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文字数 3,251文字

 6月5日 (月)

 『わくわく! うさぎちゃんダービー』は、瞬く間に星花小の一大コンテンツとなった。仁川(にがわ)のチラシは5年2組との掲示板と廊下に貼り出され、初めての開催には紫陽(しはる)含め7人の生徒が見に来た。しかしウサギのかけっこへ夢中になる様は生徒たちを魅了し、2回目には人数が20人に増えた。そうしてモノやお菓子、現金を巡って勝ちウサギを当てる『うさぎチケット』のシステムは生徒の射幸(しゃこう)心を大いに煽り、3回目の開催には参加数が50人にも及んだ。

「ウサギちゃんダービー超おもしれーー!!」

 紫陽に誘われて参加した茉莉(しはる)もウサギちゃんダービーにハマっていた。今日は現金千円とエクレア1つ分負けたけどそれでも上機嫌だった。

 発端となったのもあって、紫陽はレース後の庭を片付けるのが日課になっていた。当然そこには仁川もいて、茉莉も手伝ってくれている。

「今日も強かったなあー」

 うさぎチケットのゴミを拾いながら茉莉が仁川の方を見る。

「クルミ……ウォールナットアイは、これで本番負けなしだな……3連勝だ」

 ウサギちゃんダービーの勝ちウサギは、過去3回でどれもウォールナットアイだった。それも、かなりの圧勝である。ウサギちゃんダービーがここまでの人気を博しているのは、ウォールナットアイの人気もあるかもしれないのだ。加えて、他の馬にも、そういった長めの横文字がつけられて、それもまたカッコいいと他の生徒達にウケた。

「茉莉は、今度のレース、ウォールナットアイのうさぎチケット買うのか?」
「買いたいけどさあ、みんな買うから、報酬少ないじゃん。やっぱり、他のウサギ選んで、バーンと総取りしたい!」

 言って茉莉は、くしゅん、とくしゃみをした。「あーやべーもう限界かも」と言う。

「無理しなくていいぞ。後は俺が片付けておく。2人ともありがとな」
「では、お言葉に甘えて。……茉莉、薬飲んできたらどうだ」
「だって眠くなるもーん」

 赤くなった顔で鼻をすすりながら、茉莉は薬のカワイくない副作用を憂いた。

     ◆

 ウォールナットアイは、4戦目も圧勝した。茉莉はアレルギーが最近ひどいので、幽体になって参加した。そして1500円負けた。庭には数えられないほどの人がくるようになった。ざっと80人はいるように見える。先日、「こらーっ! 違法賭博は校則第1777条で禁止されとるでしょーが!」と怒鳴った3組の教師がいた。彼女も今日はうさぎチケットを買って熱狂していた。

「世界のウォールナットアイ! 日本のミラクルを突き放す!」

 仁川は実況担当であり、ウォールナットアイの勝機が見えるたび声を弾ませた。その肩入れする実況は批判を呼ぶ一方で、『仁川節』だと楽しみにする生徒も居た。

 『わくわく! ウサギちゃんダービー』は次第に、そのギャンブルとしての性質だけでなく、ウォールナットアイのスター性で人々を引きつけるようになった。第5回の開催はウォールナットアイの5連勝がかかっていることが大々的に宣伝され、生徒たちは仁川を『第5回の仁川』と呼ぶようになり、教師達は校内における賭博の流行に頭を抱えた。

     ◆

 6月8日 (木)

 第5回のレースには、百人にものぼる人々が庭に集まった。レース前、たくさんの人々がウォールナットアイにカメラを向けてはしゃいだ。これほど多くの生徒が校則を無視してスマホを持ち込んでいることに紫陽は驚いた。茉莉は前回の掃除も、今回のレースも幽体で参加していた。掃除に参加しても透明な体で野菜を浮遊させて遊ぶくらいしか仕事はない。今日のレース前は、茉莉が『今日は凄え勝ちそうなウサギ見つけた。教えてやんないよ〜』と言っていたのを覚えている。

 ウサギ達の辺りに影ができてきて、動物はみなそわそわし始める。その影の正体を知ろうとして人々が空を見上げると、パタパタという音とともにフランケンちゃんみたいな名前のヘリが降りてきた。

