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文字数 4,893文字

 5月13日 (金)

 金曜日は特に大きな事件もなく平日を乗り切った。2組のみんなは茉莉(まつり)の元に集まって「昨日大丈夫だったー?」などと聞いた。その大丈夫の大半は宿題の量に向けられていたが、一部は目の乾燥を心配する生徒もいた。中には頬を赤らめる女子生徒もいた。……あのイケボ、効くのか。

 教野(きょうの)はいつもより気分が優れないようだった。昨日秘密を暴露されたので当たり前のように思う。ただ誰も授業中にその噂をするものはいなかった。休み時間はみな揃って噂した。

 放課後になって散らばるころには、昨日の出来事は今日の日常に更新されて、茉莉の不可解な行動や教野の独身ネタもあっという間に冷めつつあった。

紫陽(しはる)〜、帰ろうぜ」

 先日比宿題がかなり軽いので今の茉莉は上機嫌だ。

 ランドセルを背負って、2人歩き始める。

「今週は、土日どっか行くか?」
「そのことなんだけどさ」

 両手の甲を向けて、茉莉は「うらめしや」のポーズをする。

「国語んときにこっそり会いに言ったの。別府さんに」
「また行ったのか」
「授業おもんなすぎるんだもん」
「国語は楽しいだろ。算数はつまらんな」
「……別府さん、会えなかったって」
「この前言ってた、『大切な人』か?」
「そう」
「ふむ……」
「……毎年、お見舞いにきてくれるはずだけど、今日は来なかったって。その人の、姿だけでも見れたら成仏できそうっていうんだけど」

 ペンダントを握りしめてみる。あまり光りそうな気配はない。握った右手を茉莉が覗き込む。

「なんとかならないかなあ」
「……私が、幽霊と直接会話できないからな。どうしようもない」
「通訳なら、だいぶ慣れたよ! 明日、別府(べっぷ)さんの可愛い探しやろう」
「まあ、構わないが」
「あそこの近くに新しいケーキ屋できたんだって! 別府さん成仏させてくれたらケーキおごる」
「よし、行こう」

 こうして、今週の土曜日もまた例の心霊スポットへ向かうことになった。

     ◆

 先週来たときよりも、この辺りには陽が射しているように感じられる。季節の変わり目か、心の持ちようが変わったからかは分からない。

「まだいるかなあ、別府さん。実は昨日から今日の間に会えてたりしないかな」
「私も一度幽霊と会話してみたいものだ。茉莉は他の人よりも幅広い人間と会話できて羨ましい」
「幽霊なんて滅多にいないけどな!」

 いつものように茉莉は体を抜け出して、紫陽の隣には抜け殻の茉莉が倒れ込む形となった。戻ってくるのを待つ時間は大層暇だ。直接お化けと会話するほうが何倍も楽である。どうしてここまで技術が発達しておきながら、未だにお化けと話せる技術がないのだろうと紫陽は思った。茉莉は案外早く戻ってくる。

「ただいまー、別府さんまだ居た!」
「それは、成仏できていなかったってことでいいか?」
「うん。大切な人は来る気配ないってとても落ち込んでた」
「残念だな。……それは」

 どういう言葉をかけたら的確なのか紫陽には分からない。別府の人柄もわからないし、そもそも亡くなってから、その大切な人の中で別府がどれだけのウェイトを占めているかもわからないからだ。

 よし、これからどうしようか、と茉莉が言った。紫陽は特にこれといった案を用意していない。強いていうならお供え物として母におはぎを作ってもらった。

 アイデアが降ってこない代わりに、空からやかましいヘリの音が降ってくる。

「除霊! 除霊! 除霊でっすわ〜」

 フランクフルトちゃんみたいな名前のヘリが降りてくる。着陸の風圧で、周辺に散らばっていた枯れ葉が宙に舞う。

「ごきげんよう。アホの愛宕(あたご)紫陽と……、あら、あなたは金魚の糞ことバカの幽谷(ゆうこく)茉莉ではありませんか」
「うっせーよボケのカガリ!」
「ほんと、汚い言葉遣いですこと……」
「おめーに言われたくねー!」

