第5話 酷すぎる自己紹介
文字数 6,361文字
マリーが心配の声をかけると、
「あぁ、大丈夫だ。ありがとう」
頼りない表情でありながらも担任は姿勢を正した。
「お久しぶりです、野口先生」
にやにやと、意地の悪い笑みを貼り付けて羽央は出し抜けに挨拶をする。
「……あぁ、久しぶりだな」
担任は吐き捨てるように答えた。
年を感じさせる仕草であるものの、容姿は男子生徒が劣情を抱くほどには若く綺麗である。
むろん、そんなもの羽央には関係ないが。
「ところで、どうやって担任を決められたんですか?」
「……年功序列だ」
嫌そうに答えると担任はマリーを席まで案内してから、
「それじゃ、席に付いて――」
教卓に立ち、凛とした声を飛ばした。
騒がしかった教室は徐々に落ち着きを取り戻し、高校生活最初のホームルームが行われる。
「担任を務めることになった、野口乙女だ」
やや男っぽい口調は、生徒たちから舐められない為の努力であろう。
「先生、名前負けしてますねぇ」
それをあざ笑うかのように、羽央は茶々を入れた。
水面に波紋が広がるよう他の生徒たちの唇にも軽口が乗り、
「先生、独身ですか?」
「彼氏は?」
「同僚にいい人いないの?」
失礼な質問が飛び交う。
「……一応、まだ独身だ」
「一応って、バツでもついてんすか?」
羽央はボキボキと、会話の腰をへし折っていく。
その毒量と軽さに、教室内の雰囲気は混沌。一部は乗っかるように笑い騒ぐも、半数以上は非難や嫌悪を感じているようだった。
「――なぁ、藍生」
担任が律儀に弁明をしていると、相川につつかれた。
「おまえ、先生と知り合いなのか?」
「知り合いつーか、面接でちょっとな」
もし、立ち会った教師が聞いたら顔に青筋を浮かべただろう。ちょっと? あれはちょっとで済まされる状況ではなかったと。
「とにかく、色々と配るものとか説明事項があるから――」
質問を打ち切り、担任はプリントを配り始めた。前置きどおり枚数が多く、目を通すのも億劫である。
その間、説明もつらつらと続く。
「それから来週末――」
あらかたの確認事項は聞き流していた羽央も、新入生歓迎レクリエーションとなると耳を澄ませた。
「競技の内容は明後日発表される。Aコース以外は明日試験だからな」
担任は羽央を一瞥し、言い含める。
「それじゃ、お待ちかねの自己紹介といこうか。出席番号一番……から」
もはや、口癖になっていたのだろう。出席番号一番から――自分で言ったくせして、担任は後悔していた。
誘導を待たずして、羽央は立ち上がる。
「いや、藍生。別にその場でいいぞ?」
「一番の特権ということで。みんなの基準になるんですから、これくらいの我儘は許してください」
羽央が教卓の前に立つ前から彼と同じ中学だった生徒は頭を抱えていた。
まるで、これから起こる出来事を予期しているかのように――
「
出身中学の時点で教室が揺らいだ。
「そう、みなさんご存知の〝あの事件〟が起きた二木中学です。付け加えるなら、その渦中にいたのが俺です。当然ですが、逮捕されたほうじゃないですからね」
あっけらかんと、羽央は混乱する現場に新たな燃料を投下していく。
「色々と思うことはあるしょうけど、一芸入試組は三年間同じクラスですから今の内に慣れといてください。
俺は同級生を対等だと認識してるんで気をつかったりはしません
」もっとも、それは意地悪でもなんでもなく紛うことなき自己紹介だった。
「なんで、もし俺に気をつかわれたら見下されてると思っていただいて結構です。俺に弱い者イジメをする趣味はありませんから、一般より劣っている人には優しくしますよ」
慣れた仕草で、恭しく一礼。
「ただ、俺は個性の欠片もない人間の顔と名前は憶えられませんのであしからず。というわけで、間違っても出身中学と名前だけいってよろしくなんて言うんじゃねぇぞー」
