第37話 名探偵、功刀蒼花
文字数 3,474文字
相手を見て――爆発するんじゃないかと本気で思った。
――覗きは趣味が悪いぞ。
メッセージは羽央から送られてきた。
なんのことかは聞くまでもない。悩んだ挙句、満子は電話をかけた。メールだと、返信がこない可能性があったからだ。
『なんだ?』
ワンコールで羽央は出た。
「いつから……気づいてたの?」
『最初から。誰にも聞かれたくなかったからな』
常に気を張っていたと、羽央は言う。
「……なんで、話したの?」
つい、満子は突っかかってしまう。
――あのことは……羽央の秘密は私だけのモノだったのに!
満子は心の拠り所を失くしてしまった。
今まで羽央の隣に魅力的な女子がいても平気でいられたのは――余裕を持てていたのは、羽央のことを誰も知らなかったからだ。
『そりゃ好きだからだろ? 少なくとも、おまえよりもな』
相変わらず、幼馴染は酷かった。
余計な言葉を添えて、反撃された。
「……なんで、そんなこと言うの?」
『はぁ。いい機会だから言っておく』
表情が見えないからか、電話だといつもの倍は酷く感じられた。
『幼馴染じゃなきゃ、おまえとはとっくに縁を切っている』
痛い、一言だった。
それは頭の何処かで、いつも恐れていたことだ。
言われるまでもなく、自分が羽央の嫌いな性格なのはわかっていた。
けど、羽央は一度も言わなかった。
「なんで? 今更……そんなこと言うの?」
――私の為にケンバトを始めてくれたのに。
『勘違いすんな』
言外の言葉まで伝わっていたのか、冷たい答えが返ってきた。
『おまえの為にしたことなんてなにもねぇよ。全部、俺の為だ』
ぶちりと電話が切られた。
糸が切られたマリオネットのように、満子は崩れ落ちてしまった。
「きみは、本当に酷いよね」
盗み聞きをするつもりはなくとも、二人の会話は蒼花の耳に届いてしまった。
「酷いのはお互い様だ」
羽央にとっては、弱みを握られている気分であった。
もし、満子を突き放してしまったら、秘密の全てをバラされるんじゃないかと、不安で仕方がなかった。
昔から、羽央が誰かと遊んでいたりすると満子はいつも笑って見ていた。
遠くから、余裕に満ちた笑顔でずっと見守っていた。
自分じゃなく、相手の顔を見て笑っていたのだ。
「なら訊くけど、なんでケンバトなの?」
見下ろすと、蒼花の涙は既に渇いていた。
「理由は色々あるぞ? それこそ、いくらでも後付けできる」
「こらこら、後付けするんじゃないよ」
へいへいと羽央は蒼花の頭を軽く撫でる。
「というか、そろそろ恥ずかしいから止めて欲しいんだけど?」
蒼花は膝枕されていた。
泣きじゃくっている隙に羽央が無理やりやったのだ。
「俺のリハビリと思って、我慢しろ」
「その言い方は……ズルいんじゃないのかい?」
柳眉を曲げて、蒼花は頬を膨らませた。
「安心しろ。誰かに見られても誤魔化してやるから」
「いったいこの状況をどう誤魔化すつもりなんだね?」
「いくらでもあんだろ? 女なんだから貧血でぶっ倒れたとかな」
「それで納得するかい?」
「おまえが弱っていて抵抗できなかったって言えば問題ない」
「……きみを、悪者にするわけだ」
なにか問題でも? と羽央は首を傾げた。
「いや……もういい。で、本当に二穴さんの為じゃないの?」
気まずそうに頬をかいてから、
「……半分はそうかもな」
白状する。
「ぶっちゃけ、あいつの言い分は納得できないんだよ。苛められてるとかほざいてたけどさ。聞く限りじゃ、被害妄想か自業自得としか思えなかった」
それでも……と、羽央は嫌そうに繋いで、
「なんか腹が立った。んで、そういう感情は大事なんじゃないかって……人間的なんじゃないかって思ってな。大切にしたくなったんだ」
一応、満子は幼馴染だ。
幼い頃、それこそなにか喋っていないと怖く怖くてどうしようもない時に彼女はいつも話を聞いてくれた。
「きみは自己分析が過ぎるね」
「そりゃ、病気ってことになってるからな」
医師から教わっていた。
大事なのは、自分を知ることだと。
「あとな、ケンバトで入学したわけじゃないぞ? 正確にはイベント企画能力だ」
