02
文字数 3,713文字
5月24日 (水)
今日も2人かくれんぼをすることになった。昼休みに麻雀をすると教員にバレて困る。今回は紫陽 が鬼になって茉莉 を探している。茉莉は2人かくれんぼだと本気で隠れるし、加えて幽体になることで肉体の気配を消し、あたふたと探している紫陽のことを監視するので非常に厄介だった。
大体茉莉は変なところに隠れる。ゴミ箱の中とか、運動場の地下とか、視聴覚室のホワイトボードをくり抜いて基地を作ってその中とか、最後はこれをきっかけに別棟が半年工事する羽目になって大変だった。
かつてはウサギ小屋の中でウサギに混じっていたこともある。本物のウサギは紫陽を見ると逃げる。茉莉だけ逃げないので、見抜くのは余裕だった。
この学校のウサギ小屋は体育館の前を通り過ぎる途中にある。そこを歩きながら、かつてのそんなことを思い出していた。
「おっ、カワイイな」
ウサギが小屋の外で駆け回っている。珍しくウサギが紫陽の方へ走ってきたので、紫陽は思わず頬が緩んだ。手を叩いて合図してみると、ウサギはこちらを一瞥もすることなく、紫陽の横を駆け抜けていった。
「まあ、反応しないこともある」
1羽が通り過ぎたあと、また、1羽、さらに複数と、たくさんのウサギが同じコースを走っていった。最後に、ウサギじゃなくて男子が走ってきた。
「あれ、愛宕 じゃないか」
「仁川 か。ウサギ達、随分と楽しそうだな」
「最近こいつらレースしたがるんだよ! 運動不足解消にはちょうど良くてな。……ちなみに幽谷 なら小屋に混ざってねえぞ?」
「そうか。情報たすかる」
仁川利月 ––––何年担当とも決まっていないウサギの飼育を、3年の頃からずっと率先して担当している紫陽のクラスメイト。同じクラスになる前から、紫陽は彼のことを『団子食いの仁川』として知っていた。3年の頃、彼は『ウサギ小屋の守護神』と呼ばれていた気がする。それが去年ウサギを見ながらお菓子を食べるうさぎ小屋お月見パーティを開催したので、『お月見の主催者』と呼ばれるようになった。そのお月見パーティで彼は団子をたくさん食べたので、あだ名が『団子食いの仁川』に変わった。
「1頭、すげえ早いやつが居ただろ」
仁川が遠くを指差す。初めに紫陽の前を通過したウサギ。大きくて綺麗な目をしていたのを思い出す。
「あいつはクルミって言うんだ。胡桃 みたいな目をしているからクルミ。かけっこすると、いっつもあいつが1位なんだぜ」
はしゃぎながら彼はそう言った。紫陽も動物はカワイくて好きなので、彼が興奮する気持ちが大いに分かる。2人の間の違いを挙げるとすれば、動物側から好かれているか否か、だろう。
「見ているだけで面白いな。走っているウサギはカワイイし、こう、かけっこと言うのは、競技性があって、見ているほうも熱くなれる」
ウサギの群れを遠目に眺める。1団はずっと同じ隊列ではなくて、バテて先頭集団じゃなくなるウサギとか、コーナリングが上手くて追い上げるウサギとか居て、とても楽しい。
「よかったら見ていくか? 何回かレースをしようと思ってる」
ペンダントが振れた。カワイイ気分になる。紫陽はぜひ、と微笑んで庭にウサギ小屋の前に腰をおろした。
クルミは、脚が速いだけじゃなくて極めてレースセンスの高いウサギだった。その他にも何匹か速いウサギがいて、ユリだとか、ラッキーだとか、仁川は1羽1羽の名前を教えてくれた。
誰が勝つのか予想するのも楽しい。道中の位置取りとかを気にしてしまうし、予想通りのウサギが1位で駆け抜けたときは自分を褒め称えたくなる。この休み時間では3回ほど短いレースをした。最後はインディというウサギが1位になった。
「くそっ。直感でレース前はこいつが勝つような気がしていたのだが、不安になって結局クルミを選んでしまった。……悔しい」
自分の直感を信じるか、過去の結果に倣って安定した選択をとるか。気づけばこの高揚感に紫陽はハマっていた。
どうすれば順位を当てられるのだろう。反省しているうち、ウサギ達は小屋の中に帰っていった。
「今日はもう終わりにする。チャイムがなるし、みんな疲れたと思うから」
「予想するのは楽しいな。当たったご褒美にお菓子とか貰えると楽しそうだ」
