第11話 吐き気を催す初キスの相手
文字数 3,293文字
――上岡が経験者らしいから、質問はあいつにしてくれ。
あの口は、信じられないことに大事な面接の時にも羽の軽さを発揮していたようだ。
結果、希久が場を仕切る羽目になった。
思えば初めての経験かもしれない。今までは羽央がいた。小学校からの腐れ縁――あいつがいてくれたらと思ってしまった。
矛盾した感情を抱き、希久は気付く。
羽央の凄さ――誰にも好かれようと思わない、誰にどう思われようとも構わないあの態度――にどれほど助けられていたか。
はっきり言って、みんなの意見を聞くなんて不可能だった。
聞いてしまえば話は纏まらない。かといって、誰かの意見を否定するのは心が痛むし恨まれる。
相関図ができ上がっていない段階で敵を増やすのは好ましくないが、希久は嫌われ役を演じざるを得なかった。
そもそも、ルールにグレーゾーンが多過ぎるのだ。
明言しておけばいい箇所まで曖昧に濁して……おそらく、誘っているのだろう。
反面、変態や変質者といった単語を使っているのは警告。そういった性癖の持ち主が実在することを、一般の生徒や教師たちに知って貰う為。
それでも、まだ冗談としてしか見られていない。
だからこそ、僅かでも疑わしい真似をすれば弄られる対象になる。
現に、容姿だけでそのように見られている男子がいた。
注意するのが正しいとわかっていても、希久にはできなかった。羽央のように、堂々と指摘するのなんて論外。
――ただ、どっちが彼にとってはマシなのだろうか?
羽央は言っていた。影で言われたんじゃ言い返すこともできないと。
言いだしっぺすら自分が最初に言ったんじゃない、他の奴らも言っている、自分だけ責めるなんて不公平だと抜かすのだ。
本当に首謀者がいるのならいいが大抵はそんなの存在しない――自覚していないのだと。
その通りであろう。
しかし、羽央の言い分を認めることはできやしない。あれの真似をするのは自分には不可能なのだから、正しいと思うわけにはいかなかった。
そしていま、希久は身勝手に憤慨している。
無関係とも言い切れないが、決して直接の原因ではない羽央に怒りをぶつけている。
――だって、遠慮がいらないから。
チャイムが鳴ると、半ば強引に話を纏め上げた。
それが生み出した不満から逃げるように希久は教室を飛び出した。
目的地は隣の隣の教室。
廊下を急ぎ足で進み――茫然とする。
お目当てのサンドバッグを前にしながら、希久は足を止めるしかなかった。他の生徒も同じように見守っている。
――場違いな男女のラブシーンを。
羽央は教室を出るなり、知らない女子に声をかけられた。
「久しぶりだね、藍生君」
真っ先に長い黒髪に目がいった。
次に香り――反応する前に、いきなり少女が抱きついてきた。
「――っ!?」
柔らかな感触、伝わってくる温もりに羽央は冷静さを失う。振り払うことも受け入れることもできずに棒立ち状態。
服の下は早くも汗で濡れていた。
「あー……」
羽央は掠れた自分の声に驚き、落ち着こうと目の前の黒髪をすくった。指に通し、感触を味わうかのように弄ぶと深呼吸――落ち着いた。
「……誰だ?」
そこまでしておいて、羽央は質問した。
「やー、相変わらず酷いねきみは……」
少女は羽央の胸を押して距離を取り、
「ファーストキスの相手を忘れるなんて、まったくもってけしからん」
腰に両手をやって、言い放った。
ファーストキス。
その単語だけ吐きそうになり、嫌な記憶が蘇る。
首をさすっていた羽央はまじまじと少女を見つめ、
「……おまえ、
懐かしい名前を呼ぶ。
長いまつげと賢しげな瞳。
整った鼻立ちに顔のラインと確かに面影はある。
「そう、功刀
そして、このどこかズレた反応――間違いない。
「ったく、久しぶりじゃないか。功刀蒼花」
「やっと思い出したかい? 藍生羽央君」
生意気な唇から奏でられる、女子にしては少し低い音色と浮世離れした言葉づかい。
「けど、酷いじゃないか」
「だったらいきなり抱きついてんじゃねぇよ。全然おまえのキャラじゃねぇし」
小学校時代の宿敵とも呼べる間柄――羽央の口は羽の速度で過去に追いついた。
「いいじゃないか。誰だって久しぶりに会えばそれくらいするよー?」
「――俺、ちょっと旅に出てくる」
羽央の軽口を凌駕する速度で、声が挟まれた。二人の成り行きを見守っていた男子生徒のものだ。
「……誰だあれ?」
走り去る背中を見送りながら、羽央は尋ねる。
「やー、たぶん私のクラスメイトなんだけど……名前まではちょっと……」
「そんくらい憶えてやれよ、可哀想に」
「きみにだけは言われたくない台詞なんだけど……というか、やっぱり今のって私のせいになるのかい?」
「戻ってきたら抱きついてやれよ?」
「なら、撤回しよう。藍生君だからこそ、私はあんな大胆な真似ができたとね」
はにかみながら蒼花は口にし、
「そうそう、知ってるかい?
