第12話 下手くそなエスコート
文字数 5,773文字
それは小学校の五年生の時である。
同級生の一人が、Jリーグの下部組織―ジュニアセレクションに合格し、勘違いするようになった。
今思えば、それは学校側が特別扱いしたり保護者が自慢していたのが原因なのだろうが、幼い羽央にはそこまで汲み取ってやれはしなかった。
結果、子供ながらの残酷さを発揮することになる。
まず、相手が自信を持っている分野で負かせてやろう思い、足を使うことに決め。
次に蹴りたいと思った。
子供だったので口で言い負かす快感よりも、物理的な破壊衝動のほうが強かったのだろう。
しかし、普通にやったのではかなわない。
そこで、ケンケンという制約を付けてみると……蹴り負かして、恥じをかかせるだけでは済まなくなってしまった。
最初はサッカー少年を交えないで遊ぶことにした。こちらから誘ってしまうと、責任を押し付けられる可能性があったからだ。
だから、人気者の
参加者が多くなればなるほど、子供たちは仲間外れを恐れる。
しばらくすると、羽央の目論見どおり向こうから混ぜてくれと言い出した。
彼はサッカーで鍛えているからか、自信満々であった。周囲の生徒たちも、彼には勝てないと弱音を吐き出すくらいだった。
もちろん、羽央は歓迎した。
そして、彼の人生を滅茶苦茶にかき回した。
「神に感謝を。本日は晴天なり」
つい、お祈りしてしまうほど天候に恵まれていた。
「熱いぞ太陽クソッタレ」
一秒も満たない内に発言を翻す少年は言うまでもなく、藍生羽央である。
その出で立ちは発案者らしく、推奨されている中学の制服――体操服の上から学ランを羽織っていた。
「ねぇ、ひなうー。祭りの浴衣みたいに格好良くしてくんない?」
キングの証に配られた赤色のタスキを手に持ったまま、羽央はいけしゃぁしゃぁとお願いする。
「……なんで、優がやんないといけないの?」
「だって、ひなうーそういうの得意そうじゃん。それだってセクシーだよ」
ルークのカラーは黄色。
優はそれを脚に巻き、太ももで蝶を象るように結んでいた。
「ひなうーの中学の制服は可愛いね」
「……あんたに褒められると寒気がするから、黙っててくれる?」
優は夏服を着ていた。
ピンクのブラが透けた白のブラウスに、赤いラインが魅力的なチェックスカート。絶対領域にルークの証を添えた黒のニーソックス、髪はゆるふわツインテールと男を惹きつける要素満点の装い。
「えー、せっかく褒めてるんだから素直に受け取ろうよ」
「はぁ……それ、貸して」
その代り黙れと優は条件を付けるも、
「ねぇ、ひなうー」
羽央は五秒と持たなかった。
「……黙んなくてもいいから、その口調やめれ。見てよこれ、本気の鳥肌」
「なに? ひなうーはオレ様口調のがいいわけ?」
「そりゃ、さっきまでの気色悪い猫撫で声よりかはね」
腰を落とせ、と命令され羽央は従う。
優の手が背中や腰に触れ、
「う~ん、自分から頼んどいてなんだけどさ。体には触らないでくれる?」
「はぁ?」
「いやだって、ムラムラしちゃうし」
「……だったらその、語尾の後ろに(笑い)が付いているような喋り方やめてくんない?」
「はーい……じゃなくて、わかったよ。前向きに検討してみる」
「はいっ、おしまい」
嫌がらせのように羽央は背中を叩かれた。
「~っ痛……けど、さんきゅ。解けたらまた頼むよ」
「やよ。解けたらもうやってやんない」
可愛げのある意地悪を舌先に乗せて、優は女子グループに消えていった。
整列を言い渡されていないグラウンドには人が乱雑に集まっている。とはいえ、体操服でない者は少ない上に、金髪となればお目当ての人物を探すのは容易かった。
「サリュー、マリー」
「羽央? おあよーゴザイます」
ぺこりと頭を下げるマリーを周囲の生徒たちは無配慮に眺めていた。
「その恰好は……制服じゃないよな」
マリンブルーのワンピースに白い台形の胸飾り。スカートの裾は長く、足首にまでかかっている。
「昔の服です」
「へー、民族衣装なのかな?」
「そう、それです」
せっかくの美脚を隠すのは勿体ないと思いながらも、これはこれでありかなと羽央は考え直す。なにも出せばいいものではない。
重要なのはチラリズムだと、自分に言い聞かせる。
しかし揺れるものが足りないと、首からかけていただけのピンクのリボン――クイーンの証を奪い取った。
「髪、結んでいい?」
わかりやすく彼女の髪を手で掴んでから、尋ねる。
「ウィ」
「よしっ、なら後ろ向いてー」
羽央は絹のような金髪に手を通していく。どんな髪型にしようか悩み、先ほどの優の姿を参考にしてみる。