 カガリは指を鳴らして、出てきた黒服から変な形のゴーグルを受け取った。それを顔につけて、再度こちらを見る。カワイくないゴーグルだった。

「あら、あそこに。……本当に幽霊なんているんですわね」

 隣で茉莉が吹き出す。

「なんだそのゴーグル、だっせえ」
「さすがにカワイくないな」
「やかましいですわ! これは、最近の技術を駆使して構築された、超極秘幽霊透過ツール。その名も、『お化けゴーグル』ですの。これがないと、正確に除霊できませんから」

 変なゴーグルをつけていると全ての発言力に説得力を感じない。あまりに聞く耳をもてないので、紫陽は落ち葉の硬い部分で土に絵を描いて遊び始めた。

「ちょっと! 私のお話を聞きなさい!」

 黒服は、さらに2つのゴーグルを取り出して、それを紫陽たちに差し出した。

「騙されたと思って、つけてみなさい」
「えーやだよこんなダサいの」
「しかし幽霊が見えなければ話が進められないでしょう!」
「貴様が帰ればよい話だ」
「薄情な愛宕紫陽……!」

 すると肩をポンポンを叩かれる感触がした。隣で茉莉がはしゃいでいる。

「え、紫陽、ガチで見えるこれ」
「まさか」
「いやいや、付けてみて! 騙されたと思って!」
「茉莉がいうなら……」

 手にとったゴーグルを眺めてみる。紐の構造がややこしくて、どうやって丁度いいサイズに固定していいのか分からない。

「やばい。つけるの難しいなこれ」
「もう! 何やってますの。こちらに来なさい」

 カガリの方へ行って、カガリに紐を結んでもらう。

「あなた、もしかして不器用?」
「いや、そこそこカワイかったと思うが」
「手が焼けますわ」
「すまない。ありがとう」

 そう言ってまたカガリと距離をとる。そして辺りを見回す。

「おーい、紫陽ちゃん。見えてる?」
「……マジか」

 茉莉の前方で、ふわふわ浮いている、若い男性の幽体。青白く透き通っていて、本当に絵本に出てくるお化けのようである。たしかにルックスは悪くなかったが、茉莉はこんなのが好みなのだろうかと思う。幽霊が見えたことよりもそちらが驚きだった。

「さあ、全員見えるようになりましたわね。では、本題ですわ」

 カガリは、また、パチン、と指を鳴らす。ヘリから、社会の歴史でしか見たことないような服装の男が降りてきた。

スル男(・・・)さん、ご挨拶を」

 男は、さよう、と頷いた。

「我は、除霊(じょれい)スル()。このみち30年、一流の霊媒師で〜、ある。本日は、この山に潜む悪霊をぞ、退治に来たる」

 悪霊退散! 悪霊退散! と彼は両腕を振り回す。

「近隣から、ずっと苦情が寄せられてますの。この山に幽霊がいることで、心霊スポットと化し、若い人が興味本位に訪れると。夜に(やかま)しい声をあげられて、随分迷惑しているそうですわ」

 それは許せん! とスル男が怒る。俺悪くなくね? と別府が異議を唱える。小学生の紫陽から見ても、明らかに悪いのは青少年への朕の不足であるように思えた。自分らも遊び半分でここに訪れたことなどなかったことにした。

「別府さんはこの世に未練があるからまだ残ってるんだよ! それを解決したら、除霊なんてなくても成仏できると思う」
「カガリ。ここは少し我慢してくれないか。別府は、私たちが責任をもって成仏させる。だから、除霊はやめてくれ」
「その未練とやらはなんですの? 果たせなかったら、一生ここに住み憑くつもりで?」
「それは……」

