第6話 稀代のトラブルメーカー
文字数 3,394文字
高校生活、二日目。
始業ベルが鳴る少し前、教室へと向かう担任に羽央は声をかけた。
「いったい、なんの用だ?」
わざわざこのタイミングで呼び止められたことに担任は怪訝な顔をする。
羽央の顔から足先まで眺め、
「藍生、上履きはどうした?」
来客用スリッパに気付いた。
「あー、登校したらなくなってました。たぶん、嫌がらせでしょう。まさか、高校生にもなってこんな目にあうなんて思いもしませんでした」
予想の下をいかれたと、羽央はしでかした相手をさらりと侮蔑する。
「あぁ、気にはしてないんで大丈夫ですよ」
口を挟もうとする担任を手で制し、
「俺みたいな人間が嫌いな人って結構いますからねぇ。小学校の時なんて顔も合わせたくなかったのか、六年の二学期と中途半端な時期に転校しちゃったコもいたくらいですから」
慣れてます、と冗談にならないエピソードでこの話を締めくくった。
「というわけで、本題です」
お願いがありますと頭を下げ、羽央は要件を告げた。
その真摯な態度と言葉に担任は理解を示すも、
「確かに一理あるが、その役目は藍生である必要はないんじゃないのか?」
「いやいや、俺じゃないとイジメとまではいかなくても、完全ハブられますって」
不穏な単語に担任の顔色が曇った隙を見逃さず、羽央はねじ込む。
「先生も女だからわかるでしょ? 自己紹介の時の空気、気づいてないとは言わせませんよ? 日本人ってのは外来の物には開放的ですけど、外来の人には排他的ですからねぇ」
胡散臭い笑顔と嘘くさい丁寧語を用いて、まるで詐欺師のようにぺらぺらと。
「おまえも日本人だろ」
まぁ一応と羽央は肩を竦め、
「こんだけ生きてきたら自分が例外、少数派ってことくらいわかってますよ。なんせ、正論を語るだけでおまえが言うなって空気になっちゃいますからね」
説得力のある理由を述べた。
「それでも、男子の目はやっぱ自然と向いてしまう。それがまた女子の気に障ってあらら大変ってね。あいつらは個人じゃなく、群れで動きますから。それでひそひそひそひそ……聞こえるように囁くんですよ? 陰湿っすねぇ、怖いっすねぇ女って」
いちいち相手が引っかかる言葉を添えるのはもはや癖で、羽央には悪意も悪気もなかった。
だから相手に反応があろうとなかろうと、気にも留めずに話を進めていく。
「その辺の奴を付けたって被害者が増えるだけです。基本的に目立つ少数派は排除されますから。となれば、どうする? 俺しかいなってなるわけですよ」
「そうだな。わざわざ藍生に関わろうと思う人間はいないもんな」
「うわぁ、酷っ。教育者とは思えない台詞ですね。でも、それだけじゃないですよ?」
にっと笑い、
「俺が傍にいれば同情されます」
羽央は断言した。
「自分で言うなよ。そもそも、そんな風に自分を評価できるなら少しは改めたらどうだ?」
無理無理と手を振って、羽央は言い分を続ける。
「そうすれば、きっとみんなも優しくしてくれます。日本人は可哀想な人には優しいですから。自分より、下の相手には優しくなれますから」
担任は溜息一つ、
「おまえに通訳させると、別の問題が出てきそうだな」
「国際問題とか? とりあえず、日本人が誤解されはするでしょうね」
「だから、自分で言うな……」
羽央が打診したのは、ちょっとした席替えである。
「よろしくお隣さん」
「ヨロシクおねがいします」
綺麗な金髪が流れるのを見て、羽央の表情が自然と緩む。
「おぃ、藍生。おまえ、いったいどんな手を使ったんだ?」
後ろから、相川が疑念を投げかけてきた。
「失敬な。日本語の理解が不充分なマリーには、通訳が必要だと申し出ただけだ」
羽央は正当な理由を述べるも、
「本当にそれだけかぁ?」
相川は納得していなかった。
「おまえの性格からして、絶対それだけじゃねぇだろ?」
「たった一日足らずの付き合いで、俺のなにがわかるって言うんだよ? 口と性格の悪さ以外で答えろ――五秒以内で」
「おまっ! それ無理難題だろ?」
早くも、騒がしい羽央に向けられる視線は冷たかった。
