05

文字数 2,205文字

 昼過ぎの駅前には山のように人がいる。紫陽(しはる)はこういう時間に街へ出向くのが好きじゃない。人々が何故この時間に同じ場所へ集まりたがるのか不思議だった。

 告中(つげなか)の父の顔は茉莉(まつり)と告中しか知らない。肝心の娘はスマホで何やらやり取りをしている。視界に中年の男性が見えると、それが全て彼女の父のような気がして、その度に紫陽の心臓が跳ねた。

「コンビニにいるって」

 告中が小さい声で言った。彼女の父は不倫して家族を見捨てたという点で間違いなく悪であるが、かといって紫陽達に危害を加えたり、突如怒鳴ったりするような怖い大人ではないはずだ。理性でそう思っていても、足取りは重かった。

 コンビニの前で告中の父を待つ。客観的にみて5秒と記録されるだろうその時間は、紫陽には永遠のように感じられた。

「あ、瑠奈(るな)?」
「お父さん……」

 彼の容姿を見て紫陽はまず安堵した。綺麗な服を身にまとい、身だしなみのしっかりした大人だったからだ。紫陽の脳内に身を潜め、肥大化した悪い大人は、実際の告中の父が持つ印象によって払拭された。

「久しぶり。大きくなったね」
「うん。もう5年生だもん」
「そっかあ、子供は一気に大きくなるね」

 父はどこか他人事(ひとごと)だった。

「お父さん、見て。これ、昔の写真。私ね、まだ持ってるの」
「そうか」

 そこで会話が止まった。思えば、告中はどうして父に会いたいと言ったのだろう。会ったとしても、家族を元どおりに戻すことは難しいはずだ。母は体調を崩しているし、父は母への愛情を失っている。そもそも、今の父には……。

恒一(こういち)さん、終わった?」

 新しいパートナーがいるはずなのだ。そしていまその張本人がコンビニから姿を現した。随分と若い女性であった。

「うげえ、新しい女をこんなところに同行させてんのかよ」

 茉莉の汚い言葉遣いが今はカワイく響く。女が告中の父に腕を絡ませて、それはこの駅前を歩く他の若いカップルと比べて歪であった。

「いや、まだ。会って話したばっかりだよ」

 告中も言葉を失っていた。母を苦しめた相手が目の前にいるとなれば、話せなくなるのも当然のように思う。

「どの子が、恒一さんの?」

 舐めるように女は紫陽達を見た。告中の父が、「真ん中の」と答える。

「へえ。恒一さんに似て可愛い子」

 そんな文脈でその高尚な形容詞を用いないでほしい。紫陽は腹がたった。

 はじめまして、と女が挨拶をすると、告中も反射で頭を下げる。その挨拶だけには特に邪な気持ちは感じなくて、本当に1人の子供に対して愛情を向けているように聞こえた。

「瑠奈。生活が苦しいらしいね。電話で言ってたけど。家事も瑠奈がやってるそうじゃないか。陽子(ようこ)に連絡しても、一切返事が来ない。僕のことは無視していいけど、瑠奈に関することくらい教えてくれてもいいのに」
「お母さんのことは悪く言わないで」
「あら、瑠奈ちゃんいい子」
「急に居なくなったこと、父さんはとても申し訳ないと思っている。あのときは仕事も辛くて、陽子と瑠奈に気持ちを割いている心の余裕がなかったから、あんなことをしてしまった。だけど、そんなときにも支えてくれたのが彼女なんだ。––––今度、結婚しようと思ってる。瑠奈、もし良かったら父さんと一緒に住まないか。あのときは選択肢を与えられなくて、今は母さんと一緒に暮らすしかない状態だけど、瑠奈がいいなら、新しいお家と新しいお母さんと一緒に、幸せな生活を送らせてあげることができる。瑠奈だって、その方が勉強や遊びに時間が使えて、周りの子と同じような暮らしができると思うんだ」

 告中瑠奈に、周りの子と違うような試練を与えたのはどこの誰だ。自分の過ちを棚にあげて、子供を自らの所有物のように振り回す。中学生や高校生を見ていると、数年でこんな大人になれるだろうかと心配になることがある。しかし40にもなって自らを優先する彼を見ていると、紫陽は今からでも大人を名乗れるような気がしてくる。

「お母さんはどうするの」
「まずは病院で見てもらうべきだ。時折、お見舞いで顔を見せてあげればいい」
「お母さんは、私が居なくなってもいいのかな」
「本当に瑠奈が大切なら、瑠奈にこんな苦労はさせないだろう。お母さんはもう、自分を支えるだけで精一杯なんだよ。昔からそうだった」

 この駅周辺には観光地や商店街がある。こんなに楽しいところまで来て気分が害されたのは初めてだった。茉莉も、顔を歪めている。けれど、2人とも思っていることを全ては口に出せない。2人の家庭に関することを、大人相手に口論に持ち込むことはできない。無力だった。大人には、大人の力で対抗しなければ勝てない。

「瑠奈ちゃん。……って呼んでいいのかな? 新しいママが、これからいろんなところに連れてってあげるよ」
「……」
「瑠奈。連絡してくれたのは、父さんに会いたかったからじゃないのか? 写真なんかずっと見てても仕方ないよ。これから、たくさんの新しい思い出をつくろう」

 告中は顔を赤くして、何かを堪えているようだった。こんな選択、この場ですぐに決定できるわけがない。おそらく彼らはそれを無意識に認めた上でいま告中に提示している。

「さあ、瑠奈」

 父の手が告中に伸びる。

 紫陽は、この瞬間だけを明瞭に記憶しているわけではないけれど、

「瑠奈、瑠奈っ!?」

 突然、女性の叫ぶ声が聞こえて、その音が次第に大きくなりながらこちらに近づいてきたのは、そのときだったと思う。
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