 別府は言葉を詰まらせる。

「スル男さん、どうでしょうか?」
「悪霊の匂いがぷんぷんするでござる。早く除霊し申せなむ」

 スル男はキャラの安定しないやつだった。

「お聞きになりまして? あなた方のような素人と違って、プロの霊媒師が『悪霊』と言っているのです。さっさと言うことを聞きなさい」

 俺はプロとか以前に霊そのものだが!? と別府が叫んだ。しかしスル男はゴーグルをつけていないのでその声は届かない。スル男はお札などを取り出してなにやら唱え始める。

「やばい。本物の香りがするぞ」
「どーしよ、別府さんが死んじゃう」

 異様な空気が周囲に漂い始める。別府は呼吸を荒げ始めて、その様を満足げにカガリが眺めている。あまりの息苦しさに、別府はスル男から遠のいて明後日の方向に逃げた。

「ああ、天よ。さすれば悪霊を召せん……」

 さっきまで別府がいた方向を見ながら、スル男は「ハアァァッッッ!!!!!」と大きな声をあげた。山奥が沈黙に包まれて、少しずつ緊張が緩和されていく。

 別府は、まだ遠くでフワフワと浮いていた。

「除霊、ついに成し遂げん。悪霊、(ことごと)く成仏し給う」

 スル男も別府も、安心したように一息つく。別府はこちらに戻ってくる。これは失敗といっていいだろう。ゴーグルの奥で、カガリがどんな目をしているのか気になった。

「さ、さっすがですわ〜。あなたを呼んで正解でした、除霊スル男さん。誠に恐縮ですが、1つだけお願いしてよろしくて?」
「うむ」

 カガリは、浮いている別府を見た。

「次は、私の指示する方を常に向きながら、除霊してもらっても……?」
「否ァッ!!!」

 うるさっ、と茉莉が耳を塞ぐ。キャラだけでなく情緒も安定しないやつだった。

「過ぎたるは及ばざるが如し。除霊のしすぎは禁物でござる……」
「くっ。……ゴーグルが3つしかなかったのが不幸ですわ。まさか幽谷茉莉までいるとは思いませんでしたから」

 カガリは歯を食いしばる。

「黒服! これ以上『お化けゴーグル』はありませんの!?」
「すみませんがお嬢様。これは世界に3つしかありませんから」

 ゴーグルを雑に取り外して、カガリはそれをこちらに投げた。

「きっとスル男さんには、ワタクシどもよりも高次な霊界が見えているのでしょう。こんなゴーグル、しょせんは数千年程度の科学の知見が集まっただけのもの……。人類のスピリチュアルな概念は、もっと長い歴史を持ってますから」

 難しい言い訳をして、カガリはフランソワちゃんに乗り込んだ。このゴーグルをもらっても仕方ないのだが。

「帰りましょう。スル男さん。この山の霊は完全に消えました」

 彼は除霊後その場から動かない。

「スル男さん……?」

 彼は小さい声で何かを唱えた。ビビった別府が紫陽の背後に隠れる。

「……いた」
「はて?」
「お腹、すいたでごんす」

 今のスル男には、さっきまでの覇気がない。

「除霊するとガチで腹減るんよ……、あ、やべ。––––いとハラペコ侍り」

 空腹ゆえに仕事を全うできないスル男がたいそう可哀想だと紫陽は持った。腹が減ってはカワイくなれぬ。小学校で習うような、誰もが知っていることわざ。紫陽は鞄からおはぎを1つ取り出す。別府へのお供え物として、母から貰ってきたもの。

「除霊スル男」

 子犬のような目をしたスル男は、ペンダントこそ振れないもののカワイイ顔をしている。

「あんこ、食えるか? 食えるならこれを。……世界一カワイイ、うちの母がつくったおはぎだ」
「おはぎ!」
「何!? 甘い物を……!」

 スル男にみるみる活気が湧いてきて、一方で後ろにいるカガリが怪訝な顔をしているのが見える。

「いけません! そんな物!」
「えっ」

 カガリは慌ててスル男の腕を掴み、「黒服! 出る準備を!」と叫んだ。カガリは自分の思想を他人にも浸透させたいタイプの人間だった。

「そんな甘ったるいものダメですわ! スル男さんのような優秀なお方が、除霊の厳しい世界で生きていけなくなります。あそこの小娘どものように脳内お花畑になってもよろしくて?」
「誰がお花畑じゃ! しばくぞっ!」
「失礼な。私は全身お花畑だぞ。その方がカワイイだろ」
「うちでスル男さんのために一流レストランのシェフを容易していますわ。もちろん、お酒もたくさんあります。ぜひ、そこで空腹を満たしてください」
「でも、あんこが……」
「うぅ……甘い匂い。嗅ぐだけで気分が……。ほら、スル男さん早く」
「あぁ……もち米……」

 半ば無理矢理にスル男はフランソワちゃんに乗せられて、そのままヘリは離陸した。

 下に落ちた食べかけのおはぎは紫陽が食べた。15秒くらい経っていたけど、3秒がセーフならば、セーフ×5でセーフになるのではと思った。

「うん。甘くてカワイイ」

 上空から、「おはぎぃぃぃぃぃっっっ!!」と叫ぶ声が聞こえる。さながら、悪霊が天に召される様のようであった。
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