第2話 羽央と幼馴染
文字数 4,059文字
少年はくつろいだ様子で、少女はそんな少年を窺うような面持ちで座っている。
ここは少年、
少女は幼馴染で、彼に呼び出されてこの場にいた。
「とりあえず、
「……なに?」
おずおずと少女は促す。
警戒しているのか眉間に皺を寄せ、半身距離を置いて。
「
私立神香原学園。
少女はその付属中学校に通っていた。
「……どうしたの、急に?」
少女は急な質問を怪しむも、
「参考までに、な」
羽央は曖昧に返すだけ。
「で、どうなんだ?」
「……別に、普通だよ」
少女は当たり障りのない評価を下し、あはは、と愛想笑いを浮かべた。
それを見た羽央は溜息一つ挟んで、
「少なくとも、希久は同じ高校になるんだぞ」
突きつけた。
共通の友人の名前に、少女は困ったように口を曲げる。
「もしかしたら俺も、な」
それなのに、羽央は嬉々として追い打ちをかけてきた。
にたり、と。
嗜虐心を隠さない笑みを張り付けて、少女に自白を強要する。
「つーわけで、吐け。おまえのだんまりは時間の無駄でしかない。どうせバレるんだ。今の内に白状したほうが傷は浅いぞ?」
このまま悲痛な表情で沈黙に付していても羽央は黙りやしない。むしろ口数が増え、より苛烈になっていく。
藍生羽央は黙っている人間が嫌いだった。
正しくは、言いたいことを言わないで黙っているような弱い人間が大嫌いだった。
そのことを、幼馴染は知っていた。
理由も含め、少女は全てを知っていた。
「……苛められてる……かもしんない」
だからこそ、少女は勇気を振り絞った。
始まりはいうまでもなく名前である。小学生の内はそうでもなかったが、中学生ともなると誰もが性的な意味合いを連想するようだ。
――
それに加え、満子は発育がよかった。背は高く、胸が大きい。それがまた、中学生男子の琴線に触れるのだろう。
ことあるごとに指摘され、満子は笑われていた。
大っぴらにからかわれるのは背の高さだが、影では胸や名前のほうで盛り上がっているらしい。
そして、とどめに内気。
人見知りもあるのか、親しい間柄でないと満足に会話もできず常に俯いて黙っている。
友人も似たようなタイプなのか、大勢の前では庇ったりはしてくれないとのこと。
羽央はそこまで珍しく黙って聞いてから、口を挟む。
「そりゃ、妥当だな」
最低の発言である。
「そんなん、わかりきってたことじゃんか。名前はともかくとして、背や胸に関しては俺がしつこいくらいからかってやってただろ? それなのに、なんの対応も考えてなかったなんて迂闊過ぎんぞ。おまえには学習能力というものがないのか?」
絶句している満子をよそに、羽央の軽口は続く。
「つーか、その容姿で内気ってのが論外だな。ハキハキしてりゃ、同性からの人気は確実なのになんで俯いて猫背になるかなぁ。そんな真似したって、大して小さく見えねぇぞ?」
まだ、続く。
「あと聞いてて思ったけど、それ弄られてるだけで苛めじゃねぇだろ? 俺なんか、教室に入っただけで全員がお喋りを止めるんだぜ? しかも試験は別室で一人だし、集会とかはクラスの列から外されて教師の隣だし」
まだまだ、続く。
――それ自業自得じゃん、という満子のツッコミを無視して。
「それに名前だって
そこまで言い切って笑うと、蹴りがとんできた。技名を口に出すと、もっと怒るんだろうなぁ、と思った時には遅かった。
「さすが、大根ストレート」
羽央の口は堪えきれずに吐き出していた。
「バカっバカっバカっ! 最低っ、信じらんない!」
満子は立ち上がって踏みつけようとするも、
「バカはこっちの台詞だ! 死ぬ! おまえの体重で踏まれたらヤバイってほんと!」
羽央の軽口は止まらなかった。
未だカーペットに座ったまま、手足を使って器用にかわしている。
「うるさいうるさいうるさい!」
「うるさいのはおまえのほうだ! 現実を直視しろ!」
実際、満子の体重は平均よりも重い。というよりもパッと見、彼女の体型に平均的な数値は存在しない。
背は百七十四と女子としては圧倒的に高く、胸はGカップとけしからん。
「名前に背に胸に脚! 目ぇ付けられて当然じゃん!」
満子は座っている人間に手心が一切感じられない前蹴りを放った。体重の乗った重たい一撃。
羽央は両手で受けるも、衝撃は殺しきれなかった。
「いったい、なに騒いどるんじゃ? ルイがうるさいって怒っちょったよ?」
と、羽央が転がっていく方向――扉が開いて、セーラー服を着た小柄な少女が現れた。
「遅かったな、希久」
器用にぐるぐると後転を繰り返し、羽央は細い脚――
「なぁ、ちなみにそれって勝負パンツ?」
ギロチンの如く、足が落とされた。
「思ったんだけどさぁ。いつもうるさいのも、騒いでるのもおまえらだよな?」
しかし、軽い。
