第39話 天使が通り過ぎる
文字数 2,767文字
羽央は敵情視察の報告をするも、
「そら、当然だ」
冷たく返された。
「全クラスに喧嘩売ってたようなもんじゃないか」
午前を振り返り、相川はそう判断した。
「そうだよなぁ……。どう考えても、嫌われて当然だよな?」
それなのに、どいつもこいつもさほど怒ってはいなかった。いや、怒ってはいたのだろうが拒絶はされていなかった。
「あんたらが思っているほど、みんな子供じゃないっつーの」
マリーと柔軟運動をしていた優が会話に入り込む。
「そもそも、藍生の悪口なんて優しいもんよ。女子から言わせればね」
「初日にマジキレしてた奴の台詞じゃねぇな」
「というか、初めてじゃない? ひなうーが俺のことをちゃんと呼ぶのって」
なんのことー? と、優は可愛らしく首を傾げて誤魔化した。
「羽央わ楽しいです。子供みたいで」
自分なりに頑張って解釈したのだろう、マリーはいきなり口にした。
羽央が反応に困っていると、
「マリーっ!」
優が手を叩きだす。
「そう、それよ! 子供、子供! 子供よ! それも小学生。うんっ、しっくりくる!」
ナイスマリーと優は飛びかかるように抱きつき、
「ありがとうゴザイます」
マリーは的外れなお礼を述べていた。
「どうした? 言い返さないなんて珍しいじゃんか」
「いや、マリー相手だとなぁ……どう伝えていいもんか」
言葉が正確に通じないのは厄介である。
案の定、マリーは誤魔化されなかった。
見事に本質を衝いてきた。
そう、藍生羽央は子供なのだ。
そして、周りは成長している。
だから、中学生の時のように嫌われる=拒絶とはならなかった。そのことに気付いて、羽央は複雑な気持ちに苛まれる。
「おぃ、藍生」
声をかけてきたのは渡部だった。
四人は一斉に彼へと顔を向け、
――不意に、沈黙が場を支配する。
優たちは渡部がなにか喋るものだと配慮して、渡部は会話の邪魔をしてしまったのではないかと尻込みして気まずい空気が流れだすも、
「――アネンジュパッセ!」
マリーの一言で吹き飛んだ。
羽央以外は首を傾げるなどして、身体で疑問を表している。
「そうだなっ」
ひとり意味を理解している羽央は穏やかに頬を綻ばせ、
「いまのって、どういう意味?」
優を筆頭に説明を求められていた。
「アン・アンジュ・パッセ」
羽央は単語ごとに区切って、発音してみせる。
「マリーのは、南仏の訛りがあるからな」
また、フランス語には子音と母音が繋がるリエゾンがある。アン〈un〉とアンジュ〈ange〉が繋がってアナンジュ。アンをエンと発音(そう聞こえる)するのが、訛りだ。
「アンジュ……天使?」
「よく知ってんな、渡部」
せっかく褒めてやったのに、茶化すなよと渡部は嫌がる素振りを見せる。
「あー、アンジュってそういう意味なんだ」
香水の名前でよく使われていると優は理解を示し、
「で、意味はなんなんだ?」
相川はまどろっこしいのが嫌なのか、答えを要求してきた。
「そうだな。正しい訳し方は知らないが――」
前置きして、羽央は自分なりの回答を口にする。
「――天使が通り過ぎる」
会話の際に訪れる沈黙、騒がしい談話が途切れた瞬間を指すフランスの諺。
「ようは、場をしらけさせない為のジョークみたいなもんだ」
些かロマンチックに過ぎるものの、しらけた、と口にするよりはよっぽどマシであろう。
現に、先ほどの気まずさは残滓すら感じられない。
「つまり、天使が通り過ぎれば藍生も黙るってことか」
相川がドヤ顔で披露した見解を、
「逆に言えば、天使が通り過ぎるまで黙らない、だけどな」
渡部が即座に潰す。
「つーか、渡部。おまえ、俺に用があったんじゃねぇのか?」
「あぁ、そうだな」
渡部は学ランと赤いタスキを手渡してきた。
「なんだ、反抗期か?」
羽央はへらへらと笑うも、
渡部は「違う」と溜息を挟み、
「目立つ格好してないと、おまえを蹴りたい奴が困るだろ? とばっちりを食らうのはごめんだ。責任はおまえが全部引き受けるんだろ?」
そうだ、そうよ! と相川と優が騒ぎ立て、A―三の面々が集まってくる。
とりあえず野次っとけという雰囲気に乗せられてか、みんなして羽央を責め立ててくる。
「ちょっ! みんな酷くねぇ? ここまで一緒に頑張ってきたのに人柱にするなんて?」
「今更だろ?」
相川が先んじた。
「それにそのほうが作戦も立てやすい。敵のほとんどは藍生に一直線だろうからな」
「正論ありがとう軍師様」
しゃぁない、と羽央が学ランに袖を通しタスキを掴む。
「貸して、やったげる」
と、優が手を差し出してきた。
「……なによ? なんか文句でもあんの?」
先手を打たれた感が拭えなくて、羽央はなんともいえない顔をしていた。
「いや、なんでも。また恰好よくしてくれよ、ひなうー」
じゃぁ黙ってろ、と優は背中を強く叩いた。
「さて、俺の時代が再びって感じだが暑いな」
午後の陽ざしに学ラン。
また、赤いタスキが温度をあげている気がする。
「ちょっとひなうー、きつすぎない? これ?」
「あんたが逃げないように、ね」
まだ始まってもいないというのに、一部のクラスは陣形を組み始めていた。
長方形のグラウンド。各頂点と対辺の中心に一クラスずつ、順位によって振り分けられている。当然、点数が低いクラスが頂点で、高いクラスが長い対辺に位置している。
「頼むぞ功刀、インテリ眼鏡」
この二人が協力してくれなければ、羽央たちは逃げ場がなくなる。
近い頂点にいるのは付属一組と、満子や鶴来がいる付属二組――狙われるのは疑いようもなかった。
「それじゃぁ、俺たちもそろそろ準備しますか」
「ほんと、さっさと終わらせたいわぁ……足痛すぎ」
「ひなうー、終わったら揉んであげようか?」
「黙れ死ね。それより、甘い物食べたいから奢ってよ」
優のおねだりに、女子たちが可愛らしい声音で追従する。
「よしっ! ひなうーにスウィーツを奢りたい野郎は手を上げろ!」
「おまえが奢れよ。それくらいしても、バチは当たらないと思うぜ?」
「あんたも奢りなさいよ、相川」
「はぁ? なんで俺まで?」
「か弱い女子たちをコキ使いすぎ」
そうだ! そうよ! の大合唱に相川がたじろぐ。
「藍生……俺、おまえのこと尊敬するわ」
「今頃、気付いたのか? やっぱワンテンポ遅いなぁ」
「羽央! ワタシも甘い、食べたいです!」
「誰の差し金だ……? まぁ、しゃぁない。マリーのは俺が奢ろう。つーわけで、他の女子たちは別を当たれ!」
A―3の面々は既に試合後を考えていた。誰が誰に奢るか。
渡部がなんで奢らないといけないんだよ、とある意味正論を口にしていたが誰も聞いちゃいなかった。
まもなく、笛が鳴る。
楽しいケンバトの始まり始まり――