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文字数 3,680文字

 6月17日 (土)

 今日もカワイイ土曜日は妨げられた。大体こういうことをしてくるのは茉莉(まつり)なのだが、顔を見る前にそうではないと気づいた。

「しはるー! お友達!」

 母は茉莉のことを茉莉ちゃんと呼ぶ。お友達と呼ぶということは茉莉ではない。こんな朝からカワイくない奴は誰だ。

「最近の子はすごいわね。遊びに来るのにヘリに乗ってくるなんて」

 ああ、やはりカワイくないといえばこいつか。
 
     ◆

「ごっきげんよう〜ございますわ」

 朝から大きい声でカガリは叫んだ。体温みたいに、人間の声量にも1日内でのリズムがあればいいのにと紫陽(しはる)は思った。

「あら、すごい寝癖ですこと」
「お前が朝早いからだ」
「もう13時ですわよ。……一流のスタイリスト、お呼びしましょうか?」
「いや、要件だけで頼む」
「それでは」

 カガリは指を鳴らす。フランソワちゃんから、いつもの黒服と、痩せた女性が出てきた。

「彼女のことで、あなたにお手伝いしてほしいことがありまして」
「はじめまして」

 女性は頭を下げる。小さくても、透き通っていて綺麗な声だと思った。

愛宕(あたご)紫陽、あなたは星空繋(ほしぞらつなぐ)様を知ってまして?」

 この前見たせいで、少し身近に感じる。「enjoy idolness」、通称「エンドル」という大きなブランドを抱える企業と契約を結んだVtuberだ。そんなことまで覚えた。

「ああ。軽いプロフィールくらいは」
「もっと知っておきなさい! ここにいる彼女は、その、星空繋様と非常に関連深い、なんというかそのー、星空繋様と同じと言っても過言ではないような……」
名塚妃弦(なづかひづる)です。星空繋に声を当てて、配信とか、してます」
「ああそれを言ってしまうのですね繋様……」
「今のあたしは繋じゃなくて名塚だもん。カメラに映ってないし、モーションキャプチャもつけてない」
「うう……」

 カガリの謎のこだわりが紫陽には理解できない。それよりも、要件と報酬を伝えてほしいと思った。

「で、私はどうしたらいい」
「こちらをご覧ください」

 スマホにブログらしきサイトが表示されている。記事タイトルが『超大人気Vtuber星空繋さん、またしてもコラボで他のドルメンを無視してしまう……』と長々書かれている。記事をスクロールすると「本当に人間性が足りてないよなこいつ」「配信の動き見る限り、病気持ってそう」「誰?」「このエンドルってグループは人気なの?」「3期生って異常者しか居ない気がする」「エンドルってのは事務所みたいなもん、グループ名とは違う」とかなんだのが赤い文字になったり大きい文字になったりして記されている。

 朝から、頭が痛い。それは大体の用語が理解できなかったからではなくて、今見えたのが、紫陽が目を向けないようにしている、世の中のカワイくない部分だからだ。

「これは、氷山の一角のさらに一角の、さらーに一角ですわ」

 カガリはスマホを仕舞わず、黒服に渡した。

「1人のファン、いえ、星空組からすると、はっきり言って、非常に不快です。繋様と一緒にデビューした同期の蜜柑ましゅは、暴言に耐えかねて活動を休止しました」

 珍しく、彼女は真面目な顔をしている。

「そこでワタクシ、誹謗中傷殲滅(せんめつ)プロジェクトを立ち上げましたの。といっても、ネットの全てにある誹謗中傷には対応できませんから、繋様に関することだけ」
「本当にありがたい話だよね。あたしは、我慢すればいいって思ってたんだけど」
「いえ、ダメですわ。人の命を奪いかねない運動は、抑制されて然るべきです。それで、ワタクシは幣原財閥の屈強なコネを使いまして、繋様、いえ、いまは名塚妃弦、と連絡をとったのです。『あなたへの全ての誹謗中傷を、ワタクシに言論統制させて欲しい……』と」
「それは嬉しかった。けれど、上から無理矢理抑えるだけじゃ解決しないと思うんだよね、あたしは。北風と太陽って、あるじゃん。ああいう書き込むをするのがどういう人らか見てみたいし、どうせなら更生して、あたしから離れた幸せな生活を送ってほしい。その方がお互い幸せだもん」
「つな……名塚妃弦は非常に人ができていますから、ワタクシにそう言いましたの。しかしワタクシには、彼らをネット上の書き込みから特定して、せいぜい名塚妃弦に会わせることくらいしかできません。その書き込みをした人間を幸せにしたいなんてお花畑なことは、ワタクシの仕事ではありませんくて。……そこで本題」

