第17話 姑息な男
文字数 2,154文字
休憩中も相川は悔しがっていた。
最初から距離が開いていた上に、逃げに徹する相手を仕留めるのは難しい。
それがわかっている羽央は別段責めたりはしなかった。
「けど、あのインテリ眼鏡マジで厄介だな」
まさしく、警戒に値する。
完全にバグ――いないと思っていたイレギュラーな存在だ。
「うぅー、疲れた。これ絶対脚が太くなっちゃう……」
優は座り込んで両手で脚を揉んでいた。
「ひなうー、やってあげようか?」
「黙れ死ね」
「あれ? もしかして、ひなうーって叫んだこと怒ってる?」
「あんま言わないで、それ。ファンがいたらどうすんのよ」
「えー、でもひなうーって清純キャラで売ってないよね?」
どちらかと言えば色物――毒舌キャラであった。
「あんたといたら個性が死んじゃう」
「だったら負けないように頑張ればいいじゃん」
「あんたに張り合ったら、ただの毒女になるっての」
これ以上話しかけるなと、優は犬を追い払うように手を振った。
「今回はかなり取られたな」
ナイトとビショップの全滅に加え、ポーンが八人と合計二十点。一回戦と合わせるとマイナス二十八点なので、現在の持ち点は百七十二点。
「いまいち、良いのか悪いのかがわかんねぇな」
相川は一人で計算して、一人で愚痴っていた。
「パッと見でわからないほうが、やる気でんだろ?」
一回戦で三百点。それが七回で二千百点。加え、白星がプラス五十点なので、午前の部だけで二千四百五十点満点。
ここまで数字が大きい上に半端だと、数学が苦手な人間は諦めるだろう。
そして、こういった行事で張り切るタイプの多くは計算が得意とはいえない。
「それも……そうかぁ」
相川もその例に漏れなかった。
「だいじょうぶ北川君?」
A―2の陣営では、女子全員が北川を心配していた。
「はは……、ちょっと頑張りすぎたみたい」
困ったように北川がはにかむ。猫耳にサイズの合っていない女児の制服を着込んだ女装姿でありながらも、その顔は男らしかった。
「大丈夫! 次は私たちが守るから!」
なにか揺さぶられるものがあったのか、女子の瞳に闘志が宿り始める。
「北川、次は俺たちもやるからな!」
ハーレム状態の北川を羨んでか、男子たちも調子よく騒ぎだした。
転じた光景に、東堂は悩みだす。
このまま守りに徹するか、それとも攻めに転じるべきか。
基本減点式のルールだからこそ、試合の勝敗よりも一ゲームごとの戦績――特にキングの生存が重要となってくる。
また、この競技は負担が激しい。必ず参戦しなければならない大駒の消耗は避けるのが得策……そこまで考えて、気付く。
「――南」
「どしたの、ひがしっち?」
持っているとしたら制服の南だと当たりをつけ、東堂は尋ねた。
「ルールブックを持ってないか?」
「ん? あるけど、はいっ」
東堂は目的の記述を探そうとするも、折り目に導かれて違うページを開いてしまった。
『・ゲーム前には消臭剤の使用を勧める。世界には、匂いフェチの性癖を持つ人間が一定数存在するからだ。例えば二〇×〇年、N県で女性の靴下のみを三百足盗み続けた変質者が逮捕された。他にも、左足の靴だけを四百足以上集めた事例もある。
そう、常識では語れない変態がこの世には存在するのだ。
・もし、あなたの蹴りを喜んで受ける人間がいたら注意をするべきだ。それは決してやさしさなどではない。それはマゾッホの代表作『毛皮を着たヴィーナス』で語られた一つの性癖。苦痛を性的快感と捉える嗜好――マゾヒストに他ならないのだから。
・きみは視姦者を知っているだろうか? 彼らは人目を気にせず、平気で女性の肢体を眺めることを喜びとする。覗きと違い、彼らは見られていると自覚している女性の反応にこそ快感を示すのだ。
気を付けて、恥じらいは時に男を駆り立てる』
そっと、東堂は冊子を閉じた。
「あれっ、見ないの?」
「いや……なんでもない」
今のは見なかったことにして、東堂は仕切りなおす。まさか基本ルールではなく、あのページに折り目がついているとは。
恐るべし南、と思いながら求めていた記述を発見する。
「……なるほどな」
羽央の服装を顧みて、東堂は確信する。
――やはり、あの男は姑息で小賢しい。
お遊びが感じられる先ほどの文面と比べ、基本ルールの項は真面目に過ぎていた。
これでは、大抵の人間は流し読みをするであろう。
それは、真面目と不真面目を明確に使い分ける羽央の話術に他ならなかった。文章だと、逆に軽いノリのほうが頭に入りやすいのも知っての仕業に違いない。
あやうく、またしても引っかかるところであった。
藍生羽央得意の思考の誘導。
あえて明記〈明言〉しないものの、穿って考えれば答えは見えてくる。
奴はそれを大人に対する言い訳に使い、仕掛けた相手を徹底的に愚弄する。
そのくらい、考えたらわかることなのでわざわざ言いませんでした。そのくらい、言われるまでもなく気付けよ、と。
かつて受けた屈辱の仕返しではないが、東堂はこのまま自分の正体を黙っていることに決めた。
気付かれなかったことに腹を立てているよりは、そのほうがよっぽどマシだ。
――そのくらい、言われるまでもなく気付きやがれ。