笑顔で両手まで振って、羽央は言い切った。くるくると表情を変え、ぺらぺらと声色を転じ、まったくもって掴めない。
結局、真面目に聞いていられるのは最初の一文だけだった。
「あ! 言い忘れてましたけど。一芸入試はこのキャラクター、人間性で突破しました」
そうして嘘か真か判断しかねる一言を残して羽央は席へと戻り、
「よっしゃ相川、場は温めておいたぞ。行ってこい!」
バトンタッチ。
「おまえっ! なぁ、この空気で自己紹介ってなんの罰ゲームだよ?」
「俺と仲が良いって思われてる限り、罰ゲームは続くぞ」
「そりゃ災難だ」
口だけ嫌そうにして相川は立ち上がり、
「一芸入試はアルティメットでクリアしました」
名前、出身中学を述べたあとに披露した。
「アルティメットとはフライングディスク――いわゆる、フリスビーで行うアメフトみたいなものです」
「どう違うんだ? フリスビーとフライングディスクって?」
羽央はさっそく茶々をいれ、
「フリスビーは商標登録名だから使えないだけだ」
想定していたのか相川はさらりとかわした。
「アルティメットは『究極』のスポーツです。どんなスポーツよりも過酷だからこそ、このような名前がつきました」
周囲が関心を示すも、
「でも、フリスビーだろ? そんなんが究極って言われてもなぁ。まぁ、犬と一緒に競うならある意味究極かもしれんが」
やはり、この男の軽口は止まらなかった。
「フリスビー言うな! あと、犬どっから出てきた!?」
「そりゃ……」
「いや! 説明しなくていい! どうせフリスビーからだろ? 言っとくが、口でキャッチはしないからな?」
投げる、走る、飛ぶ。ただ、ボールがフライングディスなのでアメフトや他のスポーツよりも滞空時間が長い。
それをどう制するか――
そういった空中戦がアルティメットの醍醐味であると相川は熱く語るも、
「言葉だけじゃアルティメット(笑)って感じだな。一番過酷とか究極とか言われても」
同意するように嘲笑が起こる。
日本におけるフリスビーのイメージはやはり犬と遊ぶ玩具のようだ。
「もういいっ! おまえ憶えてろよ? あとで携帯に動画送りまくるからな!」
最後にそう捲し立て相川もバトンタッチ。
「うへぇ……」
呻きながらも、羽央は観る気でいた。
散々馬鹿にして笑っていたが、相川の身体付きは自分よりも遥かにいい。
勝っているのは身長くらいで、肩幅なんて骨格からして違う。肌も程よく焼けており、立ち姿もスポーツマンといった雰囲気を醸し出していた。
羽央の視界の端では次々と自己紹介は繰り広げられるも、そう個性の強いのは見られなかった。
釘をさしたところで素直に聞いてくれる年代ではない。
妙に反感したりして、あえて出身中学と名前だけで済ます生徒も何人かいた。彼らは決まって羽央に含みのある目を向けるも、当の本人は机に肩肘をついてだらけている。
「つまらん」
はっきりと聞こえる声量で羽央は漏らす。
教室内はそれに同意するのが数名、怯えるように体を竦めるのが一部、反感を抱くのが大半といった感じだ。
「なぁ、相川。ここって一芸入試組だよな? なのに、どうしてこうも無難なんだ?」
むろん、一芸の種類は多い。音楽、スポーツ、語学から始まり、けん玉、折り紙、ネット活動などなど。
しかし、そういった特技があるというだけで自己紹介としては普通だった。
「俺が知るかよ。……いや、半分以上はおまえのせいだな」
まもなく、男子の自己紹介が終わる。
「
最後の男子は前にでることすらせず、口にした。
「だったら引き篭って通信制の学校行けよ」
「おぃっ、藍生!」
相川は嗜める口調になっていた。
しかし、言われた渡部は気にする素振りもみせないで女子へと繋ぐ。
