01
文字数 3,878文字
☆
「瑠奈 は、何て書いたんだ?」
ここにガソリンスタンドがあって、その次は牛丼屋、次の交差点を曲がったら幼稚園のすぐ近くで……、車の窓から流れていく景色をいつもみたいに数えていた時、運転席のお父さんがそう言った。
「ゲーム欲しいって書いたもん」
「瑠奈〜? またおんなじこというの」
「だって」
その時の彼女は、親がゲームを買ってくれないことに対して、年相応に『気に食わない』と感じていたはずだ。だけどその代わりにインスタントカメラといったおもちゃみたいなものを買ってくれたのは嬉しかったし、地下の七夕コーナーに願いを書かせてくれたのも嬉しかった。晩ごはんの後には珍しくケーキがあると聞いて、もうイライラしていたことは忘れていた。その頃には幼稚園を車が通り過ぎている。
毎週のようにこうしてショッピングモールに連れて行かれることを、告中 瑠奈は『楽しい』と感じても 『幸せ』だと感じることはなかった。出かける先が動物園や遊園地になれば大当たりだけど、それは『もっと楽しい』だけであるし、今週はお出かけしない、と言われれば落ち込むけれども『不幸』なんかじゃない。情報番組を見たいと言う父を無視して録画しているアニメを再生し、昼寝しようとする母を無理矢理起こして積木遊びに突き合わせる。カメラを買ってもらってからは「今はダメ!」と両親が嫌がるのを喜んで写真を取るようになった。その場でそれが現像されていって、思ったより変な顔をしていて、また彼女はゲラゲラ笑う。
◆
洗い物を終えてリビングに倒れ込む。あの時のことを『幸せ』だったと思うようになった。洗剤で荒れた手のひらを見る。同い年の手のひらもみな似たように荒んでいるのだろうか。体は一旦休みたい、と言っているけれど、隣の部屋から声が聞こえてきたら体にムチを入れて立ち上がる。飲み物を入れる。「お腹空いた?」と聞いてあげる。
「お父さんがしつこいから習い事始まって最悪」「家行きたいけどお母さんが文句言うからなあ」と両親に不平を述べるクラスメイトはたくさんいる。幼稚だとは一切思わない。嫉妬してしまうほどに、羨ましいと思う。これから大人になろうとする自分に対して、立ちはだかる鬱陶しい壁であってほしかった。存在は当たり前で居てほしかった。思わぬ形で大人になってしまったとき、そこから見える景色はたいそう退屈だった。
アルバムを開いて、日常を切り取られた両親を見る。1ページ目は誕生日である七夕から始まる。インスタントカメラをはじめて買ってもらったあの日から。これが形として存在しているおかげで、自分の記憶は過去じゃなかったんだと再認識できる。
かつて情報番組と録画されたアニメを写したテレビはしばらく仕事をしていない。父が置いていったパソコンを起動する。サムネに『つなぐん』がいる動画を探す。配信は目が疲れてもたないから、切り抜きを見る。切り抜きは、シーンをどう抜き取るかで与えられる印象が180度変わるから興味深い。写真と一緒だ。だから対立を煽るための切り抜きにはそこまで苦労しなかった。
8年前に『ゲームが欲しい』と書いた短冊の願いは叶っていない。クラスメイトである愛宕紫陽を経由して星空繋に渡した、『お母さんが幸せになりますように』という短冊は、どうか。
☆
6月30日 (木)
「全く! これだから最近の若者は!」と茉莉 が叫んだ。紫陽 は考えを巡らせ、隣にいる告中も悩んだような表情をしている。
「声……?」と告中が言った。「ざんねーん!」と茉莉はまた叫ぶ。「茉莉の声がでかいのはいつものことだ」と紫陽は補足してやる。
悩んだ末に紫陽は「主語だ」と答えた。正解だったらしい。「じゃあ次は瑠奈ちゃんの番!」と茉莉が言い、告中は紫陽に拍手を送った。
拉致されていた茉莉を助けてから数日経って、告中と放課後に遊ぶ約束をした。彼女の家が空いているというので、紫陽の家でも茉莉の家でもなく、彼女の家に集まることにした。茉莉以外の家に遊びいけるのは珍しいので、紫陽は気合を入れたコーデで挑んだ。それを見て告中は開口一番に「なんで着替えて来たの?」と言った。茉莉ははしゃぎ過ぎて家にあるゲームを全部持ってきた。コントローラーの1つは詰め込まれた圧によってそのスティックを破損した。告中は目が疲れやすくてゲームはできそうにないらしい。そういえば昨日だか一昨日だかの昼休みに、適当に教科書を開いてそこにある面白い単語を探す遊びでも告中は同じようなことを言っていた。その後文字情報の少なそうな算数の教科書で参加することを勧めたら面白い単語が全く見つからなくて彼女が大敗北したことまで紫陽は思い出した。
