03
文字数 3,009文字
終礼を終えて、ポケットに手を突っ込むと、中々カワイくない状況であることに気づいた。
「しはるー、帰ろ帰ろ」
「すまん茉莉 、ちょと待ってくれ」
「どしたー?」
「家の鍵、なくしたかもしれん」
「出たー、超ダルいやつじゃんそれ」
家の鍵を紛失するという行為は、滅多に起こらない一方で非常に印象に残ることで記憶におけるウェイトを大きく占める、言わば「まれによくある」出来事の一種である。そして家の鍵をなくしたというエピソードは、その受けるストレスの割に他人に話しても対して面白みをもたない、「コスパの悪い苦労」でもあった。雨の日に傘を忘れたことなども、紫陽 の中ではコスパの悪い苦労に属する。
「2人かくれんぼの時に色んなところに隠れてみた。そこで失くしたのかもしれん」
「探しに行く? 塾があるから少しの間だけど」
記憶をたどって隠れた場所を思い出しながら、紫陽は「すまん、ありがとう」と返事した。
◆
「見つかんねえええええ」
30分ほど、広場から教室への道やら、植木の合間やら、ゴミ箱の中を探してみたけど見つからなかった。今更になって紫陽は鍵をランドセルに仕舞ってしなかったことを後悔する。
「すまねえ紫陽、私そろそろ塾があるから行かなきゃなんねえ」
「こちらこそ手伝わせて申し訳ない。あとは1人で探す」
「頑張れよ! 授業中眠くなったら幽体になって探しに来るわ!」
慌ただしく茉莉は駆けていった。そうして1人で鍵を探そうとしたとき、茉莉と入れ替わりで人影がこちらにくるのが見える。
美麗天音 だった。
「あの、紫陽ちゃん」
美麗は紫陽に用事があるようだった。
「美麗か、まだ学校に居たんだな。どうした」
「紫陽ちゃんの鍵、天音も探してあげたいと思って」
思わず紫陽は手を止める。
「どうしてそれを?」
「終礼の後、茉莉ちゃんとお話してたでしょ?」
「まあそうだが」
どうやら美麗はその話を聞いていたらしい。「困ってそうだから、つい、耳傾けちゃって」と彼女は言う。
「一緒に探してくれるのなら、私としては助かる」
「任せて! 天音、モノ探すの得意なの!」
鍵の特徴とすでに探した場所を伝えて、美麗と紫陽は鍵を探し始めた。紫陽はどこか違和感を覚えたが、その正体が掴めないので特に何も言わなかった。
◆
初夏の眩しい日射しは夕日に変わって、そうして鍵が見つからないまま沈んだ。
「ここまで物が見つからないことがあるか。もはや神隠しだ」
紫陽は疲れ果てていた。たぶん、途中から探しているフリをしているだけで、実際はあまり周りを見ていない。ここまで来ると母がパートから帰ってきているから、探すことを放棄して家に帰ったほうが早かった。
「まだ諦めちゃだめだよ! 絶対、鍵は紫陽ちゃんが見つけてくれるのを待ってる」
しかし、一緒に探してくれている子がいて、しかもやる気に満ちあふれているから、「もう帰ろう」とは言い出せなかった。紫陽よりも真剣に探して、体は土まみれになって、それでも「鍵が待ってる」なんてメルヘンな表現をする美麗も、またカワイイ。
「もう夜遅い。美麗は、門限とか大丈夫なのか」
「気にしないで! 紫陽ちゃんの鍵を見つけるのが第1だよ!」
美麗は、今度は木に登ろうとしている。かくれんぼするときに2人で登った何の変哲もない木。下は散々探したけど、鍵は落ちていなかった。
「美麗、何をしている?」
「木の上に、もしかしたらあるかもと思って」
「まさか」
「わからないよ! 幹のギザギザしているとこに挟まっているかも」
彼女は1人で登るのに随分苦労しているから、代わりに紫陽が登った。
