている外套は銀虎の革で出来ているじゃないか。かなり上物だね」
 マキが驚く。
「この辺に銀虎は生息していないはずだから、恐らくエムバから仕入れたものだと思うわ」
 青い目の人形のような女が無表情で言う。
「エムバに出入りしている商人は限られている。銀虎の革なんて、よっぽどのお得意様じゃなきゃ手に入れることなんて出来ないはずだ。すると、やっぱり、こいつがお頭の見込んだ男ってことなのかい」
「この外套を着ていなかったら、とっくに死んでいたかもね」
「銀虎の革を着ていれば、凍てつく地でも暖かいっていうからな。それに、山火事の中にいても、着ている者は涼しいとも聞く。ナナに見つけてもらったのは、運がいいということか」
「そういうことね」
 エリン・ドールとマキが見下ろす先に、寝袋に包まれた少年が横たわっていた。その傍らに二本の剣と銀虎の革で出来た外套が置いてあった。

 真っ暗な森の中、ナナは目的の天幕の前に立った。
 そこにターナがいるはずだった。側に寄り、小声で「姉貴」と呼び掛けてみる。
 暗闇の天幕の中から返事はないが、何かが動めいている気配がある。
 もう一度「ターナ姉貴」と呼びかけ耳を済ます。女の荒い息遣いが微かに聞こえた。
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