そこで彼女の家では「何がデカイでしょうゲーム」で遊ぶことにした。さっきの「主語」という紫陽の解答は、茉莉の発言において主語が大きかったことを指摘したほかならない。ちなみに1番手の紫陽はくだらない動画に腰を抜かせてみせて、「リアクションがデカイ」という問題を出題してやった。
「え。カーペットにクッキーを零した? ジュースを零した? 私の財布を盗んだ? ……んー、仕方ないなあ。人は誰でも失敗するものだから、許してあげる」
今度は告中がそんなことを言った。これは楽勝だ。茉莉と声を合わせて、「器」と即答する。
「2人とも早い」
「歴が長いからな」
「私次出すならそれにしようと思ってたもん」
「2人はいつもこんなことして遊んでるの?」
「形容詞を変えれば無限に遊べるぞ」
「この前は紫陽が『足が早い』の意味知らなくて崩壊したよな!」
「黙れ」
「これはいいゲームだからクラス全体でこの遊びやってみたい!」と茉莉がはしゃぐ。それの答えは、『規模』だ。
◆
「見て見て、紫陽ちゃん、茉莉ちゃん」
告中は棚からカメラを取り出す。ゴツくて見慣れない形をしている。なんだ、と聞く前に告中がシャッターを切る。すぐにカメラの下から紙が出てくる。
「知ってる? これ。インスタントカメラ」
見せられた白い紙に黒い四角がある。それを眺めながら告中は嬉しそうな顔をしている。
「知らないな……。告中はカメラが好きなのか?」
「うん。だってその瞬間を切り取ることができるでしょ」
紫陽はカメラを告中の側から覗き込む。データを確認するためのモニターがない。
「あれ、撮った写真はどこで見る?」
「ふふ。それがね」
「紫陽! 見ろこれ!」
カメラから出てきた紙の黒い部分が明るくなってきて、そこに人の形が見えてくる。……それは、さっき告中がシャッターを切ったときの自分の姿。
「なに、これはさっきの私じゃないか」
「うん。もっと待ってたら、完全に綺麗な写真になるよ」
「すげえええええ!!」
「何てハイテクなんだ……! 今はこんなカワイイカメラがあるのか」
紫陽と茉莉は感動した。その感動が薄れるより先に写真がどんどん鮮やかになって、紫陽を紙上に浮かび上がらせる。2人はまた興奮して舞い上がった。
「やばやば。マジですげえなこれ」
「私も欲しい。今年の誕生日プレゼントはこれにする」
現像された写真を告中はこちらに差し出す。この状態を「焼き上がった」というらしい。紫陽は喜んで鞄にしまった。茉莉がズルい、と唱えたら告中はまたシャッターを切った。
「だれかに自慢してみたかったんだ、これ」
今度は棚からアルバムを取ってきた。新品に近いような状態で保存されている割に、そのアルバムの表紙に記された年月は古い。
「全部保存してるの。私がちっちゃいときに撮ったやつ」
綺麗な部屋の背景に、若い女性や男性が優しい笑顔で写っている。説明がなくとも誰なのか分かる。彼女の両親だ。
「まだ持ってるって言ったら、お父さんどういう反応するのかなあ」
乱入してきた沈黙を追い返すように、「いまの独り言ね!」と語勢を強めて告中は言った。隣の部屋から声が聞こえてきて、彼女はそれに答えるようにお茶を取りに行く。2人部屋に残されて、紫陽は茉莉と目を合わせた。茉莉も自分と同じことを考えていそうな目をしていた。
「告中」
戻ってきた彼女に声をかける。
「カワイイ化計画を始動するぞ。貴様を父親に近づけるためのプロジェクトだ」
言い切ってから、カガリのような言葉遣いだと思った。
「なにそれ?」
「貴様も知っている通り、このペンダントはカワイイものを見れば揺れて、光る。そして世界をカワイイ方向に導く。それを実現するために、告中を全力でカワイくするのだ。そうすれば……貴様は父親に会えるかもしれない」
「い、いいよそこまでしてくれなくても……。私、今はもう二人と遊べてるだけで十分楽しいから」
「では言い方を変えよう。私たちは勝手に告中をカワイくしたい」
「うぅ」
「決行日は明日だ! ……空いてるか?」
「私めちゃ暇!」
「いや告中に聞いた」
「念の為私のスケジュールも確認しとけ!?」
「たぶん、行ける」
「それはダメということか」
「ごめん。行ける寄りの、たぶん、行ける。ものすごく行きたいから、お母さんに確認してみるね」
「私、他の子を可愛くしてあげるのチョー得意だからね。期待してて」
