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文字数 2,052文字

 6月9日 (金)

 それからしばらく星花小主催の『わくわく! ウサギちゃんダービー』は開催中止になった。ある生徒はウォールナットアイの復帰を切望し、またある生徒は貴重な収入源がなくなったと嘆いた。

「ほら〜クルミ、お前の大好きな干しリンゴだぞ」

 クルミは足が痛いのか、仁川(にがわ)が声をかけても固まったまま動かない。

「このまま、ご飯食べなかったらどんどん痩せていっちゃうよクルミ……」
「やはり病院に連れていくべきだ。あまりカワイくないが、彼女を救うにはこれが1番手っ取り早い」

 バケツに入ったキュウリが浮いた。たぶん、幽体でいま茉莉(まつり)が近くにいる。アレルギーがひどいので肉体では来られないからだ。キュウリはそのまま地面の方に行って、何かを書き始めた。

愛宕(あたご)、キュウリが」
「茉莉だろ」
「何か伝えようとしてくれてるのか!? 幽谷(ゆうこく)のやつ……動物アレルギーなのに、ありがとな……」

 ようやく土に1文字、『お』と刻まれる。

「お?」
「まだ分からんな。見届けよう」

 そうして数十秒の後、また土に『お』と刻まれる。

「お、が2つ……?」
「なんて効率の悪いコミュニケーションだ。これなら茉莉が薬を飲んでこちらに来る方が何倍も早いじゃないか」

 キュウリは紫陽(しはる)の頭を1発シバいてから、今度は『げ』と書く。

「幽谷って、字綺麗だよな。キュウリなのによく読める」
「ニンジンだとしても、字のクオリティは変わらなさそうだが」

 最後、『さ』と書かれて、キュウリは地面に落ちた。

 全てつなげると、『おおげさ』と書かれている。

「大袈裟だって!? 俺にとってクルミたちは大切な家族なのに! 幽谷のやつ、何もわかってねえ」
「せめて『大』くらい漢字で書きやがれ。非効率女が」

 また、キュウリが浮いて、文字を書き始める。2人は無視して、クルミの看病を再開した。

「愛宕の言う通り、病院に連れて行こうと思う。そのためには先生に話を通さなきゃ」
「それが良い。力になれなくて済まなかった。君たちが、また楽しく過ごせることを祈ってるよ」

 仁川はケージの奥にいるクルミを撫でて、近くに干しリンゴを置いてから網の扉を閉めた。そうしてウサギ達を眺めている。

「俺が、レースを開こうなんて言わなかったらな……。お前らのことをみんなに知ってもらえて、お前らも走ることができて、win-winだと思ってたけど、本当にそれは俺のエゴだった。人のために走らせて、怪我させるなんて、俺は生き物係失格だよ。2学期は、もっと優しい奴らに見てもらえな。……お前らと遊べて本当に楽しかった」

 らしくない顔をして、仁川は校舎へ向かう。

「戻ろか。5時間目移動教室だろ」
「いいのか、それで」
「なにがだよ」
「今回の責任を負って生き物係を辞めるという話だ。貴様ほどこのウサギ達とカワイく過ごせる生徒もなかなかいない」
「そんなことないよ。レースを主催する俺なんかより、向いてるやつはいっぱいいる」

 仁川がそんなカワイくない言葉を吐き捨てたとき、ケージで影が動くのを感じる。見ると、クルミが足を引きずってこちらにやってきている。

「おい、仁川、クルミが」
「クルミ!?」

 クルミはこちら側の網までやってきて、ずっと2人のことを見ている。仁川が近づくと、クルミは網をカリカリ噛んで、それから仁川の手を嗅いだり舐めたりしている。

「クルミ、お前」
「辞めてほしくないみたいだな……仁川には」

 ペンダントが、渦を巻いて大きく揺れる。

 辺り一帯を輝かしい光で染めて、紫陽の腹の底に、暖かい感情がこみ上げてくる。もっと、特定の誰かと一緒に居たいというきもち。申し訳ないという気持ちが交差して、すれ違って、互いに距離を置かざるを得なくなったようなもどかしい気持ち。仁川に鼻をこすりつける彼女のクルミみたいな瞳に、その訴える想いを感じ取って、ペンダントは、1つのニンジンを紫陽の前に落とした。

「眩しい……! なんだいまの」
「おい、仁川、これ」
「なにそれ? ニンジン? 切ってないやつがどうしてそんなとこに」

 紫陽はそのニンジンを持ちながら笑った。

「ふふふ。仁川、これはただのニンジンじゃないぞ。クルミのカワイイが生み出した、カワイイニンジ……、いや、レジェンドオブカワイイキャロットだ」
「レジェンドオブ……なんとか!?」
「そうだ」
「な、なんなんだよそれは」
「私が今名付けたから詳細はしらん。しかし、このニンジンが、貴様とクルミを、カワイイ方向に導いてくれると、世界がそう言っている」

 仁川は紫陽からレジェンドオブカワイイキャロットを受け取って、クルミの近くに置いてみた。

 小さな手でニンジンを支えて、1口1口クルミはそれを齧りはじめる。

「おいしい……のかな?」
「食べるということはそういうことだろう。しばらく、このニンジンを食べて予後を観察してみてもいいかもしれない」
「良かったぜ……。クルミ、これで元気になってくれな」

 仁川はクルミの頭を撫でて今度こそ教室に戻った。

 ちょうどその頃、キュウリが、『マジでごめんやん』と書き終わっていた。
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