第113話 隻眼のターナの想い(4)
文字数 2,428文字
しばしのときが過ぎ、部屋には静けさが戻っていた。
ターナを胸に抱きながらアルジは思う。
僕が好きなのはエリン・ドールなのに、他の女性と寝てしまった。しかも、相手はターナだ。
これまで何度も体を重ねてきた相手ではある。それはエリンも周知のことだ。が、あくまでもその行為は一味の掟の一貫として、女達の欲望の吐き口として一方的に行われてきただけだ。
しかし、今回は違う。激情に駆られたとはいえ、本当の意味での男女の契りを交わしてしまった。
ターナは自分の胸で安らかな表情を浮かべている。こんな表情の彼女を初めてみた。
僕はターナの気持ちを弄んでしまったんだ。エリンを裏切ってしまったんだ。
いたたまれなくなったアルジはため息をつきそうになるのを我慢する。
一方のターナはアルジの胸にもたれかかりながら思う。
こうやって男に身を委ねるのは何時以来のことだろう。しかも、こんな年下の男の腕の中で安らいでいるなんて、自分でも信じられない気持ちだった。
ふとケンのことを思い出す。エリン・ドール一味に入る前のかつての仲間だった女性の弟で、彼女にとって、たった一人の肉親だった。
人懐っこく素直なこの少年は、みんなからも可愛がられていた。
アルフロルドの貧民街に、帝国の守備軍が押し入ってきたとき、仲間を助けるため、その女性は守備兵に立ち向かい、死んだ。
その時、ターナ自身も守備軍に捉えられ左目を槍で突かれ失明させられるという拷問を受けた。
その窮地をエリン・ドールに救われ、忠誠を誓った後も、必死にケンの消息を探した。
仲間の為に死んでいった彼女に報いるために、絶対に探し出さなければならない存在だった。ケンはきっと何処かで生きている。そう信じて探し続けた。
果たして小麦の卸問屋で小間使をしているという、情報が入ったのは半年後のことだった。
ケンを救い出したとき、ターナは目を疑ったものだ。 あんなに元気だった少年は見る影もなくやせ細っていた。僅かな食事しか与えられず、過酷な労働を課せられていたのが原因なのは明らかだった。
「くそ、ケンはまだ少年なんだぞ。こんなになるまでこき使いやがって、よくもやりやがったな」と激怒するターナにケンは、「ターナ姉、ありがとう。ずっと会いたかったよ」そう言って人懐っこい笑顔を見せてくれた。
エリン・ドールに懇願し、ケンを一味に加えてもらった。ケンは一味の雑用をこなす役割を与えられ、持ち前の人懐っこい笑顔と素直な性格で一味の女達にも可愛がられた。
しかし、半年にも及ぶ、小麦の卸問屋での余りにも過酷な労働環境は、少年の身を蝕んでいた。
しばらくして、ケンは病に侵されてしまったのである。
次第にやせ細り自分で立つことさえできなくなってしまった少年の世話をターナは献身的に行った。昼夜問わず傍らにいて、夜は隣で寝た。
必死の看病にも関わらず日に日に衰弱していくケンは死期を悟っているようだった。
「大丈夫だ。お前は絶対に良くなる。元気になるよ。あたしが死なせやしない」
「ありがとう。ターな姉。でも、僕は死ぬことが怖くはないんだ。だってお姉ちゃんのところに行けるし、父さんや母さんにも会えるかもしれない」
物心ついたときから、姉と二人で生きてきたケンに両親の記憶はなかった。
「ケン」
死ぬにはあまりにも若すぎる。こんな悲しいことがあるのか。本当に神様はいるのか。ターナには返す言葉がなかった。
死を間近にしながらも、明るく振る舞う少年が不憫で、ある夜、ターナはケンの寝床に潜り込んだ。
「どうしたの、ターナ姉」と驚くケンに、
「いいから、そのまま寝てな。お前は何もしなくていい。あたしに任せな。年上で、でかい女は好みじゃないかもしれないけどさ」
そう言って、ケンに覆い被さった。