「こうして……こうやって……こうかな?」
髪を触るのが好きな羽央は器用に結っていく。
リボンが一本しかないので後ろで蝶を象るようにして、
「完成っと」
ツインテール再び。
優と被らないよう、少量の髪を両耳から垂らす形にしてみた。
「鏡ある? えーと、ミロワール?」
さすが女のコというべきか、マリーはポケットからコンパクトを取り出し、映し出す。
「セビエン! すごくイイです。ありがとうゴザイます」
「うん、最強だな」
目の前で揺れる金髪ツインテールと胸、それと時折スカートの裾から覗かれる白い脚。これを平然と相手にできる男はいないと、羽央は勝利を確信する。
「つーか、わざわざ中学の制服推奨って書いてんのにコスプレ多すぎだろ」
蹴られることを想定してないのか、それとも汚しても問題ないのか。
とりあえず、教師陣に勧告しておかないといけない。飾りなどは怪我の元になるし、汚されて文句を言われても困る。
マリーを引き連れてうろちょろしていると、
「羽央」
声をかけられた。
自分を呼び捨てる相手は一人しかいない。
「よっ、希久」
振り返ると案の定、夏のセーラー服に身を包んだ希久がいた。
「おまえはクイーンか」
胸元を飾るのは見慣れた紺のスカーフではなく、ピンクのリボンであった。
「うちのクイーンのマリーだ」
希久が問いたげな瞳をしていたので、羽央は紹介した。
「あじめまして。マリー=クロード・シンクレアです」
「えーと、はじめまして。上岡希久です」
「うえおかきく?」
「そう、あい〝うえおかきく〟けこ――って、蹴るなって」
「あんたが悪いんやろ、アイアイ!」
そうやって名前をからかわれていた仲間意識から、二人は仲好くなった。希久はあいうえおを習う時、羽央は歌の授業でアイアイを歌う度に笑われていたのだ。
ただ、ムキになって怒る子供らしい希久と違って羽央は酷かった。幼かったので、ひたすら単純な悪口のオンパレード。
相手が泣き出すまで、黙れ死ねと繰り返すだけ。
その現場を正義感の強い蒼花に見咎められたことをきっかけに、三人はよく絡むようになっていった。
単純に、他のクラスメイトが羽央と同じ班やペアになるのを拒んだ結果ともいえる。
ちなみに満子がいた場合は彼女がその役割を担っていた。高学年になると希久と蒼花は人気者になっていたので、これまた消去法である。
「そういえば、さっきみっちゃんに会ったんじゃけど……体操服着とった」
「運動能力は高いよな、あいつ。となると、そういうことだよな」
「高校生やけぇ自重しんさいよ? 下手すれば退学じゃけぇ、退学」
「その辺りは心配なさそうだから全力でいかせてもらう。最悪、満子が不登校になるかもしらんが、そうなったらあいつが弱かったってことで」
にたり、と羽央は髪をかけあげる。
幼馴染に対しても一切の情が感じられない。
「そういうわけで、おまえも覚悟しとけよ?」
「覚悟って……ケンバトの話やよね?」
「そういえば、私語の禁止はルールにないな」
「それは女子の為に設定しんかった……わけないか。この性悪男がぁ!」
それは建て前で、本音は自分が好き勝手に喋りまくりたかったからである。
プレゼンにおいて、ケンバトはストレス発散に最適とも謳った。となれば、口を封じるのは愚策でしかない。
やはり、女子にとってお喋りは楽しい。
そして、羽央にとっては精神安定剤に等しい。
「まぁ、やいやい言ってるほうが楽しそうな絵面になるからって理由もあるがな」
言い残して、
「じゃぁな」
羽央はマリーの手を引いた。
「ちょい、羽央! 手握る必要ないじゃろがぁ、この馬鹿タレッ!」
「郷に入れば郷に従えっつーが、俺は異文化交流も大事だと思うよ」
正論っぽい軽口を飛ばしながら、羽央は人混みをかき分ける。
実際問題、マリーに気にした様子は見受けられない。こうやってエスコートされることに抵抗がないのだろう。
もし問題があるとすれば羽央のほうである。
彼のエスコートは下手くそだった。
「ダイジョブですか、羽央?」
脚をもつれさせ、人にぶつかり、掌は汗でぐっしょりと格好悪いことこの上ない。
「あぁ……大丈夫。やっぱ、慣れないことはするもんじゃないなぁ……」
マリーが相手なら大丈夫そうな気がしたのだが、思い違いだったようだ。
羽央は手を放し、首をさする。
「でかい声で悪口が聞こえてきたと思ったら、やはりおまえか藍生」
二人で所定の位置まで着くと、相川が呆れ顔で迎えてくれた。
「それってアルティメットのユニフォームか? サッカーと同じに見えるが」
「大きな違いはないな」
