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文字数 4,398文字

     ☆

 遺された人々の想いがあまりに強いから、別府(べっぷ)昂輝(こうき)はその精神を現世に引き戻された。

 山でタバコを落として火が燃え盛った後、感覚を超越したような衝撃が体を幾度も襲って、それからしばらく記憶がない。ただ、自分の視点が他の人よりも高いところにいて、家族とか、かつての友達が涙を流しているのをみたとき、長い箱が置かれていて、その側に自分の顔写真が置かれていたとき、自分はすでに死んでいて、俗にいう幽霊になったのだと気づく。

「ええ……マジでか」

 享年24歳。あまりにも早すぎた。不思議と感情は湧いてこない。こういうのは遺された側が辛いのだろう。強いて言うなら、怪談でしか聞いたことのない幽霊という存在になれたのは、有名人に会ったみたいで少し興奮した。

 家族は時折、無理に笑顔を作り、「昂輝はいつもこんなバカやって……」と言い、「今昂輝も笑ったように見えたよ」と自分の遺体を覗く。

 なんとも心苦しかった。自分の不注意で周りの人間を悲しませたことも辛いし、何より、

香澄(かすみ)……ごめん」

 動かなくなった自分の近くで泣き崩れる女性。生きていた直前まで付き合っていた彼女。別府は結婚する気でいた。それなのに、一緒にいったハイキングで命を落とし、彼女には責任に近い、でももっと重たいものを背負わせる羽目になった。別府が何をやっても彼女には通じない。幽霊になった意味があるのかと思った。
 
     ◆

「あー、タバコ吸いてえ」

 それから4年が経った。幽霊は死ぬほど退屈であったが、その感情は神様が持って行ったので、ダラダラとフワフワ浮いているだけの日々でも耐えることができた。

 香澄は、毎年命日に花束を供えにくる。その度にコミュニーケーションをとれない自分がもどかしかった。

 彼女が訪れる1年に1度のその日だけのために、別府は魂を現世に残している。彦星みたいでカッコいいと思う。それ以外の日は、たまにここを心霊スポットだと言って茶化しにくる若者を驚かすことを除き、最高に何もすることがなかった。だからタバコが吸えたらいいのにと思った。生きていた頃は生きがいだった、あの、頭がパッと醒めて、一瞬体から力が抜けていくけれど、そのあと視界が明瞭になって、前向きに物事と向き合えるようになれる感覚。これさえあれば一生幽霊でも問題ない。

 今日もタバコの感覚を思い出しながら、もう少しで訪れる自分の命日を楽しみに待つ。
 
     ☆

 5月6日 (土)

 夏といえば肝試しだ、と5月上旬に茉莉(まつり)が言って、紫陽(しはる)はそれに強く賛成した。ゴールデンウィークは、春がどんなものだったのか忘れるくらいに暑い。祝日に家族ででかけたとき紫陽は半袖を着て日焼け止めを塗った。それくらいの猛暑だった。

 連休中、茉莉とは1度も会っていなかった。友達と遊ぶといえば普通放課後にすることであって、連休は家族と過ごすものだと思っていたからだ。なので連休の締めに遊ぶのは刺激的で良いと考えた。

 心霊スポットは、霊が彷徨うと学内で噂されている裏山の奥へ行くことにした。しかし夜だと門限が守れない。そこで2人で話し合ったら、「夜行性の人間がいるのだから昼行性の幽霊もいるはずだ」という結論に達した。

 そうして、土曜日の昼1時、山の入口近くのコンビニで集合、と約束したのである。

     ◆

 登り始めは体力があるから、茉莉は嬉しそうに大型連休の思い出を語りだした。

「この前家族で水族館行ったんだけどさ、ちょいちょいクラスの奴らいて超気まずかった」
「うわ、私の苦手なやつだなそれは」
「うおお分かってくれる!? めっちゃやだよね。でも向こうも嫌だったと思うわ。お母さんと手つないでたし」
「変なウワサを流してやるのはやめてやれ。カワイくないからな」
「分かってるって! てかもっと流すのに良いもの見つけたし」
「そんなんばっかだな茉莉は……」
「いやいや聴いてよ。ご飯食べたところでね、そのまま買い物したんだけど、そしたら……」
「そしたら?」
教野(きょうの)ちゃん、居たの! ヤバくね」