一方、マリーに向けられる視線には憐れみが感じられた。
耳を澄ませば――可哀想に、弱みに付け込んで、変なのに気に入られて――同情の声も聞こえてくる。
かくいう相川は同類に見られていた。同じベクトルで騒ぐのだから、クラスメイトたちの判断も致し方ない。
「そこ二人、少し静かにしろ」
担任の注意が飛び、二人は素直に従う。
「……なんだ、藍生?」
何故か、羽央は手を挙げていた。
「お時間を頂いたので、少々私的なことですが喋らせていただきます」
「……は?」
担任からすれば質問をしただけだっただろうに急な口上――それも堅苦しい物言いのせいか、止められることなく羽央は語りだした。
「本日、わたくしが登校すると上履きが紛失しておりました。それで心当たりのある方には、是非ともご一報をお願いしたくて、この場をお借りした次第です」
回りくどく、鬱陶しく言葉を紡いでいく。
「皆様に至っては、未だにそのような低俗な悪戯が存在することに驚きかもしれませんが、本当のことです」
少しずつ毒を混ぜ、かき回す。
「ちなみに、この場で誰がやった――などという犯人捜しをするつもりはございませんのでご心配なく。ただ、一つ忠告させていただきます」
人差し指を一つ立てて、羽央は全員に一瞥を送った。
「もし、またこのような事態が起きた場合にはこちらも相応の対応をさせて貰います。具体的に申しますと、
二年後
――覚悟しといてください」全員の表情に疑問が浮かんだのを確認してから、羽央は舌先に毒を盛る。
「正確に述べますと、二年半ですかねぇ」
にたりと口元だけで笑って、
「進学――まぁ、いないでしょうが就職――する際、徹底的に邪魔させていただきますのであしからず」
犯人に明確な毒を浴びせた。
「おぃ、藍生――」
「もちろん、学校側が然るべき措置と指導をして下さるのなら、わたくしもそのような真似は致しません」
担任の言葉を即座に潰して、羽央は再び微笑む。
「あと、これは犯人がわかればの話です。つまり、バレなければ問題ありません」
ただし、バレたらおしまい。
死神は二年半後の大事な時期――忘れた頃にやってくる。
「――以上。藍生羽央の個人的なお話でした」
恭しく一礼して、羽央は口だけでなく目も閉じた。
明らかな動揺の気配を察したから――宣言通り、犯人捜しをしなかった。
今のは、クラスメイト全員に対する牽制に過ぎない。
先ほどの忠告は誰にでも当てはまる。
バレなければいい。その言葉はよく聞く。
けど、バレたらおしまいというのはあまり耳にしなかった。
誰も自覚がないのだろう。
バレなければいいと言っていた奴ほど、バレた時に見苦しく言い訳を繰り返す。そのくらいでと、自分の犯した罪を軽視する。
そういった面々を羽央は幾度となく見てきた。
そういった面々を幾度となく教師や警察に突き出してきた。
藍生羽央は自分の言いたいことを我慢できない。
その経緯から、彼の〝口〟は発達していった。
――自衛の為に。
小学生の時点で、言いたいことを言っていればどうなるか身をもって知っていた。
それでも身体を鍛える方向にいかなかったのは、敵が同級生だけとは限らなかったからだ。
彼はなにも正義感が強いわけではない。
また、誠実でなければ真面目でもない。
ただ、その性格に反して比較的まともな倫理観を持ち合わせていた。
正確には自分の感情を後回しにできるので、多くの人が煩わしく思うような規律やルールをさほど面倒とは思わなかった。
それでいて言い訳――大義名分があれば嬉々として、多くの人が守っている一線を越えてくる。
となれば、思春期と相容れないのは当然の帰結であろう。
わざわざ聞こえるように、見せつけるように語られる校則違反や犯罪の数々。大小様々な悪自慢が蔓延る中学校では、羽央の口は休まることなく働き続けた。
そして気付けば、稀代のトラブルメーカーと呼ばれるようになってしまった。
もっとも、彼自身はそれを否定する。
自分はいつだって〝油〟で、決して〝火種〟ではないと。
もっとも、そのような戯言を信じるのは本人以外には誰もいなかった。