しばしの間が過ぎ、真っ赤に顔を上気させ、満足そうに傍らで眠っているケンを見ていると、良かったと思う反面、純粋なままで旅立った方が良かったのではないか、と後悔の念が湧き上がったことを覚えている。
ケンが逝ったのは、それから間もなくのことだった。
「ありがとう。ターナ姉。僕、お姉ちゃんのところへ先に行くね」
そう言って、いつものように人懐っこい笑顔でケンは旅立っていった。
そうか。アルジはケンに似ているんだ。特に素直なところがよく似ている。
だけど、ケンに対する感情とは明らかに違う。
「アルジだっけ。あんなんで大丈夫なのかね。あたし達に付いてこれるのか。何でお頭はあんな奴を連れて行くのを引き受けたのかな」
エムバの王宮で初めてアルジと会ったとき、呆れたようにエリン・ドールにそう感想を話したことを思い出す。
「彼、自分の意思を言えるようになれば、いい男になると思うわ」
その時は、そう言うエリン・ドールの言葉に首を傾げたものだ。しかし、お嬢の目は正しかったのだ。
そう、アルジは一人の男として魅力的に成長した。
あたし好みの男になった。だけど。
ターナの表情が次第に曇っていくのを、アルジは気付かない。
「あたしと寝たことを後悔しているんだろう」
ターナにそう言われ、「い、いや」と口籠ると、フフと笑いながらターナは上半身を起こす。
豊かな膨らみに蝶のタトゥーが映えていた。
「お前の気持ちは分かっている。お嬢のことが好きなんだろう」
そう聞かれても何も答えることができない。
「年上の女の気持ちを弄ぶなんて生意気な男だね」
ターナはいたずらっぽく微笑む。
「でも今夜のことは気にするな。久しぶりに男の肌が恋しくなっただけだ」
「え」
そそくさと服を着始めるターナを見て、「え、でも」と戸惑う。
「今日のことは忘れな。アルジ。あたしも忘れるからさ」
どういうことなのだろう。女の感情の変化に戸惑う。
「じゃあな、アルジ。今日のことは忘れるんだよ」
そう言い残し隻眼の女は部屋を去っていった。
「本気になっちゃ、お嬢に合わす顔がないよ」部屋を出たあと、ターナはそう呟いた。
ターナを胸に抱きながらアルジは思う。
僕が好きなのはエリン・ドールなのに、他の女性と寝てしまった。しかも、相手はターナだ。
これまで何度も体を重ねてきた相手ではある。それはエリンも周知のことだ。が、あくまでもその行為は一味の掟の一貫として、女達の欲望の吐き口として一方的に行われてきただけだ。
しかし、今回は違う。激情に駆られたとはいえ、本当の意味での男女の契りを交わしてしまった。
ターナは自分の胸で安らかな表情を浮かべている。こんな表情の彼女を初めてみた。
僕はターナの気持ちを弄んでしまったんだ。エリンを裏切ってしまったんだ。
いたたまれなくなったアルジはため息をつきそうになるのを我慢する。
一方のターナはアルジの胸にもたれかかりながら思う。
こうやって男に身を委ねるのは何時以来のことだろう。しかも、こんな年下の男の腕の中で安らいでいるなんて、自分でも信じられない気持ちだった。
ふとケンのことを思い出す。エリン・ドール一味に入る前のかつての仲間だった女性の弟で、彼女にとって、たった一人の肉親だった。
人懐っこく素直なこの少年は、みんなからも可愛がられていた。
アルフロルドの貧民街に、帝国の守備軍が押し入ってきたとき、仲間を助けるため、その女性は守備兵に立ち向かい、死んだ。
その時、ターナ自身も守備軍に捉えられ左目を槍で突かれ失明させられるという拷問を受けた。
その窮地をエリン・ドールに救われ、忠誠を誓った後も、必死にケンの消息を探した。
仲間の為に死んでいった彼女に報いるために、絶対に探し出さなければならない存在だった。ケンはきっと何処かで生きている。そう信じて探し続けた。
果たして小麦の卸問屋で小間使をしているという、情報が入ったのは半年後のことだった。