 教野、とは紫陽や茉莉のいる5年2組の担任教師のことである。たしかに、プライベートの教師に遭遇したのは中々面白くてカワイイ話だと思った。しかしヤバいという形容詞が詳細に指し示すところは紫陽の理解し得ない領域だった。

「なんか高そうなお店でいい服見てたよ」
「教師って、そんなに儲かるのか」
「知らんけど。でも井学(いがく)ちゃんはめっちゃ金持ってるじゃん」

 天才大学生の彼のことを思い出す。彼は色々と例外な気がする。

「なんか先生のプライベートってワクワクしない?」
「わかる」
「教野ちゃん、掘り下げたら面白そうなんだよなあ〜。あの右手にしてる指輪とか、何なんだろうって……」

 しかも薬指だし! と茉莉は興奮気味だ。

「興味深いところではあるが、あんまりストーカーしすぎんようにな」
「この前意図的にさせたくせに」
「物事をカワイくさせる場合は例外だ」

 その間も山を道なりに進んでいく。普段運動をしないので、意外と早い段階で息があがってくる。

 一旦会話が途切れて、次に茉莉が話すまでは2人とも沈黙していた。

「……クッソ寒くね?」

 山を登ってしばらくして茉莉が言う。紫陽は完全同意だった。夏ほどに暑いから肝試しをしようと始まったのに、所詮は春で、今日は奇跡的に肌寒かった。

 加えて山独特の空気で体がさらに凍える。お化けよりも自然の方が怖いと思った。

「え、紫陽、後ろ」
「なんだ?」
「避けろ!」
「ひいいっ」

 空から見たことない色の蜘蛛が糸を垂らして降りてきた。あまりにカワイイと程遠くて、紫陽は腰を抜かした。お化けよりも虫の方が怖いと思った。

     ◆

「着いた〜!」

 紆余曲折あって心霊スポットと呼ばれる山奥に到着する。ちょっとした広場のようになっていて、陽が射しこむので暖かい。加えて木が少ないので虫があまりいない。こんなに落ち着く心霊スポットがあるのかと紫陽は感動した。

「よし、じゃあ幽霊を探そう!」
「どうやって探すんだ?」
「ライト……とか?」
「しかし今は明るい」
「私も今言って気づいた。どうしよう。探す方法ないかも」
「一旦休憩するか?」

 近くに、程よい切り株がある。

「めっちゃアリ。おやつタイムだ!」
「いいな。私、コンビニでモンブランを買ってきた」
「私はあたりめ」

 そこで2人、舌を楽しませて休憩した。モンブランには虫が集って地獄だった。

 食べ終わると、また暇になる。

「……肝試しは、もっと緊張感に包まれるべきイベントのはずだ」
「でもお化け出ないんだもん」
「困ったな」
「……帰る?」
「いいのかそれで」

 紫陽は何かできないか考えてみた。虫に対する度胸を示したのだから肝試しはある種成功したのかもしれない。しかしできれば死者の魂と対面してみたいものである。やはり昼行性のお化けなどいないのか。

 頭を巡らせながら、茉莉を見て、天才とも呼べるアイデアが降りてくる感覚がした。

「待て! 閃いたぞ」

 紫陽は思わず立ち上がる。

「なに? 早く帰る方法?」
「違う。肝を試す方法だ」
「マジで!? なになに」

 これは、茉莉だからできることだ、と彼女を指さして紫陽は説明する。

「心霊スポットごっこだ。茉莉が幽体になって、私を驚かす。私は肝試しをする若者として、周囲をウロウロする」
「幽体の私が喋っていることは、紫陽には聞こえないよ」
「細かいことは気にするな。雰囲気に浸ることが大切だ」
「なるほど」
「……」
「……。よし、やろう!」