羽央は神香原学園における過去の文化祭などを調べ、アンケートをでっち上げ、盛り上がっていないと訴え――思い当たる節があったのか、教師たちは本気で悩みだした。
「ということは……きみ発案のイベントがこれからもあるんだ」
「なんで嫌そうに言うんだよ?」
蒼花は身に覚えがあり過ぎると、言うまでもないだろうという視線で見上げてきた。
「それで、沢山ある中でケンバトにしたのはなんでだい?」
誤魔化しを許すつもりはないのか、彼女はしつこく繰り返す。
「満子に有利なのがそれしかなかったんだよ」
羽央の目的はリセットだ。
中学時代に形成された関係性を一時的に取り崩す。
「いわゆる、強くてニューゲームってやつだ」
ケンバトを知っている者は非常に少ない上に、初見ではまず勘違いする。
「まっ、あんま意味はなかったけどな」
鶴来がいなければ、羽央の思惑はまったくの無駄になるところであった。
満子は自分にしか仕切れない場面でも、沈黙を貫いていた。
「それをどうして、彼女に伝えてあげないんだい?」
「勘違いされたくないからだよ。別にあいつの為だけじゃないからな」
「ほんと、きみは他人に好かれるのが苦手なんだね」
羽央は小さく、うるせーと嘘ぶく。
蒼花はその様子をじっと眺め、
「ねぇ、藍生君。私の馬鹿な想像を聞いてもらってもいいかい?」
「なんだよ、改まって」
「いや、きっと藍生君を傷つけると思うから」
今からあなたを傷つけます。
だから、覚悟してください――と、蒼花は仰々しく口にした。
「わかったよ。で、なんだ?」
羽央には、まったくもって見当がついていなかった。
それでも応じたのは、どんな言葉を突きつけられても、今の自分なら平気だと思い込んでいたからだ。
「もしかすると、昔のきみは……二穴さんみたいな性格だったんじゃないのかい?」
案に相違して、彼女の発言は、正確に羽央の心を打ち抜いた。
「なに、言ってんだ……おまえ?」
「言ったろ、馬鹿な想像だって。根拠もなにもない推測さ」
いくら家が近いとはいえ、性別も性格も違う二人が仲好くなるのは難しい。
また羽央の家庭環境を顧みると、保護者としては距離を置きたくなるのが心情であろう。
それなのに、羽央と満子はお互いに幼馴染だと認識している。
「きみが弱い人間を嫌うのは、昔の自分を思い出すからじゃない? きみが怖いと思ったのは、自分が弱かったからじゃない?」
見下ろす蒼花の瞳はどこまでも真っ直ぐで、心の奥底を覗かれている錯覚を覚えてしまう。
羽央は自分を落ち着かせるように彼女の髪をすくってみるも、無駄だった。
「ちっ……お手上げだよ。名探偵か、おまえは……」
そう、
羽央が本当に怖かったのは自分自身
だ。弱いと自覚していたからこそ、母親の症状を病的に恐れた。
本気で父親に捨てられると怯えていた。
「なぁ、功刀……今の俺は、まだ弱いのかな?」
だからこそ、これまで強がって生きてきた。
一度も折れる訳にはいかなかった。
満子を傍に置いていたのも、弱い彼女を守ることで自分は強いのだと思い込みたかったからだ。
そのくせ、自分は強いと自惚れるようになってからは距離を置きたくなった。
弱い自分を思い出したくないから、直視したくなかった。
「さぁ、どうだろうね。でも、きみはもう、弱くてもいいんじゃないのかい?」
頭ではわかっている。弱ければ母親のようになる訳ではないと。
強くなっても、父親は迎えには来ないと知っている。
それでも、駄目だった。
もし、彼女を抱きしめることができれば答えは違ったかもしれない。
けど、誰かに縋ることのできない羽央には、決して弱くなることを許容できなかった。
恐る恐る、蒼花の肌に触れて思い知る。
自分はまだ、強くなければ生きていけないと。
平気で他人に甘えられる弱者はやはりムカつくと。
「やなこった。悪いが、俺は俺のままでいさせて貰う」
羽央はいつもの軽薄さでもって、蒼花の提案を一蹴した。
「そう。なら、私は待つことにしよう。きみが弱音を吐くのを」
だから――と繋ぎ、
「その時は、私を選んでくれると嬉しいかな」
蒼花はやっと、いつもの笑顔を取り戻してくれた。
向日葵と重なる笑顔。
少女だった彼女に、少年の羽央はぎこちなく微笑み返した。