「いやぁ、相川。あいつは面白いなぁ」
「……おまえ、頭おかしいだろ?」
そして、羽央はにやついていた。
「本当に関わりたくなかったら、無難にしとけばいいのに。わざわざあんな台詞吐くなんて、ツンデレっていうの? それとも中二病? 俺は他の奴らとは違うっていう? どっちにせよ、ツッコミ待ちだろあんなの――っと、女子の番か」
そう言って軽すぎる口をピタリと止め、羽央は正面に目を向ける。
「やっと真面目に聞く気になったのか?」
「正確には、真面目に見る気だな」
「そういうとこは現金なのな、おまえ」
目の保養。みんなそれなりに髪は綺麗にしているので、髪フェチの傾向がある羽央は楽しめていた。
「タイプの奴いたか?」
「髪だけならな」
「あぁ、わかる。ほんと最近多いよな、後ろ姿詐欺」
進行を妨害する気はないのだろうが、羽央と相川の会話はやけに響き女子たちを尻込みさせていた。
自覚がない羽央はやけに内気なコが多いなぁ、と唸り声をあげる。それがまた、彼女たちの気勢を挫いているとも知らないで。
「ワタシの、名前わ、マリー=クロード・シンクレアです」
皮肉にも、心もとない日本語を喋るマリーのほうがまだ聞き取りやすかった。しっかりとした発声で初めて聞く学校名や地名を説明している。
ただ、周囲の評価は違うようだ。
幼稚とも呼べる喋り方を面白がるような意見が飛び交っている。
こういう空気になる度に羽央は思う。
周囲が責めるほど、自分は酷くないだろうと。
自分と他者の違いなんて大勢で個人を攻撃するか、個人で大勢を攻撃するかだけである。
そして、
すなわち、数か質の違いであって自分も周囲も同等に酷い。となれば、自分が遠慮する必要などなく――つまり、俺は悪くないの精神であった。
「ピュテンッメルド」
自己紹介を終えると、マリーは小さく漏らした。聞き取れなかった生徒たちは首を捻り、音を拾えた生徒たちは疑問を浮かべるか笑い話にするだけ。
どうやら、一人でほくそ笑んでいる羽央以外に意味を汲み取れた人物はいないようだ。
――あのタイミングで言ったってことは……そういうことだよな?
あの一言から導きだせる事柄は多く、頭を悩ませてくれる。
そんな羽央の思考を邪魔するように、陰口が渡ってくる。
懲りずにつらつらと。誰が立とうが、しんしんと。女子は既にグループが整っているのだろう。
中学からの絆かSNSの繋がり。どちらも持っていない人間は少数派で肩身の狭い思いを虐げられている。
そして、やっとお出ましのようだ。
「
現段階で一番の派閥を持っている存在。立ち上がっただけで声援が送られ、今も座っている何人かと視線で会話をしている。
「藍生、めっちゃ可愛くない? あのコ」
「ふむ、オシャレだな」
肩を流れる黒髪でありながらも、やぼったさを一切感じさせない。もし天然であるならば、恵まれた髪質といえるだろう。
が、透き通るように軽い黒髪はラベンダーの色味を加えることでも手に入る。
髪色よりワントーン明るい眉が見えるよう前髪を切り揃えているところからして、おそらく後者。
故に羽央はオシャレと形容した。
「足りないものもあるが」
「足りないもの? 確かにちっちゃいが……それがまた可愛くないか?」
羽央は少女の頭から足元まで見やり、
「反応次第だな」
唇の端を吊り上げた。
「実は優、
「地下かネットか?」
キッと鋭い眼光で射抜かれた。なかなかの反応の良さだと、負の視線を浴びながら羽央は笑みを絶やさない。
「えーと、それで一芸入試はもちろん――」
「枕営業」
二度目は許せなかったのか、優は体ごと羽央に敵意を向けてきた。
正面から優の身体を拝見して、
「失礼」
羽央は素直に詫びた。
「その胸じゃ無理だったな」
瞬間、「あー!」の大合唱。
