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文字数 4,528文字

 6月19日 (月)

 名塚(なづか)の家で初めて過ごした1日は1度もペンダントが振れることなく終わった。名塚はそれほどショックを受けてないようで「もっと地雷メイクの方が可愛いのかな?」と笑っていた。

 退屈すぎる授業を受けながら、どうしてペンダントが動かなかったのかを考えてみる。世界がカワイイ方向を指南したような今までの人々は、皆カワイくなれる余地があった。言葉を選ばなければ、カワイくない一面があった。名塚と星空繋(ほしぞらつなぐ)を取り巻く問題で、カワイくならなければいけないのは誰か。それは名塚本人ではない気がする。

「誹謗中傷と、戦うのか……」

 世界が、それをどうカワイイ方向に導くのか、紫陽(しはる)は少し興味深かった。

     ◆

 今日は教室がやけに静かだと思ったら、まだ茉莉(まつり)と会話していなかった。別に義務ではないけど、どこか不思議な感じがする。茉莉は今日の朝遅刻してきた。休み時間はずっと幽体になっていた。何をしていたのかはしらないけど、彼女も彼女なりに能力を活かした仕事があるのだと思う。

「茉莉、帰るか?」

 彼女は目も合わせないで慌てて帰る準備をしている。最近はずっと忙しそうにみえる。

「……」
「忙しそうだな、最近」
「……」
「?」

 茉莉はそのまま慌てて席を立った。あんまり、カワイくない感じがする。

「茉莉……?」

 仕方ないので1人で帰る準備をする。教室には、まだ何人か生徒が残っている。幣原(しではら)は放課後も教室で本を読んでいた。家で読んだらいいのにと思う。

 帰ろうとしたら、ものすごい勢いで茉莉が戻ってきた。

「もう、なんだよ!」
「ん、どうした」
「呼んだだろ、私のこと!?」
「まあ、3分くらい前に」
「それよ、それ」
「一緒に帰ろうかと思って」
「おっしゃ、帰るぞ!」

 ただでさえ変なのに、今日の茉莉はいつにも増して変だと思った。さっきのは何だったと尋ねたら、「周りの声が数分遅れている世界線で暮らしてるキャラ演じてみたくて!」と答えた。だとしたらいま会話できている時点でキャラが崩壊している。



 6月20日(火)

 火曜日なら午後は空いているというので、今日の放課後は名塚の家に向かう。

 茉莉は学校には来ていなかった。昨日は風邪を引いているように見えなかったが、茉莉のことなのでサボっていてもなんら不思議ではない。

 休み時間は暇だから星空繋の配信を見て過ごした。今日もコラボ配信をしている。教室を見回すと、他にもスマホを見ている生徒はいた。『わくわく! ウサギちゃんダービー』のときにも感じたが、本当にこの学校の校則はハリボテだ。

 カワイイキャラクターの上からカワイイ声を塗りたくって、小倉トーストのように甘くてカワイイ界隈だと思った。プレイしているゲームの詳細は分からないから、キャラクターとチャットを交互にみる。

 意識してみると、チャットにもいくつかカワイくないやり取りが混入している。

 それはたいてい星空繋に向けられたもので、『今の星空おもんないわ』『空気読めてる?』『同接激減のオワコンw』だとかが、流れの早いコメントの中で浮き彫りになっている。殆どは流れに飲まれてすぐに消えるのだけど、たまに『いや、さっきのネタが分からないのは友達いないとしか』『つなぐんのキャラ知らない初見さんかな?』のように反発する声が出て、そうするうち、埃がチリを纏って段々大きくなるみたいに、攻撃的なやり取りが目立つようになり、いつしかチャット欄が飲み込まれる。それでも、画面の中のキャラクターは健気に笑っている。

 同接というのは、生放送をどれだけの人間が見ているのか示す指標らしくて、テストくらいしか数字を気にする機会がない紫陽にとって、他人の数字をそこまで神経質に観察している人間がいるのに驚いた。しかしよく考えれば、紫陽は自分のテストの点すら気にしたことがなかった。

