第10話 陰キャには受け付けない男
文字数 4,674文字
当の羽央はというか、彼らの言葉を奪い取ったかのように一人で喋り続けている。
ちなみに、彼はこのクラスの委員長でもなんでもない。その任を命じられた男子は空気のように存在感を殺し、羽央との関わり合いを避けていた。
「これは、女子のみなさんにとってもチャンスです」
胡散臭い笑顔と柔らかな言葉を従えて、羽央は弁舌を振るう。
「もし好きな人、気になる人がいれば堂々とアプローチできるのですから。こんな機会、他にないと思いませんか?」
他のクラスメイトたちがキャラの変貌に呑まれている中、
「いや、意味わからんし」
優だけはツッコミを入れる余裕を持っていた。
「それは、日向さんが可愛くて強い女のコだからです」
「……気持ち悪いからその喋り方やめろよ」
寒気がすると言わんばかりに優は体を抱きかかえるも、羽央は気にせず続ける。
「バレンタインですら尻込みしちゃうような女のコなら、わかるはずです。彼の気持ちを知りたい。でも、怖い。冗談を言い合いたい。でも、どう話していいかわからない。触れ合いたい。でも、どうやって?」
不気味さはますます増していく。
なにを言っているんだこいつは? という視線にも動じず、羽央は乙女の戯言を繰り広げていく。
「彼を蹴ったらどんな反応するか? やり返されるか、それとも女のコは蹴れないと困り果てるか。彼の目の前でピンチになったら助けてくれるかな? それとも……」
女子を馬鹿にしているとしか思えない一人芝居――と思いきや、何名かは考え込むような顔をしていた。
「――とまぁ、冗談はこれくらいにしとくか」
効果が見え始めたところで、羽央は打ち切った。女子たちに妄想の余地を残してやったほうがいいと、唐突に。
「とりあえず、貞操の心配はしなくていいぞ。公序良俗に反する行為をすれば、先生方が黙っていないからな」
お決まりの笑みを見せ、羽央は男子たちに言い含める。
「平穏な高校生活を送りたければ、滅多なことはしないほうが身の為だ。女子のネットワークで晒され、卒業するまで罵られんぞ」
簡単に想像できたのか、男子たちも水をうったように静かになった。
「んじゃ、そろそろ本格的な話に移ろうか――」
キング、クイーン、ルーク、ビショップ、ナイト――大駒の選出。
「キングは俺がやる。他に決まってんのがマリーのクイーンに、ルークを相川とひなうー……」
「――はぁ? なに勝手に決めちゃってんの?」
棘のある一声が遮った。
「仕方ない。なら、ひなうーがクイーンで」
「そこじゃないっての!」
金切り声を上げる優に、
「しょうがないだろ、ひなうーは揺れるものが一つ――いや、二つ少ないんだから」
羽央は失礼極まりない理由を口にした。
「スカートは必須だぜ? できればガーターも着用して欲しいが」
「あんたねぇ……」
優の唇が震え、こめかみがピクつく。我慢の努力は見受けられるが、耐えられそうにはない。
そんな彼女に向かって、羽央は笑ってみせた。
「胸の話は無しにしても俺はおまえを推すよ、日向」
見慣れた軽薄の笑顔ではなく、安心感を与える精悍な顔つきに優は黙って耳を傾ける。
「おまえのダンスを観たけど凄かった。あれだけの人数が息を合わせて動けるなんて、よっぽど練習しないと無理だろう? それをおまえは、何十曲ってやってきている。きっと、血が滲むくらい努力したと思う」
今までのふざけた言動が嘘のように、羽央は反転した。声も低く転調し、優をべた褒めし始める。
「そこまで頑張ってきたおまえだからこそ、俺は選んだんだ。だって、おまえはアイドルだからな。おまえがやる気を出してくれれば、他のみんなも付いてきてくれる。それほどの魅力が、おまえにはある」
羽央は恥じることなく、堂々と優を見据えた。
普段、彼がおちゃらけているのはこういう時の為である。
