05

文字数 3,077文字

 10分弱で茉莉(まつり)は体に戻ってきた。戻るや否や紫陽(しはる) を認めて、「紫陽!? 紫陽か! うわあああああ助けにきてくれたのかあああさすが私の優秀な使いだあ」と抱きついてきた。触れた茉莉の腕と体は、思っているより華奢だった。

「別になんでもいいが、私は茉莉の使いではないぞ」
「まあそんなことどっちでもいいじゃないですかあ〜」

 茉莉を引き剥がして、紫陽は告中(つげなか)の方を見る。

「じゃあ、茉莉が戻ったので、私の用事は終わりだ。……2度とこんなことはするなよ。過ちて改めざる、これを本当のカワイくないという」

 告中はまた理解していない顔をしていた。

「あっ、そうそう瑠奈ちゃん!」
「ん?」

 紫陽が話そうとしたのを茉莉は遮る。2人が気さくに話していることに紫陽は驚いた。

「お父さん、まだ前の会社にはたらいてるままだよ!」
「……そうなんだ。ありがとう」

 告中は一旦、紫陽の方を見てから茉莉に礼を述べる。もしかすると、会話についていけない紫陽に気を使っているのかもしれない。紫陽はそういうことは特に気にかけない。

「紫陽、この話は瑠奈ちゃんと私だけの秘密だからねぇ?」

 茉莉は嫌らしい目をする。久しぶりに会えたので、今日だけはこのカワイくない振る舞いも見逃してやった。

「じゃあ、代わりに私と紫陽ちゃんしか知らないお話でもする?」

 真剣な表情で告中は言う。紫陽には何のことは分からない。「えー、ズルい!」と茉莉が叫ぶ。

 告中は引き出しから青い短冊と120円を取り出した。七夕まであと1ヶ月もある。短冊を見て、1人のキャラクター、––––星空繋(ほしぞらつなぐ)を想起する。

「スーパーチャット。私、アプリからだとできないから、つなぐんに直接、渡してほしいな」

 短冊と小銭を受け取って、中身は見ないように鞄へしまう。星空繋のファンは、案外このクラスに多いかもしれない。

「ファンなんだ、って思ったでしょ? 実際そうなんだけどね。……今は」

 語尾に吐いた彼女の言葉が、違和感となって紫陽の感情を掻き立てる。

「一昨日、変なお嬢様がヘリに乗ってやって来てね、変な黒服の人と一緒だった。その人に、星空繋を傷つけるのはもうやめろって説得されたの。……私、書き込んでるだけだったら気づかなかったけど、あのキャラクターも1人の人間なんだって、そう思ったら、もう広告でお金稼ぐのはやめようって、すぐに気づけた。ちょっと前の私は、お金を得ることに精一杯で、そんなことも分からなかったから」

 意味、わかるかな、と告中は一呼吸おいた。それは分からないことを馬鹿にしているというより、理解されることを求めている様子に見える。

「紫陽ちゃんがずっと探していた、星空繋を中傷していた人間の1人は、私なの。……お金のために、そうするしかなかったから」

 茉莉は、眉を下げて困ったような顔をしている。自分が今どういう表情をしているのか紫陽は分からないけど、不思議と怒りは湧いてこなかった。ただ、茉莉を攫って星空繋––––ひいては名塚妃弦を苦しめた人間が同一だったという事実に、そんな悪がこの世に生じてしまう不思議に、紫陽はひたすら囚われている。

「感情の対立はね、お金になるの。匿名で誰かが言い合いをしている様を、ブログに転載したり動画にしたりして、広告を貼り付ける。するとね、儲かるんだ。でも、他人の書き込みなんて待っている暇はなかった。ネットの人たちは、自分の意見を一方的に伝えるだけで会話にならないから、感情の対立を生むことはできなかった。……だから、私が1人で全部書き込んだの。それを転載して、お金を稼いでた。––––どうしてそんなことをするの、って顔、しているね。ペンダントも、対立煽りもね、全部、ぜーんぶ、お母さんのため。お父さんが消えて、抜け殻みたいになっちゃったお母さんに美味しいごはんを食べさせるため」