「えっ……マジでか」
本当に、腰掛けていたとこの幹に、鍵が挟まっている。
「どうだったー?」
「美麗の言うとおりだ。本当にあった」
「ねー! でしょでしょ! 天音もみたい!」
木に挟まった鍵を見たいなんて変わっている。けれど発見してくれた恩があるので、紫陽は特にツッコむこともせず、美麗の手と腕を支えて横に座らせた。
「な、あるだろ」
「ほんとだー!」
嬉しそうな表情で、美麗は木に腰掛けながら足をブラブラしている。それを見て、紫陽は始めに抱いた違和感を思い出した。
「そうだ、美麗」
「ん?」
森の香りがするこの辺りで、美麗の近くだとカワイイ香りがする。
「貴様は、私の話を聞いて、今日鍵を探すのを手伝ってくれたわけだが……終礼が終わってから何してたんだ? あれから、30分以上は経過してたはずだ。始めから手伝ってほしかったと言っている訳じゃなくて、その、何となく……気になった」
美麗に変な感情を抱いているつもりはない。ただ、茉莉と入れ替わりで来たということに何故かカワイくない予感がした。
「あー、それはね」
彼女は唇の上で指を滑らせる。
「すいせいとみくも、探してたの。天音、今日あの2人と遊ぶ約束してたから、行けないかも! って伝えなきゃと思って。でも追っかけた頃には帰っちゃってた」
「え、それは」
つまり2人と遊ぶ約束を断りなく破棄したということか。自分の鍵を探すために。
「今日一緒に遊んだ大切な友達が困ってたんだもん。助けるのは当然だよ。……2人は、天音が説明したら、分かってくれると思う」
「本当に大丈夫か」
「うん。2人は、とっても大事な友達だから。天音も、信用してもらえるって、思ってる」
「すまない。私のために」
「気にしないで! それより、見てみて」
美麗が指した方向で、月が光輝いている。半月でも満月でもない半端な形だったが、学校の庭から見ると明るかった。
「お月さまこっから見えるよー。綺麗」
「本当だな。とてもカワイイ」
「夜に木に登ってお月さま見るなんて、とっても素敵〜」
月に照らされた美麗の顔は白く光っている。この子はどこまで純粋なんだろうかと、紫陽はふと思った。
◆
『月見てたな! 2人で!』
家に帰ると茉莉からそんなメッセージが届いていた。
『だからなんだ』
『鍵見つかったなら連絡してよ! 私が幽体でいったときはもうお月見してたし、体に戻ったら井学ちゃんに寝るな言われるし最悪だわ!』
適当に、『ごめん』を意味するスタンプで返しておく。茉莉はまたメッセージを送ってきた。
『鍵、どこにあった?』
『登った木の幹に挟まっていた』
『変なの。そんなことある?』
『珍しいな』
『実は天音ちゃんがやったとか』
『どういうことだ』
『かくれんぼしてるときに、紫陽の鍵をパクってさ』
『そんなことしてどうする』
『わかんないけど、怪しいじゃん。私と入れ違いで来たし』
茉莉がそういう風な捉え方をしたがる気持ちも大いに分かったが、返信するのにも困った。その可能性があるとして、彼女の目的は何だ。紫陽を困らせたいなら、一緒に探す必要はない。好感度をあげたいなら、自ら隠した場所に行って見つけたフリをすればいいだけだ。他人に言われて初めて気づく。たしかに彼女は裏がありそうに見えるけど、今起きている出来事だけで疑うのは極めて失礼だ。特に紫陽は夜まで鍵を探す手伝いをしてもらっている。
『そんなことしてもメリットないだろ』
美麗がカワイくないことをする論理を組み立てられないので紫陽はそう返信した。強いていうなら、彼女の純粋無垢だけが引っかかる。いや、穢れているのはあくまで紫陽や茉莉であって、彼女のカワイイ生き様が本来あるべき姿なだけだ、きっと。