「お菓子かあ、なるほど」
「生徒にウサギ達をお披露目するいい機会にもなるだろう」
仁川は難しそうな顔をして考え事をしていた。そのうちにチャイムがなって、2人は教室に戻った。
何か大切なことを忘れている気がした。
◆
「愛宕、愛宕」
午後に調理実習をするうちの家庭科教師はイカれている。給食を残さず食べた体で、5年2組の生徒はシチューを作っていた。
「どうした。このニンジンが欲しいか」
「いや、俺は自分が食う分にはニンジン駄目なんだよ。そんなんじゃなくて」
仁川はチラシのような紙を紫陽に見せた。そこには、『わくわく! ウサギちゃんダービー』のタイトルとともにウサギたちの写真が貼られている。
「これ始めようと思ってさ。愛宕がさっき言ってくれたのをヒントに、見ている人間が楽しめるようにしたぞ」
それから仁川は『わくわく! ウサギちゃんダービー』の説明を始めた。観客はお金やお菓子、モノを引き換えに『うさぎチケット』を購入する。うさぎチケットにはウサギの名前が刻まれていて、もしそのウサギが1着になった場合、当てた人同士で、チケットの交換されたモノやお金を山分けできる。主催者である仁川はそこから一切の天引きしない、など、嬉しそうにまくし立てた。途中、仁川の班の生徒が「お前ちょっとは手伝やボケ!」と叫ぶのが聞こえたが、仁川は「もう戻る!」と言うだけであった。実際、紫陽もこんな凝ったチラシをいつ作ったのか分からなかった。ずっと授業をサボっていた違いない。
紫陽も授業中である以上、手を離すことができないので、「さっそく今度開催しよう。楽しみだ」と言って会話を切った。同じ班の人間はずっと居る仁川を不思議そうな顔で見ていた。
鍋に火をつけるため、ガスの元栓を開けようとコンロの下の扉を開いたら、そこに茉莉が隠れていた。
◆
『わくわく! うさぎちゃんダービー』の開催に先駆けて、仁川は庭内のレースコースの整備や、ウサギ達のトレーニングを行うようになった。体重の調整が上手く行かないだの、終 いに重きを置いたタイムが欲しいだの、ブツブツつぶやきながら双眼鏡でウサギ達を眺めている。ウサギはすぐ近くを走っているので、双眼鏡だと見えない。
紫陽は昼休み暇なので、この開催に向けた庭の整備を手伝うようになった。整備といっても、雑草を抜くとか、土に線を引くとか、その程度である。同じ小学5年生なのに、教室でガールズトークに花を咲かせる美麗天音 、すいせい、みくも達とは対照的な過ごし方だった。
整備には茉莉も呼んだ。単純に人手が足りないし、仁川と男女2人っきりだと、小学生は単純なので変なウワサを立てられる可能性がある。仁川がどこかで「いやあ、人間の女はねえわ」と意味のわからないことを言っていた気がするが、そんなことは当事者しか知らないので、ウワサを立てないためにも茉莉の存在は必須だった。
「カッコいい名前が欲しいよな」
いつもはウサギの体調についてブツブツ言うだけの彼が、珍しく紫陽達に声をかけてきた。レースに向けて、いつも呼んでいる名前以外のそれっぽいやつがほしいという。
「カッコいいより、カワイイ名前の方がよい」
「たとえばどんなのだ?」
「『ショコラクルミ☆ア・ラ・モード』とかだ」
「う、うーん……?」
あまりにもクリティカルで優れた名前を出したので、仁川は困ってしまったようだ。紫陽は自身のセンスに自惚 れた。
「私いい名前ある!」
茉莉が命名を立候補した。さっきまで茉莉はウサギ用のキュウリを塩漬けにしておやつとして食べていた。
「それはカッコいいやつ?」
「もち!」
「ナイス幽谷! ちなみにどんなのだ」
「『妖刀の切れ味––––神速女王/胡桃』」
「お、おう……」
「私の方が何倍もカワイイな」
「私のはカッコいいだもん」
「ま、まあ、アラ何とかよりはマシか……?」
「おい仁川、ちゃんと覚えろ」
「すまん」
「で、どっちの名前で行くの!?」
「もっと、シンプルなのがいい……」
仁川はスマホを取り出して何かを調べ始めた。「クルミは英語でウォールナットっていうらしいぜ。英語だとかっこよくね!?」と目を輝かせる。茉莉がかぶせてくしゃみをした。動物アレルギーだった。