紫陽は残りの時間を、明日の『カワイイ化計画』について考えながら過ごした。とっておきのカワイイアイデアを閃いて、紫陽は心地よくなった。
「そうだ、最後にこれ記録しときたい!」
「私も」
帰り際、告中のもつ最新カワイイハイテクカメラを記録しておきたくて、カメラそれ自体をスマホで撮った。その場で撮った写真を見られるなんて、本当に凄いカメラだ、と紫陽は感じた。
「
ここにガソリンスタンドがあって、その次は牛丼屋、次の交差点を曲がったら幼稚園のすぐ近くで……、車の窓から流れていく景色をいつもみたいに数えていた時、運転席のお父さんがそう言った。
「ゲーム欲しいって書いたもん」
「瑠奈〜? またおんなじこというの」
「だって」
その時の彼女は、親がゲームを買ってくれないことに対して、年相応に『気に食わない』と感じていたはずだ。だけどその代わりにインスタントカメラといったおもちゃみたいなものを買ってくれたのは嬉しかったし、地下の七夕コーナーに願いを書かせてくれたのも嬉しかった。晩ごはんの後には珍しくケーキがあると聞いて、もうイライラしていたことは忘れていた。その頃には幼稚園を車が通り過ぎている。
毎週のようにこうしてショッピングモールに連れて行かれることを、
◆
洗い物を終えてリビングに倒れ込む。あの時のことを『幸せ』だったと思うようになった。洗剤で荒れた手のひらを見る。同い年の手のひらもみな似たように荒んでいるのだろうか。体は一旦休みたい、と言っているけれど、隣の部屋から声が聞こえてきたら体にムチを入れて立ち上がる。飲み物を入れる。「お腹空いた?」と聞いてあげる。
「お父さんがしつこいから習い事始まって最悪」「家行きたいけどお母さんが文句言うからなあ」と両親に不平を述べるクラスメイトはたくさんいる。幼稚だとは一切思わない。嫉妬してしまうほどに、羨ましいと思う。これから大人になろうとする自分に対して、立ちはだかる鬱陶しい壁であってほしかった。存在は当たり前で居てほしかった。思わぬ形で大人になってしまったとき、そこから見える景色はたいそう退屈だった。
アルバムを開いて、日常を切り取られた両親を見る。1ページ目は誕生日である七夕から始まる。インスタントカメラをはじめて買ってもらったあの日から。これが形として存在しているおかげで、自分の記憶は過去じゃなかったんだと再認識できる。
かつて情報番組と録画されたアニメを写したテレビはしばらく仕事をしていない。父が置いていったパソコンを起動する。サムネに『つなぐん』がいる動画を探す。配信は目が疲れてもたないから、切り抜きを見る。切り抜きは、シーンをどう抜き取るかで与えられる印象が180度変わるから興味深い。写真と一緒だ。だから対立を煽るための切り抜きにはそこまで苦労しなかった。
8年前に『ゲームが欲しい』と書いた短冊の願いは叶っていない。クラスメイトである愛宕紫陽を経由して星空繋に渡した、『お母さんが幸せになりますように』という短冊は、どうか。
☆
6月30日 (木)
「全く! これだから最近の若者は!」と
「声……?」と告中が言った。「ざんねーん!」と茉莉はまた叫ぶ。「茉莉の声がでかいのはいつものことだ」と紫陽は補足してやる。
悩んだ末に紫陽は「主語だ」と答えた。正解だったらしい。「じゃあ次は瑠奈ちゃんの番!」と茉莉が言い、告中は紫陽に拍手を送った。
拉致されていた茉莉を助けてから数日経って、告中と放課後に遊ぶ約束をした。彼女の家が空いているというので、紫陽の家でも茉莉の家でもなく、彼女の家に集まることにした。茉莉以外の家に遊びいけるのは珍しいので、紫陽は気合を入れたコーデで挑んだ。それを見て告中は開口一番に「なんで着替えて来たの?」と言った。茉莉ははしゃぎ過ぎて家にあるゲームを全部持ってきた。コントローラーの1つは詰め込まれた圧によってそのスティックを破損した。告中は目が疲れやすくてゲームはできそうにないらしい。そういえば昨日だか一昨日だかの昼休みに、適当に教科書を開いてそこにある面白い単語を探す遊びでも告中は同じようなことを言っていた。その後文字情報の少なそうな算数の教科書で参加することを勧めたら面白い単語が全く見つからなくて彼女が大敗北したことまで紫陽は思い出した。
そこで彼女の家では「何がデカイでしょうゲーム」で遊ぶことにした。さっきの「主語」という紫陽の解答は、茉莉の発言において主語が大きかったことを指摘したほかならない。ちなみに1番手の紫陽はくだらない動画に腰を抜かせてみせて、「リアクションがデカイ」という問題を出題してやった。
