第10話 ロラルドとラーナ(1)

文字数 2,611文字

 真っ平な草原の中に続く一本の道を11頭の馬がカッポカッポと蹄鉄の音を立てて行進していた。鎧に身を固めた騎兵の集団の中、一人だけ黒髪のポニーテールをした少女が混じっている。
「ロラルド、ここからテネアは近いの」
 白い肌と大きく見開かれた情熱的な黒い瞳が印象的な少女だ。スラリとしなやかに育った肢体が眩いほどに輝いている。
「ああ、もう少しだ。タシー川が見えてきたら、テネアに着いたと言っていい」
 短く整えた口髭、顎髭を生やし、彫りの深い顔立ちの男が少女の方を見向きもせずに返事をする。
 黒ずんだ銀の甲冑に包まれた、がっしりとしたその体は優に180センチを越えている。
 彼の名前はロラルド・バサス。テネア騎兵団第三騎兵隊隊長である。27歳の精悍な男だが、どこか飄々としている。
「ラーナとやら、一体何度いったら分かるのだ。ロラルド兵長殿とお呼びせぬか」
 二人のすぐ後ろを追行している中肉中背の騎兵が怒鳴る。歳はまだ20代前半だが、既にベテランの風情がある。
「あなたこそ何いっているのよ。ロラルドとは私が物心ついた時からの仲なのよ。その時から、ずっとロラルドって呼んでいるんだから。何か文句あるの」
「な、何をいうか、貴様」
「まあ、待て、ベード。こいつはまだ、騎兵団に入った訳じゃねえんだ。少し大目に見てやってくれ」
「いくら兵長殿の剣の師匠の娘と申されましても、余りにも無礼な物言いは目に余ります」
「いいからいいから、気にするな」
 ロラルドに宥められている、この騎兵の名前はベード。第三騎兵隊の副官だ。気の利いた事はあまり云わないが、素直なこの男をロラルドは己の片腕として信頼していた。
 ぷい、とそっぽを向いた少女の名前はラーナ・レム。17歳の彼女は、テンペスト流剣術宗家の長女に生まれた。
 ローラル平原北部にある町アザーブを発祥とするこの剣術は、多くの弟子を抱える一大流派であったが、アザーブが独立国でなくなり、ピネリー王国領となったときから、次第に衰退していった。
 アザーブ国騎兵団指南役であった父は、その役目を失い、失意の中、酒に溺れるようになった。そんな父を懸命に支えた母は2年前に病死した。
 三人姉弟の長女であるラーナは、酒に溺れる父に代わって、弟、妹を育てるべく、騎士になることを決意したのである。
 アザーブ騎兵団に入ろうとしたのだが、地方長官マクロールは女性の入団を認めない人物だった。
「女などに騎士が務まるものか」とラーナの入団申請を一蹴したのである。
 やむを得ず、ラーナはアザーブから一番近い町であるテネアの騎兵団に入団するべく向かっているのだ。
「しかし、本当に見る目のない人だったわ。あんな人がアザーブの地方長官だなんて、ほんとがっかり」
「確かにな。女ってだけで、はなから入団を拒否するってのは頂けねえな」
「そうでしょ、ロラルド。もう、あんな奴が団長の騎兵団なんて、こっちからお断りよ」
 ラーナから手紙が届いたのは半年前だ。テネア騎兵団に入団したいから迎えに来てくれというものだった。
 相変わらず高飛車で、お嬢様風な文書だったが、風の便りに師の状況を知っていたロラルドは、半年後に迎えに行くと返事を出していた。
(半年後なんて、何を悠長な事言っているの)とラーナから届いた文句の手紙に苦笑したものだが、半年後、アザーブへ表敬の文を持って行く役目になっていた。そのついでに師匠の娘を連れてくることにしたのだった。
 久しぶりに会った師匠マスター・レムは見る影もなかった。目は痩け虚ろな表情を浮かべている。強靭だった肉体は筋肉が削げ落ち弛んでいた。
「おお、ロラルド、久しぶりだのう。会いたかったぞ。今宵は飲み明かそうぞ。じゃが、生憎手持ちが無くての。済まんが酒を買ってきてくれんか」
 剣術道場だった屋敷は予想していたより荒れてはいなかった。子供達三人が必死に手入れをしているのだろう。
「お父様、何を言っているの。これ以上飲んだら駄目じゃない。しかも、ロラルドに酒をねだるなんて正気なの」
「うるさい。娘の分際でわしに口答えするのか」
 空いた酒瓶を投げつける。「キャア」
 ラーナにぶつかる寸前で、ロラルドが酒瓶を掴み取る。
「マスター、お嬢さんに酒瓶を投げつけるなど戯れが過ぎますよ。いいですよ。俺もマスターと飲むのを楽しみにしてきたんだ。酒を買ってきましょう」
「オオ流石は我が一番弟子よ。話が分かるのう」
 テネアに立つ前日の夜、マスター・レムはロラルドと酒を酌み交わし、泥酔するといびきを掻いて寝入ってしまった。
「話には聞いていたが、まさかマスターがこんな姿になっちまっていたとはな」
 ロラルドがチビリと酒を飲みながら呟く。同じテーブルにラーナと弟のマモルと妹のヘレンが座っていた。
「お母様が亡くなってから、特に酒量が増えたの」
 ラーナが沈んだ表情をする。
「そうか」
 マスターの妻は優しい人だった。修練を終えた弟子達に、ふっくら焼き上げたパンを差し入れてくれたことを思い出す。空腹に、これ以上のご馳走はなかった。
「ラーナ、本当にテネア騎兵団に入るつもりなのか」
「入るわ」
「何故だ。お前は女だ。別に騎士にならんでも働く術はある。嫁に出てもいい立場なんだぜ」
「ロラルドも地方長官と同じ様なことを言うのね」「?」
「テンペスト流剣術。お父様はあんな状態になってしまったけど、私はこの流派が好きよ。人はマウト流剣術が最強だ、テンペスト流は時代遅れだなんて言うけれど、私は誰が何て言おうと、この流派が世界で一番好き」
 テンペスト流剣術の特徴は守りの剣だと言える。こちらから打って出ることはない。
 相手の攻撃を読み、先に斬らせて隙を撃つ。いわゆる後の先の剣である。
 ラーナは酔い潰れてテーブルに伏しているマスター・レムにそっと上着を掛ける。
「お父様がどうお考えなのか分からないけど、私は信じているの。だからね、私は騎士になって証明したいのよ。テンペスト流剣術の素晴らしさを」
「僕もだよ。姉さん。僕だって、テンペスト流を継いで騎士になってみせるよ」マモルが力強く言う。
「私もよ。私だって騎士になれるわ」ヘレンも目を輝かせて言う。
「あなた達」ラーナは思わず涙を拭う。
「分かったよ。ラーナは俺が責任を持ってテネアに連れていく。お前達は姉ちゃんの代わりに家を守るんだぞ」
 ロラルドは幼い兄弟の頭をポン、と軽く叩く。
「分かったよ」「うん、分かったわ」
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