ケンを救い出したとき、ターナは目を疑ったものだ。 あんなに元気だった少年は見る影もなくやせ細っていた。僅かな食事しか与えられず、過酷な労働を課せられていたのが原因なのは明らかだった。
「くそ、ケンはまだ少年なんだぞ。こんなになるまでこき使いやがって、よくもやりやがったな」と激怒するターナにケンは、「ターナ姉、ありがとう。ずっと会いたかったよ」そう言って人懐っこい笑顔を見せてくれた。
エリン・ドールに懇願し、ケンを一味に加えてもらった。ケンは一味の雑用をこなす役割を与えられ、持ち前の人懐っこい笑顔と素直な性格で一味の女達にも可愛がられた。
しかし、半年にも及ぶ、小麦の卸問屋での余りにも過酷な労働環境は、少年の身を蝕んでいた。
しばらくして、ケンは病に侵されてしまったのである。
次第にやせ細り自分で立つことさえできなくなってしまった少年の世話をターナは献身的に行った。昼夜問わず傍らにいて、夜は隣で寝た。
必死の看病にも関わらず日に日に衰弱していくケンは死期を悟っているようだった。
「大丈夫だ。お前は絶対に良くなる。元気になるよ。あたしが死なせやしない」
「ありがとう。ターな姉。でも、僕は死ぬことが怖くはないんだ。だってお姉ちゃんのところに行けるし、父さんや母さんにも会えるかもしれない」
物心ついたときから、姉と二人で生きてきたケンに両親の記憶はなかった。
「ケン」
死ぬにはあまりにも若すぎる。こんな悲しいことがあるのか。本当に神様はいるのか。ターナには返す言葉がなかった。
死を間近にしながらも、明るく振る舞う少年が不憫で、ある夜、ターナはケンの寝床に潜り込んだ。
「どうしたの、ターナ姉」と驚くケンに、
「いいから、そのまま寝てな。お前は何もしなくていい。あたしに任せな。年上で、でかい女は好みじゃないかもしれないけどさ」
そう言って、ケンに覆い被さった。
しばしの間が過ぎ、真っ赤に顔を上気させ、満足そうに傍らで眠っているケンを見ていると、良かったと思う反面、純粋なままで旅立った方が良かったのではないか、と後悔の念が湧き上がったことを覚えている。
ケンが逝ったのは、それから間もなくのことだった。
「ありがとう。ターナ姉。僕、お姉ちゃんのところへ先に行くね」
そう言って、いつものように人懐っこい笑顔でケンは旅立っていった。
そうか。アルジはケンに似ているんだ。特に素直なところがよく似ている。
だけど、ケンに対する感情とは明らかに違う。
「アルジだっけ。あんなんで大丈夫なのかね。あたし達に付いてこれるのか。何でお頭はあんな奴を連れて行くのを引き受けたのかな」
エムバの王宮で初めてアルジと会ったとき、呆れたようにエリン・ドールにそう感想を話したことを思い出す。
「彼、自分の意思を言えるようになれば、いい男になると思うわ」
その時は、そう言うエリン・ドールの言葉に首を傾げたものだ。しかし、お嬢の目は正しかったのだ。
そう、アルジは一人の男として魅力的に成長した。
あたし好みの男になった。だけど。
ターナの表情が次第に曇っていくのを、アルジは気付かない。
「あたしと寝たことを後悔しているんだろう」
ターナにそう言われ、「い、いや」と口籠ると、フフと笑いながらターナは上半身を起こす。
豊かな膨らみに蝶のタトゥーが映えていた。
「お前の気持ちは分かっている。お嬢のことが好きなんだろう」
そう聞かれても何も答えることができない。
「年上の女の気持ちを弄ぶなんて生意気な男だね」
ターナはいたずらっぽく微笑む。
「でも今夜のことは気にするな。久しぶりに男の肌が恋しくなっただけだ」
「え」
そそくさと服を着始めるターナを見て、「え、でも」と戸惑う。
「今日のことは忘れな。アルジ。あたしも忘れるからさ」
どういうことなのだろう。女の感情の変化に戸惑う。
「じゃあな、アルジ。今日のことは忘れるんだよ」
そう言い残し隻眼の女は部屋を去っていった。
「本気になっちゃ、お嬢に合わす顔がないよ」部屋を出たあと、ターナはそう呟いた。