茉莉からは、それ以上メッセージが送られてこなかった。
「しはるー、帰ろ帰ろ」
「すまん
「どしたー?」
「家の鍵、なくしたかもしれん」
「出たー、超ダルいやつじゃんそれ」
家の鍵を紛失するという行為は、滅多に起こらない一方で非常に印象に残ることで記憶におけるウェイトを大きく占める、言わば「まれによくある」出来事の一種である。そして家の鍵をなくしたというエピソードは、その受けるストレスの割に他人に話しても対して面白みをもたない、「コスパの悪い苦労」でもあった。雨の日に傘を忘れたことなども、
「2人かくれんぼの時に色んなところに隠れてみた。そこで失くしたのかもしれん」
「探しに行く? 塾があるから少しの間だけど」
記憶をたどって隠れた場所を思い出しながら、紫陽は「すまん、ありがとう」と返事した。
◆
「見つかんねえええええ」
30分ほど、広場から教室への道やら、植木の合間やら、ゴミ箱の中を探してみたけど見つからなかった。今更になって紫陽は鍵をランドセルに仕舞ってしなかったことを後悔する。
「すまねえ紫陽、私そろそろ塾があるから行かなきゃなんねえ」
「こちらこそ手伝わせて申し訳ない。あとは1人で探す」
「頑張れよ! 授業中眠くなったら幽体になって探しに来るわ!」
慌ただしく茉莉は駆けていった。そうして1人で鍵を探そうとしたとき、茉莉と入れ替わりで人影がこちらにくるのが見える。
「あの、紫陽ちゃん」
美麗は紫陽に用事があるようだった。
「美麗か、まだ学校に居たんだな。どうした」
「紫陽ちゃんの鍵、天音も探してあげたいと思って」
思わず紫陽は手を止める。
「どうしてそれを?」
「終礼の後、茉莉ちゃんとお話してたでしょ?」
「まあそうだが」
どうやら美麗はその話を聞いていたらしい。「困ってそうだから、つい、耳傾けちゃって」と彼女は言う。
「一緒に探してくれるのなら、私としては助かる」
「任せて! 天音、モノ探すの得意なの!」
鍵の特徴とすでに探した場所を伝えて、美麗と紫陽は鍵を探し始めた。紫陽はどこか違和感を覚えたが、その正体が掴めないので特に何も言わなかった。
◆
初夏の眩しい日射しは夕日に変わって、そうして鍵が見つからないまま沈んだ。
「ここまで物が見つからないことがあるか。もはや神隠しだ」
紫陽は疲れ果てていた。たぶん、途中から探しているフリをしているだけで、実際はあまり周りを見ていない。ここまで来ると母がパートから帰ってきているから、探すことを放棄して家に帰ったほうが早かった。
「まだ諦めちゃだめだよ! 絶対、鍵は紫陽ちゃんが見つけてくれるのを待ってる」
しかし、一緒に探してくれている子がいて、しかもやる気に満ちあふれているから、「もう帰ろう」とは言い出せなかった。紫陽よりも真剣に探して、体は土まみれになって、それでも「鍵が待ってる」なんてメルヘンな表現をする美麗も、またカワイイ。
「もう夜遅い。美麗は、門限とか大丈夫なのか」
「気にしないで! 紫陽ちゃんの鍵を見つけるのが第1だよ!」
美麗は、今度は木に登ろうとしている。かくれんぼするときに2人で登った何の変哲もない木。下は散々探したけど、鍵は落ちていなかった。
「美麗、何をしている?」
「木の上に、もしかしたらあるかもと思って」
「まさか」
「わからないよ! 幹のギザギザしているとこに挟まっているかも」
彼女は1人で登るのに随分苦労しているから、代わりに紫陽が登った。
「えっ……マジでか」
本当に、腰掛けていたとこの幹に、鍵が挟まっている。
「どうだったー?」