「え。カーペットにクッキーを零した? ジュースを零した? 私の財布を盗んだ? ……んー、仕方ないなあ。人は誰でも失敗するものだから、許してあげる」
今度は告中がそんなことを言った。これは楽勝だ。茉莉と声を合わせて、「器」と即答する。
「2人とも早い」
「歴が長いからな」
「私次出すならそれにしようと思ってたもん」
「2人はいつもこんなことして遊んでるの?」
「形容詞を変えれば無限に遊べるぞ」
「この前は紫陽が『足が早い』の意味知らなくて崩壊したよな!」
「黙れ」
「これはいいゲームだからクラス全体でこの遊びやってみたい!」と茉莉がはしゃぐ。それの答えは、『規模』だ。
◆
「見て見て、紫陽ちゃん、茉莉ちゃん」
告中は棚からカメラを取り出す。ゴツくて見慣れない形をしている。なんだ、と聞く前に告中がシャッターを切る。すぐにカメラの下から紙が出てくる。
「知ってる? これ。インスタントカメラ」
見せられた白い紙に黒い四角がある。それを眺めながら告中は嬉しそうな顔をしている。
「知らないな……。告中はカメラが好きなのか?」
「うん。だってその瞬間を切り取ることができるでしょ」
紫陽はカメラを告中の側から覗き込む。データを確認するためのモニターがない。
「あれ、撮った写真はどこで見る?」
「ふふ。それがね」
「紫陽! 見ろこれ!」
カメラから出てきた紙の黒い部分が明るくなってきて、そこに人の形が見えてくる。……それは、さっき告中がシャッターを切ったときの自分の姿。
「なに、これはさっきの私じゃないか」
「うん。もっと待ってたら、完全に綺麗な写真になるよ」
「すげえええええ!!」
「何てハイテクなんだ……! 今はこんなカワイイカメラがあるのか」
紫陽と茉莉は感動した。その感動が薄れるより先に写真がどんどん鮮やかになって、紫陽を紙上に浮かび上がらせる。2人はまた興奮して舞い上がった。
「やばやば。マジですげえなこれ」
「私も欲しい。今年の誕生日プレゼントはこれにする」
現像された写真を告中はこちらに差し出す。この状態を「焼き上がった」というらしい。紫陽は喜んで鞄にしまった。茉莉がズルい、と唱えたら告中はまたシャッターを切った。
「だれかに自慢してみたかったんだ、これ」
今度は棚からアルバムを取ってきた。新品に近いような状態で保存されている割に、そのアルバムの表紙に記された年月は古い。
「全部保存してるの。私がちっちゃいときに撮ったやつ」
綺麗な部屋の背景に、若い女性や男性が優しい笑顔で写っている。説明がなくとも誰なのか分かる。彼女の両親だ。
「まだ持ってるって言ったら、お父さんどういう反応するのかなあ」
乱入してきた沈黙を追い返すように、「いまの独り言ね!」と語勢を強めて告中は言った。隣の部屋から声が聞こえてきて、彼女はそれに答えるようにお茶を取りに行く。2人部屋に残されて、紫陽は茉莉と目を合わせた。茉莉も自分と同じことを考えていそうな目をしていた。
「告中」
戻ってきた彼女に声をかける。
「カワイイ化計画を始動するぞ。貴様を父親に近づけるためのプロジェクトだ」
言い切ってから、カガリのような言葉遣いだと思った。
「なにそれ?」
「貴様も知っている通り、このペンダントはカワイイものを見れば揺れて、光る。そして世界をカワイイ方向に導く。それを実現するために、告中を全力でカワイくするのだ。そうすれば……貴様は父親に会えるかもしれない」
「い、いいよそこまでしてくれなくても……。私、今はもう二人と遊べてるだけで十分楽しいから」
「では言い方を変えよう。私たちは勝手に告中をカワイくしたい」
「うぅ」
「決行日は明日だ! ……空いてるか?」
「私めちゃ暇!」
「いや告中に聞いた」
「念の為私のスケジュールも確認しとけ!?」
「たぶん、行ける」
「それはダメということか」
「ごめん。行ける寄りの、たぶん、行ける。ものすごく行きたいから、お母さんに確認してみるね」
「私、他の子を可愛くしてあげるのチョー得意だからね。期待してて」
紫陽は残りの時間を、明日の『カワイイ化計画』について考えながら過ごした。とっておきのカワイイアイデアを閃いて、紫陽は心地よくなった。
「そうだ、最後にこれ記録しときたい!」
「私も」
帰り際、告中のもつ最新カワイイハイテクカメラを記録しておきたくて、カメラそれ自体をスマホで撮った。その場で撮った写真を見られるなんて、本当に凄いカメラだ、と紫陽は感じた。