――いざという場面でビシッと決める。
残念ながら、羽央には目に見える強さ――正面から対峙して圧倒するような眼力や声力、体格や胆力といったものを持ち合わせていない。
だからこそ、
小細工を弄する
。常にふざけていれば、少し真面目になるだけで相手は勝手に身構える。本気だと勘違いしてくれる。話を聞いてくれる。
「俺たちはまだ出会ったばかりだ。この状況でリーダーシップを執ることは、非常に難しい。現に今ここで俺が降りたとして、代わりができる人間が何人いる?」
カリスマ性を持つ者なら必要のない手順を踏んでやっと、羽央は効果的な一言――鶴の一声をあげていた。
「いないよな? いるはずがない。俺以外に、どんな責任を取らせても平気だと思えるような存在はな!」
しかし悲しいことに、いつしか手段でしかなかったおふざけは、彼の性格の根本になっていた。
「つまり! 好き勝手にやっていいんだぞ? どんなに騒ごうが、俺より目立つことはないからな。問題を起こそうとも、どうせ俺のせいになるんだ」
羽央は挑むように笑いかける――騒がないと損だぞ、と。
「……そうね。あんたの言う通りにするだけで好き勝手やれるなら……悪くないかもね」
優は乗った。顎を突き出し、高慢に鼻を鳴らす。
彼女の小生意気な態度に、羽央は満足げに頷いた。
「じゃぁ、残りも決めていこうか。誰か、運動能力に自信のある奴はいないか? あっ、Cカップ以上の奴は遠慮しろよ?」
羽央が言うなり、罵詈雑言が気安く飛び交う。
どいつもこいつも遠慮がなくなっていた。
「なんでそうなるんだよ……」
ぼそりと、渡部が呟いた。
「お! デレ期か渡部?」
耳ざとく、羽央は聞き逃さなかった。
「……」
渡部は黙殺するも、教室の視線は集まったまま。
「運動能力の高い奴じゃなくて、低い奴にしたほうがいいんじゃないのか?」
根負けしたのか、居心地が悪そうに早口で提案した。
「ルール上、わざわざ大駒を戦わせる必要はないだろ?」
優越感をチラつかせた発言に乗っかる者が続くも、
「そいつは砂上の楼閣だよ」
羽央が打ち止める。
「まぁ、その意見が出たこと自体は嬉しいがな。俺の読みは外れてなかったってことだし」
「どういう意味だよ?」
「このケンバトはな、誰にでも楽しめるように作ってある。だからこそ、その前提を無視するような奴には相応の罰が下るようにしてあるんだ」
確信を得た物言いに何人かが引っ掛かりを覚えるも、問いただす者はいなかった。
「当日になればわかるさ。なんだったら、賭けるか?」
「賭けって、金か?」
「おまえは金銭が関わらないと楽しめないような、つまんない人間なのか?」
軽蔑するよう吐き捨て、羽央は人の悪い笑みを浮かべる。
「そういや、自己紹介で言ってたよな? 俺に関わるな、だったか?」
憶えているくせして、羽央は曖昧に濁す。
「おまえの言ったような作戦が破綻しなければ、望み通りにしてやる。けど、そうじゃなかったら――ケンバト中、俺の指揮下に入れ」
提示された条件に、渡部は黙り込む。
条件の軽さに疑念を抱いているのだろう。
「おや~、さっきまで自信あるって感じだったのにどうした? どれだけ考えても、穴は見当たらないんだろ?」
図星なのか、ぐうの音も聞こえてこない。
「とりあえず、俺らはその作戦を取らないから安心しろ。失敗して、おまえが責任を感じるような事態には陥らない」
「なんで、そんなことが言えんだよ?」
「そりゃ、できあがったものをあげつらうのは得意でも、ゼロからなにかを作るのはてんで向いていない。それでいて、自分を賢いと勘違いしている人間なら誰にでも思いつくことだからだ」
直球過ぎる皮肉に気付かない者はマリーだけだった。
彼女だけがきょろきょろと、静かになった教室を見渡している。
あとはみんな、渡部の反応を窺っていた。
心配半分、期待半分といった複雑な瞳で、
――これ、やばくない?
