06

文字数 4,838文字

 客観的な視点で場を眺めたとき、この心霊スポットにはゴーグルをつけたJSが2人と、花束を抱えおしゃれをした三十路(みそじ)の美人がいる。そして紫陽(しはる)の視点では、綺麗な服についた草花を取り払い、ありえない場所で遭遇した担当生徒に向ける表情を悩んだような担任の姿が映っていた。

香澄(かすみ)……。やっぱり来てくれたのか」

 別府(べっぷ)は彼女の方へ向かっていく。当然、幽霊である別府に気づくわけもなく、まだ困った顔で紫陽and茉莉withゴーグルを見つめていた。

「えっと、愛宕(あたご)さんと幽谷(ゆうこく)さんはどうしてここに?」

 「こっちがききてーよっ」と茉莉(まつり)が呟く。もう物音の正体はクマじゃないって分かったのに、教野(きょうの)が近づいて来るのを見て紫陽は身構えてしまう。

「ここ、心霊スポットで有名らしいですね」

 空間の真ん中に花を添えて、教野は祈りを捧げる。それを近くで別府が見ている。

「幽霊はいると思いますか? あなたたちは出たら叫ぶでしょうけど、先生は会えるものなら会ってみたいです。……ただの肝試しのつもりでも、霊には遺された大切な人がいるってこと、忘れないでください」

 教野はあくまで静かだった。授業中に騒いで、校則を破って、宿題を忘れて、そんなときに叱る彼女の面影はどこにもないのに、いつもの何倍も恐ろしく感じた。

「先生はもう帰りますから、お2人も早く帰りなさい」

 隣にはずっと別府がいる。彼がこちらを見た。会いたい、と訴えている。カガリから貰った予備のゴーグルで、容易に2人は顔を合わせることができる。

「先生、あのっ」

 先に茉莉が声をあげた。そうして黙ったままゴーグルを差し出す。少し細めた彼女の目は、心底2人を見下しているように見える。

「……ごめんなさい、先生、怒る気にもなれない。どれだけ大人をバカにしたら気が済むの」

 当然の反応だと思った。だけど、2人がカワイく再会するためには、信用してもらってゴーグルをつけさせるしかない。

「……別府、昂輝(こうき)。知ってるな?」
「えっ」

 教野の目が開く。

「信じられないのは当たり前だろう。しかしこのゴーグルは本当に彼を見ることができる。私たちは彼が探している人を待つためにここに居たんだ。……まさかそれが自分らの担任だとは思わなかったが」

 何も言わずに、教野は茉莉の手からゴーグルを受け取る。

「ほら、つけてみろ。別府も、お前に会うのを待ってる」

 そんなこと……なんてブツブツ言いながらも、教野は徐にゴーグルを目元に近づける。別府は霊なのに髪が崩れていないか確認していた。

 教野がゴーグルをつける。改めて外から見ると本当に変なデザインだ。

「えっと、どこに」
「香澄」

 2人の目が会う。

「嘘でしょ……。昂……輝?」
「ありがとう。来てくれたんだ」

 2人の大人は、言葉も交わさないでその恍惚を認めあった。

     ◆

「ごめんね。昨日は大切な仕事があったから」
「来てくれたならいつでもいいよ。ゴーグル越しでも分かる、今日の香澄は綺麗だ」
「もーまたそういうの。生徒が見てるでしょ」

 再会した2人のうち女はその場に腰をおろして、男は浮いたまま、久しぶりの会話に花を咲かせた。

「春は暖かくて花の香りもするし……そういえば昂輝は匂いとかするの?」
「するする。けどここに居すぎて慣れちゃったな」
「そっかー。私みたいにずっと街だと、こういう自然はほんとに落ち着くの」
「香澄出かけるときいっつも自然があるとこだもんな」
「そうじゃないとすぐ疲れたっていってタバコ吸うでしょ!?」
「あはは……」

 紫陽は何を見せられているのか分からなくなった。ただ、会話に応じてペンダントが動いているのが分かる。いつもより力を入れてメイクした教野くらいにしかカワイイを感じていないが、もしかすると無意識に2人の再会で心温まっているのかもしれない。