「アラモードはフランス語だ。もっとカワイイだろう」
「別に何語でもいいけど横文字がいいな俺は」
「じゃあわだじのダメじゃん」
茉莉は鼻声で言った。
「フランス語だとクルミはどうなるんだろ。……ノ、ノク、ノア? ……読めない。やっぱり英語がいいよ俺は」
彼はクルミをじーっと見つめる。紫陽はどうして『ショコラクルミ☆ア・ラ・モード』が通らないのか理解できなかった。大きな音を立てて茉莉が鼻をかむ。
「よし、閃いた!」
動物の話をしているときの仁川は、何をやっているときよりも楽しそうだ。
「クルミみたいな目をしているから、『ウォールナットアイ』だ」
今日も2人かくれんぼをすることになった。昼休みに麻雀をすると教員にバレて困る。今回は
大体茉莉は変なところに隠れる。ゴミ箱の中とか、運動場の地下とか、視聴覚室のホワイトボードをくり抜いて基地を作ってその中とか、最後はこれをきっかけに別棟が半年工事する羽目になって大変だった。
かつてはウサギ小屋の中でウサギに混じっていたこともある。本物のウサギは紫陽を見ると逃げる。茉莉だけ逃げないので、見抜くのは余裕だった。
この学校のウサギ小屋は体育館の前を通り過ぎる途中にある。そこを歩きながら、かつてのそんなことを思い出していた。
「おっ、カワイイな」
ウサギが小屋の外で駆け回っている。珍しくウサギが紫陽の方へ走ってきたので、紫陽は思わず頬が緩んだ。手を叩いて合図してみると、ウサギはこちらを一瞥もすることなく、紫陽の横を駆け抜けていった。
「まあ、反応しないこともある」
1羽が通り過ぎたあと、また、1羽、さらに複数と、たくさんのウサギが同じコースを走っていった。最後に、ウサギじゃなくて男子が走ってきた。
「あれ、
「
「最近こいつらレースしたがるんだよ! 運動不足解消にはちょうど良くてな。……ちなみに
「そうか。情報たすかる」
仁川
「1頭、すげえ早いやつが居ただろ」
仁川が遠くを指差す。初めに紫陽の前を通過したウサギ。大きくて綺麗な目をしていたのを思い出す。
「あいつはクルミって言うんだ。
はしゃぎながら彼はそう言った。紫陽も動物はカワイくて好きなので、彼が興奮する気持ちが大いに分かる。2人の間の違いを挙げるとすれば、動物側から好かれているか否か、だろう。
「見ているだけで面白いな。走っているウサギはカワイイし、こう、かけっこと言うのは、競技性があって、見ているほうも熱くなれる」
ウサギの群れを遠目に眺める。1団はずっと同じ隊列ではなくて、バテて先頭集団じゃなくなるウサギとか、コーナリングが上手くて追い上げるウサギとか居て、とても楽しい。
「よかったら見ていくか? 何回かレースをしようと思ってる」
ペンダントが振れた。カワイイ気分になる。紫陽はぜひ、と微笑んで庭にウサギ小屋の前に腰をおろした。
クルミは、脚が速いだけじゃなくて極めてレースセンスの高いウサギだった。その他にも何匹か速いウサギがいて、ユリだとか、ラッキーだとか、仁川は1羽1羽の名前を教えてくれた。
誰が勝つのか予想するのも楽しい。道中の位置取りとかを気にしてしまうし、予想通りのウサギが1位で駆け抜けたときは自分を褒め称えたくなる。この休み時間では3回ほど短いレースをした。最後はインディというウサギが1位になった。
「くそっ。直感でレース前はこいつが勝つような気がしていたのだが、不安になって結局クルミを選んでしまった。……悔しい」
自分の直感を信じるか、過去の結果に倣って安定した選択をとるか。気づけばこの高揚感に紫陽はハマっていた。
どうすれば順位を当てられるのだろう。反省しているうち、ウサギ達は小屋の中に帰っていった。
「今日はもう終わりにする。チャイムがなるし、みんな疲れたと思うから」
「予想するのは楽しいな。当たったご褒美にお菓子とか貰えると楽しそうだ」
「お菓子かあ、なるほど」
「生徒にウサギ達をお披露目するいい機会にもなるだろう」
仁川は難しそうな顔をして考え事をしていた。そのうちにチャイムがなって、2人は教室に戻った。
何か大切なことを忘れている気がした。
◆
「愛宕、愛宕」
午後に調理実習をするうちの家庭科教師はイカれている。給食を残さず食べた体で、5年2組の生徒はシチューを作っていた。
