05

文字数 4,010文字

 5月20日 (土)

紫陽(しはる)ぅ! 茉莉(まつり)ちゃんよー!」
「おい紫陽!? いるかー? おるな!」

 土曜日のカワイイ朝は、母の呼ぶ声で夢が引き剥がされて、玄関から叫ぶ茉莉の声で目が覚めた。返事も待たないで茉莉は部屋にやってくる。その証拠に階段から騒がしい足音がする。

「紫陽、おはよー! うわ、寝癖やばっ」
「黙れ。お前の朝が早すぎる」

 大体カワイイ休日くらいゆっくり眠らせてほしかった。元気な茉莉のことだからまだ10時くらいだろうと紫陽はスマホを見る。……7時だった。

「いや、ほんとに早すぎるだろなんだこれ」
「でもでも大ニュースなんだよ! どうしても朝刊に間に合わせたくて!」
「なら遅刻だろ」

 まあまあ、と言って茉莉はメモを取り出した。

天音(あまね)ちゃんのサイコーにアツい情報、仕入れて来ましたぜ」
「なっ」

 一気に頭の中が明瞭になる。

「ちょとまって。寝癖だけでも直したい」
「私がスタイリングしてやるから、聞きなさい」

 茉莉に引き止められて、結局紫陽はその場に座った。

     ◆

 紫陽の髪を()きながら茉莉は話し始める。

「昨晩ね、天音ちゃん家に、幽体で侵入してきたんだけど」
「カワイかった?」
「侵入したときは、丁度お風呂中だった」
「なるほど」
「それで、30分後にもう1回出直したんだけど」
「ほう」
「……まだお風呂だった」
美麗(びれい)の長風呂エピソードは別にいい」
「大事でしょ! クラス1の美人は湿気を大切にしてるんだよ!?」

 ちなみにこのメモには天音ちゃんの使っている化粧水が書いてま〜す、と茉莉は嬉しそうに言った。疑ってた割には彼女の家に入るのを楽しんでいる。

「そうか。覚えておこう」

 茉莉は(くし)の使い方が荒いのでもう少し優しくするように紫陽は要望を送った。

「でー、こっから本当に凄い話」

 紫陽、結構くせ毛だよねー、と茉莉がボヤいたが、話を反らしたくないので紫陽は無視した。

「……天音ちゃんね、クラスみんなの特徴とか、趣味を、日記に書いてたの」
「なんと……!」

 茉莉の元を離れて、パジャマ姿のままペンダントをかけた。少し反応しているのを感じる。そうしてまた茉莉の前に座った。

「それでね、見ちゃったの。日記の中身を。––––天音ちゃん、菊池さんや小松さんと、仲良くなりたいって書いてた。けど、小説とか、見ているアイドルとかに詳しくないから、勉強してから話しかけたいって。趣味から入る方があの2人とは仲良くなれそうって、そう書いていたの」

 紫陽の中で、カワイイが渦巻いていく。それに応じて、ペンダントも眩しくなってくる。ちょうど朝日と同じタイミングだった。

「もちろん、すいせいやみくもと決別したいなんてことはなくて、あの2人のことは大好きだって、そう書いてた。何が好きとか、誕生日にこれあげたいとか、楽しいそうに、天音ちゃんはずっと書いてたの。……私たちのことも。この前、かくれんぼに参加したのは、私たちと仲良くなるためには一緒に遊ぶことからだって、そう天音ちゃんが判断したからみたい」

 もう、エネルギーは十分溜まったように思う。胃もたれ寸前のカワイイが、紫陽の中に押し寄せてくる。

「でね、でね。天音ちゃん、日記を書き終えた後になんて言ったと思う?」
「……わからん」

 彼女のカワイイは、人智を越えている。

「『今日はみんなとケンカして悲しかったけど、でも、紫陽ちゃんとお喋りできたから楽しい1日だった。いつかみんないっしょに、仲良くなれますよーに』って、そう微笑んだの」
「なんてカワイイ奴だッ!!!!」

 閾値を越えたカワイイでペンダントは破裂するように光を放って、紫陽の部屋一体を包む。かつてこんな純粋無垢な少女が居ただろうか。美麗天音は、その抜きん出てカワイイ容姿に加えて、中身も頗るカワイかった。きっと、カワイイ界からカワイくないが蔓延(はこび)る現代社会に送られてきた、カワイイの使いなのではないのだろうか。紫陽は適当な方角を向いて、詳しい住所は知らないけどそこが美麗の家だと信じ込んで、祈りを捧げる。これから彼女に足を向けて寝られないと思った。だから足を向けることがなさそうな方角に祈りを捧げた。

 そうして、ペンダントが放った光は徐々に消えて、部屋を照らすのは朝日だけになる。カワイイエネルギーによって、紫陽の手前に袋が1つ落ちる。薄力粉だった。

「はくりき……こ?」

 肩越しに茉莉が問う。

「ああ、薄力粉だ。世界のカワイイが、天音のためにカワイイ薄力粉を生み出した」
「なんで薄力粉? ほんとはヤバい粉だったりして」
「んなカワイくないわけあるか。……理由については、私もわからん」
「そもそも薄力粉って小麦粉と何が違うの」
「さあ」