という雰囲気を形成している。
「さて、おまえはどうする?」
耳や首筋まで赤くして、唇をわななかせている相手に羽央は平然と答えを急かす。
心底楽しそうに両手を広げて、どんな返答も喜んで受け入れますと。
「……上等だ。乗ってやんよ!」
あまりにふざけた態度にキレたのか、渡部は机を叩いて叫んだ。
「ツン期再びだな。また、デレる時を楽しみにしてるぞ」
初日と同じ展開。羽央は相手が激昂したところで、反省したりはしない。
むしろ、そこからが本番と言わんばかりに、一人騒ぎ立てる。たった二日とはいえ、クラスメイトの多くはその性質に気付いたことだろう。
だからといって、彼の軽口を聞き流せるかどうかは別問題だが。
「確か、裁縫得意な奴いなかったか? まったくもって顔も名前も思い出せないが、いたよな? あれ? なら、なんで憶えてんだろ……」
「同じ中学だろ!」
「あーそうだったそうだった。男のくせに裁縫が得意という稀有なキャラなのに印象に残らないとは……さから始まるなんだっけ?」
「佐倉だ佐倉!」
「んじゃ、佐倉。おまえがコスプレさせたい女子選べ!」
「マジか!? ……って、選べるか!」
「うわぁ、おまえ失礼だな。こんなにも可愛いコがいるのに、誰一人魅力のある素材がいないなんてっ! 俺には、口が裂けても言えないぞ」
ブーイングの嵐。
女子たちは悪乗りしてか、羽央だけでなく佐倉も非難していた。
「女子にもそういうの得意な奴いるかー? いたら、手挙げて男子指名していいぞ。好きにカップリングして構わない」
黄色い声が鳴りはためく。得意なコの周りに女子が集まり、誰がいいかを話し始める。佐倉の周りにも男子が群がり、個人的な趣味と性癖を暴露しあっていた。
「どうです、先生? かつて、これほど盛り上がったことがありますか?」
にやにやと、羽央は担任に問いかける。
「ない、な。けど、決して褒められるやり方じゃないだろ。あんな風に誰かを吊るしあげるなんて、大人しい人間からすれば不快でしかない」
誰にでも楽しめるんじゃなかったのか? と非難するように担任は添えた。
「じゃぁ、陰口で盛り上がるほうがいいですか?」
やれやれと、羽央は髪をかきあげる。
「これは個人的な意見ですけど、人見知りとか大人しい人たちほど自己中心的な人間はいないと思いますよ」
普通に考えて黙っているよりは喋ったほうが、仏頂面を浮かべるよりは笑っているほうが最初の印象はいい。
それなのに羞恥心――自分の感情を優先させるなんて我儘、もしくは頭が悪いとしか言いようがない。
その上、そういった人たちは大人や先生たちの助言にも耳を貸さない。そんなモノよりも自分の感情や体験を至上として、いつまでも内に籠もる。
「なんだかんだ言って、大人しい奴らもお祭り事で騒いだり楽しんだりしますからね。目立たないように自分たちだけで」
それでいて文句を言う。手を差し伸べられても断るくせして非難する。意見を求められても黙り込み、あとになって身内でぐちぐちと。
今までと毛色の違う、怨嗟すら感じられる独白に担任が口を滑らせる。
「藍生、おまえは本当に
――
なんだな」担任の一言に、羽央の表情がフラットになる。
「あぁ、そういうことになってるんですね。どおりで、先生方がお優しいわけだ」
能面が剥げ落ちたかのように顔の全てが転じ、吐き出される声からは色が失われていた。
「……すまなかった」
担任は触れてはいけない事柄に触れてしまったように――誠意よりも、焦りが感じられる謝罪をするのだった。