第89話 ローノルドの教えとミネロから来た青年(3)

文字数 3,353文字

 翌週の講義にも多くの受講生が席に座っていた。ディーンは、いつものように筆記用具を机の上に整えると、ローノルドの登壇を待った。
 ローノルドの講義は多岐に及ぶ。全てが目新しく興味深い。これまでも勉強をしてこなかった訳ではない。
 オリブラでは、父トラルから与えられた、語学、数式の本を読んでいた。馴染みの行商人、モリトルが調達してきたものである。
 いつだったか、マチスタの裕福な家の子供たちが通うという学校の教本を覗く機会があったが、トラルが与えてくれた書物よりはるかに簡単だったことを覚えている。
 こうして思い返すと、父さんは俺が騎兵団に入ることを見越して、学力を与えてくれていたのだと思う。
 俺が騎士になることには、あまり積極的ではなかったが、息子が選択するかもしれない可能性を潰さないように考えていてくれたのだと分かる。
 改めて、父さんに感謝する。
 ガラっと講義室の扉が開き、見慣れない顔の青年が入ってきた。
 軍服を着ていることから、騎兵団に所属しているのは間違いないが、どこか違和感を感じる。
「失礼、ここがローノルド様の講義を受ける部屋で間違いないですか」
 礼儀正しく丁寧な口調で語りかけられる。
「ええ、そうです」
「ありがとう」そう言うと、青年は一番後ろの窓際の席に座った。焦げ茶色の髪と、整った顔立ちには誠実な人柄が滲み出ていた。
 講義が始まるまでの時間は大分あり、講義室に座る受講生の数はまばらだった。
 活気溢れる朝市の様子を一度見てみたいと思っていたディーンは、いつもよりも早く兵営を出ていたのである。多くの人で溢れる市場はマチスタとは比べ物にならないほど出店の数が多かった。
 そのうち俸給を貰ったら、家族に何かを買おうと考えていた。確か月に一度、オリブラまで行く馬車便があったはずだった。
 マクネの森を大きく迂回していくため、オリブラまで一ヶ月以上もかかるが仕方がない。
「君はテネア騎兵団に入ったばかりなのかい」
 突然、青年が話しかけてきた。
「そうですが」
 フーンと言いながら、青年はマジマジとこちらを見ている。初対面にも関わらず少し馴れ馴れしい態度に、あまりいい気分はしない。
「君はかなり武術に精通しているようだね」
「エッ」
「それも、マウト流武術ではないね。あまり見かけない流派の遣い手だ」
 何故分かるのだ。当てずっぽうではないのか。
「ハハ、図星といったところだね」
 こちらの反応を楽しんでいるかのように青年は笑った。さすがに無礼な男だと、不快感が増す。
「ああ、これは失礼。僕の名前はカイリュ・ミラー。ミネロ騎兵団に所属しているんだが、ローノルド様の講義を一度お聞きしたいと思ってね。特別に受講させて頂くことになったのさ」
 君の名前はと聞かれ、ディーン・ロードと答える。
「ディーンか、いい名前だね。ああ、いや君のことを馬鹿にして笑ったんじゃないよ。君に会えた嬉しさのあまり、つい笑みが溢れてしまったのさ」
 一体どういう了見なのか。
「確かに俺は入団したばかりの新人だ。でも俺の武術のことまで何故分かるんだい」
 仕草や雰囲気などで新人騎士だというのは、誰でも分かるといえば分かることだろう。だが、武術は形を見るなり、立ち合ってみなければ何の流派であるかは分からないはずだ。
 この男、咄嗟に取り繕っているな、と不快感が増す。
 でもまてよ、もしかしたら、この青年は武術の達人なのか。ちょっとした仕草で俺の武術まで見切ったということか。
「ハッハッハ、僕は武術の達人ではないよ」
 いたずらっぽく笑う青年に、エッ違うのかと意表をつかれる。まるで心を見透かされたようだ。
「君の疑問はこういうことだろう。武術の達人でもない僕が何故、君が会得している流派まで分かるのかってね。フッフ、言っておくけど、当てずっぽうではないよ」
 エッと驚くが、いやハッタリに違いないと思い直す。どちらにしろカイリュのペースに引きずられていると感じる。
「ところで君は、ミネロの地方長官の名前を知っているかい」
 突然、これまでの会話とは脈絡のないことを聞かれ、「いや、知らない。ごめん」と答える。