「2人は、俺が香澄に会うのを手伝ってくれたんだよ」
「愛宕さんと幽谷さんが? どうやって昂輝と」

 心霊スポットとしてここに訪れることがバレるので2人とも黙って過ごした。

「とくに茉莉ちゃんは、おととい1日かけて色んな人に会わせてくれて」
「? 幽谷さんはおとといずっと学校にいたはずでは」
「あーその件はどうもどうも! こちらこそお世話になりましたー!」
「……? まあいいでしょう。お2人は、私がこうやって昂輝と会話する機会をくれて、はじめ疑ってしまったのだけれど、とても感謝しています」

 朝会のときのような口調で教野は言う。別府と会話しているときの方が、声にハリがなくて、ちょっと低くて、でも艶やかで、カワイイ気がする。

「俺も、香澄に会えたらもう未練なしだな! ずっとフワフワ浮いてても仕方ないし!」
「私がお3りにくるとき以外、何してるの?」
「ボーッとしてる。意外に暇じゃない。死んだときに暇って感覚は消えたのかも」
「女湯とか覗いてない?」
「するか! そんな欲も死んだときに消えたっぽい。神様は上手いことやってるなあ」
「世界はカワイくできている。男の幽霊が全員覗き見できては世も末だ」
「そんなもんなのかな」
「そんなもんだ」
「香澄が来てくれるときだけ、唯一の楽しみだった」
「1年に1回なのに?」
「おう」
「彦星みたい」
「ロマンあるじゃねえか」
「ふふっ。たしかに」
「……香澄は、あれから彼氏とかできたか?」

 教野はまたこちらをチラリ、と見た。やっぱり自分たちは席を外した方がいいのかもしれない、と紫陽は思ったが、ゴーグルを預けたままにはしたくないので聞いてないフリをした。

「……いない。これも付けたまま」

 彼女は右手を胸の前に出してみせる。小さな指輪が、薬指についている。価値はわからなくても、綺麗だということはわかる。

「私、このまま独身でもいいかな。こうやって毎年、昂輝に会えるのなら」

 ゴーグルをあげるとは言っていない。しかしそれを指摘するほど紫陽はカワイくない人間ではない。

「香澄……お前ってやつは」
「ダメ?」
「ううん、可愛い」
「えへへ〜。……好き」

 胃もたれがした。茉莉が隣で舌打ちをした。大人だけの空間は完全に紫陽と茉莉を排除して、2人の間に働く相互作用が人間と霊の壁を越えた肉体的な交わりへと昇華しそうになったとき、ペンダントが著しく、眩しく輝いた。

「な、なにこれ」

 不意を食らった教野が目を塞ぐ。

 2人の幸せを世界が祝福している。このカワイイから得られる未来は何だ。このペンダントの力なら、別府を現世に戻すことだってできる。

「紫陽、さっきのでカワイイ感知したのかよ!?」

 ペンダントが光り輝くと、そのエネルギーは紫陽にも感知対象のカワイイ感情を流し込んでくる。焦れったくて、心苦しくても、声を聞いたら一気に頭が冴える。これが2人の間にある感情だとすれば、それは紫陽の知らない世界のように思える。

「なんだよこの光!? 本当に俺は除霊されちゃうのか!? 紫陽ちゃん何か教えて!」

 慌てふためく別府の声で、ペンダントはその光を止めた。

    ◆

 ペンダントが産み出したのは、コンビニでも買えそうな平凡なライターであった。

別府が「よかったぁ……生きてた。いや、死んでるけど生きてた……」と息を荒げている。

教野はライターを拾い上げた。

「ライター? 今のは何だったの?」
「世界がもっとカワイくなるために、カワイイ宇宙から舞い降りたライターだ」
「よくわからないけど、それにしてもどうしてライター?」
「別府さんにタバコ吸わせたいとか!」
「そんなの、はじめから買えば済む話だ」
「そのために落とすならタバコにしてくれよー」

 教野はカチッ、カチッ、とライターを付けてみる。普通に火が点くし、つかないこともあるけれど、それは別として火も特に細工はされていないようだった。

「本当に、なんなのでしょう」

 教野は首をかしげる。

「これは、世界が貴様らに必要と言っているカワイイライターのはずなのだ。これ自体に特殊な力がなくとも、使うことでカワイくなることができるはず。––––別府、何か火を使ってしてみたいことはあるか。タバコを吸う以外でだ」