「どうした。このニンジンが欲しいか」
「いや、俺は自分が食う分にはニンジン駄目なんだよ。そんなんじゃなくて」
仁川はチラシのような紙を紫陽に見せた。そこには、『わくわく! ウサギちゃんダービー』のタイトルとともにウサギたちの写真が貼られている。
「これ始めようと思ってさ。愛宕がさっき言ってくれたのをヒントに、見ている人間が楽しめるようにしたぞ」
それから仁川は『わくわく! ウサギちゃんダービー』の説明を始めた。観客はお金やお菓子、モノを引き換えに『うさぎチケット』を購入する。うさぎチケットにはウサギの名前が刻まれていて、もしそのウサギが1着になった場合、当てた人同士で、チケットの交換されたモノやお金を山分けできる。主催者である仁川はそこから一切の天引きしない、など、嬉しそうにまくし立てた。途中、仁川の班の生徒が「お前ちょっとは手伝やボケ!」と叫ぶのが聞こえたが、仁川は「もう戻る!」と言うだけであった。実際、紫陽もこんな凝ったチラシをいつ作ったのか分からなかった。ずっと授業をサボっていた違いない。
紫陽も授業中である以上、手を離すことができないので、「さっそく今度開催しよう。楽しみだ」と言って会話を切った。同じ班の人間はずっと居る仁川を不思議そうな顔で見ていた。
鍋に火をつけるため、ガスの元栓を開けようとコンロの下の扉を開いたら、そこに茉莉が隠れていた。
◆
『わくわく! うさぎちゃんダービー』の開催に先駆けて、仁川は庭内のレースコースの整備や、ウサギ達のトレーニングを行うようになった。体重の調整が上手く行かないだの、
紫陽は昼休み暇なので、この開催に向けた庭の整備を手伝うようになった。整備といっても、雑草を抜くとか、土に線を引くとか、その程度である。同じ小学5年生なのに、教室でガールズトークに花を咲かせる
整備には茉莉も呼んだ。単純に人手が足りないし、仁川と男女2人っきりだと、小学生は単純なので変なウワサを立てられる可能性がある。仁川がどこかで「いやあ、人間の女はねえわ」と意味のわからないことを言っていた気がするが、そんなことは当事者しか知らないので、ウワサを立てないためにも茉莉の存在は必須だった。
「カッコいい名前が欲しいよな」
いつもはウサギの体調についてブツブツ言うだけの彼が、珍しく紫陽達に声をかけてきた。レースに向けて、いつも呼んでいる名前以外のそれっぽいやつがほしいという。
「カッコいいより、カワイイ名前の方がよい」
「たとえばどんなのだ?」
「『ショコラクルミ☆ア・ラ・モード』とかだ」
「う、うーん……?」
あまりにもクリティカルで優れた名前を出したので、仁川は困ってしまったようだ。紫陽は自身のセンスに
「私いい名前ある!」
茉莉が命名を立候補した。さっきまで茉莉はウサギ用のキュウリを塩漬けにしておやつとして食べていた。
「それはカッコいいやつ?」
「もち!」
「ナイス幽谷! ちなみにどんなのだ」
「『妖刀の切れ味––––神速女王/胡桃』」
「お、おう……」
「私の方が何倍もカワイイな」
「私のはカッコいいだもん」
「ま、まあ、アラ何とかよりはマシか……?」
「おい仁川、ちゃんと覚えろ」
「すまん」
「で、どっちの名前で行くの!?」
「もっと、シンプルなのがいい……」
仁川はスマホを取り出して何かを調べ始めた。「クルミは英語でウォールナットっていうらしいぜ。英語だとかっこよくね!?」と目を輝かせる。茉莉がかぶせてくしゃみをした。動物アレルギーだった。
「アラモードはフランス語だ。もっとカワイイだろう」
「別に何語でもいいけど横文字がいいな俺は」
「じゃあわだじのダメじゃん」
茉莉は鼻声で言った。
「フランス語だとクルミはどうなるんだろ。……ノ、ノク、ノア? ……読めない。やっぱり英語がいいよ俺は」
彼はクルミをじーっと見つめる。紫陽はどうして『ショコラクルミ☆ア・ラ・モード』が通らないのか理解できなかった。大きな音を立てて茉莉が鼻をかむ。
「よし、閃いた!」
動物の話をしているときの仁川は、何をやっているときよりも楽しそうだ。
「クルミみたいな目をしているから、『ウォールナットアイ』だ」