 つまり名塚を攻撃している人間をカワイくしろということか。カワイくないものはカワイくする。紫陽の決して揺るがない信条は、顔も名前も知らない人間にも適用されようとしている。

「あなたなら、そういうことができると思いまして」

 予想通りの依頼をカガリが言って、紫陽は俯いた。ネット上の書き込みに、このペンダントは反応してくれるだろうか。

「もちろん、報酬は用意します」
「なんだ」

 思わず食いついた。カガリが何か奪おうとすることはあっても紫陽に何かをくれるなんて明日はきっと(ひょう)だろう。

「あなたが欲しがるもの、なんでも調達してみせますわ」
「ほう」

 少しだけやる気になった。決して自分はモノだけで釣られる人間じゃないはずと紫陽は自問自答した。

「では、世界一カワイイものを頼む」
「かしこまりました。……意味不明ですけど」

 カガリは「では、ワタクシを繋様のアーカイブを見ますから。ごきげんようですわ〜」と言ってフランソワちゃんとともに空へ飛んでいった。

 名塚と2人、自分の家の前に残される。

 世の中はカワイくできているはずなのに、それらから外れた悪というものがどうしても発生する。紫陽はそのメカニズムをしらない。

 これから相手にするのは、『目に見えない悪』だ。

     ◆

「そのペンダントは、かわいいものを見たら光るんだよね」

 彼女の家はマンションの一室なのに、一軒家である紫陽の家と同じくらいに部屋が存在している。配信専用の部屋には、合成用のグリーンバックや照明まであって、一方でリビングは生活感漂っていた。

「カガリから聞いたのか」
「うん。それが力になるかもしれないって」

 家主が帰ってきたのを見て猫が2匹やってくる。紫陽が撫でようとすると逃げた。

「あら、逃げちゃったね。この家にまだ慣れてないのかも」
「最近住み始めたのか?」
「公式動画とかの撮影があるから、本来なら東京に住んでるんだけど、カガリちゃんに話をされて、紫陽ちゃんに会うためこっちに来たの。この家もカガリちゃんが用意してくれたんだよ」
「あいつは何でもするな。……ちなみに猫が逃げるのは私の体質のせいだ」

 猫ちゃんと紫陽ちゃん並んだら絵になりそうなのに勿体ないなあ、と名塚は言う。

「とにかく、その世界とやらにカワイイ方向性を見せてもらおうよ。色々と頑張って見るから、光りそうだったら教えて」
「わかった」

 それからまず名塚は自撮りを見せて加工した写真を見せた。どうせ特定されるなら可愛い顔をネットに放流しておくに越したことはないと彼女は言った。「検索して始めに出てくる専門学生はあたしと一切関係なくて、困ってるんだよねえ。あたしだと思って追っかけてる人もいるみたいだし」。ペンダントは動かない。

 次に配信を始めるといってパソコンの前に座った。特別な機材はいらなくて、カメラの前で動くだけで良い簡易的なシステムがあるらしい。世の中、随分カワイくてハイテクだと思った。真後ろで紫陽はスマホを開いて配信越しに名塚––––ではなくて星空繋を見た。星空繋の声はさっき現実で聞こえていたものよりも数倍甘みを帯びていてカワイかった。怒涛の勢いで、チャットが流れていく。ただ、文字が動いているだけなのに、世界中の人々が1箇所で喋っている感覚がする。オンライン越しにコラボする相手は同じ『エンドル』の3期生らしくて、声をハモらせたりゲーム中に助けたりするたびにチャット欄が加速し、色がついた。

『短冊ありがと〜。星の元へ、私が繋いであげるね。……あっ、また、ありがと〜。これも繋いであげるね』

 スーパーチャットというのはお金とともにチャットを送ることができるシステムで、他のコメントと違い、色がついて表示される。織姫を目指す一般人という設定の星空繋は、色のついたスーパーチャットを短冊に見立てて、星と繋いで叶えるというカワイイキャラクターらしかった。ちなみに、実際の短冊は『さっきのは撃たなかった方が良くない?』とか『nice Tunagun』とか『つなムーブほんと鬼畜で草』とかで、誰も願いは込めていない。つなムーブというのは星空繋がたまに行う倫理を逸しサイコな振る舞いのことを言うらしい。

 情報の洪水でめまいがした。

 ただ、この配信という空間は何度見ても、ポジティブな感情に溢れていて、カワイイコミュニーケーションの場だと思った。カガリがスマホで見せてきたブログとは全く違う。世界がみなこうであればカワイイのに。

 加えて、いつもカガリがいうような「繋様」という呼び方は誰もしていないのに驚いた。今度カガリに会ったらそれを馬鹿にしてやろうと思った。
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