 そこで茉莉は幽体になった。紫陽は魂の抜けた茉莉から距離を置く。頭にロウソクを巻いて、鞄の中からフラッシュライト、手作りのお札、ホコリ取りを手にとる。最後のは、除霊用だ。掃除機で除霊できるというのを映画かゲームだかで見たのだが、紫陽の鞄には掃除機が入らないので、代わりにホコリ取りを持ってきた。

「よし……かかってこい、幽霊」

 紫陽は気分を高める。本当に幽霊がいるような気持ちになって……。いよいよ、肝試しが始まるのだ。

「ヤバい! 紫陽!」

 そんなタイミングで、茉莉はすぐに肉体へ戻ってきた。

「なんだ茉莉。醒めるだろう」
「違う違う、逆に驚くよ」

 茉莉が宙を指差す。そこには、なにもない。目を凝らしたとて、虫が飛んているわけでもない。

「幽体になったら、見えた。––––本物のお化けが、いた」

 紫陽はホコリ取りを振り回した。

     ◆

「この幽霊、めっちゃいい人だよ!」

 茉莉は幽体になったり肉体に戻ってきたりして交互にお化けと紫陽の間のコミュニーケーションを取り持った。自身に危害さえ加えられなければ、紫陽はお化けのプロフィールなどどうでも良いのだが、茉莉曰く「イケメンだからちょっと喋ってみたいじゃん」。

 そのお化けは名前を別府昂輝と言った。4年前にこの山の山頂で事故により命を落とした。以降ずっと山で魂のまま彷徨っているらしい。

「この世に、未練があるんだって。––––予習した通りだ」
「予習とはなんだ?」
「昔話とか、マンガとかで幽霊がよく言ってるじゃん。未練があって成仏できないって」
「ああ、そういう」
「あれ、意外に紫陽興味なさそう」

 むしろ何故興味を持つと思ったのか。紫陽には茉莉の思考が理解できない。

「ほら、だって、可愛くしてやるぞー、とかいいそうじゃん」
「その幽霊のカワイくないところが見当たらないからな」
「未練残してこの世に彷徨ってるんだよ!? 可愛くしてあげてよ」
「魂を残してまで現世に思う所があるなんて、どちらかいうとカワイイ幽霊じゃないか」
「いじわるぅー」

 仮にカワイイ・カワイくないの問題を無視して、その別府とやらを助けてやろうとしても、彼と会話出来ない以上、紫陽にはしてやれることが何もない。ましてやカワイく変貌する様が見られないのならペンダントに頼ることもできないし、下手に助けてやるなどと言って過度な期待をさせる方がカワイくないと思う。

 そんなことを考えていたら、茉莉はまた幽体になっていた。魂をそう何度も脱離させて疲れないものか、とても不思議だ。

「タバコ!」
「は?」
「タバコ吸いたいんだって! 幽霊は吸えないからって!」
「……カワイくないものが好きなんだな」
「どうにかして吸わせてやりたい!」
「そんなカワイくないものより、飴玉でも舐めたらどうだ。肺は壊さないし、甘くてカワイイぞ」
「あるの? 飴玉」
「ああ。さっきコンビニで買った」

 ストロベリーバニラ味の棒付きキャンデイを取り出して、紫陽は宙にかざしてみる。

「ほら、幽霊。タバコは我慢してこれでも舐めろ。いくらお化けとはいえ肺がんにはなりたくないだろう」
「おー、別府さん、喜んでるかな?」

 紫陽にはお化けが見えない。キャンデイはただ宙を向いているだけだ。知らない成人男性が、紫陽の見えないところでこれを舐めているとしたら、さぞかし気持ち悪いと思った。
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