 ゴーグルごしの彼は案外神妙な顔をして、教野の方を見ている。半透明の、軽そうな体で、重たい口を開いて、「1つ、ある」と言った。

「……香澄。俺、あと1つだけどうしても未練があってさ」

 別府は教野の手をとった。幽霊だから触れないけど、ほんとうに握っているように見える。

「その指輪、燃やしてほしい」
「えっ?」

 ライターが、教野の手から落ちる。

彼女は、硬直して動かない。

「別府さん、なんで!? それは別府さんがあげたやつで、先生はすごく大切にしてたのに!」

 大人というのは本当に難しい。酒やタバコで体を壊すだけでなく、思い出まで破壊したがる。茉莉の唱える意義に紫陽も心の中で賛同した。

「俺と香澄は、もう付き合ってない。香澄は、別の人と幸せになるべきだ。いつまでも俺のことなんて考えてないで。もったいないよ、香澄が誰とも結婚しないなんて」

 教野は気づけば声を殺しながら涙を流している。自分の担任が泣いている様を見るのはどこか気まずい。

「香澄が俺のせいで幸せになれなかったらどうしてようって、それだけ心残りだった。だから、これで最後のお別れにしたい。化けて出てきて会話できるだけでも奇跡だよ。……さあ、香澄。ライターを」

 小声で声にならない音を出して、教野は首を振っている。別府が頭が撫でて、教野が体を委ねて。ゴーグルを外せば見えなくなるつながりなのに、心霊スポットでそこだけ陽が射し込んで、紫陽の知らない2人の幸せがそこで蘇っているように見えてくる。

「変な男だったらそんときは俺が呪うよ。ははっ。……香澄がお母さんになったら、絶対いい家族になるだろうなあ。俺はそれを天から見るのが楽しみ。地下かもしんねーけど」

 冗談混じりに、別府の声も震えている。紫陽は涙を流さないように堪えた。お化けゴーグルが耐水性でなかったらどうしようというのが気がかりだった。

「私、絶対幸せになる。モテまくっても、嫉妬しないでよ?」

 力なくライターを拾い上げて、教野は右手薬指の指輪を引き抜いた。指輪を落ち葉の山に投げ捨てて、そこに火をつける。枯れ葉と一体化して見えなくなった指輪が、火柱になって2人を熱く照らす。

「うん、これでいい。やっと、この世から消えれそうな気がする」
「うん。うん。……ううっ」

 教野が嗚咽をいくら零しても、火の勢いには及ばない。別府の姿が、少しずつ見えなくなってくる。

「もう時間だ。……話せてよかった、香澄。またどこかで会えますように」

 涙にまみれた顔で、教野は何も言わず、笑いながら手を振った。

 別府が、天へと昇っていく。

「あー、やっぱりタバコ吸いたかったかも」と言ったタイミングで彼の霊は成仏した。それが最後の言葉になった。
 
     ◆

「いや〜、恋愛ってものはいいですな」

 山を下りながら、茉莉は知ったようなことを言う。教野は、もう少し彼のそばに居たいという感傷的な理由と、山火事を避けるために火の用心をしなければならないという現実的な理由で心霊スポットに残った。

「したことあるのか、茉莉は」
「何が?」
「誰かと、付き合うとか」
「いや〜ない。世の中の人間が私の良さに気づけてない」
「貴様には無理だろ。私の知る限り、カワイイだけではどうにもならなさそうだぞ」

 紫陽も知ったようなことを言って返した。

「てかまだ早いと思うんだよな」
「うちのクラスに、カップルいなかったか」
「マジで!? 誰と誰よ」
「いや、うろ覚えだが」
「浮かれてんな〜。勉強しろ!」
「茉莉に勉強しろと言われるそいつらが可哀想だ」

 ふと、先日下駄箱に入っていた果たし状のことを思い出した。『愛宕紫陽さん あなたのことが好きです』と書かれていたものだ。あれから数回、同じものが入れられていた。もし茉莉が貰ったら、どういう反応をするのだろうと考えて、その顛末がどうなったらカワイイと断言できるのか、山を降りるまで答えを出せなかった。
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