 何故謝る必要があるのか、自分でも不思議だったが、ミネロといえばローラル平原一の大都市だ。そこの地方長官の名前を知らないというのは自分の無知さを晒してたようで、恥ずかしさを感じたのだ。
「新人騎士の君が他の町の地方長官の名前を知らないのは仕方のないことかも知れない。だけどお偉いさん方の名前は覚えておいた方がいいよ。いやいや、お偉いさん方におべっかを使えといいたい訳じゃない。政治的駆け引きをするのに相手の名前も分からないんじゃ話にならないだろう。特にもミネロ地方長官は最重要人物だ」
 そういう話はマークフレアー様か、ローノルド参謀が判断する範疇だろう。一団員の俺がそんなことを言われてもピンとこない。
「まあ、そのうち君も政治的駆け引き、それとこれは一番重要だけど、政治的判断だね。これが必要になってくるよ。そうそう、何故僕が君の武術の流派を知っているのかという話だったね」
 わざととぼけているのか、からかっているのか、この青年が一体何を考えているのかが分からない。
「ミネロ地方長官は、見偽夢想流(けんぎむそう)剣術にご熱心なのさ。21年前、テネア国剣術師範がテネア国王の名代としてミネロを訪問したことがあったそうだ。アジェンスト帝国に攻められたテネア王が援軍を要請するために派遣したようだね。その時、地方長官は、見偽夢想流(けんぎむそう)剣術の演武をご所望されたそうだ。その演武のあまりの素晴らしさに、夢中に、いや虜になってしまわれたようだよ」
 ここで、この青年の口から見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)剣術の名前が出てくるとは以外だった。
 しかも、21年前のテネア国剣術師範とは父さんのことではないのか。
「だけど、かの剣術は幻とされ、使い手はもはやいないと言われている。21年前、演武を披露してくれたテネア国剣術師範も行方知れずだ」
 やはり父さんのことに違いない。
「ところが、二ヶ月前、見偽夢想流(けんぎむそうりゅう)剣術の使い手がテネア騎兵団入団試験を受けたというじゃないか。そこで、ミネロ地方長官は僕に命じられた。事の真偽を確かめにテネアに行けとね」
 俺のことを調査に来たのか、と思わず身構える。
「そう、つまり僕は最初から、かの幻の剣術の使い手を注意深く探していたのさ。そこへ君がノコノコと現れた訳だ」
 何か馬鹿にされているようだ。
「予め名前は聞いていたよ。ディーン・ロードという名前だとね。黒髪の17歳の少年だという特徴も聞いていた。」
 何だ、分かっていたのか、いや、黒髪の17歳の少年など幾らでもいる。
「フッフ、僕が講義室に入って来たとき、君は僕のことを注意深く観察していた。見知らぬ僕の近くには決して近寄らない慎重さだ。剣を左の腰に差していたことから利き手は右のはずだ。なのに僕に一番近づいた時、君の利き手とは逆の側に立った。どういうことか」
 そんなこと全く意識していない。
「僕のことを武術の素人と侮ったか、それとも武術の腕前に余程の自信があるのか、どちらかだ。果たして君はどちらか」
 ゴクッと唾を飲み込む。
「君はどっちだと思う」
「え」
 どちらだろう。迷う。待てよ、自分のことを推測されているだけなのに、何故自分が迷わなければならないのだ。
 プッと青年は吹き出した。
「ハッハ、君は本当に素直だね。ハッハ、会ったばかりの初対面で演武も見ずに流派が分かる訳がないじゃないか」
 何だと、とカアーと怒りと恥ずかしさが込み上げる。
「ごめん、ごめん。でも君はいいね。良い素質を持っているよ。素直さは人の警戒心を和らげる。警戒心を和らげるということは人々から慕われる。統治者の素質があるね」
 今度は褒めるのか。意図が分からず面食らってしまう。
「君の周りには人が沢山集まってくるよ。いいかい。王が全てを行う必要はないんだ。それぞれの分野に長けた家臣達に任せればいい。だから人を見る目は大事だよ。だけど、人を惹きつける、いや、巡り合う運と言ったらいいのかな、多くの才能豊かな家臣達が集まってくるのは天賦の才能だよ。こればかりは鍛えようがない。生まれ持ってくるものだからね」
 このときの青年は真面目に話をしているように見えた。
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