     ◆
 
 カワイくないものを見たので、帰るときには少し気分が沈んでいた。これではいけない。帰って即座にアイスクリームでも食べるか、明日1日、美麗天音(びれいあまね)でも眺めて過ごそうかと思った。ウサギ小屋でクルミ達に会いに行っても良い。

 下駄箱を開けるとき、カワイくない予感がした。

「またか……」

 ハートのシールで封がされた、カワイくない果たし状。

『紫陽ちゃん 幽谷(ゆうこく)茉莉は私の指示を破ってあなたと会話したので、こちらで監禁させていただきました。返してほしかったら、返事をください』

 鈍器で内蔵を殴られたような感覚がする。

 カワイくない。

 差出人の、名前もない。

 世の中にはどれだけカワイくない悪がいるのだろうと思った。星空繋を中傷し、茉莉と自らを引き離そうとする。彼らの行動原理は何か。仮にロールプレイングゲームの勇者と魔王みたいな正義と悪のぶつかり合いが必要だとして、その対立を現実で作り出す目的はなんだ。

 深呼吸をして、呼吸をカワイく整える。幾分か視界が明瞭になった。茉莉にメッセージを送ってみる。監禁なんて馬鹿げている。自分に敵意をもった誰かが、混乱する自分を見てあざ笑いたいだけだ。そう思うようにした。



 6月でこれだけ暑かったら真夏はどうなるのだろう。名塚のマンションについたときには全身が汗でベタついていた。ペンダントは、振れないなら外しても良い気がしてきた。

「おーっ、紫陽ちゃん。学校おつかれさーん」

 彼女の家はクーラーが効いていてカワイイ。紫陽は現代っ子だから、セミの声とか潮の香りじゃなくて、クーラーの埃っぽい匂いで夏の到来を実感する。

 お茶飲むー? と言って名塚は冷蔵庫から緑茶を取り出した。コップに注ぐのではなくペットボトル1本である。

「授業中に、ペンダントが振れなかった原因を考えてみた」

 窓の外は雲ひとつなく真っ青だ。喉が潤うと、あの眩しい太陽がどれくらいの熱気を帯びていたのかあっという間に忘れてしまう。

「ちゃんと授業受けなくていいの。いやああたしも学生のとき大概だったけど」
「受けた上で考えたのだ。カワイイ二刀流だ」
「さすが」

 紫陽はペンダントを手のひらに乗せてみる。

「こいつは、今までカワイくないものがカワイイ素振りを見せたときにしか反応しなかった。例えば、昔の話だが、いじめっ子が仲間内には強い愛情を示したときとかだ。ギャップとか、綺麗な感情を穢れたものの中に見出したとき、このペンダントは光る。それが模範解答かは分からないが、私はそう思っている」
「ほうほう」
「私たちが見つけるべきカワイイは、名塚、貴様のカワイイではなくて、星空繋を誹謗中傷している人間が見せるカワイイだ。そうでないと、このペンダントは決して輝いてくれない」
「でも、それって」

 今の名塚は、あまりカワイくない顔をしている。

「まあ、相手する人数が多すぎるな」
「だよねー。そもそも、ネットの書き込みは同じ人間を追えないのに、悪口言ってる人間のカワイイ瞬間とか、難しそう」
「たとえば、SNSならアカウントが紐付けられている。……星空繋のアンチアカウントを見つけて、そいつのカワイイ瞬間を狙うとか」
「んー。否定的な発言を言われ慣れてるとはいえ、さすがにキッツい」
「なに、私がすればいい」
「大丈夫?」
「カワイくないものを見るのは、正直嫌いだが」