 1文、1文、言い切るたびに告中は紫陽の顔を見て、焦ったように言葉を紡ぐ。きっと、自分は今カワイくない表情をしている。

「悪者に見えるかもね。紫陽ちゃんには。でも、私にとっては、これが家族を幸せにするための正義なの。紫陽ちゃんになんて言われても、私は譲らないよ」

 それだけ言って、告中は傷だらけのコップに入ったお茶を飲んだ。

 何か言わなければ、と思った。だけど紫陽は肝心のときにカワイイ言葉をかけてやれないし、ペンダントも全く反応しない。自力で感情を表現できない自分がもどかしい。

「……ペンダント、光らないね。自白してもダメか」
「知ってるのか? このペンダントのことを」

 ようやく出した自分の声は、喉に引っかかって弱々しかった。

「……うん。その、変なお嬢様が、つなぐんに謝罪したいなら紫陽ちゃんを介してにしろっていうから。どうしてかって聞いたら、ペンダントが光って良いように物事が進むからって」
「そうか」

 ここに来てから、このペンダントは一切反応しない。カワイイを見つけられないし、紫陽が何かをカワイくしてやった訳でもないから、当たり前だった。

「このペンダントはな、世界がカワイイと感知したものを、私もカワイイと思えば、それに応じて光るようになっているんだ。残念ながら、告中の今の話では、私に分からないことが多すぎて、カワイイジャッジをくだしている場合ではない」

 カガリがなぜ最終的には自分の力で誹謗中傷を辞めさせたのか分からないし、告中の反省を紫陽に任せた理由も分からない。告中が言う対立煽りがビジネスとして成り立つ理由も、彼女に数々の悪をさせることになった父の行動のきっかけも、世の中の根底にカワイくないものが潜み続けている理由も、紫陽には全部分からない。

「少し、疲れた。今日は、帰らせてほしい。この短冊は、責任をもって私が『星空繋』に届ける」

 茉莉に目をやって、無言で「帰ろう」の合図を送る。コクリ、と頷いてYESが返ってきた。

     ◆

 カガリと、クラスメイトである幣原の力に大きく甘えることになったといえ、2つの問題は解決の方向を向き始めた。後は、名塚(なづか)に告中の言っていたことを伝えるだけ。

「なあ、告中」

 帰る間際、子ども用の靴しか置いていない玄関で、靴を履きながら告中に声をかける。

 こんな状況であっても、紫陽は、何か告中の力になれる、自分らしいことをしてみたいと思った。困った時は、物事がカワイイ方向へと流れるように。物心ついたときから、紫陽が意識していること。ここで何もしないのはどこかもどかしい。

「せっかくの縁だ。学校の休み時間とか、時間があれば茉莉と私の3人で遊ばないか? 思いっきり弾けると、気が楽になるぞ」
「ええー!? それめっちゃ良いじゃん。アリアリ」

 いつもの声色で茉莉が同調する。一瞬、告中の目が大きくなった。

「い、いいの。私、たくさん悪いことするような人間なのに」
「これから、カワイくなっていけばいいだろう。何も、貴様に時間があるなら、私は放課後でも休日でも、一緒に遊びたい。それで告中がカワイくなるなら、私の本望だ」
「嬉しい、私……」
「そんな感動せんくても! 軽いノリで行こうぜー! 私は紫陽はいっつも暇しているからなあ、いつでも乱入してきてよ」
「私は忙しいが」
「うっせーよ私だって紫陽よりは多忙だわ!」
「……私、果たし状の返事をしてなかったな。これで、返事ということにしといてくれ。告中。これから、何かあったらよろしくな」
「う、うんっ」

 頷いた告中の緩んだ表情には、大人っぽい言葉遣いをする彼女に初めて同い年の一面を認められた気がして、そのときようやく紫陽は自分がここに来た意味があるように思えた。
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