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文字数 2,762文字

 4月21日 (金)

 それから1週間経って、紫陽(しはる)井学(いがく)に用ができた。物事をカワイくする糸口を見つけたからだ。

 そんな肝心なときに限って『猫背おじさん』は門前に出没していなかった。もしかすると警察から注意を受けたのかもしれないし、意欲を取り戻して大学にいるのかもしれない。

 結局彼は小学校の近くの公園で見つかった。おそらく門からいなくなったのはさっきの推測のうち前者が正解だろう、と紫陽は思った。

「元気してるか」

 ベンチで生気の失せた井学に問う。紫陽の質問は聞くまでもない形式的なもので、井学の「元気だよ」という返事にも当然意味なんてなかった。

 井学の隣に腰掛ける。彼がスペースを作った衝撃でベンチから空き缶が音をたてて落ちた。見ると缶ビールであった。ゴミを放置するのはカワイくないので拾いに行く。その間に彼は2缶目に手を伸ばしていた。

 プシュっとカワイくない音を井学がたてる。大人はこれが心地よいらしい。親がそう言っていた。

「紫陽ちゃん、ビールがどうして金色に輝くか知ってるかい」
 缶を眺めたまま、井学はポツリと言った。

「知らんな。そもそも金なのかあれは」
「間違いなく金色さ。––––ビールはね、人間の汚いところ全部吸収してくれるんだ。そして美しいところだけを反射する。我々に見える色は反射されたものだけだから、それが金色なんだよ」

 紫陽は理解し得なかった。それを無視して、井学はすでに開けた缶を天に捧げる。

「あー、気持ちよくなってきたぞ。アカデミアなんてしったことか! 1人で理論を編み出して、天才の僕が全員ギャフンと言わせてやる。……太陽よ! 乾杯!!」

 ちょうどそのとき、空の方から爆音が聞こえた。ヘリのプロペラの音。その機体が、こちらに向かって降りてくる。

「かんっぱいっですわ〜!」

 ヘリから、紫陽と同じくらいの背丈の少女が身を乗り出ている。そして、井学の缶の方へ、紙パックの飲料を向けてそれを飲み干した。青汁だった。

「井学南斗(みなと)。経済面で、どうやらお困りのようで?」

 ヘリはうるさすぎる音を立てながら公園に着陸した。砂ホコリの中から、お嬢様と形容するに相応しい姿をした少女がこちらにやってくる。さっき乾杯して青汁を飲んでいた少女。紫陽は……彼女のことを知っている。

「カガリ! また邪魔をしにきたな!」

 彼女の本名を紫陽は知らないが、カガリと名乗っているのでそう呼んでいる。初めて会ったのは、小学3年生のときだった気がする。茉莉(まつり)と遊んでいたら、邪魔をしにきた。随分と金持ちで、傲慢(ごうまん)な性格だということだけ紫陽は覚えている。紫陽がお婆ちゃんの荷持を運ぼうとしたらロボットを動員してお婆ちゃんごと運んだり、泣いている迷子を助けようとしたらそのDNAと市民データから子供の家をミリ秒単位で特定したり、とにかくカワイくない方法で紫陽のカワイイライフを邪魔してくるようなやつだった。そんな彼女が、今は井学に近寄ろうとしている。

「あなたの話は全て盗聴させていただきましたわ。井学南斗。あなたのような優秀な人材がいなくなるのは、我が国の損失です」

 カガリは犯罪行為を自白しながら話を続ける。

「僕のことを知っているのか」
「当たり前ですわ。日本が誇る天才ですもの」

 井学は3缶目に口をつけた。

「カガリ、この問題は私がカワイく解決する。貴様の出る幕はない」
「あらぁ、本当にそうかしら?」

 カガリが指を鳴らす。ヘリからカワイくない黒服が現れて、パソコンを起動した。プロジェクターで、滑り台に画面が映し出される。

「井学南斗さん。天才のあなたを支援するため、ワタクシ共は超天才振興機構を立ち上げました」

 滑り台に映し出された限りなく見づらい画面が切り替わっていく。姉の入院費補填、交通費全額負担、それに、井学が研究を続けるための研究室まで用意するという内容だった。

「私立大学を設立しましょう。ワタクシ共の豊富な財源で、井学南斗さんの思うがままに学閥を形成してよくてよ。もう霞が関に話は通しております。……研究だけじゃなくて、教育にも不満がありませんくて?」

 ビールを3缶飲み干した井学は、両手を広げて声を荒げた。

「その通りだ! 今の腐敗した教育も、僕の手にかかればもっと優れたものに変えられる! 日本国民の教育レベルを格段に、社会に還元しやすい形で底上げできる!」
「そのとおりですわ。そうして、我が国の生産力は飛躍的に増加。井学南斗の天才的頭脳に由来した、超エリート国家を、形成しますの。きっと……世界は、あなたのものに」

 不敵な笑みをカガリが浮かべる。紫陽は話の大半を把握できていないが、とにかくカワイくないと思った。とりあえず、何となく面倒くさい宿題とかが増えるのもカワイくないし、エリートになるより茉莉と遊び呆けていても怒られないような今のままがいいと思った。

「さあ、より詳しい話は密室で。オーダーメイドの愛用ヘリ『フランソワちゃん』に乗って、ワタクシの家に招待しますわ」
「JSが世界を救うとは本当だったのか。……僕は今、最高に感動している」

 このままでは井学がカワイくないカガリに取り込まれる。しかし酔っている大人は面倒だから、今すぐに説得することはできない。紫陽は大いに困った。とりあえず、カガリを追い払う必要があると思った。

「井学! 1つだけいいか」

 ヘリに向かう彼がこちらを見る。

「どしたの、愛宕さん」
「酒のツマミ、何を買った」
「んー?」

 袋の中を彼が覗く。視点が定まっていない。多分ちゃんと見ていない。

「もういい! 見せろ!」

 袋を彼から奪い取って中をまさぐる。カワイイ感触がひとつあった。

「これだ!」
「あっ、それは半額だからつい買ってしまったシュークリーム!」

 アドバイス通り井学が甘いものを買っているのは嬉しくて、ペンダントが軽く振れる。

 紫陽は、カガリの弱点をいくつか知っている。

 いま手元にあるカワイイ感触も、その1つだ。

「おい、カガリ、ちょっとこっち来い」
「もう、なんですの?」

 歩み寄るカガリに紫陽からも駆け寄る。そのままシュークリームの彼女の口にぶち込んだ。

「ふがっ!?」
「どうだ。甘くてカワイイだろ」

 カガリの顔から色が消えていく。

「あああああああ!? 糖質! とうじづ! とうじづ!」

 彼女は、甘いものが苦手だった。

「こらこら、口にものを入れてしゃべるな。カワイくないぞ?」

 狼狽するカガリを尻目に、紫陽は井学の手首を握った。

「おい! 酔っぱらい! 大事な選択は酔いが覚めてからにしろ!」
「ちょ、愛宕さん」
「コーヒーかなんか飲んで目ぇ醒ませ! ガリ勉野郎が」

 そうして紫陽は井学を引っ張って公園を出る。

 飛びだっていくフランソワちゃんから、「この甘々アホ女! 覚えておきなさい〜!!」と叫ぶカガリの声が聞こえた。
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