 世界をカワイく変えるためなら、その困難とも立ち向かいたい、と紫陽は思う。

「あまり無理しないでね。……これはあたしの問題だから。––––あっ、練餡(ねりあん)、よしよしー可愛いねー」

 猫とじゃれ合いながら、名塚は思い出したように言った。

「そういえばね、カガリちゃんから連絡があって」

 もう1匹の猫もやってくる。2匹目はバタ()というらしい。

「星空繋を誹謗中傷している書き込みのいくつかを特定したらしいんだけど……」

 机の上が、ペットボトルの結露でビショビショになって気持ち悪いことになっている。

「複数の回線が、同じ人間の書き込みだったらしい。というより、それに対して過度な擁護をしている人間も、みーんな、同じ人だったんだって」

 変な話だよねえ、と名塚はため息交じりにいった。腕の中で、練餡とバタ美が心地よさそうに寝ている。

「彼女の、繋の何が気に食わないんだろ。……あたしは良くても、繋が本当に可哀想」

 塞ぎ込むような名塚の声が、健気な星空繋のそれとかけ離れた音で響く。

     ◆

 名塚の家を出た頃には9時を回っていた。「友達の家でご飯食べる」と母に送っておく。茉莉の既読は、ついていない。

 星も見えない汚れた空の下で、電灯を頼りに住宅街を走り抜ける。目的地は、星花小。門を昇って突破する。木を登るよりはよほど楽である。ここから月をみてもカワイくないだろうけど。

 スマホのフラッシュライトを頼りに、暗い廊下を進んでいく。職員室はまだ扉が開いていた。予想通りこの学校の労働環境はカワイくない。

 担任である教野(きょうの)のデスクへ向かう。なんだか、探偵みたいなことをしているようでドキドキした。

 デスクの上に積み重なったテストの山を見る。そうして音を立てないようにランドセルから手紙を取り出す。放課後、自分の下駄箱に入れられていた果たし状。

「うーん……」

 果たし状の文字とテストの解答を1枚、1枚、照らし合わせていく。

 筆跡鑑定だ。誰がこんな嫌がらせをしているのか、徹底的に調べに行く。クラスメイトの成績を勝手に覗くのはカワイくないように思えた。ただ、みなよくできた点数をとっていたので問題ないだろうと勝手に結論づけた。

「わからんな、これは」

 筆跡鑑定は極めて困難な作業だった。果たし状と似たような字を持つ生徒は5人くらいいたけど、果たし状の字はいかにも女子っぽくて、詳細まで確定することはできなかった。その後女子っぽいという印象は道徳の授業なら差別的だと怒られるだろうなと思った。

 字が似ていた生徒のうち、1人は名前を書き忘れていた。世の中本当にテストで名前を書き忘れる人間がいるものなのかと感心した。名前欄には、『名前を書くこと!』と赤ペンで記されていたが、点数はきっちり、表90点の裏50点だった。もしこれが果たし状と同一人物ならば、名前を毎度忘れる随分間抜けなやつだとも思った。

 結局犯人は分からないで、学校を出た。夜の学校は不気味で、恐怖心を煽る。紫陽は、幽体の茉莉が化けて出てきたら面白いのに、なんてことを考えていた。

     ◆

 家につくと、リビングのテレビで普段見ない深夜番組が放送している。スマホを見ると名塚からのメッセージがある。

『ニュース、見たかな? ごめんね。ちょっと無理してみたけど、やっぱりあたしも弱かった』

 ニュースサイトに『星空繋』と打ち込む。『「enjoy idolnesss」所属の配信者 星空繋 の活動休止を発表』と記事が出てくる。当然、いくつかのブログは嬉々として『【悲報】「エンドル3期生」さん、同時期に2人も活動休止してしまう……』などといったタイトルをつけ、そこにはまたカワイくない言葉の暴力が書き殴られている。

 疲れた体に毒でしかないので、紫陽は記事を見るのをやめた。茉莉はまだ既読をつけない。そういえば明日出す宿題をやっていない。数々の課題がのしかかって、紫陽はベッドから動けなくなった。
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