彼女の派閥以上の人数――男子のほとんどが納得の意を漏らしてしまった。
「言われてみれば……」「なんか足りないと思ったらそれか!」
「いや、貧乳はステータスだろ?」「ちっぱい……」
「なっ! なななな……」
澄ました顔が羞恥に染まる。
優は男子の視線から身を守るように胸を両腕で隠すも、
「あれっ? なんか脚も短くね?」「いや、それは背が低いからじゃ?」
「ロリコン歓喜だな」「二次元に……いや、ありか」
言うまでもなく、第一声を担ったのは羽央である。
教室を男子の失礼な本音と、
「サイテー」「酷っ!」
「キモッ」「死ねよっ!」
付き合いの入り混じった女子の罵声と擁護が飛び交う。
既に充分、場は混沌としている。
なのに、羽央は更なる燃料を足していく。
「あのさ、日向。この公式に載ってるプロフィールだけど、詐欺じゃね? バスト七十二でBカップって、アンダーいくつだよ?」
いつの間に検索したのか、手には携帯が握られていた。
「調子良ければ余裕だしっ!」
キレ気味の答えに、
「へ~、バストサイズって体調で変わるんだ。知らなかった」
羽央は感謝を示すよう漏らした。
「教えてくれてありがとう」
その発言に他意はなかったものの、
「黙れよテメー!」
本人以外には、今のありがとうは馬鹿にしているようにしか聞こえなかった。
「大体、さっきからなんなんだよ!」
限界に達したのか、優はキレた。今までの体裁を捨て去った言葉を投げつけ、怒りをあらわにする。
「偉そうに上から言いやがって、何様だ! 死ねよマジで!」
さすがにマズイと思ったのか、ここまで静観していた担任が重たい腰を上げる。
「ホントありえないんだけど。マジで。お願いだから死んでくんない? ウザいからさぁ」
それでも、優は喚き続けた。
激しい剣幕に教室は嫌な静寂に包まれる。
本来なら、こうなる前に集中砲火にされるのだろうが羽央は二木中学出身。この界隈で例の事件を知らない者はいないのか、みんな押し黙っていた。
――だって、
あの男は半殺しにされても黙らなかったのだ
。その光景は動画に撮られ、多くの人々の目に触れていた。
殴られ、蹴られ、怒鳴りつけられてもへらへらと。顔面を鼻血で染め、体を吐しゃ物で汚しながらも止まらなかった、お喋りという名の死刑宣告。
そうして宣告通り、手を下した相手は社会的制裁を受けた。
にたりと、羽央の口元が更に吊り上がる。
不出来な微笑みをぶら下げて、優と視線を交わす。彼女の瞳には涙が滲んでおり、顔も真っ赤っか――激昂しているのは明らか。
そのような相手と向かい合いながら、
「面白いなっ、おまえ」
羽央は破顔してみせた。
「……あんた、頭おかしいんじゃない?」
教室のみんなを代弁するように優が零した。そこに先ほどまでの切れ味はなく、本当に口から零れてしまったように響いた。
「まったく、どいつもこいつも二言めにはそれだな」
羽央はかぶりを振り、優の眉間に皺がはしる。
「まぁ、落ち着けひなうー」
「ひなうー言うな!」
「なにぃ!? 公式の愛称なのに……? そうか! まだ俺がファンじゃないから許さないのか? よしっ、ならば怒らせたお詫びも兼ねて今すぐファンになってやろう。ただし、金は落とさないがな!」
「……っ!」
ここにきてやっと気付いたのか、優は口をつぐんだ。
この男は相手にするだけ無駄。どれほどの怒りや屈辱、羞恥を与えられようとも黙るに越したことはない。
感情的になって張り合おうものなら、延々と軽口が続いていく。
余計な言葉を一つ二つ三つと足され……この有様だ。
最初の一言二言を我慢していれば――そう思うも、遅い。
「いやぁ、楽しい高校生活になりそうだなぁ」
黙って席に戻る優を見送りながら、羽央は傍迷惑な台詞を口ずさんでいた。