身体接触が禁じられているので、アメフトのような防具は必要ない。その為、衝突すれば大怪我は必至、と聞いてもいないのに相川は説明してきた。
芸がないことに、ルークのシンボルは鉢巻きにされている。
いつもの調子で騒いでいると、拡声器を通した声が響いた。
追い立てられるように群れは統率の取れた動きを見せ、整列する。
そして、校長からお決まりの挨拶がつらつらと。続いて、学年主任から注意事項が一つ二つと飛んでいく。
「当たり前だが、ルールを守るように。スポーツマンシップにのっとった行動を心がけるようにしろよ」
ここまでは普通だった。
「もし、ムカつくことや許せないことがあっても冷静に――」
風向きが変わり始める。
「この競技はルールを守りさえすれば相手を蹴って構わないんだ」
教育者らしからぬ発言。
「つまり、なにが言いたいかというと、喧嘩をしたいならケンバトでやれ。そこで堂々と決着をつけるのなら許してやる」
その代りと繋ぎ、
「場外に持ち越したら容赦しない。大げさかもしれないが、停学も視野に入れて指導させてもらう――以上!」
学年主任は締めくくった。
「ふざけた競技と思ってたけど……なんか、面白くなってきたな」
「今頃気付くなんて、やはりワンテンポ遅いな。さて、一回戦はどことだ?」
やっと進行表が配られた。
フィールドは運動場、体育館、中庭。運動場は第1と第2とふたつある。
本当なら、戦術が広がる校舎内も入れたかったのだが、危険――階段に窓ガラスと大怪我をする要因に満ちている――という理由で却下された。
他にも、大駒にボクシンググローブのような防具を装備させたりするのも、金銭的理由や破損の恐れを否めずに叶わなかった。
「第一運動場で相手はA―2か……」
午前中は総当たり――全クラスと一回ずつ戦う予定を組まれていた。
一試合、五分×三ゲームで一ゲーム毎に一分の休憩が挟まれている。
「けど、一ゲーム五分て短いよな」
不服そうに相川が漏らした。
「おまえ、片足立ちでどれくらいいける?」
「三十分はいけんじゃね? 別に目つぶるわけでもないし、動き回っていいんだからさ」
羽央は満足げに頷き、ルールの確認に勤しむ。
ポーンの人数と大駒の人選は試合前――その場を担当する教師に申請すること。ゲームは基本的にセルフジャッジで、納得がいかない場合にのみ教員に審議が委ねられる。
そして、午後は全員参加のバトルロイヤルが二回ほど設けられていた。
「そんじゃ、A―3集合!」
他のクラスが体育館などに移動していったところで、羽央は召集をかける。
「とりあえず、一回戦は全員参加で。とにかく慣れろ」
異論はなかった。
挟んだところで羽央が素直に聞いてくれないのは、もはや周知の事実である。
「そうだ、渡部。例の賭けは二回戦で決着がつくと思うぞ」
真新しい体操服に身を包んでいながらも、渡部はくたびれた雰囲気を感じさせた。誰とも喋らず突っ立っているからだろうか、やる気も目に見えない。
「……約束守れよ?」
間を開けておきながら、渡部が口にしたのはそれだけだった。
「おまえもな」
不敵に返すと、羽央は担当教師に報告しにいく。
服装チェックもここで行われるので、大駒も連れていかなければならないのだが、
「マリー、相川、ひなうー……それとビショップとナイト×二」
薄情にも、羽央は名前を憶えていなかった。
「……誰の私物だ、それ」
ナイトの男は運動能力で選ばれたのだろう。一般的な夏服に馬の被り物をしていた。
見るに耐え難い容姿なのかそれともギャグなのか……前者だとしたら笑えないので、羽央は深く掘り下げはなかった。
試合前に士気を下げる真似はさすがに御免こうむりたい。
一方、女子は顔で選ばれたようだ。
ナイト、ビショップともに可愛らしい制服。胸元をリボンやフリルで飾り、慎ましいと推測される胸を隠している。
男のビショップも見た目を先行したのか、春なのに黒のコートを着せられていた。
「まぁ、いいか」
運動能力で一芸入試を突破する人間は少ない。いたとしても、スポーツ推薦を貰えないレベルかマイナーな競技。
だったら、容姿で選んでも大差はないだろう。経験上、顔のいい人間は運動神経が高い傾向にある。
「チェックお願いします」
第一運動場の担当は見憶えのない男の先生であった。特に注意を受けず、申請を終える。
クラス全員――二十五名参加。
「三十名て……五人も多いのか」
先生の手元を覗き見て、羽央はぼやく。ケンバトはチェスを参考にしただけあって、一点でも多いほうが有利であった。
それでもA―2に旧友――経験者はいないはず。アドバンテージを握っているのは自分たちだと、羽央は気楽でいた。