 わからないから、調べてみた。『薄力粉 使い道』で検索すると、画面上にわりあいカワイイ言葉が見えた。

「待て。なるほど!」

 世界は本当に、よく、カワイくできている。紫陽は思わず立ち上がった。

「こら紫陽ちゃん! まだ髪の毛終わってない!」
「すまん。早くしてくれ。……茉莉、美麗の家は知ってるな?」
「うん。幽体でストーキングしたから、それで知った」
「行くぞ。美麗の家に」
「マジ!? 3人で遊ぶとか最高じゃん!」
「遊ぶんじゃない、カワイイことをするんだ」

 紫陽は胸の高鳴りを感じずにはいられなかった。今すぐにでも家を出たい気分だったが、ご飯ができたと母が呼ぶので、カワイイ速度で食事を済ませて、顔を洗って、歯を磨いて––––そして鏡をみたときに髪が星型にセットされていることに気づいた紫陽は驚愕して––––服を着替えて、茉莉と家を出た。髪型がカワイくない以外、清々しい朝だった。

     ◆

「おはよう〜、紫陽ちゃん、茉莉ちゃん、休日も美人な天音ちゃんふわあぁ〜。朝チョー早いね……。えっ紫陽ちゃんその髪型何!?」

 美麗の家へは、自転車を撤去されたら困るので徒歩で行った。紫陽が祈りを捧げた方向とは真反対だった。

「この髪型、激面白くない?」
「私の頭は気にするな。それより、これだ」

 紫陽は、カワイイ薄力粉を掲げる。

「クッキーを作るぞ。土曜の朝から、女子3人でお菓子作りだ。……ふふっ、最高にカワイイな」

 美麗は、全くの了解を得ていないようで、ポカンとカワイイ顔をしていた。

     ◆

 バニラエッセンスやらアーモンドパウダーやらといった横文字が都合良くキッチンに揃っているわけもなく、紫陽たちは早速苦戦を強いられた。

「こんなもんなくてもいいんじゃねーの?」

 調べたレシピ通り材料を混ぜながら茉莉がいう。

「いや、必須だ。なんならチョコチップやココアパウダーも欲しい」
「形から入る奴め……」
「いいじゃないか、カワイイだろ?」
「紫陽ちゃんお菓子とか作るんだねっ! たしかに可愛いかも〜」

 美麗は手帳を取り出してメモをし始めた。あれが茉莉の言っていた日記だろうかという疑問は、美麗にカワイイと言われた喜びでかき消された。

「茉莉、横文字系の粉買ってきてくれないか」
「なんで私なんだよ!? 紫陽が行けば?」
「運動能力を考慮すると、貴様が行ったほうが効率が良い」
「じゃあ平等にじゃんけんで決めよ。言い合いっこなしだ」

 じゃんけんの結果、茉莉が買い出しに行くことになった。「運で決まる手段は不平等だ」と言い捨てて、彼女はキッチンを出た。

「ありがとう茉莉、君の優しさは忘れないよ。私たちも全力で生地を捏ねたいと思う」

 それから紫陽と美麗は動画を見たりゲームをしたりして過ごした。茉莉が戻ってくるころには昼になっていたので、一旦茉莉が買ってきたスーパーの寿司をみんなで食べた。それからクッキー作りを再開した。美麗は随分器用で、クッキーをあらゆる形に型どった。紫陽は極めて不器用で、あらゆる粉をキッチンに撒き散らした。それらは、全て人格者である美麗の両親のカワイイ恩赦に救われた。

「あ〜、焼けてそうだよ!」

 美麗の声と一緒に、程よく甘い香りが鼻をつく。

「ついにできたか!?」
「やばい、ガチ腹減った! 食っていい!?」

 熱いプレートを取り出して、クッキーを1つ1つ皿に並べる。並び終えるまでに茉莉は10個くらいつまみ食いした。形を見ただけで誰が作ったかわかる。カワイイのは全部美麗が作ったやつだ。

「ねえねえ、写真撮りたい。……すいせいとかみくもに見せたいし」

 そう言った美麗の顔はあまり明るくない。

 クッキーは、少し固くて、僅かに苦味がした。多分焼きすぎたのだと思う。ただ、市販のやつよりも甘くなくて、なぜだか美味しそうな匂いのする生地と同じ風味が口の中に広がるから、それもまたカワイイ味だと紫陽は思った。

「ちょっと焼きすぎたかもね」

 眉を下げながら笑って、美麗は紫陽が思ったことと同じことを言う。

「いいじゃないか。十分美味しいぞ」
「正直、マジで止まらん」

 皿に並べられたクッキーの7割は茉莉が食べたように見える。

「……私ね、天音ちゃんのこと疑ってた。菊池さんや小松さんに相談されて、天音ちゃんが意地悪してるんじゃないかって思ってた。ごめん。……こんな美味しいクッキー作る子が、他人に嫌がらせなんてするわけなんだよ!」

 天音はじーっと茉莉を眺めて、しばらくしてから「えへへ。今疑ってないなら、それでいいよっ」と笑ってみせた。

「ねえねえ、紫陽ちゃん」
「どうした?」

 相変わらず、美麗はカワイイ顔にカワイイ声をしている。

「この薄力粉、もらっていいかな。––––クッキー、みんなにも作ってあげたくて」
「いいぞ、好きなだけ作れ。甘いものは、みんなをカワイくしてくれる」
「ありがとう! 明日、いっぱい、もっと美味しいの作って、2人にも配るね」
「私百個食いたい!」

 ペンダントは、もう振れない。きっと、美麗なら自力でこの問題を解決できる。
 彼女は遠い目をしていて焼けたクッキーを1つ眺めていた。そのクッキーが星型だったから、紫陽は自分のヘアスタイルを思い出して気分を害した。
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