やはり恥ずかしかったのか、話題を逸らしてきた。
「幼馴染なんだから、知ってるに決まってんだろ。どっちも引っ越してねぇんだし」
「あれっ? なら、昨日のあれは……もしかして、牽制されちゃったのかな?」
羽央はじーと見つめてくる蒼花から、視線を逸らす。
「ついでに
そこには、まじまじとこちらを窺っていた小柄な女生徒の姿があった。
「やー! 希久じゃないか! 相変わらず小さくて可愛らしいなっ」
手招きに誘われて希久は駆け寄り、
「って、蒼花!?」
やっと、相手に気付いたようだ。
「あんた変わりすぎ! どうしたんじゃ、その髪は!」
「む? なぜ責められないといけないんだ……?」
「羨ましいからじゃ! どうせあんたんことやから、染めたりはしてないんやろ?」
「やー、なんだ。私も少しは女らしくしようと思ってね」
「それで髪を伸ばすなんて、安直としか言いようがないな。それより言動を改めろよ」
「あんたが言うなや!」
笑って誤魔化している蒼花に代わってか、希久がすねを蹴りあげてきた。
「痛っ! なんだ、ご機嫌ななめじゃないか?」
「あんたのせいで面倒を押し付けられたんじゃ! なんで、うちの名前だしちょんや!」
希久は理由を述べ、
「やっぱり、きみの発案か」
「思いっきり八つ当たりだな」
蒼花と羽央はそれぞれに漏らした。
「まさか、またケンバトをする羽目になるとはね。それも高校生にもなって」
「ほんと、人生なにがあるかわからないな」
「じゃから、あんたが言うなや!」
「だって、火種は俺じゃないし」
「あんたはいつだって元凶じゃろ! 諸悪の根源、油なんかじゃないけぇ!」
希久は微塵も信じてくれなかった。
もっとも、羽央自身期待などはしていなかったのだが、
「――そうでもないんじゃないかな?」
蒼花は理解を示す発言と共に、意味深な笑みを浮かべた。
「それじゃ、来週――ケンバトで会おう」
驚いている二人を尻目に蒼花はひらひらと手を振ってスカートを翻すも、
「待てよ。連絡先くらい教えていけ」
羽央は呼び止め、携帯を取り出す。
驚きだけでは、彼の口を止めるには至らなかった。
「やー、藍生君もガラケーか」
「おまえもか? なら、赤外線が使えるな」
「で、どうやって?」
羽央と蒼花は二人して希久を見やる。
「あんたらはほんとに……」
呆れながらも、希久は希望を叶えてくれた。二人が流行に疎いのは、今に始まったことではない。
「うちのも入れちょいたから」
「ありがとう、希久」
それじゃ今度こそ、と蒼花は照れ臭そうに別れの挨拶をした。
彼女の背中が見えなくなると、
「蒼花、綺麗になっちょったね」
希久が漏らした。
「あぁ、惚れそうなくらいにな」
羽央はなにも考えずに答え、希久の瞳が寂しそうに陰る。
「んな顔すんなよな。おまえが聞いたんだろ?」
それを咎めるように吐き捨てると、羽央は自分の教室に戻って行った。