「美麗の言うとおりだ。本当にあった」
「ねー! でしょでしょ! 天音もみたい!」
木に挟まった鍵を見たいなんて変わっている。けれど発見してくれた恩があるので、紫陽は特にツッコむこともせず、美麗の手と腕を支えて横に座らせた。
「な、あるだろ」
「ほんとだー!」
嬉しそうな表情で、美麗は木に腰掛けながら足をブラブラしている。それを見て、紫陽は始めに抱いた違和感を思い出した。
「そうだ、美麗」
「ん?」
森の香りがするこの辺りで、美麗の近くだとカワイイ香りがする。
「貴様は、私の話を聞いて、今日鍵を探すのを手伝ってくれたわけだが……終礼が終わってから何してたんだ? あれから、30分以上は経過してたはずだ。始めから手伝ってほしかったと言っている訳じゃなくて、その、何となく……気になった」
美麗に変な感情を抱いているつもりはない。ただ、茉莉と入れ替わりで来たということに何故かカワイくない予感がした。
「あー、それはね」
彼女は唇の上で指を滑らせる。
「すいせいとみくも、探してたの。天音、今日あの2人と遊ぶ約束してたから、行けないかも! って伝えなきゃと思って。でも追っかけた頃には帰っちゃってた」
「え、それは」
つまり2人と遊ぶ約束を断りなく破棄したということか。自分の鍵を探すために。
「今日一緒に遊んだ大切な友達が困ってたんだもん。助けるのは当然だよ。……2人は、天音が説明したら、分かってくれると思う」
「本当に大丈夫か」
「うん。2人は、とっても大事な友達だから。天音も、信用してもらえるって、思ってる」
「すまない。私のために」
「気にしないで! それより、見てみて」
美麗が指した方向で、月が光輝いている。半月でも満月でもない半端な形だったが、学校の庭から見ると明るかった。
「お月さまこっから見えるよー。綺麗」
「本当だな。とてもカワイイ」
「夜に木に登ってお月さま見るなんて、とっても素敵〜」
月に照らされた美麗の顔は白く光っている。この子はどこまで純粋なんだろうかと、紫陽はふと思った。
◆
『月見てたな! 2人で!』
家に帰ると茉莉からそんなメッセージが届いていた。
『だからなんだ』
『鍵見つかったなら連絡してよ! 私が幽体でいったときはもうお月見してたし、体に戻ったら井学ちゃんに寝るな言われるし最悪だわ!』
適当に、『ごめん』を意味するスタンプで返しておく。茉莉はまたメッセージを送ってきた。
『鍵、どこにあった?』
『登った木の幹に挟まっていた』
『変なの。そんなことある?』
『珍しいな』
『実は天音ちゃんがやったとか』
『どういうことだ』
『かくれんぼしてるときに、紫陽の鍵をパクってさ』
『そんなことしてどうする』
『わかんないけど、怪しいじゃん。私と入れ違いで来たし』
茉莉がそういう風な捉え方をしたがる気持ちも大いに分かったが、返信するのにも困った。その可能性があるとして、彼女の目的は何だ。紫陽を困らせたいなら、一緒に探す必要はない。好感度をあげたいなら、自ら隠した場所に行って見つけたフリをすればいいだけだ。他人に言われて初めて気づく。たしかに彼女は裏がありそうに見えるけど、今起きている出来事だけで疑うのは極めて失礼だ。特に紫陽は夜まで鍵を探す手伝いをしてもらっている。
『そんなことしてもメリットないだろ』
美麗がカワイくないことをする論理を組み立てられないので紫陽はそう返信した。強いていうなら、彼女の純粋無垢だけが引っかかる。いや、穢れているのはあくまで紫陽や茉莉であって、彼女のカワイイ生き様が本来あるべき姿なだけだ、きっと。
茉莉からは、それ以上メッセージが送られてこなかった。