「天才『うさチケ』師の降臨ですわ〜!」

 耳をたてていたウサギ達はヘリとカガリのキンキン声を聞いて散らばった。紫陽がウサギ小屋に近寄った時にそっくりで、自分が近づくことはウサギ達にとってカガリの声と同じくらい不愉快なのだと思うと悲しくなった。

「出たな、カガリ。今は神聖なる『わくわく! ウサギちゃんダービー』の途中だぞ」
「あら。ワタクシもそれに参加したくてここに来たのですけど?」

 ヘリが静かになったのでウサギ達は一斉に集まる。それらを1羽1羽、カガリはじっくりと眺める。

「そうですわね……、そこの目の大きいウサギ、中々走りそうですわ」

 カガリが指名したのはまさしくウォールナットアイである。中々の相兎眼だと紫陽は思った。

「そちらの『うさチケ』を、買わせていただこうかしら」
「カガリ、待て」
「はて?」
「うさチケとは何だ」

 あら、そんなことを、とカガリは笑う。

「当然、『うさぎチケット』の略ですわ。みな、そう呼んでなくて?」
「いや、『うさぎチケット』と呼んでいる」
「馬券だって、勝馬投票券の略ですのよ。発言機会が多い概念は、略されて然るべきですわ」
「なるほど。確かに、『わウちー』において、『うさぎチケット』は重要な概念だ」

 紫陽は対抗して『わくわく! ウサギちゃんダービー』を略した。

「は、はあ。……それより、うさチケ、貰えます? 2000億円分、いただいてよろしいかしら?」

 周囲からどよめきが起こった。カガリのせいで、紫陽が住む自治体の経済は歪んでいる。

「ワタクシの敬愛する星空繋という配信者が、この前競馬で的中しましてね。各点5万円ずつ購入されていましたわ。ワタクシも繋様を見習って、ドカーンと、1発」

 仁川は軽く狼狽(うろた)えている。

「い、いいけど、負けても返せないぞ? ……ウォールナットアイはたしかに強いが、『わウちー』に絶対はない」
「『わ、何とか』になくても、ワタクシには絶対がありますの。さあ」

 そうしてカガリは2000億円分のうさチケを現金で購入した。

 ヘリが着陸した影響で、庭の地面は荒れ模様だ。

     ◆

 そうしてレースが始まった。ウォールナットアイは、いつものように中団辺りにつけている。このウサギの脚なら、最後に全羽抜くくらい容易だろう。

「さあ、2週目に入って、ウォールナットアイはまだ中団」

 百人以上の生徒と教師と知らない人が、ウォールナットアイの走りに期待している。うさぎチケット山分け権利は、カガリのせいもあって実質元返しだった。それでも、お金を稼ぐためではなく、ウォールナットアイが駆け抜ける様を見たくて、生徒たちはこの庭に集結している。

「さあ直線に入って、ウォールナットアイはここから伸びてくるのかどうか!」

 実況をする仁川の声にも熱が籠もる。レース終盤となって生徒達の熱狂は激しさを増す。

 ウォールナットアイは、伸びてこない。

「ウォールナットアイは中団で揉まれている! ウォールナットアイピンチ!」

 次第に歓声の一部が悲鳴に変わっていく。財布を握った3組の教師は顔が真っ青になっていた。

 代わりに、兎群の中からずば抜けた勢いで駆け抜けてくる兎がいる。

「先頭はウサグラシューだ! ウサグラシュー! 後続を大きく離して今ゴールイン! ……ウォールナットアイは、今、9着で入線……」

 覚醒したように、ウサグラシューは強く土を蹴り、ゴールを通り抜けた。疲れた様子はなく、ぴょんぴょんと動き回っている。

 「間違いなく跳んだ!」と興奮ぎみに叫ぶ声がどこから聞こえる。こいつはウサグラシューを買っているに違いないと思った。宙を浮くスマホが大いにはしゃいでるのが見えた。茉莉、お前もか。

 人々はため息を吐いて、『うさぎチケット』を交換せずに帰っていく。人々は、カガリを『逆神の高飛車』と呼んだ。もっとレースはないの、としつこく仁川に粘る人もいた。3組の教師だった。

 それから、どんどん人が捌けていって、最終的に庭に残ったのは、足を気にするウォールナットアイと、それを見つめる仁川だけになった。
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