希久の踏みつけは羽央の手にあっさりと収まっていた。
「じゃったら、その羽のように軽い口を閉じんしゃい! あと、はよう離さんかいっ」
「誤解すんなよ」
手を離し、起き上がると同時に羽央は弁明を挟んだ。
息苦しいのか首をさすりながら、
「勝負パンツって訊いたのは別に性的な意味じゃないぜ?」
「その言葉事態がセクハラじゃ!」
「ほんと、最低最悪死ねばいいのに」
いつの間にか、希久と満子は寄り添うように座っていた。
二人にとっては勝手知ったる他人の部屋。勧めるまでもなく、クッションを使っている。
「今日って合格発表だったじゃん? だから、そういう意味での勝負パンツなのかなって思っただけなんだけど」
「ええけぇ、黙れや。人の話しを聞いちょらんかったん?」
「つーか、なんでまだ制服なんだおまえ?」
黙らずに、羽央は話を変えた。
「ちゅーより、なんであんたは、そがーにいつもどおりなんじゃ?」
「ほんとそうだよ。少しくらいは落ち込んだら?」
先ほど合格発表だったのは希久だけではない。羽央もその高校の入試を受けていた。
そして、落ちた。
「過ぎたことを気にしたって仕方ないじゃん」
「あんたも第一志望じゃったんやろ?」
「それよりも、羽央君ってすべり止めも受けてなかったよね?」
「よく知ってるな、満子」
イラッとするほどの笑みを浮かべ、羽央は肯定した。
「そうなんだよ。このままだと俺、中卒になるんだよな」
「じゃったら、ちぃとは焦らんかい!」
あっけらかんと言い放つ羽央に苛立ってか、希久は捲し立てる。
「ほんとどうすんね? 定員割れの二次募集だってそんな数ないじゃろ? 勉強しなくてえぇんかい? なんじゃったら手伝うけぇ、うちもみっちゃんも」
「えっ! 私も?」
「ははは、なんだかんだ言って優しいよな希久は」
「笑っちょる場合かぁ!」
「落ち着いて、きぃちゃん」
「そうだぞ、希久」
「……いや、羽央君はもっと焦って」
満子は呆れたように漏らして、
「それで、ほんとどうするの?」
再度、尋ねる。
「うーん。おまえにまでかしこまって訊かれると、なんかまずい感じがするよな」
「いや、ほんっとにまずい状況だと思うよ? 先生になにか言われなかった?」
「言われたけど、だいぶパニくってたからよく聞き取れなかった」
「それほどまずい状況なんだって気づこうよぉ……」
羽央は満子のぼやきを聞き流すと、
「つか、気持ち悪いくらいの激励だったぞ。てっきりざまぁみろ自業自得だ! って感じでくるかと思ってたのにな。いつの間にか立派な教育者になりやがって。これが手のかかった生徒ほど可愛いって奴なのかね? それとも単に俺のおかげ?」
希久に向かって話しかけた。
「あんたは何様や? つか、自分で言うなや」
「えー、だってそうじゃんか?
「そら、あんだけ迷惑かけたら……」
警察沙汰だけでも二回。
救急車の要請はそれを上回り、予定になかった会議や保護者会の数は二桁を越えている。
「病むか逃げるか成長するしかないってか?」
羽央は他人事のように漏らし、
「それで、どうするのぉ?」
会話に入れない満子が話題を戻す。
「どうするって? あぁ、受験先なら既に決めてるから安心しろ」
「えっ? 何処?」
「おまえらと同じ、私立神香原学園」
「えっ! いつ決めたの?」
「ついさっき。おまえの学園生活を聞いて」
「えぇっ!? ねぇ、ちゃんと私の話聞いてた? 聞いてないよね? 聞いてたら受けようなんて思わないよね?」
「失礼な。ちゃんと聞いてたし、憶えてるよ。つーか、おまえのほうこそ俺の話を聞いてねぇじゃんか。もしかしたら、俺も一緒になるかもって前置きしたろ?」
「それは……そうだけどぉ……っ!」
性格からして、羽央の発言は信用に値しなかった。
黙ることを知らないお喋り。
それも大半はまともに聞いていられないほどふざけており、冗談に過ぎる。
なんせ状況や相手に応じて、一人称から言葉遣いの至るところまで平気で変えられる人間だ。
「ちぃと待ちぃ! そもそも神香原の二次募集って」
焦りに口走らせた希久の発言を、
「そう、裏口入試」
羽央はやんわりと繋いだ。
「いやいや! 裏口じゃなくて一芸じゃろ!」
「似たようなもんだろ?」
「絶対に違うと思う」
「ちゃう。絶対にちゃう……」
剛柔の二人を相手取りながらも、羽央は余裕だった。むしろ、少女たちのほうが疲れている有り様。
「――けど、今はおいとく! あんた、いったいなにする気なんよ? 一芸なんて……」
「羽央君って多芸過ぎて無芸だよね? どれも一般レベルには収まらないけど、専門の中じゃ霞むって言うか……」
幼馴染の指摘は正しかったが、羽央は気にせずに笑う。
「なにって? そりゃぁ――」
そうして、焦らすように。
勿体ぶってから、言い放った。
「――ケンバトだよ」